第3話 特別支援特級生

【特別支援特級生】


キーンコーンカーンコーーン

 授業が始まる、チャイムの音。

 ガラガラ

 全員が着席した静かな教室に鳴り響く、スライドドアの開く音。

「今から……、抜き打ちテストをやってもらう!」

 教室に入ってくるやいなや、数学の先生はとんでもない秘密を明かすかの様に宣言した。

胡桃、楓翼、夏葉の3人は、昼休みに胡桃が言った事を思い出す。


――これはもうすぐ抜き打ちテストが来るねぇ。


 私の推理が本当に当たってしまった⁉

 まさかこんなに早く来るとは。

 ガタガタガタ。


机の列ごとにテスト用紙が配られてゆく。

胡桃は窓側の席で、前の席は楓翼。右斜め前が夏葉である。


大丈夫。さっき楓翼くんと午前中の授業の復習したんだから!

覚えてる。さっき胡桃さんと解き方を確認したから!

何もしてないっす……。ガタガタ。


先生は全員の机に紙が配られたのを確認し、腕時計を見てから。

「それでは。始め。」

 イケボ&決め顔で短く言い放ったのだった。

 私は数学のテスト用紙を裏返して解答を始める。テスト用紙には計算問題に文章問題、証明問題がずらりと並んでいた。

結構しっかりしたテストだなー。とても抜き打ちとは思えないレベル。

シャーペンを走らせ、何とか全て埋めて見直しをしようとする。

「……。お?」

 何が起こっているというのか、急にテスト用紙がぼんやりと淡く水色に光りだした。

すると、紙から水色に輝く謎の文字が浮かび上がる。それはまるで、数字の0と1が並んでいるかの様だった。

 ああ、私、ついに頭がおかしくなっちゃったのかな。数学はここまでかぁ。残念無念。

と、私は心の中でつぶやき、目を閉じて頭を抱える。

細く目を開け、胡桃はテスト用紙を見た。

しかし、謎の文字は消えず、次々と浮かび上がってきている。


――胡桃の茶色の右目の虹彩に、淡く発光する濁った水色が少しずつ滲んでいった。


そんな事など、胡桃は気づく由もなかった。ただただ、目の前の光景が信じられなかったのだ。

 浮かび上がった文字はパッと粉砕し青い塵になったかと思えば、まるで意志があるかの如く集まり新しい文字になって文をつくった。それは日本語で書かれていた。


親愛なる我が同志と、この文字が見える者たちへ。

この文が読めている時点で君には素晴らしい才能がある。

私が保証しよう。

その才能をどうか我々の計画ために、世界のために、使ってはくれないだろうか。

詳しい説明は今夜、東京で行われる集会で話すとしよう。

心配はいらない。

私の部下に迎えに行かせる。

では、東京で会おう。

 トップエージェントより。


 才能?我々?世界のため?東京?トップエージェント?

胡桃の頭の上で5大疑問がぐるぐると回る。

何がなんだか分からないぃ。うぅ……。

変な演出に、意味の分からない手紙。頭の中は大混乱だ。

「はい。そこまでーー。」

先生が冷めた表情でセリフを棒読みする。と同時に、文字はキラキラと水色の星屑となって消えた。

 胡桃の右目の虹彩が完全に染まる前に濁った水色は光を失いながら茶色へと戻る。

「回収ー。」

一番後ろの席の生徒が机から立ち上がる音が聞こえた時、ようやく私はハッとする。

きっと浅い夢を見ていたんだ。ブイアールゲームの世界みたいに手紙が届きましたーって通知が来て、私はただそれを読んでいただけ。ただの妄想!それに紙も相変わらず白いし!

机上のテスト用紙が回収される。抜き打ちテストは無事、終了した。

私がホッと胸をなでおろして前を見ると、夏葉が微かに震えている事に気が付いた。

「夏葉?どうしたの……?」

夏葉は涙目でこちらを振り向き、小さくつぶやいた。

「計算問題以外、何も分からなかったっす……。」

計算問題以外といえば、文章問題と証明問題が全体の約7割。つまり、半分以上も解けていないという事だ

「あちゃー。後で楓翼くんに今日の授業の問題教えてもらったら?」

それを聞いて楓翼はサッと後ろを振り返って慌てる。

「ちょっと待て、なんで俺なんだよ。胡桃さんの方が数学得意だろ?」

「なぜか私、自分ではできるんだけど、教える事は出来なくて……。あはは……。」

私は片手を頭の後ろに回して苦笑する。

「マジかよ……。じゃあ後でな。俺が出来る範囲で。」

「申し訳ないっす。ありがとうございます。」

 私もろくに見直ししてないけど大丈夫かなぁ。浅い夢みてたくらいだし……。

 テスト用紙は全て先生の下へ届けられ、先生は集まった紙を教卓でトントンと揃えている。

ガラガラガラ

 再び教室のドアが開かれる音。

そこには、黒髪のショートヘア―にヘアピンを左右4本ずづ付け、目の半分を覆い隠すほどに前髪を伸ばした少女が通学カバンを持って立っていた。

「すみません。遅れました。」

 少女は静かに言うと、ドアを閉めて自分の席へと歩を進めた。

「おっ、未潔(みき)か。よく来たなー。先生はうれしいぞ~。」

 未潔さんは私の横の席まで秀麗に歩き、ふわっと腰を下ろす。数学の教科書とノートを引き出しから、筆箱を通学カバンから取り出して授業の準備をする。

 未潔さんは家庭の事情でいつも学校に遅れて来る。ときどき来ない日もあったけど、最近は午後になってしまっても必ず来るようになった。

 私は自分の机に肘をつき、黒板を見ているふりをして横目で未潔さんを見る。

顔が整ってて可愛いしスタイルもいいから羨ましいなぁ。静かな雰囲気も似合ってるし。ん、でも、私、あんまり未潔さんの事知らないかも。今度、話しかけてみようかな。

「それでは、授業を始める。教科書開いてー前回の続きからやるからなー。」

 先生はチョークで次々と説明や式を口頭で補足しながら書いてゆく。私は、おいて行かれないように急いでノートに書き写して、補足された部分もメモをする。

ふと隣の席を見ると、未潔さんは手を止めてボーっと左斜め前を見ていた。

「おーい、未潔さん?どうしたの?熱でもあるの?」

 こちらを振り向いた未潔さんは、そのこげ茶色の眼で私の顔を見て何かを思い出した様に口を開いた。

「いえ。大丈夫です。少し、考え事をしていただけですから。」

 未潔は気持ちを切り替えようとして、再び前を向く。書き途中のノートに続きを書くが、勉強思考に切り替えるには未潔の席はあまり良くなかった。


キーンコーンカーンコーン


 4時30分。


「終わったぁ~。やっと部活だよー。」

 私は椅子に座ったまま両腕を上げて大きく背伸びをする。

今日の全ての授業が終了し、残るところ部活だけになった。みんなは帰る支度をして、すでに下校を始めている。

楓翼くんも丁度支度を終え、私の方を振り向いた。

「お疲れ。」

「お疲れっす~!」

すっかり元気を取り戻した夏葉はすでにカバンを背負って部活に行く気満々だ。

背伸びの姿勢から戻りながら、ゆっくりと息を吐きだす。

「ふ~。じゃあ、部室行こっか!」

 胡桃にとって部活は、学校生活の中で一番の息抜きの時だった。それは楓翼もまた同じ。

何故なら。

「茶道部。相変わらずひっそりとしてるっすね~。存在感が薄いというか。」

「もぉー分かってないなぁ。それがまた良いところじゃん。」

 私たちは茶道部に向かって廊下を歩いていた。前方には、既に部室のドアが見えている。

壁の上の方から飛び出している看板には「茶道部」と書かれていた。

「しょうがないだろ?なにせここは校舎の端なんだから。」

 楓翼くんは、茶道部のドアの取っ手に手をかけてガラガラとスライドさせる。

「悪かったな。校舎の端で。」

 ドアの先、部室の奥にはモニタが3つもあるデスクトップパソコンの前でゲーミングチェアに腰掛けた黒髪の少年がいた。

楓翼に負けずかなりの細身だが、ゲーミングチェアに座るその姿はどこかオーラをかもし出していた。

「あ、いや、悪く言うつもりは無かったんだ……!すまない。澪(れい)。」

楓翼くんがはっとした様な顔をして頭を下げ謝罪する。

 それまで眉を寄せていた澪はふと表情を変え、微笑みを浮かべた。

「わかってるって。相変わらず正直なやつだなぁ。」

楓翼はほっと息をついた。

 今、私たちがこの場所で部活を出来ているのは誰であろう澪くんのおかげなのです。

私たちが部活に入ろうとした時には、もう既に茶道部は廃部が決定していたらしく、原因は部員不足。こんな場所に部室があるからか人が集まらなく、その時の部員はゼロだった。

なので、先生たちの間では、もう茶道部は廃部にして特別支援特級生の澪くんの部屋にしてしまおう、という話になっていたらしい。

澪くんの部屋にするという事などつゆ知らず、私たちは茶道部に入りたいと担任の先生に頼み倒したところ、茶道部だった今年の卒業生たちに、今年いっぱいは廃部にしないで下さいっとお願いされていたらしく、話を聞いてくださった。

以外に澪くんはすんなり受け入れてくれて、今では親友とも言える仲になったのだ。

楓翼くん、ここに来ると表情がコロコロ変わって面白いんだよなぁ。元気になるというか。これも澪くんのおかげだよね。なんか嬉しっ。

 胡桃は柔らかな笑みを浮かべて、ひそかにそう思ったのであった。

「こんにちは、澪くん。今日もお邪魔させてもらうね。」

「どうぞどうぞ~。」

 この部屋は畳が半分以上を占めていて、その上には低いテーブルが置いてある。

部室兼、澪くんの部屋でもあるため、棚には敷布団やらお茶の道具が収納されパソコンや洗面台、エアコン、冷蔵庫などが新しく設置されていた。

 私は棚から茶道具と抹茶の粉を取り出し、靴を脱いで一段上がった畳に座る。

ケトルで水を沸騰させている間に抹茶を4人分のお椀に振るい、沸いたお湯をコップに移してお椀に注ぐ。

そして、茶筅でゆっくりと回し混ぜて粉を溶かしてから今度はお湯が回らないように前後にかき混ぜ、またゆっくりと茶筅の先を水面近く持ってきて混ぜて泡を細かくする。

最後に、ホイップクリームの盛り付けの様に中央で泡を盛り上げて、完成。

「抹茶できたよ~。はい。」

 私は点てた抹茶をテーブルに置き、夏葉と楓翼くんに渡す。

「ありがとう。」

「今日も泡が少なくていい感じっすね。」

 夏葉は泡が苦手らしい。粒々した感じが嫌なのだとか。

その足で、モニタの乗った長机にもお茶を置く。

「あざす。」

 澪くんは画面に向かって何やら難しそうな事をしている。

多分、プログラミングかな?文字が複雑に並んでるから多分そう。

「……。こんにちは……。繋がってるかな。見える?聞こえる?」

澪くんのパソコンの画面に幼げな銀髪の少女が小さく映し出される。届いた通知には、氷花(ひょうか)が入室しました、と記されていた。

「バッチリ。」

 澪くんは一番左のディスプレイに氷花さんを移動させ、全画面にする。

「氷花さん、こんにちは。」

「あ!こんにちはっす!ひょうちゃん!」

「こんにちは。なつっち。みんな早いね。」

 時刻は丁度部活開始5分前。下校と部活の準備のために30分の間があるのだが、胡桃たちは来るのが早すぎて既に部活を始めていた。

「ちょっと待ってね。音、調節するから。」

 氷花は長い銀髪を耳にかけ、マイク付きのヘッドホンを装着する。ヘッドホンは青いラインが入っており、淡く水色に光っている。幼い顔立ちなのに、どこか別格の雰囲気だ。

「こんにちは。今日はいつもより遅かったな。何かあったのか?」

 楓翼くんが澪くんの後ろに立って画面をのぞき込む。いつもなら、私たちが部室に来る時には既に入室して澪くんと話している氷花さんが珍しく遅れたのが気になったのだろう。

「ううん。何もなかったよ。」

「……。そうか。なら良いんだが。」

 氷花は澪と同じく特別支援特級生だ。家庭の事情でオンラインでの登校を強いられており、授業は別クラスで教科担任が行っている。

氷花は澪と同レベルの記憶能力や計算能力などを持っていて、あっという間に授業が進んでしまうので午前中のみとなっている。

 ちなみに澪は教科書を読んだだけで完璧に理解できてしまうので、授業は受けずに毎日出される難問テストだけをやっている。

「あ、もう行かなきゃっす。」

 夏葉は陸上部に所属していて、いつも胡桃たちと茶道部でお茶を飲んでから部活に行く。

「夏葉は凄いよね。陸上部なんて、私だったら5分もしない内に倒れて諦めちゃうよ。」

 私は厳しいトレーニングを想像しただけで苦い顔になる。

「……。夏葉ちゃんはどうしてそんなに頑張れるの?」

 画面越しに氷花が不思議そうな真剣な顔で訊く。

「う~ん。そう訊かれると難しいっすけど、努力してどんどん記録が伸びると達成感があるし、また頑張ろうって思えるっす。記録がでなくて挫折しても、自然と心の底から力が湧いてきて何度もチャレンジして。陸上以外の目標でも達成のために夢中で努力してる自分がいるんっすよ。」

「それは……、なんで?」

 普通に語る夏葉に、氷花が静かに質問する。

「んー、多分、努力するのが楽しいんっすね。」

「……。」

「……。」

「……。」

「出ました名言!」

 澪が唐突に声をあげて拍手をする。それに楓翼が続く。

「流石、陸上部。」

「私たまに陸上部見に行くんだけど、本当に一生懸命やってるよね!尊敬しちゃうよ!」

 皆が夏葉に拍手を送る。褒められる事に慣れていないのか夏葉は慌てだす。

「も、もう行かなきゃっす!お茶、ごちそうさまでした!」

 真っ赤に頬を染めてどたどたしながら夏葉は急いで部室を出て行った。

「努力するのが楽しい、か。」

氷花はマイクに届かないほど小さく呟いた。

 靴を履き替え、グラウンドまでの道を自己ベストが更新されそうな勢いで夏葉は走る。

「あー!もう!そういう事言われると照れくさいじゃないっすか!」

 誰に言っている訳でもなく、ただ叫ぶ。

今日はなんだかミスが多くなりそうな気がした。


闇。

それは誰しも心に抱える、いつもは見せない裏の顔。

それは不安、怒り、憎しみ、嫉妬。人によって様々にある。

心の闇は大きくなるにつれ心身を蝕み、膨れ上がる。

限界に達したとき人は……。

――。

バン!

「ッ!」

背中に激痛が走る。

何が起きたのかすぐには理解できなかった。

今は部活の時間。私は美術室にいるはず。なのになぜ、廊下の壁に打ち付けられたのだろうか。ああ、私、蹴られたんだ。

その理由は目を開ければすぐに分かる。

ここは胡桃たちが通う高校の1階の廊下の隅。階段の下。日光が遮られ、薄暗い所に少女はいた。

長い黒髪は衝撃などで傷んでいて、背中の痛みに顔をしかめていた。

少女は薄っすらと片目を開ける。

目の前には、自身の目を隠すほどに前髪の長い男子が立っていた。

とても高身長で、歯向かって勝てる相手ではない。

その男子は右手に持っているテスト用紙にスマートフォンをかざしながら、イラついた様に低い声で呟いた。

「あーあ。またかよ。面倒くせぇ……。一機に破壊しちまえばいいじゃねぇか。」

髪の間から見える眼は殺気に満ちていた。

片足に体重を乗せ、もう片方の足で貧乏ゆすりをしている。

逃げたい。

「も、もういいですか……?かえっ……ッ!」

少女は消え入りそうな声で訴えたが、その言葉も強制的に中断させられた。

「はぁ⁉てめぇは黙ってろ!お前らのせいでこっちは手間かかってんだよ……!」

その男子は激怒して私の頬を蹴る。

私にはその男子が、男の“子”に見えなかった。高校の制服を着た“大人”に見えた。

逃げたい。

数週間前から、その男は人の居ない所に急に現れては意味の分からない話と暴言を吐き散らし、暴力を振るいにくる。

日に日に増えていくストレスと傷で、私は段々と変わった。

思う事はただ1つ。

逃げたい。

勉強。人間関係。自分の環境。暴言。暴力。理不尽。全てから。

逃げたい。


部活が始まって少し経った頃、部室にはキーボードを叩く音だけが鳴り響いていた。

時々聞こえるのは、楓翼と胡桃が勉強を教え合う声と、氷花と澪が話す声。

私は握った手に顎を乗せて、問題の解説をかみ砕いていた。

「なあ、SNSのこの投稿気になるんだけどさ。」

 自分の画面を相手の画面に映す事が出来る画面共有。

それを利用して澪がとあるSNSユーザーの投稿を表示する。

「何回射っても的のど真ん中にあたる弓の天才がいる件……?よくありそうなタイトルだね。」

「これの動画なんだけどさ。」

そう言って澪は動画を再生する。

弓道部の服を着た女子が弓を構えて的を狙っている。放たれた矢は明らかに的をそれ、外したかのように見えた。

が、次の瞬間、矢は的のど真ん中に刺さっていた。

「え……消えた?今、矢消えたよね?」

私は宿題を終わらせて動画を横から見ていた。ちなみに楓翼くんも。

「完全に外れたように見えたな。」

「うん。外れてるね。」

画面から氷花が確信したように言う。

「軌道予測プログラムで調べたけど、矢を放った直後の軌道は地面に落ちる。けど……えっ。」

「どうした?またプログラムにバグがでたか?」

氷花が途中で言葉を切ったので澪が気にする。

「ううん。大丈夫そう。それで、消えてから的の1メートル前で出現してるね。速さは変わってないみたい。」

「やっぱり消えてたんだ……。それってまさか瞬間移動⁉」

私は改めて不思議に思う。すると楓翼くんが1つの可能性を示す。

「この動画って編集してあるとかないか?エンタメ系動画でありそうだが。」

「だとしたらかなり無理がある動画だな、これ。でも空気中で減速するとは言え、速さまで一緒とは、ちょっと凄すぎるかもね。どうやって撮ったんだろ。」

澪は声に笑いを含ませながら即答して、興味を持ったように画面に向き合う。

「あれ?この人、私たちと同じ高校じゃん。って事は弓道場もこの学校のかな?」

私はサイトのユーザー説明に書いてある学校がこの高校だという事に気づいた。

「本当だ。今からこの動画について訊きに行ってみるか。」

楓翼が提案するが、澪がそれを拒否する。

「今日はもう弓道部の部活は終わってるぞ。また明日にしようぜ。」

「そうなのか。じゃあ、また明日だな。」

楓翼くんは賛成して机に広げたままの宿題を片付けに行った。私も自分の宿題を鞄にしまう。

「ねぇ。これってどう思う?」

今度は氷花が画面共有を使ってニュースを表示する。

「電車内で殺人事件発生。銃を持った男を逮捕。取り調べ中に男は狙撃され死亡。狙撃犯は未だ見つかっていない?」

「これまたひどい話だね……。」

片付け終わった私は畳に座り、遠目からパソコンの画面を見ている。

「取り調べ中って、取り調べ室のあの小さい窓から撃たれたのか?」

同じく片付け終わった楓翼くんも話に入る。

「多分そうだろうね。結構厳重な所でやってたみたいだけど。多分、口封じのためだろうね。」

澪くんはパソコンでその事件について調べながら言う。

「一体何が起こってるんだろうな。」

「……つまり。」

 私ははっきりと小さく、しかし全員に聞こえる様に呟いて探偵が推理する様に顎に手を当てる。

「つまり、これには裏があるって事!電車での事件も取り調べ中の事件も全ては裏組織の企み……!」

 顎に当てていた方の手をズバッと前に突き出してパソコンの画面の上の方を指さす。

「既にこの世は裏組織によって支配されているのだ!……信じるか信じないかはあなた次第。」

 楓翼は思った。この喋り方に、この決め台詞。

「竹森先生の真似か?」

「ヤー。」

「何故にドイツ語⁉」

 すかさず澪が突っ込む。

 竹森先生とは、社会の教科担任である。そのせいか都市伝説が好きで隙あらば語り始め、最後は「信じるか信じないかは、あなた次第。」と決め台詞を吐いてお決まりのポーズで締めくくる。話し上手で生徒たちからも好かれていた。

「まさか胡桃さん、竹森先生の事好きなのか?」

 楓翼の質問に私は全力で首を横に振る。

「ナイン!」

「いや、だから何故にドイツ語⁉」

 またもや澪が突っ込む。ちなみにこの答え方は胡桃の個性である。

「1回真似したかっただけだもん。怖さを和らげるのにもぴったりだと思ったから。」

胡桃は唇を尖らせてしっかりと説明してくれる。

「成程……。もし、竹森先生も同じ事思っててわざとやってるとしたら……。」

「竹森氏は意外とビビリ説。」

 楓翼くんの言葉を澪くんが継ぐ。

「ふふ。案外そうかも。」

 私は微笑する。流石は気まずい雰囲気を消し飛ばして笑いに変える救選手たち。将来にあるかもしれない飲み会には必ず来てもらおうと胡桃は思った。

 そして、みんなで楽し気に飲み会をする風景を思い浮かべて温かで幸せな気持ちになるのだった。

「でも、竹森氏の場合は話の締めとしての方が大きいのでは?」

「「確かに。」」

 澪くんの正論に私たちは頷く。定番だしね。

「でも、胡桃ちゃんの場合は凄く気の利いた事だと思うよ!だって、それをしたら自分の怖さが和らぐんでしょ?って事は、少なからず誰かも同じ様になるはずだよ。人を助けたいと思っても、実際には気づきにくいし何をすればいいかも分からないから。胡桃ちゃん凄いと思うな。尊敬するよ~。」

パソコンの画面から氷花が生き生きと話し、胡桃に尊敬の眼差しを向ける。

「自分のためにやってる事って、意外なところで他人のためになっているかもしれないんだね。」

 私は言った直後に、今めっちゃ道徳の教科書のテンプレートみたいな事言ったなと思った。道徳のお話ってこうやって生まれるのかな。

「まぁ、世界は関係し合っているって言うからね。例えば、日本で1人ジャンプしたらブラジルで3つ幸運な事が起こったとか。」

 そんな事が起こるかどうかは知らんけど、と澪くんは付け加えた。

ある意味、世界は1つにまとまっていて知らず知らずの内に互いに影響しあって生きているのかもしれない。

 キーンコーンカーンコーン

「もうおしまいか~。」

「あっという間だったな。」

 部活終了のチャイムを聞いて2人は肩を落とす。下校の時間である。

「じゃあ、バイバイ。」

「さようなら。」

 私たちはカバンを持って澪くんと氷花さんに手を振る。2人も名残惜しそうな笑顔で手を振り返してくれる。

「気をつけて帰れよ~。」

「またね~。」

 静かにスッとドアをスライドさせて、私たちは部室を出た。


「今日は迎えに行かないのか?」

「ん?あ、夏葉は、今日は部活が長引くから先帰っててってレイン来たよ。」

「そうなのか。忙しいんだな。」

私たちは並んで校門を出る。部活をしている間に雨が降ったらしく、周囲は濡れていた。

雲の隙間から顔を出す太陽が雨水を被った木の葉や色とりどりのアジサイを照らして、キラキラと輝いていた。

「綺麗だな。」

「……うん。」

 私は楓翼くんの横顔を見てから短く答えた。そしてスマホを取り出して、パシャリとその夕日に照らされた横顔の写真を撮った。

「ん?なにか写真撮ったのか?」

音で気づいた楓翼くんはこちらを振り向く。

「うん!とってもいい感じの写真!」

私は夕日に照らされながら笑顔で言った。

「そうか。それは良かったな。」

楓翼くんも私が満足気なのを見て笑顔を返してくれる。

しばらく無言で景色に見惚れて歩いていると、もう家の前まで着いてしまった。夕日は山の方へ半分程沈み、反対側では月が昇って夜の闇が広がり始めていた。

太陽が主役の時間は間もなく終了する。これからは闇が主役となる。月が微力ながらに夜を照らし、数々の星がサポートする。その御陰で生き物は視界を失わずにものを見ることが出来るのだ。

「じゃあな、胡桃さん。」

「うん。おやすみ。楓翼くん。」

 私は楓翼くんにさよならを言った。

未来なんて分かったものではないから。

 そして、小さな階段を上り、玄関のドアを開けたのだった。

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