第29話 女の嫉妬と焼き肉~唯人~


 「ご結婚、されたそうね」


 仕事の打ち合わせで会社を訪問している俺に秋月あきづき社長が後ろに控えていた自身の秘書に説明に使った資料などを手渡しながら唐突にそんな事を言ってきた。


 結婚したばかりの頃はよくお祝いを言われたが、近頃はそんな事もなくなっていた。


 「ええ、婚姻届を出しただけで式はまだですが…」


 「おめでとうございます。奥様はどんな方?」


 「ありがとうございます。コレが妻です」


 ソファーに座る俺の横に立っていた谷岡の背中を押して、一歩前へと押し出した。


 「こちらは秘書では?」


 「そうです。秘書の谷岡です。仕事中は旧姓で通してます」


 「そう、こちらが奥様なの…」


 秋月社長は何を考えているのかよくわからない表情で、谷岡を見ている。一方谷岡は、秋月社長に無遠慮なくらい見られて居心地悪そうにしている。


 「可愛らしい奥様ね。水島専務さんは女性がお好みだったの?」


 一見すると、褒められていると思う台詞なのだが、何故か俺は神経がざわつく感覚があった。


 「恋愛に求めるモノと結婚に求めるモノが違うのは女性も男性も同じだと思いますが?」


 今までと好みが違うのは、そう言う理由からだと言外に伝える。


 「そうね。恋愛は非日常だけど、結婚は日常だものね」


 俺が条件だけで谷岡と結婚したと判断したんだろう。


 「日常を共にする相手だからこそ、意外性のある相手を選んだんですよ。おかげで毎日退屈してません」


 俺は谷岡の腰に手を回すと自分の方へ引き寄せる。谷岡は抵抗するが、人前だから照れていると思われる程度の抵抗だ。実際は違うんだけどな。


 「あら、どんな意外性かしら?」


 「申し訳ないですが、女性である秋月社長でもお教えしたくないですね。自分だけが知っていればいい事なので」


 そう、例えば男同士の恋愛妄想をしてはぐふぐふニヤけてるとか。知らなくていい事だ。むしろ踏み込まないほうがいい。


 そんな俺の気遣いをどう解釈したのか、秋月社長は「独占欲が強いのね」と微笑む。ただ、その微笑みは知り合いの新婚さんを微笑ましく見守る類のモノではなく、内心を隠す為の笑みだ。表情は笑みでごまかせても、目だけはごまかせない。


 あれは、嫉妬に狂った女の目だ。


 秋月社長とは仕事上での付き合いしかない。いくら俺でも、取り引き相手の女社長とどうこうなんて考えた事はない。絶対面倒くさくなるのが目に見えてるからな。だから、仕事関係の女性はどんなにいい女でもお断りしてきたんだ。谷岡には無節操に見えていたかもしれないけど、俺だって相手は選んでいる。


 「でも、ご結婚なさるなら会社をもっと大きくできる女性と結婚するべきだったのではなくて?」


 つまり、自分を選ぶべきだったと。


 「自分が妻に求めるモノは財力ではありません。それに女性の財力を当てに会社経営をするような情けない男なんて、呆れられるだけですよ」


 幸い、水島ウチの経営状態は良好だ。秋月社長アンタはお呼びじゃないとぴしゃりと言う。


 「水島専務さんは、本当に奥様を愛しておられるのね」


 「もちろんです」


 間髪を入れずニッコリと即答。ここで間が空いてしまったら、嘘だとバレる。


 「専務、そろそろ次の予定が…」


 谷岡が絶妙なタイミングで次の予定の時間が押している事を告げる。


 「もう、そんな時間か…申し訳ありません秋月社長。そろそろ失礼させて頂きます」


 ソファーから腰を上げると、秋月社長も立ち上がった。


 「本日はお越し頂きまして、ありがとうございます。またお会いしましょう」


 手を差し出し、握手を求める秋月社長の手を軽く握ってすぐに離す。


 社長室を後にして、車を停めてある地下駐車場に向かう途中、谷岡が「お腹すいた」と呟くのが聞こえた。


 時間を確認すると、そろそろ夕飯時だ。コイツの腹時計はかなり精度が高いな。


 「夕メシ、食いに行くか?」


 「行きますっ!」


 車に乗ったところでそう声をかけると、谷岡は目を爛々とさせて俺を見る。


 「今日はもう予定はないし、直帰するって佐原に連絡入れとけ」


 「了解」


 スマホを取り出し、佐原に「このまま、直帰します」と伝えた谷岡が通話を終わるのを待ってから聞いた。


 「何がいいんだ?礼に好きなモン食わせてやるよ」


 さっきのとはこの後は予定がないのにさも次の予定があり、時間が押しているような素振りをして、不快な秋月社長のもとから戦略的撤退に成功した事だ。


 「焼き肉っ!がいいですっ!」


 迷う事なく、そう言い切る谷岡に笑いそうになる。予想通り過ぎる。


 「この間の、椿の店の臨時宣伝部長をしてくれ時の礼も兼ねて、いい店で食わせてやるよ」


 「さすが専務。よっ、太っ腹っ!」


 「調子のいいヤツだな」


 苦笑しつつ、俺は車をゆっくりと発進させた。


       ※            ※


 「肉ばっか食うなっ!野菜も食えっ!」


 焼けた肉を片っ端から自分の皿に盛っていく谷岡に俺は野菜も谷岡の皿に盛る。


 「え~、焼き肉屋さんですよ。野菜はいらないです」


 「食えっ!」


 ぶうぶう文句を垂れながら、谷岡は焼けた…いささか焼き過ぎたピーマンを口に運ぶ。


 俺はオカンじゃないんだぞ…


 「専務は食べないんですか?」


 「…焼けた肉を片っ端から奪っていく女がいるもんでな」


 「ひどいですねっ!誰でしょうか?」


 「今現在、俺の目の前で肉をばくばく食ってるが」


 とりあえず、コイツの腹が落ち着けば俺も食えるだろう。それまではサイドメニューのビビンバでも注文するか。


 俺がメニューを手にするのを谷岡が目敏く見付ける。


 「何か頼むんですか?」


 「肉が食えそうにないから、ビビンバでも頼もうと思ってな」


 「私も欲しいですっ!」


 まだ、皿に肉が残っているにも関わらず、ビビンバも欲しいとか…コイツの胃袋は本当にどうなってんだよ…


 「まず、野菜も全部食え。そしたらビビンバを注文してやる」


 「デザートにアイスもお願いします」


 ここにきて追加!?胃袋、ブラックホールかっ!


 「お前の胃袋、どうなってんだよ…」


 「ふっふっふっ、私は若いですからね。すでに中年に片足突っ込んだ専務に脂はキツいでしょう」


 「失礼な事言うなっ!俺はまだ三十代だぞっ!」


 「私は二十代です。ほら若い」


 その後、谷岡に負けじと肉を食った俺だったが、帰宅後、胃腸薬の世話になった事は谷岡には絶対秘密だ。


 二十代の胃袋、侮れないな…

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