第30話 モルガナの物語の終わり、レーノの物語の始まり
レオランが数人のメンバーを連れてメルフィスの背後に瞬間移動してくる。その身体は泥まみれでダクダクの水を滴らせている。
「はあ、はあ……。話だけは……聞いていたわ。メルフィス。エックスの身体を愚弄ことだけは、許さないわよ……」
続けて残りのメンバーがモルガナの傍に現れる。モルガナは敵対の可能性に思い至るが、しかし彼らはモルガナを攻撃しはしない。それどころか、モルガナと並んでそれぞれの武器を構えた。
一人がモルガナに囁く。
「お嬢様、私は元々ジェリアに使える一族でした。ご迷惑でなければ、この血の定めを果たさせてくださいませ」
別の男がメルフィスに語り掛ける。
「姐さん。姐さんは、何も知らない俺たちにこの土地のことを教えてくれた。自分のギルドを抜けてまで一緒に着いてきてくれた。引き金を引かせないでください」
レオランが続ける。
「ええ。私たちの誰も、あなたを殺したくはないの。両膝をついて、杖を捨ててほしい」
メルフィスは周囲を囲まれた。しかし動揺の色は全くない。
「はは。君たちに対して愛着なんてあるわけ……いや? あるな。この二年間、死線を潜り抜けた数も、両手で数えきれない……。あ、ああっと危ない。ほだされるところだった」
自分の頭を叩いてわざとらしくよろけて見せる。姿勢を直して眼帯の位置を直すと、前方のメンバーと、そして後方のメンバーにも振り返って、その場の全員の顔を順に見ていった。
「そうだね。君たちの過激な思想は私の肌に合っていた。人道に背く私の戦い方だって、人殺しの君たちにとっては些細な問題だった。そう、〝アタラクシア〟は、とっても居心地が良かった。クルルやレーノと違って、エックスは私の全力を許してくれたし、それでもやんちゃが過ぎたときは全力で怒ってくれた……」
数人が飛び道具を放つが、それはメルフィスの目前で黒い壁に阻まれる。黒い壁は液体の様に宙を漂い、ひとつながりのシャボン玉のように形を変化させ続けている。
「私を許してくれないのならば、君たちはもう用済みだ」
モルガナの目前の渦巻く妖精が、その能力を活性化させる。妖精の背後からスッと冒険者たちが現れた。洗脳された〝羊角隊〟の面々に双子、他にも、過去に洗脳されたのであろう者たち。
メルフィスの影からもモンスターが一斉に溢れ出てくる。
「あっは。ねえモルガナ。私はね、自分の可能性の限界を知りたいんだ。君のお兄ちゃんと過ごしたこの二年で、その想いは更に強まった。もっと戦力を増やしたい。最強のモンスターを生み出したい。私は人の道なんて曖昧なものに縛られず、もっともっと、ずっとずっと高みを目指すんだ。それこそが神が私に与えた、生きる意味なんだよ」
蔓を伸ばして動物を捕食する巨大な花。
人体に似て非なるその巨躯で怪力を発する人型。
敵意を察しとるハイエナ。
一個体で無限に分裂を続けるゼラチン体。
過去の自身の行動を改変して瞬間移動を行う鳥。
寿命を吸いとる不老のナメクジ。
相手のトラウマを再現するマミー。
角から出る電波で生体電流を狂わせるユニコーン。
未来視に従って巣を張るクモ。
人間を洗脳していたぶる妖精。
壁に擬態して迷宮を作り替えていくカタツムリ。
黒鉄の身体を持つ鷹。
「私は人間を直接〝支配〟することはできないけど、渦巻く妖精を介することで手中に収めることができた。ならきっと、なんだって〝支配〟することができるはずだ。いずれは〝辻斬り竜巻〟や〝無限階段〟、〝広がる黒点〟なんかの異常現象だって従えてやる。フロンティアは無限の危機で我々を出迎える。なら私は、際限なく強くなれる!」
「くっだらない理由ですわね!」
「冒険者の鑑と言ってくれよな!」
モンスターたちの相手をアタラクシアの面々に任せて、モルガナはメルフィスに突っ込んだ。黒い液体が津波となって何重にも覆いかぶさってくる。しかし怯まず、機構剣でその全てを溶断して押し通る。
最後に黒鉄の鷹が立ちふさがったが、それも問題なく切り捨てた。メルフィスは後ろに一歩ステップを踏む。振り下ろされたブレードの先端が、三角帽子のつばに僅かにかかった。モルガナは地面にしゃがみ、次は横から切り払わんと剣を左に構える。
メルフィスは悲しい表情であーあと両腕を広げる。
「私を殺したらきっと後悔するよ。だって……」
ブースターを起動する。
「レーノお兄ちゃんが悲しんじゃうから」
モルガナは咄嗟に剣筋を逸らす。ブレードがメルフィスを両断することは無く、彼女の右足の傍の地面に、斜めに突き刺さった。
「うんうん、それでよろしい」
メルフィスの身体は突然輪郭が崩れたかと思うと、黒い液体に変化してモルガナに襲い掛かった。粘性のそれはモルガナの剣と身体にまとわりついて、地面に縛り付ける。クリシチタが闢く空間の裂け目から本物のメルフィスが出てきて、モルガナを見下ろす。
モルガナは絶句していた。目の前にいたのがダミーだったことや、完全に敗北したこと。そんなことは、本当に、心の底からどうでもよかった。それよりももっと重要な情報がメルフィスの口から放たれた。そして彼女のこれまでの振る舞いや発言の一部は、それを事実と思わせるのに十分な根拠となった。
メルフィスは〝創造〟した黒猫を自分の足元に侍らせながら、愉快そうに笑う。
「自己紹介といこう。私は〝がらんどう〟の設立メンバーにして〝アタラクシア〟の〝魔女〟、その名をメルフィス・ロジデート! それを殺すことは、レーノのためになるのかな? あっははははは。そうだろう!? お前が私を殺せるわけがないんだ。レーノに唯一残された〝がらんどう〟のメンバーで! そして唯一残された肉親であるこの私を! お前が殺せるわけないよなあ!!」
**
父親が死んでから、エックスはふさぎ込んでいた。以前は
しかし、誰にもどうにもできなかった。彼女以外の誰にも。
「ねえ……一緒に
その一言に、エックスは顔を上げた。彼の眼の中に、小さな、とても小さな炎が灯された。いずれ体を覆うほどに大きくなる復讐の炎が。
「私たちは、あなたについていくわ。何があっても、何をしても。お願い、私たちを導いて」
レオランは今でもあの選択を後悔している。
**
「まずはこれでいいっすかね」
意識を失ったクレースを見下ろしてカスカルが言う。
「話が早いわね~。でも、本当に良かったの~?」
「どういうことっすか?」
「エックスとメルフィスは、きっと裏切るわよ?」
それを聞いて、カスカルは顔をしかめた。
「レオランは、二人とは意見が違うんすか?」
「うーん……どうかしらね~、違うかも」
「じゃあ二人には逆らえないってことっすか?」
「そういうわけではないけれど~……」
「じゃあ、なんであの二人の使いっぱしりに甘んじてるのか分からないっすね」
——確かに。私は、エックスを止めたいとは、ずっと思っているんだけど。
レオランは遠くに目をやる。
「私は……私は、エックスを唆した張本人なの。何を言う資格も、無いのよね~」
「おかしなことを言うんすね? じゃあレオランにはこの事件の責任があるってことじゃないすか」
「責任……?」
「そうっす。レオランはエックスの行いに責任を持たなきゃあいけない。他人事じゃあないんすから。エックスはきっと、いやもしかしたらっすけどね? レオランに認められているという免罪符の元で戦っている——かも、しれないじゃないっすか。そういうふうに考えたらどうっす? 自分が当事者な感じがしてくるんじゃないすか?」
——そんな風に考えたことは無かった。
「まあ、いずれにせよ俺は行くっすよ」
「ど、どうして? この話を聞いたんだから、全て投げ捨ててサーウィアから逃げればいいのに」
「レオラン」
カスカルはクレースを船に乗せてから、振り返って微笑んだ。
「俺は、〝宵の明星〟のリーダーっすよ? 皆に対しての責任があるんすから、逃げるにしてもみんなでっす。そしてみんなは絶対に逃げない。なら俺は戦わなきゃいけないんす。レオランもきっと、そういう意識を持つ時が来るはずっすよ。それに——きっとメルフィスは、自分に責任を持ってくれる人を、求めてると思うっす」
**
メルフィスはレオランに振り返って疎まし気な視線を向ける。
「楽しいところだったのに、邪魔してくれるじゃないか」
「あなたの底力を、見誤っていたわね~……」
アタラクシアのメンバーが、メルフィスの呼び出したモンスター、そして渦巻く妖精の呼び出した洗脳済み冒険者たちと戦闘を続けている。しかし劣勢。レオランも既に左足を大きく食いちぎられているし、全身各所には生傷が覗いている。痛みと出血から、いつ気絶したっておかしくない。
「君こそ。まさか連結した状態でそれほど長く戦えるとは知らなかったよ。そして、モルガナをどこか遠くへ逃がすほどの力を使えることにもね。エックスから鞍替えしたのかい?」
「何が最も重要なのか、重要になったのか。それを見誤るほどの人間では無いわ。ここでモルガナちゃんを逃がすのが、私に課された責務よ~」
ゆうに三メートルはある鳥のようなモンスターがレオランの頭上から襲い掛かる。しかしそれはお腹のところの輪郭が歪んだかと思うと、身体が真ん中から真っ二つに捻じ切れた。レオランの頭から血のシャワーが振りかかり、二つに分かれた体が左右に落下する。
「正直見くびっていたことを認めよう。だが、責任と言うなら君の払う罪は計り知れないぞ。キャラバン時代から、君たちは殺しを都合の良い手段として扱ってきたんだろ?」
「そうね。私たちは地獄に落ちるのでしょう。それとも、ここがその地獄だというのなら、そこで
「驚いた。まさか君にも覚悟ってやつがあったとは」
——私は結局、エックスを止めることはできなかった。
彼女がその自覚を持ったのは、エックスの死をきっかけとして。そう、決断は遅きに失した。
「あなたの戦力をできるだけ削る。それが私たちに与えられた禊ぎの機会」
——けれどまだ、私には引き止められる者が、引き止めなければならない者がいる。
「メルフィス。今でもあなたは〝アタラクシア〟の一員よ~。ならあなたの起こしたことの責任は、そのリーダーにあるでしょう?」
メルフィスは眉間にしわを寄せる。
「……書類上だけだろ」
レオランが右手の指をギリリと力ませると、空間がバチバチ軋み、光の捻じれが彼女の周りをうねった。
「だから私は——このギルドのリーダーとして責任をもって——あなたをここで、食い止めなければならないのよ!」
「それは困るな——いくぞクリシチタ。望みの沙汰を下してやれ」
サーウィアの広場。陽は頂点を越えた頃。人の姿はほとんどない。
モルガナは大剣一つ、煙にくすんだドレスでその中心に現れた。辺りを一度見渡して、自分の荷物の他に一つ、一緒に着いてきていたものに気付いた。
「お兄様……」
モルガナが切り飛ばした左腕。兄のその左腕だけが、モルガナにさっきの一幕を現実だと思わせる唯一のものだった。
それはモルガナの膝に手の平を置いている。
「お……、お兄様……!」
左腕を抱える。モルガナはついにやっと、自分の兄の想いに、涙を流すことができた。
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