10 冷酷


 新しい部屋で寝るのは、慣れないかと思っていたが、ベッドが同じであった為か意外に眠ることができた。洗剤やらのいい匂いが充満する部屋での寝心地は、想像以上に悪くない。


 名残惜しい温かみのあるベッドから降りて、着替えに取り掛かる。デジタル時計が示す時間は早朝五時。今日は忙しい一日になりそうだった。


 前の家から持ってきた鏡で、自分の全貌を見据える。

 黒いタンクトップ一枚だけの、あまりにあられもない格好。胸元の谷間は、自身の物の大きさを指し示している。

 中学生くらいから膨らんできた。初めは嫌だったし怖かったが、それが“大人”になる第一歩だと考えると、むしろどんどん大きくなってくれ、とさえ思えるようになってきた。


 いつもの服を纏い、任務の時だけ羽織る紫と黒を基調としたジャケットを上から身に着けた。紫という派手な色は、自分には似合わない。


 普段は風のように過ぎ去っていく身支度の時間だが、これから先に控えている一時の果てしなさを考えると、随分とゆっくりに感じてしまう。

 この時の胸騒ぎは、子供の頃、遠足が楽しみで支度が手につかない時に凄く似ている。

――このような表現は、彼女は死んでもごめんであった。


 


 ◇




 七人の人間を乗せても尚、この浮遊装甲車は平行を保ったまま運行していた。人工知能の運転も、この装甲車の設計も、アルベルトたちにとっては何ら不思議なことではない。

 街中に張り巡らされた電磁誘導レールの上しか走れないという欠点はあるが、それが無い所など今の時代に存在しない。

 窓から見える、次々通り抜けていく浮遊自動車も全て自動運転。もう、人が車を運転する時代は数十年も前に終わったのだ。


 オレンジの照明が照らす車内にて、面積が狭すぎる椅子に箱詰め状態で座っていた。


「この装甲車は“トルネイド”って言ってな。あのクソ総司令が、ネクロム創立祝いです、なんて言って寄越してくれた」


 一部言葉にむっとしながらも、アルベルトはMTのコートを羽織った姿のミカの話を聞いていた。ノアやガブはパーカー、ラファやウリはダウンジャケットと、彼らの制服には個性があった。


「あの総司令もいい加減何かしらしてほしいよねぇ。賢いんでしょ?」

「賢いなら、俺らに対する何かを、とっくの前にしてくれてる筈だがな」


 続けてガブとノアが愚痴を吐く。我慢ならなくなったアルベルトは、つい口を挟んでしまった。

  


「“兄さん”は、そんな人じゃない」


 

 前のめりになりながら、真剣な顔つきでそう訴える。

 すると、一同の視線が一斉にこちらを向いた。冷たく、怖い視線だ。スルトだけは、こちを心配するように目配せをしていたが。


「おいおいアベル……何の冗談だ?」

「司令は……私の兄。悪く言わないでほしいの」


 その言葉が、火に油を注ぐ事になるとは、彼女自身、思いもしなかっただろう。


「……あァ……同理で顔見てたらイライラするわけだ」


 ラファが、アルベルトの前に立ち塞がり、その胸ぐらを掴んだ。


「どうにかしてくれってお願いしろよ、お兄ちゃんによぉ!! 俺たちはこれからどう生きりゃぁいいんだってなぁ!!」

「やめてラファ……!」


 彼女の小さな手が、血管の浮き出る腕をか弱い力で引き剥がそうとした。

 そうすると、ラファは燃え尽きるようにふらふらと元の席へ戻っていった。アルベルトはその反動で後頭部を壁にぶつけた。合金製だからか、物凄い激痛が走る。


 静寂が車内を支配する。浮遊自動車の“無音”というメリットが、こうもデメリットとして働く時は、中々訪れないだろう。


「み、みんな! アベルを恨んだって仕方ないでしょ?」

「別に恨んでる訳じゃあない。ただ、どうにかしてくれって頼んでるだけだ」


 ノアの言葉が、ずきずきと心を突き破ってくる。それと同時に、徐々に、徐々に、自分の中にある“何か”がドミノ倒しのように崩れていくのを感じた。




 ◇




 車体の扉が開くと、中の不穏な空気が一気に外へ漏れ出していく。

 ネクロムの皆は、彼女を差し置いて先々降りる。


「アベル……言い返しなよ? 嫌だったら」


 スルトはそれを言い残し、車から降りていく。


 ゆっくりと歩く彼女は扉の前に立ち、今から自分たちが足を踏み入れる地をその目に写した。


 冷たいコンクリートの大地に聳える、パイプが張り巡らされた鋼鉄の孤城たち。あるところでは煙を吹き、あるところでは焔が爆ぜている。人類の文明が結集した地とも比喩できる場所だった。

 第八重要工業プラント。ロボットのパーツを主に製造するプラントだ。


「さぁ、お仕事開始だ。全員で侵入するのもなんだから……そうだな。ラファとノアと……アベル。スルトとガブ。俺とウリで小隊を組む。それぞれ各方向に分かれて、効率的に〈外怪物アウトワルド〉を殲滅するぞ」


 急遽、小隊が組まれた。この不穏な空気感の中で、彼らと手を取り合って戦わなければならないなど、彼女からすれば鬼畜の所業であった。


「……ラファに従え。勝手な行動は許さない」

「ま、まぁまぁノア。そんなに怖い顔しないでよ」


 鈍い翠の眼光をこちらに突き刺すノアを、ラファはやんわりと止めた。説得力は皆無であったが。


「司令の血を引く奴が……何をするか分かったもんじゃない」


 懐からギアを取り出し、掌でそれを覆い隠した。


 その球体は、掌の上で翡翠色の球体を生み、やがて棒状の兵器を形成していく。

 淡い閃光が走ると、彼のフォービデンギアがその姿を現す。

 華奢な鋼鉄の棒の両先端から伸びる、非対称の刃。危険性を微塵も感じさせないその武器は、くるくると振り回され彼の手元に収まった。


 それに続きラファもギアを解放する。

 白銀の閃光が走り、彼の両手に降ってくる一丁の銃。

 レーヴァガンに似た銃身だが、厚い純白の重装甲に包み込まれており、上側面はまるで鈍器のように更に硬い性質の合金で覆われていた。


「行こう、ノア。何処に潜んでいるか分からないから――」


 ラファはそう言ってこちらを見据えて、柔らかな表情を一瞬歪めた。ノアを連れて、パイプまみれの鉄孤城へ吸い込まれていく。



 アーサーブラストを解き放ち、仄かに熱い、その赤い鉄のグリップを握りしめる。人を容易に殺せるような道具が、人より温かいとは、皮肉な物だ。


 アルベルトは鉄孤城へ吸い込まれていく彼らの背中を追った。引き摺られるアーサーブラストの音が、悲鳴のように、このくすんだ空気を切り裂いていく。

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