第17話 スカイダイビングですわ


 彼女はその日、生まれて初めて銃声を聞いた。それは彼女の家の方向から響いた。彼女は急いで家へ戻る。


 途中、眼鏡の青年とすれ違った。彼はしわの無いシャツを着て、裾の長い白衣をたなびかせていた。


 ――なんて整った身なり。東端ここに似つかわしくない。


 一瞬そう思ったが、ともかく家への道を急いだ。


 彼女がバラック小屋の入り口から中を覗くと、呆然と立つ兄が、傍に倒れた父親を見下ろしていた。父親の胸の弾痕からは、血が今もとくとくと溢れ続けており、むき出しの地面を赤色に染めていた。


 兄の右手には拳銃が握られていた。彼女は状況を理解しつつも、しかし初めて見る陰惨な光景に感覚がマヒしたまま、気の抜けた声と調子で尋ねた。


「お父様は、死んでしまいましたの?」


 兄が振り返る。その青い瞳は強く開かれていたが、しかし彼がどんな感情を持っているのか、その鉄のような顔からは読み取れなかった。極めて事務的な言葉が返ってくる。


「ああ、そうだな。殺された」




**




「嫌な夢ですわね……」


 まだ日は昇っていない。フロンティアに入ってから四日目の朝。


 目をこすって起き上がると、レーノが火に薪をくべている。柱にかけられたハンモックから足を出してそのまま腰かける。


「おはよう。まだ四時くらいだよ」

「おー、おはようございます……」


 モルガナは上に伸びる。


「でも、結構寝たような……え? 私、あのまま寝たのかしらあ……」


 じわじわと昨日の夕方の事を思い出す。


「うん。近くにオアシスがあったから水を汲んできてる。体を拭いたりしたければそれでどうぞー」


 モルガナが辺りに目をやると、桶に水が貼られている。その近くには、自分のドレスもかけられていた。


「気になる様ならカーテンもつけるよ。薄いもんならいくらでも創れるから」

「気にならない訳ありませんけれど?」

「えー? 第二キャンプではあんなことしてきたのに?」

「——は? 覚えてますの?」


 途端に血の気が引いて目が覚めた。素早く服から〝記憶〟のエーテルを抜きとろうとして、しかしそれはあちらにかかっているドレスに入っていることに気付く。


「いや、俺は君が〝記憶〟のエーテル石を持ってることに気付いただけ」


 モルガナは少し考えてから、ため息をつく。


「……じゃあまあ、いいですわ。いいはずですわ、多分」


 モルガナはカーテンと椅子を所望する。モルガナは服を肌着まで脱いで体を拭く。


 拭きながら、カーテンの向こうに話しかける。


「疑いませんの? 隠していたことを」

「別に。俺だって〝創造〟以外の適性は教えてないし? まあ石を持ってないだけなんだけど! 取り上げられちゃったから!」


「ゲヘナさんから聞きましたわ。レーノを襲った人は〝記憶〟のエーテルを持っている可能性があると。そんな状況でこの虚偽。疑われてしかるべきですわ」

「それが君に可能かどうかを抜きにしても、俺には君がそんなことをする人間だとは思えないなあ」


 モルガナからの返事はない。しばしの沈黙が訪れる。


「レーノは、この依頼が終わったらどうするつもりなのかしら」


「そうだなあ、どうしよう。この依頼の報酬があっても借金を返すにはまだ足りないし、また危険な依頼をたくさん受けるんじゃないかな」


「他のギルドの方とパーティーを組みますの?」


「パーティーだと報奨金は分けられちゃうから、うーん。俺は一人で色々できるし多分一人でやると思う。――それに」


 レーノは地平線に目をやる。


「思い出しちゃいそうだからさあ。〝がらんどう〟のみんなを。俺やっぱ引きずってるんだなー!」


 途中から、湿っぽい話をごまかそうとトーンを上げる。モルガナはレーノの気丈な振る舞いを敢えて無視する。


「やっぱり、〝がらんどう〟を殺した人間は、憎いのかしら」

「……そうだね。憎い。探し出して、報いを受けさせたいと思う、かな」

「そう……ですわよね」


 景色が青くなってくる。雲を紫に染め上げながら、太陽が地平線から頭を出す。二人はカーテン越しに、同じ景色を見た。鳥も少ないこの荒野での夜明けは、とても静かにゆっくりと、二人に沁み込んだ。





「で、今日の予定はどんな感じかしら」


 バシッと衣装と髪を決めたモルガナが自分のカバンを背負う。中にはレーノが拾ってきた短機関銃とライフルも収納されている。


「第三キャンプを目指す。クレースもカスカルも、生きてるなら目指すはずだからね。カスカルが襲われた理由もきっとそこで分かると思う」


「了解ですわ! かかる時間はどのような想定で?」

「最速で一日半かな」

「くう~、長い! もっと早く行きたいですわ!」

「ええ~? もっと早く行きたいの~?」

「な、なんですのその態度は。まさか、手があるとでも言うのかしら!?」

「あります。覚悟は、できてますか?」


 悪魔が契約を迫るような邪悪な顔でレーノが脅す。モルガナはごくりと喉を鳴らした。


「覚悟なら……とっくの昔にできてますわ!」





 〝壺穴〟にダイブすること――五回目。モルガナはもはや空中でポーズをとって遊ぶことすら止めていた。激しい風に背中を煽られながらぼやく。


「この浮遊感にももう慣れてきましたわねー」

「あー、今回もキャンプは遠いなあ。……あ、あっちにまた壺穴が発生してる。行こう」


 レーノは四肢間に取り付けたモモンガのような飛膜を広げる。モルガナも自分の飛膜を広げてレーノに続き、新たに発見した壺穴の上空まで滑空する。


「よしあとは真下に落下だ!」

「ひょおお、地面にこのスピードで突っ込むのだけは何回やっても恐怖を感じますわー!」

「しかもこの穴、もう閉じるところだから、遅れるとホントに地面に激突するよ!」

「ひょおおおおお!」


 二人は地面に真っ直ぐ突っ込むようにして、急速に閉まりつつある壺穴に突入する。飛び込んだのとほとんど同時に、壺穴の外縁は点へと収束した。暗い空間へ。ここで別れて落とされるのを防ぐために、二人は細いロープでそれぞれを結んでいた。すぐに再び上空へ放り出される。また下方からの強風に襲われる。


「今のは流石にギリギリでしたわね!! 心臓バックバクですわ!!」


 モルガナは膜を閉じたり開いたりして、レーノの上下を回り、興奮を伝える。


「おお! それはいいね! 壺穴も良質なスリルを味わえて、きっと喜んでるよ!」

「ああー、一応捕食ですのね、これ。肉じゃなくて心を食べてると。このエリアの天災は生き物ではないけど、生き物っぽいところもありますのね」

「そういうこと! ……あ、これはかなり近い! キャンプに近いぞ! 全力で減速!」


 パラシュートを創ってすぐに減速する。モルガナは自分のエーテルも使って華麗に着地した。さながら優雅に階段を下りて来たかのように。


「どうかしら。これを使った着地も随分板についてきたでしょう?」

「うん、綺麗。演劇の演出とかに使えそうって思ったくらいだね!」

「街に帰ったら二人で劇場のプロデュースでもしましょうか」


 レーノは笑って返した。


「悪くないね」


 昨晩夜を越したような仮設のテントを創る。


「キャンプまでは半日ってところかな。一旦休憩しよっか。もう昼前だし、お腹も減ったよね」

「言われてみれば、今日は何も食べてなかったですわね。何を食べますの?」

「ハイエナ」





 レーノはテントの周囲に透明なトラばさみを仕掛ける。二人で絵しりとりをしながら待ちぼうけること20分。


「すみません、これ何を描いてるのか分かりませんわ。なにこれ? 枯れたひまわり?」

「いや、カモノハシ」

「は? 彫刻のセンスはあるのに絵のセンスがないなんてあり得ますの? いや、よく思い返してみれば造形物もあまりセンスが良いとは言えなかったような……」

「俺の芸術が分かんないかあ」


 一匹のハイエナがトラばさみにかかり飛びあがる。


「あ、こっちに熱中しすぎて罠のこと忘れてましたわ」

「いや、それでいいんだって。敵意は察しとられるから。俺の下手な絵も作戦ってことよ」

「くそう……認められませんわ……!」


 二人は解体を始める。ハイエナの首を叩き折って、ナイフを入れて皮をはぐ。モルガナは目を逸らす。


「私、犬が結構好きですから、この解体は少し、心にクるものがありますわね……」

「ああ、その抵抗は理解できるなあ」


 けれどモルガナも頑張ってハイエナを捌くのに参加する。関節を取り外して、可食部をより分けていく。内臓をちぎり取って捨てる。


 その最中、モルガナは内臓の一つに何か固いものが入っているのに気付いた。


「石……? 食べちゃったのかしら。いやでもこれは胃ではなくて肝臓とかな気が……」


 気になって切り開く。すると、血液にまみれた中に、一つのきらめくエーテル石を発見できた。指で掴んで絡みつく組織から引っ張り出し、布巾で拭いて陽光にかざしてみる。三角錐の石の中には、桃色のエーテルが糸のように伸びて、水中に浮かぶように揺らめいている。


「見覚えある色ですわね! きっとこれは〝精神〟のエーテル石」


 レーノは目を丸くしている。


「——驚いた。生きたモンスターから石が獲れることは滅多に無いのに」

「珍しい?」

「そうだね。石が体内に生成された生物はすぐに死んじゃうから」


 エーテル石は基本的には、特殊能力を持つ生き物がその能力を使っていると、ごく稀にその体内に生成されるものだ。とはいえ石を体内に持った生物はすぐに死んでしまうため、冒険者たちが石を見つけるのは、適性があった他のモンスターがその石を所有しているときであることがほとんどである。


「ビギナーズラックかしら。――私、〝精神〟の石に触れるのは初めてですわ」

「〝精神〟はかなりレアで高価な石だから、俺も見ることは滅多に無いなあ」

「適正あるかしらー……んー、無い! 何も感じない!」

「でも街に帰ったら高値で換金できるよ。モルガナにははした金かもしれないけど」

「んんん! んんんん!!」

「な、なに!? 突然唸り出して」


 ――嘘ついてる罪悪感を刺激されて胃がぎゅっと絞られましたわ! はした金なんかじゃないのですけれど。私も本物の大金なんて手にしたことありませんわ!


「はあ、はあ。失礼。そ……そうですわね。まあ、はした金……ですわ。それにこれはレーノの能力で獲ったものですし、お金はレーノにあげますわよ」

「いやいや折角だし貰っておきなよ、記念にもなるし。もし換金したならお金は半分までは貰ってあげるからさ」

「はああ、相変わらずいい人ですわねー。はあああー」

「めっちゃ疲れてるじゃん。ごめんなんか気にしてることとか言っちゃった?」

「うう、レーノの態度が全部刺さりますの……私が悪いのですけれど……」





 二人が骨付き肉にかぶりついていたところ、空中の鷹がキーと鳴いた。レーノとモルガナは銃を構える。両者片手に肉を構えたまま。


「お——い! そこの冒険者ー! 手を貸してくれ! 追われてるんだ!」


 男がテントへ走ってきている。刈り上げたパーマに、彫りが深い顔。上に羽織っているのは丈の短いジャケットのみで、胸と腹筋を露わにしている。


 彼の後ろには追跡者の姿がある。二本足で走る、毛むくじゃらの羊のようなモンスター。


「今すぐ助けますわ!」

「いや、待って」


 レーノが止める。


「なぜ!?」

「いいから。絶対に撃つな」


 男がトラばさみにかかるのを待ってから、レーノは攻撃に移る。モンスターに弾丸を撃ちこんで爆破させ、怯んだそれの頭部に鋼鉄の鷹を思い切り衝突させた。モンスターはまだ立っていたが、モルガナにハチの巣にされて遂に息絶えた。


「もう撃ってよかったかしら?」

「うん、ありがとう。上出来」


 レーノは男を見下ろす。男は歯を食いしばって足の痛みに耐えている。


「フ——。フ——!」


 男は足を庇いながらレーノを力強く睨みつける。しかしそれがレーノであると気付くと、痛みに脂汗を浮かべながらも、不敵に口角を上げた。


「〝彫刻家〟サンじゃねえか。なんでこんなとこにいんだ?」

「〝占い師〟ジェンウォ。ここで何してんの?」

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