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「まず、俺の故郷は、学語は勿論、お前達にとっての母語も通用していないような村落だった。田舎だの牧歌的だのという説明をしてしまえば、寧ろ虚飾になるような、……まぁ、『未開』とかのが座りは良いわな。兵役や税も課されていなかった筈で、言ってしまえば、遠巻きに保存されていた自給自足民だな。」

「ということは、そういう生まれ故にいずれの教えにも触れられず、貴殿は無宗教者になったと?」

「おいおい、」呆れたように、「そこらの間抜けならいざ知らず、あんた程の男が馬鹿言うなよ、守谷。この俺の何処が、無宗教者だ? 今の俺は、無神論者エイシストであり、そんな、ぼんやり生きている連中とは違うぜ?

 まぁそれはともかくとして、確かに当時の俺は、無神論者というよりも、広義の意味での無宗教者であったとは思う。しかしそれは、霊的な事象を何も信ぜないという態度ではなく、精霊信仰アニミズムのような様相だったね。つまり、何か豊饒を司るものが居る気がする、何か生死を司るものが居る気がする、何か幸不幸を司るものが居る気がする、……そして、道徳的に宜しくないことをすると、それらの機嫌を損ねる気がする、という、如何にも未成熟なそれさ。俺は餓鬼だったから、細かい教義まではついに知らぬままだったが――そんなものがもしも有ったのならな。

 ただ、そんな素朴な信仰体においても、篤信者というものは存在し得るらしくてね、俺の親父とお袋がそうだった。何につけても、まぁ何か『神なるもの』への感謝を忘れない二人でさ、俺も、あのまま育っていたら、さぞかし無宗教者になったのだろうよ。」

 悄然と一旦噤んだ蟠桃の隙を突いて、つまり、そうはならなかったのですか、と、久々に黒野が発言すれば、

「幾つだったか、十かそこらだったと思うんだが、とにかく俺がそのくらいの年齢の時に、

……まぁ、村が焼かれたんだ。」

 此処まで述べた蟠桃の右手が、密やかに慄えているのに黒野が気づく向こうで、

「黒野君以外は知っているかも知れないが、当時、そういう聚落を掠奪する賊が国内に跋扈していたらしくてな。俺の住んでいた山奥の村も、見事に喰いものにされた訳だ。

 もしも当時から、社会学なり民俗学なり言語学なりが世に興っていたならば、話も違ったと思うのだよ。半ば未開の者共は、きっと、貴重な標本として保全の対象になったろう。しかし、その手の〝旅人〟がまだ得られていなかった以上、俺達は、完全に国家権力から興味を向けられていなかった訳だ。そこでなんら庇護を得られなかった訳だが、……まぁ、元首の顔も知らないし当然忠誠も誓ってない、納税も兵役も行わないとなれば、それは国民ではなく、ただ国土の中に住んでいるだけなのだから、この点について当時の国家を恨むつもりはないがね。……不遇としては、恨みたくなるがよ、」

 不作法に足を組みつつ、彼は目を閉じる。

「未だに、目蓋や脳の裡にまざまざと思い泛かぶのだよ。親父の、土手腹に打っ刺されるカットラスと、抗おうとしてそれを摑み、小枝みたいにあっさり切れ落ちる指。何処かから滴り落ちる血。俺を抱き込むように護っていたお袋が、ひっぺがされて、顔を殴られて、床に転がった二本の前歯。その根元に纏わっている、歯茎の肉。そういう、地獄みたいな光景を彩る、周囲に放たれた炎からの赤き余映。」

 彼はここで、閉じていた両目をかっと瞠り、そこから大袈裟に肘を横へ張り出しつつ、自分の両耳を押さえ込む。

「そして、こうすると未だに聞こえるんだ。そうやって直接地獄が降りかかる瞬間の、少し前。近所の連中の悲鳴と、そして何よりも、俺を抱き込んでいるお袋の言葉がさ。

 大丈夫だから。真面目に、誠実に生きてきた私達のことを、きっと見ていて下さる、護って下さる。……そんな意味の言葉が、幾十回も繰り返された訳だよ。

 その挙句の結果は、……まぁ、語った通りさ!」

 彼の拳が、またも円卓を叩いた。

「俺は、この日の出来事と、そして、その翌日から幾年も続いた糞みたいな奴隷労働生活によって、あまりに偉大なる教訓を得た訳だ! 神だの精霊だの、そんな世迷言は何の助けにもならない! 人を育むのは人であり、人を害すのは人であり、人を護るのは、……人なのだ! そして、護る為には力が必要であり、力を得る為には、知性が必要なのだよ!」

 どうだ白沢、これで満足か、と言わんばかりに彼が椅子へ思いきり背を預けると、不意安が小さく手を挙げつつ、錫杖を琳琅(りんろう)と鳴らした。

「その話は、何となく私も知っておりましたが、……しかし蟠桃、少々、飛躍が御座いませんか?」

 何がだよ、とだけ、眠たげにも見える様子の蟠桃が返せば、

「いえ、そういう背景によって貴男が無神論者となったことは理解出来ますし、ならば、残念ながら再回心も中々期待出来ないのだろうとは、思っております。しかし、その先が奇妙なのです。

 神仏は信用ならない。まぁ、良いとしましょう。ならば人が実力を振るわねばならぬ。そうなるでしょう。よって人が実力を持たねばならない。ここまでは全く理解出来る論理ですし、実際、追いつめられた蛇髪ゴルゴンによる全力を、赤児の如く捻った力、そしてそれを育んだ貴男の姿勢は素晴らしいです。

 しかし、貴男のもう一つの特性、稀なる知性がよく分からないのですよ。昨日白沢さんが、私を名にし負う奇術師とそやして下さいましたが、しかし、寧ろ私なんかよりも貴男の方が、偉大な大神官として余程名高いでしょう。」

 へえ、と思った黒野は、蟠桃へ視線をやったが、彼はただ真剣そうに不意安の語りを聞いている様子で、そこへ彼女も尋常に続ける。

「貴男の発した、『知性が必要なのだ』という言葉は、こういう体現を以てして我々へ篤実に響いた訳ですが、……そもそも、何故なのでしょう? 何故、貴男は無神論と実力だけでなく、知性をも追い求めるのですか?」

 蟠桃は、耳を搔きながら目を逸らしつつ、

「ああ、そうか。そこが埋まってないのか。」

「やはり、何か確乎とした根柢(こんてい)がそこにも有ると?」

「まぁ、有るんだが、」

 悩ましげにそう言い澱んだ蟠桃は、投げ掛けるような視線を遠くの妻へと送って、

「イロハさん、……もしかして貴女からの方が、詳しく話せますかね?」

 (恐ろしいことに)欣然と夫の話を聞いていた彼女は、指名されたことで、笑みを深くしてから、

「確か、私と貴男の馴れ初めとやらの話も、白沢さんから求められているのでしたね。……ならば、はい。その先は私が請け負いましょうか。」

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