花火

「ここでいいか」

 先輩が選んだのは、花火を見るにいいと有名な拝殿前ではなく、少し奥まったところにある小さな社だった。小さな鳥居と、数段の石段。花火が上がる海辺は、木々の間から少し見えるばかりで、だからこそ人が居るはずも無かった。

「座ろう。少し長くなる」

 石段は高すぎず低すぎずといった感じで、座って話すのにちょうどよかった。他にどうしようもなかったので隣に座った。気恥ずかしくなって落ち着かなくなると思ったけれど、案外そうでもなかった。きっと、そんな気安い感情よりも、ずっと重い不安がのしかかっていたからだと思う。隣の先輩の顔が見れなかったのは、きっと怖かったからだ。

「この街の高校生三年生のうちどのくらいが、卒業してすぐに就職するか、知っているか?」

「いえ」

 そうは言ったが感覚としてはあった。学力か、お金か、あるいはそのどちらもか。教育の質が高いとは決して言えないこの町では、就職という選択肢は決して珍しくない。さっきの田中だって、進路は就職のつもりだと以前話していた。先輩によると、だいたい三人に一人だそうだ。

「そして私は、その三人に一人に入るはず

「だった……?」

 言い方に引っかかりを覚えるのは当然のことだった。いや、先輩の進路についても初めて聞いたのだが、それがひっくり返るような事態なんてそうそう起きるようなものではない。

「私が興味を惹かれてしまった学問は少々面倒でね。まともに勉強しようと思ったら海外に行かないといけなかったのだよ」

 それでは余計にどうしようもないはずだ。もともと大学に行くことを考えられないような家庭で、叶うような話ではない。普通ならそこで諦めてしまう話だ。そうならなかったことは、結果から見えている。

「夢を追いかける少女は、力はあれどその境遇ゆえに夢を追えず、か。まったく、体のいい悲劇だよ。いろんな人が可哀そうだと思うようなね」

 いろんな人。その言葉に参道で声をかけてきた人達の嬉しそうな表情と田中の言葉を思い出した。

「これが最後、あれはどういう意味ですか」

 小さな点と点は見えている。そこからつながるおぼろげな線も。できることなら、先輩自身から正解を確認したかった。その気持ちがようやっと先輩の顔を見させるに至ったけれど、先輩の横顔は髪に隠れてよく見えなかった。

「__海外に行くための費用が揃った。私の勉学の、その第一歩の」

 その費用集めに使われたのが、あの『青い鳥』だった。悲劇のヒロインに同情した、多くの人たちの思いが、これを美談にするべく。それはきっと美談なのだ。世にも珍しく、善意によって誰かが救われるような、そんな綺麗な話。

「費用は受験費用とその後の費用の二つ。受験費用の方はいろんな人が出してくれて、そのあとの物はこれを聞きつけた企業だか銀行だかが、イメージアップのために出してくれるという話だ。まったくもっと都合のいい話だよ」

 都合がいい。それが誰にとっての都合なのか言われなかったけれど、明らかに侮蔑が混じっていて、だからこの後の話が、少なくとも気持ちのいい話でないことはわかった。

「__なぁ佐藤。私はもう、この夢にあきらめをつけていたんだよ」

 先輩の様子にブレはない。顔の表情は見えないままだし、体は正面、祭りの喧騒に向けられたままだ。

「別に何もかも全部諦めたわけではない。自分である程度は勉強はできる。趣味の範囲内ならどうにかできないわけじゃないんだ。そんな流れ星に願うような物よりも、ずっと今の私には大切なものがあったんだよ」

 夢が叶う。幼い時に捨て置いて、ゆっくりと形を変えて、現実とすり合わせ終わった夢であっても、幼い時のままに叶えてしまう。

「私には、この町が、友人が、家族が__」

 後の言葉はもう続かなくて、しゃくりあげるような音だけが残った。何も声をかけることができず、ただ見ていることしかできなかった僕に、先輩がそのまま寄りかかってくる。髪の毛が首筋に当たって、柑橘系の香りがした。この時の自分にだって、後に続く言葉がなんであったかは分かる。

 先輩は、遠い日の憧憬なんかよりも、目の前の小さな日々をこそ愛したのだ。ただ、それが、周囲の人にはわからなかっただけで。

「佐藤、私はどうすればいいんだろうか」

 たった一言。短く耳朶を打った時、花火が上がった。

 その言葉はいつも先輩が、僕に意見を求めてくるときの物だった。いつも聞いていたはずのその言葉が、全く聞いたことのない震えた声で聞こえてくる。何をすればいいかわからない感情と、どうするべきかという理性的な答えの二つがすぐに浮かんでしまった。自分の鼓動と花火の音がうるさかったのを覚えている。

「……もうすでに色々な人が動いている以上、もうどうにもならないです」

 この時の僕に何ができたというのか。気づいた時にはもうすべてが終わっていた。ちゃぶ台を返すやり方はいくらでも思いついたが、それは現実的ではない。結局先輩のためにならない。そういう頭の回り方はいつでもできてしまっていて、だから答えは冷酷だった。

「やれるだけやるしかないですよ。応援してます」

「……そうか」

 先輩の体温が離れていく。その段になってようやく見えた先輩の顔には、いつも通りの綺麗な笑顔が浮かんでいた。

「ここではあまり花火が見えない。向こうに行こうか」

「__ええ」

 ほかにどんな言葉が用意できたというんだとは、今の自分でも思う。でも、それでも。僕は昔の自分を殴り飛ばしたかった。

__冗談じゃない。どうして僕は、少しでも幸せを感じてしまったんだ。

 何もできないくせに、頼ってくれて嬉しいなんて。ふざけるんじゃない。

 幸せの青い鳥に悩まされながら、三年前の夏は終わった。


「__あのSNSを幸せの青い鳥と呼べるかどうかを考えるなら、まず幸せの定義から始めないといけません」

 そして今、僕は先輩の言葉に応えるべく、言葉を駆る。

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