応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 歴史物語を書くにあたっては、ものすごく深く資料を読み込むのですね。
    事前の準備に、とても時間と労力をかけていることが伝わってきました。
    鎌倉時代も面白いですね。
    日本史、全く詳しくないのですが…(笑)。勉強になります!

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    >事前の準備に、とても時間と労力をかけていることが伝わってきました。

    そう言っていただけると、報われます。ありがとうございます! そうですね……ほんとうにこの作品には、とてつもない時間と労力をかけました。まっすぐに向き合って……。すごく好きだったんですね、この作品も、歴史も。

    情熱に駆られていました。


    第二部、最後までお読みくださいまして、資料ノートまでお読みくださいまいして、ほんとうにありがとうございました!!!

    深くお読みくださり、感謝感激です。ありがとうございます✨✨✨

  • 少年たちが放つ七色の矢は、まるで虹のようですね。
    若者たちに夢を与えるような、そんな明るく楽しい場面でした。
    映画「オズの魔法使い」の Over the Rainbow を思い出しました。

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    この徒競走~七色の矢のシーンは、第二部のなかで、一番好きなシーンです。一~四部のなかでも、特に輝いているシーンと、作者としては感じています。

    >若者たちに夢を与えるような、そんな明るく楽しい場面

    そう言っていただけて、作者としても嬉しいです!

    「オズの魔法使い」も、『Over the Rainbow』も大好きです!!

    (全巻、夢中になって読みました~!!)


    「Over the Rainbow」

    世界が無茶苦茶に混乱し絶望に包まれ
    そして雨粒がそこら中に降り注ぐとき
    天国が魔法の道を開いてくれる

    沢山の雲がその空への道を暗く閉ざすとき
    そこに虹の道が現れる

    ……

    どこか、虹の向こうに空がとても青く
    信じてた夢がすべて叶う場所がある


    ……まさにこのシーンとも重なるようで、改めて感動的な歌詞だと思いました。思い出させてくださって、ありがとうございます!

    虹の向こうに行ってみたい!!😆✨🌈

  • つわものとは、心強き者のこと。
    沁みますねぇ…。

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    「つわもの」というのは、平安時代の武士を表す、平安時代当時の言葉ですが、そこには後の武士道につながる精神性があったものと思います。

    タイムスリップして、実際の大庭景義に会って、「どのような心で生きていましたか?」「保元合戦から源平合戦までの空白の二十年間、どんな心で暮らしていましたか?」と、インタビューしてみたいと、今でも強く思います。

    そして、「つわもの」「心強き者」の本質に迫ってみたいものです😊

  • 於政さま、逆鱗に触れてしまわれた。
    怒りに任せてなのか、何か企みがあったのか…?
    緊迫の場面ですね。

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    於政は、頼朝の心を動かそうとしている……まっすぐに語りあえば、この人ならきっと理解してくれると信じて……

    (ちょっと荒療治ですが……笑 逆鱗に触れるくらいじゃないと、相手の心が動かないと踏んだのでしょう)

    その彼女のまっすぐな思いが、吉と出るか凶と出るかは、すぐ次回で判明いたします😊

  • 転んでもタダでは起きぬ…。
    敵の武器を研究している!すごい!

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    まさに、「転んでもタダでは起きぬ」ですね!

    日本の弓が世界一大きいのも、武士たちの、こういう研究熱心さから生まれたものだと思うのです😊

  • 景義さまは、この日の傷が原因で足が不自由になってしまったのでしょうか?

    為朝…両腕の関節を外された上に腱まで切断されるなんて(涙)。
    余程、恐ろしい敵とみなされたのでしょうね。
    戦いは厳しい!

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    景義はこの戦いで、左脚の自由を失います。

    為朝はまさにこの時代、最強の武人でした。かなり厳しい刑罰ですよね😥


    景義も為朝も、リハビリを頑張って復活するところがスゴい!!

    そのような生き方こそが、この時代の武士「つわもの」の在り方だったように思います✨

  • 保元の乱!
    少しだけですが、崇徳上皇が登場しましたね。
    悲しい結末を迎えますが、いいんです。
    これがなければ、鎌倉時代が始まらなかったでしょうから。

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    崇徳上皇も、後白河天皇も、根っこの部分は、芸術を熱愛する文化人なんですよね。同母で、仲がよかったような記述もありますし、ふたりとも好き好んで兄弟で戦をしたかったわけではないと思います。

    京の都で戦が起こるなど、前代未聞、驚天動地のことで……

    戦に対する、西行さんの落胆も、思い忍ばれます😥

  • とても官能的で素敵です。ドキドキします。
    でも毘沙璃さん、巫女なのに大丈夫でしょうか?
    ちょっと心配になってしまいました。

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    結局、ふたりはここでも結ばれなかったんですよね。景義も彼女の気持ちを尊重して、無理はしなかった……。

    毘沙璃には、強すぎるほどの信仰への愛があって……。この物語では、そういう彼女の生き方も、尊重すべきものとして描いております。

    第四部の晩年に至って、ふたりだけにしかわからない、愛の在り方を見出していきます😊

  • 突然の西行の登場に胸が躍りました。
    彼の歌は素敵ですしね。
    何と言っても、私のお気に入り崇徳院のお友達ですから(笑)。

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    ふでばこさんは、崇徳院さんのファンであらせられますものね!

    次章で、物語は保元の乱に入りますが、崇徳上皇、一瞬だけお名前が出てきます。一瞬だけで申し訳ないですが💦


    ……余談ですが、御作『狐につままれる』に出てくる「滝川コタロー」君。自分は本名の苗字が「小滝」で、まわりから、「コタちゃん」とか「コタさん」とか呼ばれていました。それで、コタと呼ばれるコタロー君に親近感が湧き、自分も狐が好きというのもあって、とても不思議な気分になったのです。

    自分も狐族なのかもしれません笑😆

    編集済
  • 松と藤の描写がとても官能的でドキドキします…。

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    わ~、その官能を見抜いていただいて、うれしいです!✨

    今、読み返してみると、驚くほど細かく書き込んでますね、昔の自分……。花と植物への愛です、これは😆

    編集済
  • 景義さまは、とっても気さくな若様なのですね!
    皆に慕われ、からかわれて、とっても楽しそう。
    お花が綺麗で、人々が明るくて、とても素敵な場面でした。

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメントありがとうございます!

    こんな領主と領民の関係って、いいですよね! 中世は女性の強い時代。女性だからって、けして虐げられてばかりではなく、楽しく力強く生きた人たちだっていたはず……と、そんな思いがあります。

    ちょうど、お花の季節がやってきましたね! こちら名古屋は、桜はまだ見てませんが……もうそろそろかと思います。

    素敵な春をお過ごしくださいね😄🌸✨

  • 第一部で私を泣かせた悪四郎さま…。
    お若い時は、勇ましくてやんちゃが過ぎたのですね(笑)。
    毘沙璃さまがご無事で良かったです。
    三郎丸さまの動向が気になります。
       

    作者からの返信

    ふでばこさん、コメント&お星さま、ありがとうございます!!!

    そう、悪四郎はやんちゃだったのです!笑

    文三家安、三郎景親、景義、豊田次郎も登場し、第一部とはまったく違う関係。三十数年後の第一部では、みんな一緒に戦うことになろうとは!

    そして、三郎丸の向かう先は……ひきつづきお楽しみください😄


  • 編集済

    くぅぅぅう景義……かっこい〜い(*´>ω<`*)‼️
    文句無しに惚れますわ♡
    お父上への恐れを乗り越えましたね、父上もまた感じるものがあったのではないでしょうか
    前章からの景義の武士対武士の雷のようなやり取りに手に汗握りました
    こんな命のやり取りのシーンを書き切るってすごいことですね、気力や体力ガッツリ削られませんか⁉️
    どの作家も命がけで書いてらっしゃると感じます
    花純先生、尊敬ひとしおです

    作者からの返信

    みかぼしさん、コメントありがとうございます!

    >父上もまた感じるものがあったのではないでしょうか

    確かに、おっしゃるとおりだと思います。多少は認めたのでしょうね。息子を追い込んで追い込んで、自分を乗り越えさせた。この物語の景宗という男は、とてつもなく不器用なのかもしれません。このやり方しか知らないし、できない。……こんな親父は嫌だ、と、心底から思います笑


    >どの作家も命がけで書いてらっしゃると感じます

    ほんとうに、そうですよね。まさに、みかぼし先生の御作品からも、そういう迫力がビンビンと感じられて、いつも唸りながら読ませてもらっております。

    >気力や体力ガッツリ削られませんか

    そうなりますよね。別世界に入りすぎて、普段の日常生活がアホの子みたいになっている時が多々あります笑

    ……でも、リターンも大きいですよね!

    全力で魂の底からさらいあげて、そうしてある程度書きあげた時の浄化感・爽快感は、えもいわれぬものを感じます。魂が大きく広がっていく感じがします。

    それから、こうして読んでいただいて、感想をいただけるなんて! もう、贅沢の極みとしか言いようがないです! ありがとうございます!

    こちらも、みかぼし先生、リスペクトです✧*。✧*。✧*。


  • 編集済

    本殿も大銀杏も存在しない…❣️
    時というものを改めて感じました
    この積み重ねが歴史ということなんですね
    当たり前のことなんですけど、忘れていました
    ありがとうございます

    ここに鶴岡八幡宮のシンボルの鳩が
    なるほど洒落ている🤔

    作者からの返信

    みかぼしさま、コメントありがとうございます!

    正確に言いますと、物語のこの時点で、すでに大銀杏は存在していて、山の中の一本として生えています。階段が、存在していません。

    「大イチョウの階段も、存在しない」……という書き方は、少々まぎらわしかったですよね。本文を修正させてもらいますね。


    それにしても……この鳩の扁額、千年前の日本人の遊び心のようなものが感じられて、大好きです。

    ……そしてこれを見ると、なぜか鳩サブレが食べたくなります!笑

    編集済
  • お初お目にかかります。レビューを見てきました。
    武家の子なら元気、活発、真っ直ぐに成長することはとても喜ばしいことですが、ちょっと突き抜けて悪ガキになってしまいましたね。だがしかし、それで仏像を勝手に持ち出した言い訳にはなりませんぞ!
    機会があれば拙作のほうもよろしくお願いします。

    作者からの返信

    はじめまして!

    お読みくださいまして、ありがとうございます!!

    仏さまも、珍しく外に出られて、喜んでおられます。……だいたい平太丸には、邪気がないので、人に憎まれても、天には愛されるタイプの子です。

  • 「砂子のいみじう白きを二・三日ゆく」に驚いています!
    数日間ずっと、白い砂の上を歩いていたと!?
    と思っていたら、ちゃんと解説付きでした!
    白い砂浜がずーっと続いていたのだろうか。
    現代の日本はどこを探しても、そんな景色なさそうです!


    フェリーチェ・ベアト、幕末写真を紹介するサイトで見覚えがあった名前だったのですが
    (フェリーチェ=幸せ、ベアート=祝福されたってすごい名前だな、と思ったので記憶に残っていました)、
    まさかヴェネツィア生まれだったとは!
    勝手にイタリア人だと思っていましたが、イギリス人なんですね。


    あ~、やっぱり義経に登場の機会はない!笑
    そんな気がしていました。

    でも義経と頼朝が仲たがいしていった理由、納得です。
    そういえば第一部で頼朝が流人の子として苦労していたとき、義経の存在は皆無でしたね。

    「功利主義」の第一人者・代表者か~!
    単に勇猛果敢な武士というのではなく、もっと近代リアリズム寄りの戦争哲学だったということですね。

    余談になりますが、歌舞伎の『義経千本桜』などに出てくる義経が、白塗りの貴族っぽいなよっとした男なの、おかしいですよね~
    以前、母と「変だよね」という話になりました。
    あんな強い武将が、優男のわけない、と。美形だったという伝承を表現しているのかも知れませんが、喋る声も高めでイメージが合いません!笑

    実際の義経は貴族っぽさとは正反対だったようですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    >白い砂

    そう、現代は長い日本の歴史のなかでも、もっとも国土が汚染された時代。近代化以前は、海の透明度や青さも、今の東南アジアのリゾート地以上に、美しかったんじゃないかと、僕は想像しています。


    >義経

    おそらく、「京都生まれ、京都育ち」というデータから、「白塗りの貴族っぽいなよっとした男」というキャラが生まれてくるのではないかと、推測(笑)


    >ベアト

    フェリーチェ=幸せ、ベアート=祝福された……という意味なんですね~! 勉強になります。ヴェネツィア生まれのイギリス人とか、なんとなく、うさんくさい印象を受けます(笑) すいません、ベアトさん!


    =========================================================
    綾森様

    今回もまた、わくわくするような、すばらしいレビューを書いていただきまして、お星さま三つをつけてくださいまして、ほんとうに、ありがとうございました!!!

    いつもお世話になりっぱなしで、すみません! この先、忘れず、恩返しの方策を考えていきたいと思っております。

    景義のやさしさがわかるのも、於政の賢さが理解できるのも、綾森様が、かれら以上に、よりいっそうにやさしく賢い人だから、ということは間違いありません。いつも心をこめて、読んでくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。

    ほんとうに、ありがとうございます!!!

    義経出なくて、ごめんなさい!(。>ㅅ<。)ゴメン

  • なるほど、納得です。

    鎌倉時代の屋敷地についての考察に、幕末の資料が出てくることに驚きました。
    幕末はむしろ現代に近く、鎌倉時代からは遠いイメージでしたので。

    幕末までは残っていたものが現代では失われると考えると(たくさんありそうですが)、少し寂しくなります。
    まだ200年も経っていないのに。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    それほどに、残存している鎌倉時代の情報が少ないということでしょう。

    考察に出てきた、ベアトという人、ヴェネツィア生まれのイギリス人だそうで、当時の写真をたくさん、残してくれています。ぜひ、検索してみてください^^

  • はじめにへの応援コメント

    心情重視で書いているから面白いんでしょうね。
    御作を読んでいて、どんなプロットでも筆力さえあれば面白く書けるんだなと学びました。

    作者からの返信

    お褒めのお言葉、ありがとうございます!

    綾森さんのように筆力のあるお方に、そう言っていただけて、うれしく思います!!

  • 第90話 平家、凋落のことへの応援コメント

    頼朝の子を身ごもった侍女も災難ですし、生まれた子も気の毒でしたね。
    頼朝は何を思ったのか。
    でも政子は有能ですし、得難い人物であることは確かですが。

    武功を上げたはずの義経が頼朝に討たれる――部分については触れなさそうですね!
    あまりに有名すぎますかね・・・

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    頼朝は、出産前は、恋の炎にのぼせてか、まったく理性が働かなかったのでしょうねぇ、、、いつものことながら。

    出産後にようやく理性が立ち返ってきて、男子が生まれた、まずい! これは火種になる、と、あわてて手を打った。このあたりの頼朝の対処が、明確・果断・しっかりしていたのがよかったと思います。(悲劇を生まなかった)

    生まれた子「貞暁」は、政治に巻き込まれることなく、京・高野山で、仏道者として、亡くなる四十六歳まで、静かな日々を送ります。政子も、晩年には貞暁に帰依。



    義経さんについては、この物語では、この一瞬だけの登場で、申し訳ないです(苦笑)

    頼朝と義経の分裂は、両者の性格の不一致が大きいと思うのですが、義経というのはこの時代、どんどんと現れてきた「功利主義」の第一人者・代表者で、貴族的な優雅さを好む頼朝は、どうしてもそれを好きになれない。

    源平合戦の「屋島の戦い」で、那須の与一が遠矢を打って、見事、扇を射落とした時、平家はみな感心して、返礼にと、船の上で見事な舞を披露する。これこそが、優雅なるつわものの戦いなわけです。

    この時、源氏側の大将・義経はどうしたかというと、舞をはじめた平家を見て「アホか、撃ち殺せ」と。で、平家の舞手は撃ち殺されてしまう。もしここに頼朝がいたら、激怒です。


    もうひとつ重要なのは、義経が、石橋山に間に合わなかったということです。頼朝が心から信じるのは、あの苦しい苦しい石橋山を共に乗り越えた者たちです。もし義経が、石橋山以前に合流できていれば、頼朝の義経への信頼度は、200%アップ。確実に、歴史は変わっていたでしょう。

    あーごめんなさい! かなり長文になっちゃいました!!

  • 血を分けた兄弟が争うのは悲しいけれど、本当にそういう時代でしたね。
    どこの国でもそういった歴史はあるように思います。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「どの民族も、兄弟なんだ! 兄弟と同じなんだ!

    血を分けた兄弟どうしが争うのは、悲しいことだと知ってほしい!」

    ……そういう思いが、あります。

    そのあたりが、この作品を書いた、ひとつの大きな原動力であることは、間違いありません^^

  • 女性労働者だけで建立!? すごい。
    知らなかったです、そんな歴史。

    「厳島千人力弁天社」で調べると神社の謂れとして有名みたいですね。

    江ノ島の弁天様ばかり、現代では有名なような・・・

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    千人力弁天社は、今では、ほんの小さな、かわいらしいお社になっていますからね。

    自分は一度、参拝したきりですが、野良猫ちゃんが、たくさん遊んでいたような記憶が……緑に包まれた、しずかな場所でした。


    江ノ島の弁天様は、もう、弁天様代表みたいな(笑) 自分も、江ノ島は好きすぎて、かなりテンションがあがります!

    あと、鎌倉の『銭洗い弁天様』(宇賀福弁財天様)も、有名ですよね。洞窟のなかに入っていくところ……あそこでも雰囲気のよさに、テンションがあがりまくって、銭を洗いまくります(笑)

  • 平家納経、画像検索しました。
    すごい。キンキラキンだ。でも本当に美しい。
    厳島神社には行ったのですが、宝物館・・・見ないわけないよなあ。。。
    母が旅行の計画を立てているので、彼女がスルーするとは思えないのです。
    私の記憶にないだけかも(子供時代なので)。

    西洋のほうでも印刷技術が伝わる前の中世期、手書き写本の時代に、カラフルで美しい聖書や聖歌の楽譜が作られているのを勉強しました(イタリアの音楽院で)。
    まさにそれを思い出しました。

    確かに雅とか風流とかいった感覚は女性的ですね。

    ヨーロッパでもロココ文化なんて、なぜああも女性的なのか、
    男もレースひらひらなのか、刺繍のついた服を着るのか、と思わされます。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    自分も、何度か、宝物館は訪れているのですが、僕の記憶のなかでは、妙に暗い印象で、平家納経は目立っていなかったように思います。(←あくまでも、一個人の見解です、笑)

    それよりも、表の、海に乗り出したお宮さまが、素敵すぎますからね~! そちらの印象が、明るすぎたかも!?


    本場で、美聖書・美楽譜のご研究とは、ステキですね~~!!
    想像するだに、うらやましい!


    ……突飛な発想かもしれませんが、鳥なんかは、必ずオスのほうが派手で美的ですから、平家文化やロココ文化は、原初的な男性の美の発露なのかもしれません。経済的に安定してくると、そのような美が発動されるのかも??

  • 「歌をひとつ記せば~」からの表現が美しくて、魅入られてしまいました。

    と思ったらすっごい大物出てきたー!
    敵の大将みずから、獄中におもむいてスカウトするとは!

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「歌をひとつ記せば~」自分でもなかなか気に入っている箇所なので、よいお言葉をいただけて、うれしいです!

    清盛登場。

    思わぬふたりが、突然の邂逅に、同じ波長を感じ、惹かれあい、同じ仕事をしてゆく。う~む、これぞ運命の醍醐味? 歴史の醍醐味かもしれません^^

  • むしろ涙するところだと分かっているのですが・・・
    「懸命に馬によじ登ろうとしていた景義が、ごろごろと音を立てて地面に転がり落ちた」という場面の映像が思い浮かんでしまって、その無様さに笑ってしまいました。ごめんなさい!!
    でも二人とも、そして彼らに付き従う者たちも命拾いしましたね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    いえ、笑うシーンで合っています……しかし、表向きは、涙するシーンということにしておきましょう!


    >でも二人とも、そして彼らに付き従う者たちも命拾いしましたね。

    確かに。綾森さんは、やさしいですね^^

  • 「弟の郎党といえど、よく観察し、自分が憶えやすいように仇名をつけておく」←できる上司のにおいがぷんぷんしますよ、景義殿!

    いやしかし、想像以上に源氏と平家は入り乱れているのですね。
    「若い頃は源家に仕え、今は平家に仕える」こうしたことが往々にしてあったとは。

    それゆえに、景義は「戦は終ったのじゃ。わしを頼るがよい」と言ったのでしょう。


    (ドラゴネッサばーちゃんのモデルが祖母!? 考えたことはありませんでしたが、母方の祖母とはかなり交流があったので、私の中にある「おばあちゃんのイメージ」そのものかもしれません。小説を書いていると驚くほど自分の人生を描いている時があります。ドラゴネッサばーちゃんというキャラクターもその一人かも・・・)

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    ご返信が遅れまして、すみません!

    ……実は、風邪で寝込んでおりました。まだ、頭がぼんやりしております……

    そう、武士は、フリーエージェントだったのかなと思います。斎藤実盛のような名うての武者なら、スカウトされることもあったでしょう。

    景義殿……ナイスな上司ですね! 大庭御厨は人手不足だから、好待遇で雇ってくれるのにねぇ、、、

    小説は、人生の縮図ですね。嘘、フィクション、ファンタジーでしか描けない真実というものが、あるように思います^^

    編集済
  • 今の景義が馬に乗れるのは特別な馬具のおかげではなく、本人がリハビリの努力を20年間も続けたからなのですね。
    もちろん、杖や馬具を作成した職人たちもすごいし、馬も利口だなと思います。
    こうして本当に努力してきた人の言葉には重みがありますね。

    私の祖母も、交通事故に遭って脳挫傷となったとき、医者から一生車椅子だと言われたそうですが、必死でリハビリをして歩けるようになったそうです。
    私が生まれたあとは多少ひきずってはいても、普通に歩いている祖母しか知りません。
    母方の祖母なのですが、母曰くものすーく厳しい人なんだとか。。。

    為朝、両腕の腱を斬られて流刑なんて恐ろしいことをするなあ、それでも生きているだけマシなのか、と思っていましたが、再び弓を操れるまでになっていたとは。。。どこまでも鍛錬を積んだのでしょうね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    綾森さんのお祖母さまの、必死の努力……尊いですね!!

    素晴らしいお話を、ありがとうございます!!!

    やはり、人間は「心」ですね。人間は頭で考えるよりも、もっと強い。生命は、もっと強い。「心」さえしっかりしていれば、限界を打ち破ることができる……改めて、そう思いました。……厳しい道のりでしょうし、忍耐も相当に必要でしょうけれど。

    (ドラゴネッサばーちゃん好きの自分としては、一瞬、ドラゴネッサばーちゃんのモデルかと思いましたが、そうではなさそうですね^^)

  • 宝草さんを妻に娶っておった!
    よい雰囲気だなとは思っていましたが、身分も年齢も差がありすぎると思っていたら・・・

    砧というと能を思い出します。
    10年くらい前に見に行ったのですが、内省的で地味な、それでいて味わいのある演目でした。

    作者からの返信

    ナイスなリアクション、ありがとうございます(笑)

    ……娶ってしまっておりました(笑)


    砧……よいお能を観られましたね!

    そのストーリーのように、砧というと、妻の悲しみの象徴のように表現されがちなのですが、明るい砧があってもいいのではないか……という気分で、ここではそういうシーンを描いてみました^^

  • あらら、そっちでしたか。
    でも景義、優しいですね。

    「入口の梯子を転げるように滑りおりて」ということは、地下に住んでいる!?
    知識がなくて、この時代の庶民の家をきちんと想像できていないようです💦
    竪穴式住居程度のものに住んでいるのだろうか・・・?

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    そのとおり! 半地下式の、竪穴住居に住んでおります。

    見た目は、縄文時代の竪穴住居(土や草がモサッとした感じ)ではなく、地面から、いきなり板屋根が出ている感じです。茅ケ崎の遺跡や、当時の絵巻物から、想像して描いたのですが、なかなかわかりづらいですよね(^^;

    。。。もう少し、表現を考えてみます^^

    竪穴住居は、東国では、平安時代まで使われていて、鎌倉時代に入って減っていきます。この時代はちょうど、変わり目のころ。長い時代に渡って使われていたことをみると、意外と暮らしやすかったのかもしれません^^

  • 「顔をあげさえすれば、いつでもそこに、希望は輝いていた」ほんとそのとおりですね。
    名付け親になった少女がここで出てくるとは、胸が熱くなります。

    同時に、武士は傷痍軍人の立場になるとその後の人生がハードモードなのも伝わってきて、
    恥を忍んだ生き方を好まない彼らが、潔く死のうとするのも分かる気がしました。

    (デスクワークが多い現代と違って、身体障害者に近い状態になると生きづらさが比べ物にならないんだなと……)

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    そうですね。景義は、財力があったから、まだましですが、財力がなければ、本当につらいことになるでしょうね。


    この物語にはこれ以後出てきませんが、景義と戦った為朝は、二度と弓が使えないように両腕の腱を斬られて、伊豆大島に流されました。かれの苦労も、並大抵ではなかったと思いますが、かれも景義同様、めげずに精進しつづけて、ついにはふたたび弓矢を打てるようになります。

    そうした為朝の生きざまというのも、つわもの魂を感じさせて、尊いものがあります^^

    編集済
  • 於政がすっごく魅力的!
    これぞ賢いヒロインではないですか!

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    おお、これが魅力的なヒロインであったか……笑。

    キャラたちは、僕の頭のなかで、勝手にしゃべり、勝手に生きているので、自分ではそのキャラが魅力的なのかどうなのか、よくわからないところがあります。

    それを明言していただけると、とても参考になります!


    ……御殿の柱の影では、女房頭の「れん」さんが、(←偶然おなじお名前で、失礼いたします!)、はらはらしながら、ふたりを見守っております^^

  • 恐れていたことが起こってしまった!

    出産の時は白装束なんですね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    ……予想どおり、でしたでしょう?(笑)


    >出産の時は白装束なんですね。

    特に厳重な、霊的な対応をしていた、ということですね。

    産婦と赤子の命のリスク、それから、とばっちりで、まわりの人々にも悪霊が憑くかもしれない……というような恐れを抱いていたのだろうと思います。

    出産時の、白の衣装、白の御殿は、この時代の、都の貴族の風習です^^

  • そうか、戦場で兄を救って一旦戦線離脱するというのは、敵にうしろを見せたことになってしまうんですね、この当時の考え方では。
    現代的に考えれば、技術を持った兵士なら野戦病院に運んで、また前線に立てるように治療すべきだって考えますが。

    うまく立ち回るけれど冷たい男だと見えていた三郎景親、兄の誤解だったのですね。
    感動しました。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    兄の命を救った、この保元の景親の行動を考えると、貴族的で、猪武者ではない、彼の性格が見えてきます。


    >現代的に考えれば、技術を持った兵士なら野戦病院に運んで、また前線に立てるように治療すべきだって考えますが。

    なるほど、そうですよね。

    ぜんぜん余談ですが……先の戦争で、工兵だった僕の祖父が大けがをして、命からがら敗走し、フィリピンから日本の病院に送られ、そこで看護婦をしていた少女(祖母)と巡り合った。そんなロマンスの果てに、自分がおります。

    祖父の怪我が癒える前に戦争が終わったので、もう一度、戦地に送られなくて済みました。

    そんなこんなを思いながら……怪我を治して、もう一回、戦地に行けというのは、残酷なことだなぁと、あらためて思うのでした。

    編集済
  • なるほど!
    大きすぎる弓矢を利用したんですね。

    でもこれができるのは景義の胆力あってこそ、ですよね。
    並みの武士に真似できる行動ではありません(;^ω^)

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    >景義の胆力あってこそ

    まさしく、まさしく!

    ここの下りは、まさに、「最強の西国武士vs最強の東国武士」の戦いであり、「弓術vs馬術」の戦いでした。

    この域に至るまで、必死に鍛錬してきた平太丸~景義殿のことを思うと、作者も感無量です!

  • 弓矢って威力すごいんですね。
    銃のようです!

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    為朝が無双すぎるのです(笑)

    (このあたりのエピソードは、『保元物語』という、中世に書かれた軍記物語によっています)


    この時代の武士の主武器は、刀剣よりも弓矢で、弓は人間の背丈よりも大きい。世界に類を見ない、和弓の文化。世界最大の弓です。

    このような弓を自然と開発してしまうところに、日本人の特異性があるような気がします^^

  • 風景描写が美しくて震えます。
    水面に映る花の色や、ひさしから落ちる雨粒が目に浮かぶようです。

    (権力を手に入れたなら、最後は愛する女性だよね、景義さん、と思いながら読んでいました)

    作者からの返信

    お褒めのお言葉、ありがとうございます!

    景義への同情を、ありがとうございます!!

    美しい自然のなかでの、熱いロマンスのシーンでした^^

  • こんな生き詰まる乗っ取り劇があって、景義は大場家の棟梁となっていたのですね。
    義朝のもとで経験を積んだとはいえ、幼少期に刷り込まれた父への恐怖は今も残っているんだろうなと思わされます。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    大庭乗っ取りは、この物語のオリジナル・ストーリーですが、あの暴力親父を乗り越えるには、必要なエピソードでした。

    がんばっているのだけど、どこか無理をしている、少しのゆがみをもった、若い頃の平太君でした。

    おっしゃられるとおり、父への恐怖があります。

    厳しい武士の価値観を、本来の自分と、どのようにすり合わせればよいか、格闘しているんだと思います。

  • むむっ、この時代、陰陽師は学者扱いなのですか。
    僧侶も学者みたいなものでしたもんね。
    現代だと陰陽師は占い師か、妖怪退治しているイメージ・・・あ、武士も妖怪退治することになっていたんでした!

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    ヤンキーの実正君にとっては、文筆系の人はみんな、「偉い学者さん」なんです(笑)

    ……しかしまあ、当たらずとも遠からずで、陰陽師は、陰陽道の祈祷や占いの一環で、天文学と暦を司っていましたから、彼の目には、学者に見えたのでしょう^^

    編集済
  • 第50話 星月夜の歌のことへの応援コメント

    なんとロマンチック!
    星を閉じ込めて飲みましょう、なんて。

    令和の現代に鎌倉の屋根に上っても、さしたる星は見えないのでしょうが・・・!

    「我ひとり かまくら山を 越え行けば 星月夜こそ うれしかりけれ」意外なほど分かりやすい短歌。
    現代人が読んでもすっと情景が入って来ますね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    この時代、七夕のときに、たらいに水を張って、織姫と彦星を水に映して見るという、そんな習俗があったんですよ。この星月夜の宴は、そんなところからの連想でした。


    「意外なほど分かりやすい短歌。現代人が読んでもすっと情景が入って来ますね。」
     ……まさしく、まさしく。素敵な歌ですよね^^

  • 屋根の上から海を眺めるなんて、気持ちの良いことでしょうなあ。うらやましい。

    この時代の人が「人生の目標」なんて言われたら、戸惑ってしまうかもしれませんね。
    なかなか自分の意思で人生を決められない時代ですから。
    仏教は宗教であり哲学でもあるので、教養ある人々にとっても心のよりどころになったことでしょう。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    連日、暑いですね~。自分も鎌倉の海風に吹かれたい!(笑)


    「教養ある人々にとっても心のよりどころになった」
     おっしゃられるとおりだと思います。


    ……貴族から、武士へ、民衆へと、仏教がどんどん降りてくる。この時代はそのような時代。

    西行や景義、それから頼朝なども、仏教をすすんで自分のなかに受け入れ、周囲へ伝達していった。そういうムーブメントのなかにあった、のでしょうね^^

    編集済
  • おお、ここで黄金の羽をいただいたのですね。

    周囲の豪族たちが、鎌倉の領土を虎視眈々と狙っていると読むと、戦国時代でもないのに平安末期は戦乱の世だったのだなと感じます。

    こちらの場を借りてお礼を申し上げるのもおかしいのですが、『精霊王の末裔』に素晴らしいレビューを書いて下さり、本当にありがとうございます!!
    たぐいまれな文章力をお持ちの小滝様に文章を褒められて、恐縮しております。

    そしてヨーロッパもお好きだったとは・・・! 日本史ものを書かれているので、ちょっと意外に感じたのです。
    ヨーロッパ的な空気はおそらく、私自身が暮らしていた感覚で書いているからなのでしょうね(白状すると・・・実はゲーム等詳しくありません!)。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    >こちらの場を借りて

    いえいえ、気にしないでください。うちのコメント欄は、なんでも自由に書き込んでいただいて、かまいません。


    >レビュー

    綾森さんには、いつも素晴らしいレビューを書いていただいているので、こちらのほうが、ほんとうに、感謝しきりです。いつも、ありがとうございます!!


    >ヨーロッパ

    僕は、学生時代は、東洋大学という哲学の大学で、フランス哲学を専攻してたんです。それから、ドイツのシュタイナー哲学も、ずいぶん勉強しました。
    ヨーロッパ文学は、かなり読みました。特に、ドイツのヘルマン・ヘッセが好きでした。

    イタリアは……ノーマークだったのですが……テレビで見るたび、その美しさに惹かれます。そのなかで実際に暮らされていたとのこと、ほんとうに、うらやましいです^^


    >文章

    いまだに文章は勉強中です。いったいどうしたら、簡潔で、バランスのよい、読みやすい文章が書けるのか……日々、模索しております。

    綾森先生の文章の美しさは、抜きん出ていますよ!

    『精霊王の末裔』……楽しみながら、勉強させてもらっています^^

  • 西行の「西」は西方浄土のことだったんですね・・・
    恥ずかしながら今知りました!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    「あら、わたしも知らなかったわ! ホッホッホ」

    と、星月夜の御方も、御簾の向こうで笑っておられます(笑)


    ……ちなみに、「東」は、薬師如来が住まわれる「瑠璃の浄土」だったり、

    「北」は、北斗七星の化身……妙見菩薩を表したりします。

    時代は下りますが、葛飾北斎の「北」は、妙見菩薩なのでした^^

  • なるほど、矢に縄を結び付けて放つのですか!
    弓矢、便利ですね・・・なんだか現代人として負けた気分!?

    西行!? 行動がイケメンな坊さんと思いながら読んでいたら超有名人の登場ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    縄が付けられる矢は、助秋君の、オリジナル・アイテムですw
    かれは普段から、便利道具の開発に勤しんでいる、優秀な郎党なのです。

    景義がのび太だとすると、彼はドラえもん(笑)


    ……西行法師は結局、最後の最後まで登場する、この物語の影のキーパーソンだったりします^^

  • 若宮大路、今もありますよね!?
    自動車が走る時代となった現代から見てもかなり広い道路ですが、この時代から残っている!?

    あれ? 真ん中の参道、人間が歩いてはいけない道だった!?

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    若宮大路、現存しています! この時代から残っています。


    真ん中の参道……「段葛(だんかずら)」は、鎌倉時代には段葛という名前はなかったのですが……当時の人の心持としては、参道も、鳥居も、人間のために造るものではなかったんですよね。……そういうニュアンスでの、表現でした。

    おそらく頼朝や御家人も、若宮大路は、あまり通らなかった、使わなかったと考えられます。若宮大路に面する御家人屋敷は、みんな背を向けていて、反対側を向いていたそうです。これは、大路を通られる神さまを、直視することを避けたものと、思われます。

    今は、段葛も、人が通って、両脇に桜が植えられて、春はたまらなく美しいです。

    ともあれ、この回の表現は、誤解を招きそうなので、すこし修正を考えてみますね(^^;

    編集済
  • 「二龍、激突せねばよいがのう」にクスっと笑いがもれました。
    日本史の中でも強い女性で有名ですものねえ、彼女は。

    北条政子と頼朝がこの時代にしては珍しく恋愛結婚した話は有名ですが、
    この時代、位の高い男性が妾を持つことは普通ですよね?

    作者からの返信

    ご笑覧、ありがとうございます!

    おっしゃられるとおり、位の高い男性が妾(第二夫人、第三夫人)を持つことは、普通でした。

    ……さて、この後、二龍は激突せずにすむのでしょうか? (←予想どおりの展開になると思います^^)

  • ハダレ、前の晩に遊郭でいい女を抱いたなら、
    翌日は気分よく仕事しなよ! と突っ込みました笑

    有常はダメ人間のハダレを通して、多くを学んだようですね。
    きつい体験からも学べるのは有常の素晴らしさだと思います。

    作者からの返信

    ナイスな突っ込み、ありがとうございます! 笑いました(笑)

    男性……特に若い男性は、繁殖期の動物のオスと同じで、性的なことに近づけば近づくほど、イライラしてくるもの。欲望が満たされる満たされないにかかわらず……

    個人差はあるでしょうが、これまでの観察の結果、そのように感じております。

    「きつい体験からも学べるのは有常の素晴らしさ」……すばらしいお言葉を、ありがとうございます! 有常君に伝えておきます^^

    編集済
  • オドロは今風に言うと、少し知能の足りない人なのだろうか・・・

    (なんとなく『火の鳥』に出て来そうだと思いながら読んでいました)

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    ……いえ、もう少し、健常者に近いですね。

    今でも、短期労働の現場では、紛れて働いてそうな感じです。

    オドロという名前が、手塚先生っぽかったですよね(笑)

  • これはつらいなあ。
    自分が告白したら「私は神と契りを結んでいる巫女ですから」と断られたのに、
    いつの間にやら弟と二人きりで逢瀬を重ねている。
    音楽と踊りというのが、今日初めて合わせたわけじゃないことを物語っていますよね。
    しかも一族の中でも弟が期待されている。
    恋愛まで彼に取られるのかという・・・

    自然風景の描写が、現代では都市部となった首都圏が、この時代は田舎だったのを感じさせますね。
    海釣りのシーンでは特に、源氏の武士たちの素朴さを感じました。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「音楽と踊りというのが、今日初めて合わせたわけじゃない」……むむ、するどいですね!(笑)

    毘沙璃に気に入られるため、ちゃっかり鼓の練習をしているあたりが、景親の抜け目のなさです。

    でも書かなかった部分で、景親のほうもちゃんと、「私は神と契りを結んでいる巫女ですから」と、同じ理由で断られていますので……

    この三人の関係については、今後の展開をお待ちください^^


    歴史の人々は、「今よりも数千倍、力強い自然」、「今よりも数千倍、美しい自然」のなかに生きていた、ということを常々思っておりまして、すこしでも、その一端を描けたらいいなぁと、思っております^^

    編集済
  • 名前がない!?
    この間読ませていただいた『平安鎌倉よもやま話』にはたくさん名前の話がありましたが、
    庶民のそれも女子の名前というと、特に言及がなかったですよね。
    でも昔の子供はたくさんいるから、何か相性のようなものはあったのでしょうね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    ふところ島という場所が、大庭御厨内でも、開発が一番遅れていたような辺境の場所なので、そこで畑を作っていたこのおとっつぁんも、かなり原初的な人々であることは、間違いありません。

    「娘」とか、「やや子」とか、呼びかけていたものと思われます。

    幼児の性格が定まってきたら、それに見合った名前をつけようという気持ちは、あったと思います。

    ……そういう人たちが住む辺境の地に来てしまった……というシーンでした^^

    余談ですが、、、

    「アイヌの人びとは、子どもが生まれるとすぐには名前を付けず、少し成長して子どもがどんな性格なのかはっきりしてきたら、その子にふさわしい名前を付けました」
    http://www.museum-obihiro.jp/riwka/culture/08

    ……このシーンを書いていた頃には、このあたりの話に、日本人の原初の習俗を考えていたように思います。

  • 地図が空に舞い上がるシーンの演出が映画みたいで好きです。

    でもさらわれていた源太丸が厳しくしつけられてきたであろう実家に帰るのを嫌がったのには笑いました。
    一瞬なぜ!? と思わせておいて、人質というよりお坊ちゃま扱いをされていたんだなと分かってから、実の親には武士の子として厳しく育てられてるんだろうなあ、と想像させられます!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    映画みたいという御言葉、うれしいです!!

    ……源太丸(源義平)は、この後、ヤンキーのように育ち、「悪源太」のニックネームで呼ばれるワルに育ちます(苦笑)

    この物語では、ほとんど登場しません、ごめんなさい(^^;

  • 前話で三郎丸がどこかへ消えたと思ったら、なんと大将のところへ直談判に来ていたんですね。
    これは幼いのにすごい胆力。
    と思っていたらさらに人質まで取って行ったとは!
    ただ者ではありませぬな!

    この時代の関東の地は、中央から遠く、力のある者同士が頻繁にぶつかる不安定な土地だったのですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    三郎丸に着目していただき、ありがとうございます。ただものではない少年に描いてしまいました(笑)

    目の前の戦いに身を投じるタイプの平太と、状況を俯瞰して問題解決しようとする三郎丸との対比のシーンでした。

    関東には、何度も連合化の波が、寄せては引いて、繰り返すのですが、最後の波が、頼朝のウェーブ……すなわち鎌倉幕府だった、というところでしょうか^^

  • 悪四郎がちゃんと悪四郎してますね笑
    第一部で息子を失い、老齢の中に悟ったような彼を見てきたので、若くてワルな頃がほほ笑ましいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    影の主人公の登場です(笑) この物語は、悪四郎様様で、成り立っております(笑)

  • 牛乳と偽って酒を飲ませるなんて! と思いながら、濁り酒について調べてみました。
    カルピスのような見た目で、うす暗い昔の灯の下では牛乳だと騙せそうですね。
    度数は日本酒と変わらないとか。
    これは一気に飲んだらむせてしまいますね。

    でも最初はむせてつらくても、酒はそのうち良いものになっていく、
    彼の現在のつらい労働も、やがては――と言って聞かせたかったのですね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    鋭い!

    「彼の現在のつらい労働も、やがては――」……そうなんです。景義殿は、今の有常の労働を、酒に例えていたのですね。

    すばらしい読み、さすがです!


    ……この時代は、「清酒」は超!高級品で、なかなか口にできないもの。

    景義たちも、普段は「濁り酒」「どぶろく」を飲んでいます。


    しかし、いくら茶目っ気とはいえ、牛乳と騙して飲ませてはいけません(笑)

    編集済
  • ついに景義になりましたね。
    なるほど、遺言状によって元服の名が与えられるのですね。
    似たような名前でしかも景の字が先に来るのは・・・これは皆、首をかしげますね。

    元服は今でいう成人式くらいの感覚だとすると、13歳はものすごく早く感じますね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    そう、ものすごく早いですね。しかも、「数え十三歳」なので、今の12歳!

    その分、やはり全体の平均寿命が短かったんだと思います。

    この時代は「四十の賀」といって、四十歳に達したら、すごいことだ、すばらしいことだと、お祝いをしました^^

    (四十歳でも、なかなか難しいことだったんだと思います)

    編集済
  • 母上は大切なことを教えてくださいますね。
    でも咳込んでいて不穏です。昔の人はすぐ結核で命を落とすイメージ・・・

    長男だからこそ厳しくされているのかと思いますが、平太丸自身はまだ小さいからそうは思えませんよね・・・

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    物語の終わりまで、平太は母のくれた言葉を、大切に胸に抱いて、がんばってゆきます^^

    編集済
  • なるほど、伊勢太神宮に寄進すると、治めているのは鎌倉一族でも誰も手だしできなくなるわけですね。

    神奈川県から三重県へ――現代なら新幹線であっという間ですが海の向こうなんですね、この時代は。
    まるで海外のように遠く思えます。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    海外のように遠く……そのとおりですね!

    今、改めて思うのは、権五郎という人が、その遠い遠い伊勢神宮に目をつけた、ということのスゴさです。それまで誰も、そこに目をつける人はいなかった。大庭と伊勢神宮を結びつける人は、誰もいなかった。

    思考を飛躍して、実際に動いて、安定した領地経営の仕組みを創出した。

    ……そこにこそ、権五郎という人の、革新的なスゴさがあったんだと思います。

    単に、頭を串刺しにされただけではなかった!(笑)

  • この時代、身分や住んでいる地域によっては牛乳を飲んでいるのですか?
    「蘇」というチーズみたいな食べ物があったと言われているから、それなら牛乳自体も飲んでいておかしくなかったですね。
    知りませんでした!

    私は牛の乳、大好きですが。。。搾りたてはおいしいんじゃないのかなぁ?
    (からかわれるから嫌いなのかも)

    作者からの返信

    ご質問、ありがとうございます!

    相模国の波多野(現・神奈川県秦野市)は、古くから渡来人が暮らしており、大陸文化が伝わる場所でした。「乳牛=ちゅうし」や「醍醐道」などの、牛乳に関する地名が、今でも残っています。

    「蘇」、よくご存じでしたね! まさに、波多野には「曽屋=そや」という地名もあって、「そ」を作った場所、と言われています。

    乳⇒酪(ヨーグルト)⇒蘇⇒醍醐(チーズ)と、濃縮度を高めて行くと、保存度が高くなり、そうした加工品を、この地域から、国府などに納めていたのではないかと思います。

    運搬の用がなければ、しぼりたてを飲むこともしたと、想像しています。(貴族や武士などの、上層階級)

    平太丸のお母さんは、この地方の出身という、裏設定です。


    ……実は自分(作者)は、牛乳飲めないんですけどね(^^; 飲んだ途端、体がおかしくなって、硬直してしまう、風邪症状になる、など……自分のことは考えず、物語優先で、書いております。


    日本人は、牛乳の消化酵素がない、少ない、らしいので、平太も実は、体的に合わなかった、かも?? うん、そうですね……からかわれるから嫌いなのも、あったと思います^^

    編集済
  • この地獄めぐりごっこは現代人の目から見てもすごく面白そう!

    怖いババアの庭に侵入するのはまだしも、屋敷の仏様を持ってきちゃうのは大した悪ガキ!笑

    でもすぐに言い訳を思いつくのは頭の回転が速いですね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    頭の回転の速い、悪ガキ……そう、平太丸の性格を、見抜いておられますね(笑)

    しかし平太はこの後、頭を殴られた衝撃で、しばらく仏像のことを忘れておりました……「しまったぁ! 仏さん、木の上にひっかけたままだったぁぁ」……大慌てで屋敷を飛び出し、仏像を取りに行きましたとさ(^^;

  • 鎌倉を訪れるたびに、よく御霊神社を参拝し、力餅屋で土産を買います。鎌倉権五郎をここまでイキイキと活写した物語は初めてです。今後の展開が楽しみです。

    作者からの返信

    お読みくださり、誠にありがとうございます! コメントをいただきまして、ありがとうございます!!

    おお! 権五郎力餅をご存じとは! さすが海石榴さんですね。添加物を一切加えぬ、昔ながらの製法とのことで、その一徹な姿勢に、筆者も力餅には惚れ込んでおります。


    御霊社に、「手玉石」「袂石(たもといし)」という石がありますが、あの石のように軽々と、ふたりの赤子を手玉にとっているようなイメージから、このエピソードは生まれました。

    編集済