25:エミリオンとデニスの協定

 会議が終わったあと、エミリオンの書斎に案内されて、私は部屋の中に設置してある革張りのソファに腰を下ろした。

 病み上がりということもあって、緊迫した雰囲気の中での長時間の事情聴取は、なかなかに疲れてしまったのだ。


「体調は大丈夫か?」


「ええ。大丈夫です」


 私が答えた時、ノックの音もせずに部屋の扉が開けられて、デニスが部屋の中へ入ってきた。


「微妙だぞ、エミリオン」


 デニスは非常に苛立っているようだった。


「あまり彼女の前で大騒ぎをするな」


 自分の椅子に腰掛けているエミリオンは、デニスの苛立った様子を見て深いため息をついた。


「私……何か変なことを言ってしまいましたか?」


「いや、被害者としての主張は最高だったよ。わざわざ庇ってくれてありがたいとも思っているけれどね。だが、女王陛下になる身として最後の発言は、見えない敵に餌をやってしまったかもしれないなとは思っているところさ」


「最後の発言……」


 私は先ほどの事情聴取で発言した内容を思い出す。


 もし、ジートキフ公が本当に王位を狙うのであれば、リハーサルではなく、当日本番、遠くから陛下を銃で撃ち抜くのが早いのではないでしょうか?


「私、何か間違えたことを言ってしまったのでしょうか?」


「能天気な妃殿下に、悪意がないのは我々は分かっているけれどね。早く犯人を捕まえないと、嫌な予感がする」


「気にする必要はない。じゅうぶんに怖い思いをした。我々ができることは、あなたが、これ以上危ない目には遭わないよう重々気を付けていくことだけだ」


「その隙を妃殿下が作ってくれちゃったんだけどね。ああいう言葉が引き金となって、足をひっぱられる事例をいくつも見てきたもんで。嫌な予感がぐるぐるしているよ。先ほども会議で言ったけど、この国も一枚岩ではない……」


「デニス。いい加減にしろ」


 エミリオンに注意を受けて、デニスは私が座っているソファの向かいに置かれている椅子に腰を下した。


「この国のことで必死に動いているのは、あなただけではないということをお忘れではありませんか?エミリオン陛下」


「それは分かっている。だが、いたずらに彼女を怖がらせる必要はないと言っているんだ」


「どうも陛下は妃殿下に優しすぎる。甘やかすだけが夫婦の仕事ではないと私は思うんですがね。彼女にもう少し自覚を持っていただかないと。妻が国王の殺害方法を語るなんて前代未聞だ」


 やはりそのことだったと私は俯いた。


「すみません。ちゃんと釈明したくて……」


「だからって、自分を追い込む必要はないでしょうが……。サドルノフ公爵令嬢もだけれど、なんで女って自分の縄張り争いのことになると能力発揮できるのに、政のこととなると無能になるわけ?」


「デニス」


 エミリオンが低い声を出した。


「はいはい。分かっています。今回の件のきっかけを作ってしまったのは、俺ですしね。深く深く反省しておりますよ。で、ほかに言ってない情報は?犯人と接触したんでしょ?」


 もうすでに、ジャックと呼ばれた男の名前はエミリオンに伝えてある。

 誰かに雇われたということもだ。


 私は静かに首を横に振った。


「後出しは、なしにしていただきたく存じますよ。妃殿下」


 これみよがしに盛大なため息をついた後、デニスは「仕事がほかに残っていますので、また」と席を立って部屋を出ていってしまったので、エミリオンとふたりきりになってしまった。


「私、陛下を殺したりはしません」


「そのようなつもりでした発言ではないことは、じゅうぶんに分かっている。あなたに殺されるつもりも毛頭ない。あいつの毒は気にするな」


「ジートキフ公と仲がよろしいんですね。てっきりいがみ合っているのかと思っておりました」


「あ、ああ。仲がいいというより、協定を結んでいるからな。あいつとは」


「協定……?」


「私ができない箇所を、要は手が回らない箇所を、彼が手足となる協定だ。王は動けないことも多いからな」


「そのようなお話がお二人の間であったのですね。ですが、先日ジートキフ公に、陛下に負けるよう伝えてくれと言われたのですが……」


「それは……あいつの性格の悪いところがでただけだ。犬ぞりレースで、あいつは私に勝てたことがないからな」


 呆れたようにエミリオンがため息をついた。


「それだけ、サドルノフ公爵令嬢に勝つところを見せたかったのでしょうか?」


 その質問に、エミリオンは答えなかった。


 デニスがヴィオラのことをどう思っているかは、全く分からない。

 本当に好きなのか、それともサドルノフ公爵家を王家と繋げたかっただけなのか。 

 もしかしたら、他国から来た私への意地悪も含まれていたのかもしれない。

 アナスタシアがドルマン王国へ反感を持っている人物は多いと聞いていた。


「それで、あなたは、私に負けろと言うつもりだったのか?」


 エミリオンは自分が座っていた席から立ち上がり、私の隣に腰掛けた。


「いえ、言うつもりはありませんでした。陛下」


「エミリオンと」


「エミリオン。距離が近いです」


 エミリオンと名前を呼ぶと、彼は満足そうに微笑み私の手を取って、唇にキスを落とした。


***


 犬ぞりレースの一件から、護衛が増えたが、信用できる女官や侍女も増やした方がいいのではないかといった意見がでた。


 元々、女王になる人物に対し、フローラだけで回していた状況があり得なかったのだそうだ。

 ドルマン王国からやってくる人物なだけあって、非常に警戒されていたのだと改めて気がつく。


 女官二人に侍女が二、三人をまずは選ぶこととなり、私は一気に忙しくなった。

 私の話し相手や相談役となる女官は上級貴族の中から剪定され、一人はオルテル公爵の妻マリアンヌとなった。

 もう一人は、現在選考中であるが、あまり前向きに検討できる人物は見当たらなかったと表向きは言っている。


 私の本音としては、ヴィオラに任せたいと思っていたのだ。


 アナスタシアの助言からそう考えたのではなく、先日の吹雪の中で遭難した件を乗り越えられたのは、彼女がいてくれたからだった。

 たとえ、私のことが嫌いだとしても、ある意味では私に向かって正々堂々と意見を述べてきたのである。

 そういった意味では、これからの王宮生活を乗り越えていく時に、彼女の存在は非常に頼もしい。


 しかし、彼女は未だに療養中で、この話ができていない。


 エミリオンからは早めに決めるようにと言われているので、そうもたもたしてはいられないだろう。


 先日、猛吹雪があったなど思えないような晴天の空の日のことだった。

 暖炉のそばで、マリアンヌから編み物を習っていた午後、ゴルヴァンが血相を変えて私の部屋へとやってきて、フローラに何やら耳打ちをしていた。


「何か、ありまして?」


 マリアンヌが編んでいた毛糸と編み棒をテーブルの上に置いて、フローラの方へ歩いて行く。

 そして、フローラから話の内容を聞いた瞬間「そんな、まさか!」と声を上げた。


「ねえ!何があったの?お母様」


 近くで劇の脚本を書いていたアルムが、騒がしい大人たちの様子が気になったらしい。


「アルム。あなたは、少し席を外しなさい」


「えー、でも気になります」


「アルム」


 マリアンヌが厳しい表情を浮かべると、フローラが「アルム様は私と一緒に劇について語らいましょう」と声をかけた。


 渋々といった様子でアルムが部屋を出ていくと、マリアンヌは部屋の周りに誰かいないか確認して、扉を閉めた。


「ジョジュ様。今から申しますこと、驚かないで正直にお答えいただけますか」


「分かったわ。マリアンヌ」


「衛兵たちが、先日襲撃してきた賊を捕まえたとのことでした」


 マリアンヌの言葉に私は持っていた編み棒をぎゅっと握りしめた。

 いまだにあの時のことを思い出すと、身体が震えるのだ。


「そ、そうなのね……。それで、なぜ私が正直に答えるのかしら?」


「彼らは尋問にて、金で雇われただけだと言っているそうです。それも、妃殿下に……」


 デニスの嫌な予感が的中した。

 動悸がとまらない。


 あの時、私が下手なことを言ってしまったせいでだろうか。

 あんなに怖い思いをしたというのに、あんなに人が亡くなったというのに、それを私になすりつけようとしている人物がいるというのだろうか。


「どういうことですか?」


 やっと絞り出した私の声は、思い切り震えていた。

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