第17話

腐臭、血の匂いの混じった空気が濃くなるにつれ、思わず金時は口を押さえながら太い眉を寄せた。

「大丈夫か、金時」

そう気遣いしてくれる季武に何とか、

「大丈夫じゃ…」

と答えるのが精いっぱいの金時であるが、どこを見ても人間の体の一部が並ぶ光景にいい加減辟易している。

「しっかし、菘の言った通り広いよな。鬼の都?ってやつは」

金時とは違い、半ば感心するように呟くのは貞光だ。

安倍晴明の指示を受けて、貞光、季武に金時が加わる形でこの鬼の都にやって来ている。

鬼である彼らがここに来るのは容易だった。菘に言われた場所に来れば黒い大きな門と黒い塀。人間にはどう見えるかは知らぬが、鬼である彼らはなんの問題もなく通ることができた。くぐれば確かに無数の鬼が闊歩する。

金時たちのように人間に近い姿形の鬼もいれば、脚、目、腕の数が多かったり少なかったり、つまり異形の鬼も数多い。肌は赤も青も緑もいるが、頭髪は濃淡あれど銀のみなのが不思議に思える。

金時はまずそれに度肝を抜かれたわけであるが、貞光や季武に関してはさほどの驚きはない。聞けば、そもそも源頼光が受ける特命は異形の怪異の討伐である場合が多く、要するに慣れっこというわけだ。

そして、金時たち一番の目的は酒呑童子の根城の探索。それと、とにかく情報収集。

頭が街中にいるはずもなかろうと、黒い門をまっすぐ北上する。そこにあるのは小さいながらも城。大内裏にあたるここが酒呑童子の住処と目星をつけたのだが、その周辺には鬼が全くといっていいほどいなかった。貞光が城の周辺をさぐるも、何もなし。もぬけの殻というやつだ。

仕方なく道を変えて戻るが、ではどこに酒呑童子はいるのか疑問が残る。

菘一人の探索では無理があったのも確かだ。

一度分かれて調べてみてはどうか、と思っていたのは金時だけではなかったようで、

「なぁなぁ。このままじゃなんも成果ねえぞ。一旦分れるか」

と貞光が提案すれば

「その方がいいな。一人ずつのほうが早く動ける」

と季武も同意している。

「金時、どうする?一人で大丈夫そうか?」

そう貞光に気遣われるが、金時とて子どもの遣いのつもりはない。不安がない訳じゃないが、

「大丈夫じゃ」

と答える。

「では俺がこのまま中央の大路を進む。貞光と金時は東西の小路に入って、そこから北を目指してくれ。日が落ちたら、この場所で落ちあおう」

「御意」

そんなわけで、金時は東側、平安京でいえば右京にあたる区域に入った。

とはいえ、ただ歩いているだけではなんの情報も得られない。

耳に神経を集中し、鬼たちの会話を聞く。

もちろんすぐに何か聞けると期待したわけではないが、しばらく歩いてみたところ、女の悲鳴のような声が聞こえた。

聞こえた方角は北。一体何事かと考えるより先に金時は駆け出す。

たどり着いた所は屋根に生首が並んだ大きな建物。泣きじゃくって悲鳴を上げているのは人間の女性だった。

その周りには、悲鳴を聞き付けてわらわらと鬼が涎を垂らして集まって来ている。

「おうおう、今日は女の解体か!」

「オレは足をもらうぜ!」

「じゃあオレは腕だ!」

そう口々に言い合う鬼たち。

どうやら女性はこの後殺されるようだ。

だとしたら助けなくては。

しかしどうやって?

酒呑童子の住処を探す、それが最優先。ここで騒ぎになってしまっては、それが難しくなるかもしれない。

哀れだが、女は見捨てるしかない。

などとは、金時にはどうしても思えなかった。

「えぇい、抵抗すんじゃねえ!」

女性を乱暴に木の台に乗せようとする一つ目の鬼。

背負っていた鉞を、金時はその鬼の目に振り当てる。

断末魔の声が辺りに響くと、金時は女性を担いで走り出した。

鬼たちにとってあまりに突然だったらしく、追って来るまでに間ができる。

その間に遠くまで、といきたい金時だったが生憎そんなに甘くない。

泥棒だ、捕まえろ、という鬼たちの叫びはあっという間に伝播し、騒ぎを聞きつけた鬼が金時を囲み出した。

逃げ道を確保できなかった事が悔やまれるが、こうなってしまってはひたすら鬼を倒し続けるしかない。

そう判断して金時は鉞を構えた。

「独り占めはご法度だぞ!」

「人間を返しやがれ!」

「罪人は酒呑様に差し出されるんだぞ!」

そんな声が聞こえて鬼たちが金時に襲いかかる。

と、思われたが、実際には金時の前に立ちはだかっていた鬼が一斉に倒れたのだ。

その背中には矢。

「走れ!」

そう叫んだ主は季武だった。

言われた通りに駆け出すと、残りの鬼も季武が矢で倒している。

鬼をなぎ倒しながら進んでいたらどうやら街の外れまでやって来ていた様子。

まだ黒い塀の中なのに鬼の数が随分と少ない。

これ幸いと近くの空き家に潜む金時と季武に人間の女性。

女性はまだ震えていた。金時も季武も鬼の角があるのだから当然だ。

どう説明すれば良いか分からなかったが、この状況では何を言っても恐怖心が和らぐことはないだろう。

女性はとりあえずそっとしておいて、金時はがばっと季武に頭を下げた。

「すまんかった、季武さん!勝手なことをしてしもうた」

「いや、あの状況でよく助ける判断ができた。まだ追っ手は来るだろうが、この状況を利用しよう。酒呑童子の居場所が分かるかもしれない」

「『罪人は酒呑様に差し出される』って言っていたやつじゃな」

「そうだ。金時、しばらく我慢してくれ」

そう言うなり、季武は懐から小刀を取り出すと自身の腕を斬りつける。

「季武さん!」

驚く金時と、女性も小さく声を上げた。

それには構わず、季武はボタボタと流れる血を金時に塗り付けて行く。口の周りにべっとりと血を塗れば、たった今人間を喰った人食い鬼の完成だ。

「これで追手の前に出てくれ。お前は空腹のあまり人間を攫って食った。そういうことにするぞ。それと、これ」

季武がこれと言って金時に渡したのは矢尻。

「これを強く握っておくんだ。滴った血を目印に俺と貞光でお前の後を追う。酒呑童子の居場所を特定するぞ」

「わかった。しかし」

気になるのはこの女性のことだ。ここまで連れて来たはいいが、そう長くないうちに見つかるだろう。

「この人なら大丈夫だ」

季武は、今度は何かの呪符を取り出した。

それを女性の額に貼ると、女性の姿が見えなくなる。

「これで鬼に姿は見えない。、呪符は見えるが、隅でじっとして大きく動きさえしなければ見つかることはない」

女性を安心させるような、優しい口調で季武がそう説明した。

「では金時、行くぞ。俺は貞光と合流する」

「待ってくれ、季武さん。酒呑童子のところまでたどり着いたら、どうするんじゃ」

「退却。この女性を連れて、一目散に平安京を目指す。俺たちの今回の目的はあくまで調査。それ以上のことは極力避ける」

「わかった」

金時は渡された矢尻を強く握る。

温かい血が流れるのを感じるが、不思議と痛みはない。

空き家から外に出ると、遠くで鬼の怒声が聞こえた。

金時と季武を探しているのが分かる。

季武と視線を交わし、金時は声のする方へと歩き出したのだった。

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