10:楽しい昼食会

「ドルマン王国といえば、かの有名なアンギャルト・ダジュベル氏という数学者がおりますが、妃殿下はご存知でございますか?」


 エミリオンと散々に気まずい朝食を終えた後、財務部へと向かった私に、開口一番尋ねて来たのは、ロニーノ王国財務部、部長のエレーナ・アヴェリンだった。

 若干二十六歳にして、国中の男たちを押し退けて王室初の女財務部の部長に上り詰めたエレーナであるが、 数字以外の興味は薄く、ボサボサの長い黒髪を一つに三つ編みしており、分厚いメガネをかけている。


 初日に挨拶をした際にも「はあ。どうぞよろしく」と数学書を片手に、軽く頭を下げただけだったので、周りに無理やり頭を下げさせられていた。


 そのような調子だったので、彼女に興味を持たれて話しかけられるということがあるとは思っていなかった私は、「い…いえ。存じ上げなくて大変申し訳ないですが」とたどたどしく返事をした。


「そうですか。残念です。ポルシェルトの公式を発表したようなので存じ上げていらっしゃるのであれば、お話をおうかがいしようかと思ったのですが。あ、ポルシェルトの公式についての説明については割愛させていただきます。かの有名なアンギャルト・ダジュベル氏をご存知ないとすると、新公式について語ったところで、ご理解は得られないと判断させていただきます。それと、こちらが本日の仕事です。お手数をおかけ致しますが、どうぞよろしく」


 口数が少ないタイプかと思っていたが、数字好きなことや仕事の話など自分の興味の対象のことになると、流暢になるようだ。


「わ、わかりました」


 机の上に積まれてる大量の資料を見て、本当に今日中に終わるのだろうかと不安になった時だった。


「ちょっと!部長!あんたじゃあるまいしこんな量、一日中で終わるわけないじゃないですか!」


 部屋に入ってきたばかりの副部長のルドルフ・イーゴリが、私の机の上にある大量の資料を指差して大きな声を上げた。


「イーゴリ君。副部長である君が言いたいのは、私が妃殿下の能力を低く見積もっているという解釈であっているだろうか?」


 部下に指摘を受けて、分かりやすいほど機嫌を損ねたエレーナが、手に持っていた書籍を机の上に置いて、ルドルフの方へと詰め寄る。


「そうじゃなくて、初日にお渡しする仕事量としてはバグってんでしょって話ですよ。こんなのイジメじゃないですか」


「はあ。我が財務部副部長よ、これ以上妃殿下の前で痴態を晒すのはやめていただきたい。我々は、国王より王族ではなく一人の女性として仕事の際には扱って欲しいと依頼を受けている。彼女の能力を計るためには、このくらいの仕事量を渡して、どのくらい終わらなかったかというものを確認する方が非常に合理的だと私は思うのだが。何か間違ったことを言っているのであれば、その鋭い頭脳で私が納得できるような反論を今すぐ述べてくれたまえ」


 ルドルフは、短く後ろを刈り上げた金髪の髪の毛をくしゃりとかきあげて「わかりましたよ!昼ごろ一度進捗を確認して、終わらなさそうなものはこちらで回収します。でいいんですね?」と深いため息をついた。


 どうやら全部をやらなくてもよいということが分かり、少しばかりホッとした。


 エレーナは返事の代わりに既に仕事を始めていたので、ルドルフは私の方を見て「では、お昼頃までよろしくお願いします」と書類の山を指し示して自分の机の方へと戻って行った。


 財務部にはエレーナとルドルフの他に三人の男性が働いており、彼らは私の姿を見つけると慌てたように頭を下げて逃げるように自分の机に座った。


 私も差し障りない程度に会釈を返して、書類に目を通し始めた。


 昼頃になると、ルドルフよりも先にエレーナが私の座っている席に近づいてきて、「休憩入ってよろしいです」と出来上がった書類を持っていってしまった。


「我が上司のご無礼をお許しください」


 続いてルドルフが私の方へとやってきて、エレーナの態度についてお詫びの言葉を入れてきた。


「いいえ。大丈夫です。ここで私は新参者ですから」


 仕事内容についても、本年度の予算を、それぞれの領地に渡す書類に書き写すといった簡単な仕事(量はとんでもないが)であったので、エレーナも意地悪するつもりな毛頭なく、本当にどのくらいの処理能力があるかどうか確認したかっただけなのだろう。


 それに、それぞれの領地の名前とどのくらいの予算を各地が使用できるかというものが、勉強できるという非常に合理的な仕事内容だ。


「ちなみに休憩は一時間ほどですので、どうぞよろしくお願いいたします」


「分かりました」


 返事をしてどうしようか視線を泳がせていると「イーゴリ君!君も、この大量の書類のチェックを手伝ってくれたまえ」と私の作成した資料を確認しているエレーナが、ルドルフを呼んだ。


 ルドルフは「自分で出した仕事でしょうが。俺もこれから休憩なんですけどねえ」とぶつぶつ文句を言いながら、向かっていってしまった。


 同時にまるで準備していたかのようにフローラが登場して、ポツンと残された私を外へと連れ出した。

 

***


「ジョジュ様。ガルスニエル様の件なのですが……」


 昼食を取るために私の部屋へ向かっている途中、フローラが言い出しにくそうな表情で私に話を切り出した。


 今朝エミリオンにガルスニエルの件をもう一度お願いしてみたのだが、反応はイマイチだった。


 やはり離宮に連れて行かれてしまったのだろうか。

 もしお願いがしっかり伝わっていなかったのであれば、離宮から連れ戻してもらえるよう、もう一度お願いをしなくてはならない。


 昨晩は、散々泣き喚いて自分を曝け出してしまったのだ。

 これ以上恥ずかしいことは、何もないだろう。


「ガルスニエルは、もう出発してしまったの?」


「いえ……そういうわけではないのですが……ご本人が自分で言うとおっしゃるので」


 歯切れの悪いフローラに疑問を抱きつつ、自分の部屋へ到着して扉を開けた瞬間、全てを理解した。


「遅いです。スープが冷めてしまったではありませんか」


 二人分の昼食を前に、椅子にふんぞり返って座っているガルスニエルが、早く座れと私に合図を送っている。


「え?フローラ?どういうこと?離宮に行ったんじゃ」


「兄上が義姉上あねうえと仲良くするのなら、離宮には行かなくていいとおっしゃって下さった。それに、明るいうちなら部屋に来ていいと言ったのは、義姉上ではありませんか」


 フローラの代わりに、既に両手にナイフとフォークを持っているガルスニエルが意気揚々と答えた。


 早く食べる準備をはじめろと急かしてくるので、私は思考の整理ができないまま席についた。


 確かに、夜中に来るのではなく日が明るいうちなら来てもいいと伝えた。

 私の使っている部屋は、彼の亡き母が使っていた部屋であるからだ。

 愛情に飢えている彼のことを思い、提案したことだった。


 しかし、昨晩の今日で、ここまで思い切り切り替えをして部屋にやってこれるだろうか。


 それに彼の中では「あの女」から「義姉上」に昇格はしたらしい。

 本当に反省しているのだろうかと訝しげな表情を浮かべてしまう。


 フローラの方を見ると、困ったように肩をすくめるばかりだ。


 お灸は昨晩散々据えたので、今は許してやるかと食事を開始することにしたが「義姉上!誰かと一緒に食事をするというのは楽しいですね!明日は、アルムとフランも一緒に連れてきます!」とガルスニエルがキラキラとした眼差しでいったので、私はがっくりと肩を落としたのだった。

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