第6話 二日酔いと会長の来襲~美桜~


 ベッドの上で上半身を起こした私はズキズキと痛む頭を押さえて、うめき声を漏らした。


 「失敗した」


 昨夜、専務お手製の夕食をご馳走になって、オタクのなんたるかを熱弁しまくったのは覚えている。


 あの後、専務がくれたビールをかなり飲んだと思う。覚えてないけど…


 だってだって、専務があんなに美味しい唐揚げを作るからっ!それにビールを組み合わせるなんて最強過ぎるコラボじゃないっ!全部、専務お手製の唐揚げが美味し過ぎたせいよっ!


 普段、主食が栄養補助食品。おかずがモヤシの私。お肉なんて食べたの久々なのよっ!ついつい箸が進むのは仕方がない事だったのよ。


 そう自分を納得させる事で昨夜の失態を自分の中から追い出す努力をする。


 いや~、今日が日曜でよかった。ゆっくりと二日酔いを治す事ができるわ。


 ベッドから起き上がって、洗面所へ向かうと顔を洗っていた専務とばったり鉢合わせしてしまった。


 「あ~、おはようございます?」


 今この人、私の顔を見て思いっ切り「げっ」て顔したんですけど!?


 「…一つ言っとく」


 「はい」


 「お前、今後は酒類禁止な!」


 私、何やらかしたんだろう?専務にここまで言われるなんて、相当やらかしてしまったに違いない。


 「はい。すいません…」


 ここは、大人しく謝るしかない。記憶はまったくないのだけれど…


 反省と心の中で呟いたところで、ピンポーンと玄関のベルが鳴らされる。


 「あ、私出ます」


 私は逃げるように玄関へと向かった。チェーンを外して鍵を開ける。


 「待て!開けるな!」


 専務が後ろからそう声を上げたが、すでに私は鍵を解除して、ドアを軽く開いてしまっていた。


 「失礼致します」


 そう言って、私が開けたドアの隙間に手が差し込まれると、力強くぐいっとドアを外側に引っ張られた。


 私もドアと一緒に外に引っ張られて、倒れそうになる。


 コケる!と思って、身を固くして衝撃に備えていたが、いつまでたっても思っていたような痛みはやってこない。よく自分の体を見てみると、専務が私のお腹の辺りに腕を回して倒れないように支えてくれていた。


 「あ、ありがとうございます…」


 専務にお礼を言うが、専務の表情は険しい。


 「何しに来たんですか?朋子ともこさん」


 専務は私を抱えたまま、外に立っている着物姿の老齢の女性と専務と年がそう変わらない若いスーツ姿の女性に問いかける。ものすごく嫌そうな声で。


 「決まってるでしょう。唯人が結婚したって雪人ゆきとに聞いたからお祝いをね」


 「それはそれは。お忙しい会長にわざわざ足を運んで頂きまして恐縮です。お祝いの言葉は有難く頂きましたので、どうぞお引き取り下さい」


 言葉は丁寧だけど、かなり慇懃な物言いだ。専務は私を抱えたままドアを閉めようとしたが、ドアを開けた女性がそれを阻止する。


 「手を離せ。若槻わかつき


 「私は会長の指示しか受け付けません」


 片手でドアノブを引っ張る専務と両手でドアを引く若槻さんと呼ばれたスーツ姿の女性。かなり拮抗しているように見える。


 つい、見入っていると専務が会長と呼んだ着物姿の女性が私に向かって手招きをしている。なんだろう?と疑問に思って専務の腕を外した私は手招きをする会長に近寄った。


 「若槻、もういいわ」


 「はい」


 会長がそう声をかけると、若槻さんがぱっと手を離す。


 「うおっ」


 不意に手を離されて、専務が部屋の内側に転がる音がした。


 「さて、行きましょうか。美桜ちゃん」


 「え?行くってどこにですか?」


 話しがまったく見えてこない。会長に手を引かれるままに一歩目を踏み出したところ、後ろからぐいっと抱きしめられた。


 「勝手に連れて行くなよ!おばさん」


 「朋子さんと呼びなさいっ!」


 おばさんと呼ばれた会長は、専務の頭をすぱーんと叩く。その激しいやり取りにさすがに驚いてしまった。


 「結婚したって聞いたから、いつ挨拶に来るのか待ってたのに、一向に来やしないんだから。だからお祝い持って出向いてやった会長様にこの仕打ちかい?唯人」


 お年を召しているとは思えない声量に私は再度驚く。


 「来てやったんだから、お茶の一杯くらい出してくれたって罰は当たんないよ」


 さすが会長。言う事がいちいち最もらしい。これには専務も返す言葉が見つからないみたい。


 「ご足労頂きまして、ありがとうございます。今、お茶を用意しますので、よろしければお上がり下さい」


 つい癖で、お客様には丁寧に対応しなければいけないと、ほとんど反射のように口から対応マニュアルの台詞が出てきてしまった。


 「美桜ちゃんはいい子ね。唯人と違って」


 私のついうっかりをジト目で睨む専務と対照的ににこやかな会長。もしかして、やらかしちゃった?


 渋々。本当に渋々と会長を部屋に上げた専務。


 私がお茶を用意しようと思ったが、勝手がわからない。戸惑っていると専務が「あっちの相手を頼む」と、私に会長の相手を押し付け…もとい頼んできた。


 「私でいいんでしょうか?」


 「おばさんの目的は十中八九、お前だから」


 お祝いは口実で本当の目的は専務の嫁を値踏みに来たと言うところですか。


 なるほどね~なんて呑気に考えていた私にふとある考えが頭を掠めた。


 もし、会長に気に入られなければ、離婚できるんじゃ…でも、これは職を失う恐れもある諸刃の剣。


 そうなったらオタ活もできなくなる。それは絶対に駄目!結局、大人しく無難な対応をするしかないのね。


 急いで自室に駆け込むと、未だ昨日のままだった服を脱ぎ捨てて、シャツを着て、デニムを履く。髪を手早く梳かしたら、リビングに向かう。あまりお待たせできないから化粧は諦めた。


 「お待たせして、すみません」


 会長の向かい側に腰を下ろすと、私はぺこりと頭を下げた。


 「改めまして、谷岡美桜と申します」


 「今は水島でしょう」


 「すみません。まだ慣れなくて…社内では一応谷岡で通してます」


 慣れてないのも当たり前。何せ私は水島姓を名乗った事はない。


 「はい、これ。お祝い」


 会長は若槻さんに持たせていた紙袋をテーブルの上に置く。


 「ありがとうございます」


 偽装妻として、笑顔でお祝いを受け取る。ちょうどそこへ専務がコーヒーを持ってやって来た。


 「おばさんの結婚祝いって、あんまりいい予感しないんだけど…」


 会長と若槻さんの前にコーヒーを置きつつ、テーブルに乗せられた紙袋を胡散臭げに見つめる。


 「つくづく失礼ね。そう言うとこ本当に雪人にそっくり。妹達は桐子とうこちゃんに似たのに」


 『妹』と言う単語に私の体は少しだけ硬くなる。だから私はそれを振り払うように会長に質問した。


 「あの、桐子さんとはどなたなんでしょうか?」


 「桐子ちゃんはこの子の母親」


 「社長の奥様の事だったんですね」


 社員として、社長のフルネームくらいは知っていても、奥様の名前まで知っている社員は滅多にいない。知ってるのはそれこそ、旭さんくらいなものだ。


 「そうそう、その桐子ちゃんが一度美桜ちゃんを連れて家にいらっしゃいって言ってたわよ」


 やっぱり、そうなるよね。息子が報告もなくいきなり結婚なんかしちゃったら親としては気にならない訳がないですよね…


 「…後で電話しとく」


 実際に後で本当に専務が電話するかどうかは別として、今はそれしか言う事ができないんだろうな。


 会長の突然の訪問によって、二日酔いは見事に吹き飛んだけれど、会長と若槻さんが帰った後には肉体的より精神的な疲労の方がどっと押し寄せてきた。


 こうして私の貴重な休日は会長の襲撃によって、疲れを取るどころか更に蓄積されるハメになってしまった。まさに台風一過だわ…

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