第3話 彼女の趣味と最低なプロポーズ~唯人~


 正直、あの日あんな事をしたのはただの気まぐれにすぎなかった。


        ※       ※


 珍しく休日の午前中に目を覚ました俺は天気のよさに誘われて、特に目的も決めずにふらりと出掛けてみる事にした。


 何気なく目についた店に入っては、何も購入せずに店を出るを四、五回繰り返したところで、自分が意外と無趣味な人間だとわかった。


 休日は大概女と遊んでる事が多いが、ここ最近はそれも控えている。付き合いが長くなってきた女が結婚を仄めかすようになってきたからだ。冗談じゃない!最初から『遊び』だって言ってんのに、付き合いが長くなってくるとどうして結婚だなんだって言い出すんだ?ホント、いっそ全員切っちまいたいくらいメンドクセェ。


 「いっそ、マジな婚活でもするか…」


 でないと、いつまでも専務止まりっぽいし、結婚してないといつまでも半人前的な扱いなんだよな。クソ親父は「僕が唯人くらいの年齢には君がいたよ」とかなんとか抜かしやがるし。かと言って今まで遊んで来た女達の中で結婚を考えた女は一人もいない。


 あ~、仮面夫婦でもいいからって言ってくれる女いねぇかなあ~


 なんて自暴自棄的な事を考えながら、コーヒーショップで購入したコーヒーを歩道に面したカウンター席に座って飲んでいると、よく見知った奴が俺の前を通り過ぎて行った。普段はしていない眼鏡をかけているけれど、見間違える筈がない。


 「谷岡…」


 谷岡美桜。別名『秘書課の氷姫』の異名を持つ、俺の直属の部下。笑えば可愛いだろうその顔はまるで表情を忘れてしまったかのように、一切笑った事がない。


 まるで笑う事だけ、感情が欠落してしまっているみたいな奴だ。普段は無表情に近い怖い顔で俺を睨んで仕事をさせる。アイツが感情を表に出す時は大体怒る時だけがお決まりになっていた。


 そんなアイツの休日ってどんな感じなんだ?


 会社でプライベートな話しなんて全然した事がないし、まして氷姫の休日なんて俄然面白そうだ。


 なんとなく、暇潰し程度にはなるんじゃないかと思った俺は飲み終わった紙コップをゴミ箱に放り込むと谷岡に気付かれないように尾行してみる事にした。


 軽く波打つ薄茶色の髪を見失わないように少しだけ急ぎめで、でも谷岡に見つからないように慎重に距離を取りながら、俺は連いて行った。


 ヤバいな。こんな事してると刑事か探偵にでもなったみたいで、なかなか楽しい。見つからないようにと物陰に隠れたりするスリルも面白い。


 谷岡の休日の過ごし方なんて、大方図書館とか博物館とかそう言ったお堅い所ばっかなんだろうな。ま、それはそれでやっぱなと思うくらいで、次の日には忘れるんだろう。俺は今、退屈な時間を潰せさえすればいいんだしな。


 谷岡の行き先を予想しながら、つかず離れずの距離を保ったまま連いて行くと、谷岡は繁華街に建つ雑居ビルに入って行った。


 予想してなかった意外な場所に俺も急いでビルの中に入った。ちょうどエレベーターに乗り込む姿が見えて、俺は慌てて身を潜める。エレベーターのドアが閉まって上へ動き出した。エレベーターが何階で止まるかを確認した俺は、エレベーターの近くにあった階段で上がる事にした。


 万が一、エレベーターのドアが開いた時に鉢合わせしないようにとの用心だ。


 しっかし、谷岡がこんな所に来るなんてな。一階はゲームセンターとカラオケボックス。二階はそれこそ子供の頃に観たアニメやマンガのキャラクターが着ていそうな服を売っている店。そして谷岡が降りたらしい三階は書店?だろうか。入り口付近に大量にカプセルトイの機械が並べられている。


 外から中を伺うと、大量のアニメポスターが壁に貼られているだけでなく、店内にはアニメソングらしき曲がかなり大きな音で流れている。


 谷岡は本当にこの店に入ったのか?


 谷岡とこの店がどうしてもイコールにならなくて、半信半疑で店に足を踏み入れて谷岡を探してみる事にした。


 棚と棚の間を覗き込み、谷岡を探す。


 「いた…」


 つい声が出てしまったが、店内に流れる曲のおかげで谷岡は気付かなかったみたいだ。


 こっそり近寄り、何をしているのか見てみると棚に陳列してある薄い本を次々手に取ると、会社ではまったく見せた事のない満面の笑顔で手にした本を抱きしめている。


 なんだよ、その笑顔かお。お前の表情筋は凍り付いて動かないんじゃないのかよ?


 ポケットから取り出したスマホで思わず動画撮影してしまっていた。多分、それくらい衝撃的だったんだと思う。俺はこっそりその場から離れると急いで店を後にした。


 信じられないモノを見たせいか、心臓が全力疾走した後みたいに激しく鼓動を打っている。何度か深呼吸をしてようやく落ち着いたところで、俺は改めてさっき撮った動画を観てみた。


 あの氷姫がこんな満面の笑顔を見せるなんて、この本は一体なんなんだ?


 俺は谷岡が抱きしめる本はどう言う物なのか気になってスマホで調べてみる事にした。


 調べてみて、数分後。俺は知らなきゃよかったと激しい後悔に襲われた。谷岡が喜んで手にしていた本は二次創作本。同人誌と言われている物で、しかもBL、ボーイズラブと言うジャンルの本だとわかった。


 参考までにサンプルを読んでみたが、画面を数回フリックしただけでげんなりした俺はすぐにそのサンプルを閉じた。


 俺には理解できないが、こう言った物が好きな女の事を『腐女子』と言うらしい。谷岡の場合はその趣味を公言していないから『隠れ腐女子』って奴らしい。


 まさか、完全無欠の冷血氷姫が隠れ腐女子とか…意外過ぎるだろ。


 さっき撮った動画を見直していた俺にふと、ある考えが浮かんだ。


 この動画をネタにアイツを脅して、俺が今煩わされている問題を一気に解消できるんじゃないか?


 何せ谷岡は見た目だけなら十人中八人は美人と言うであろう女だ。仕事ぶりも真面目な奴だ。それにこんな趣味を持ってる意外性もある。案外面白い奴なのかもしれない。


 にやりと笑った俺は月曜日に谷岡を落とす為の準備を始めた。


         ※      ※


 翌日、月曜日。

 午前九時前に出社した俺は、谷岡が専務室に来るのを椅子に座って待った。


 軽くドアをノックする音に続いて「おはようございます」と挨拶する谷岡が専務室に入ってくる。


 俺はポケットからスマホを取り出すと、さり気ない動作で谷岡に画面を見せる。


 「コレ、観てみろよ。谷岡」


 効果は抜群だった。無表情の鉄面皮が劇的に変化する。恥ずかしさから顔を赤くするが、すぐに俺に知られたと言う絶望から青くなる。


 「お前みたいなの、隠れ腐女子って言うらしいな」


 「プライベートです。専務には関係ない事です」


 強がって見せているが、顔が強張っている。


 「そうだな。『秘書課の氷姫』がみんなにもっと親しんで貰えるように、社内メールでこの動画流してみるか」


 「…何が目的ですか?」


 さすが、話しが早いな。


 俺はあの後、すぐに準備した物を谷岡に突き付けた。


 「俺の女性問題を一括清算する為に俺と偽装結婚しろ」


 「…最低なプロポーズ」


 侮蔑をたっぷり含んだ視線で見られるが、何とでも言え。俺は絶対にコイツに結婚を了承させる為、椅子から立ち上がると谷岡を壁際に追い込んだ。

 

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