第8話 ウエスタンハットの男

 ウエスタンハット、シャツ、革製のパンツ、ブーツ、上から下まですべてを黒で統一したこだわりのファッション。まるでハリウッド映画に出てくる殺し屋みたいだ。


 廊下にあった鏡に映る自分の姿を見ていた吉川きっかわは、その容姿に満足そうにうなずくと、腰に下げているガンフォルダーから黒光りする鉄の塊を取り出した。


 ワルサーPPK。黒光りする鉄の塊には、そんな名前がついていた。

 映画007で主役のジェームズ・ボンドが愛用していたことでも有名な拳銃である。そのワルサーPPKの先には細長い筒のような物が装着されている。銃弾の発射音を減音させるためのサイレンサーと呼ばれるものであった。


 10階の廊下には誰もいなかった。設置されている防犯カメラの映像は録画されないように設定が変更されているとのことだった。


 これからはじまることに記録は不要なのだ。


 目的の部屋は一〇二五室だった。


 ドアの前に立った吉川は、黒い革製の手袋をはめた右手でゆっくりとドアノブをひねる。

 本来ならばカードキーを差し込まないと開かない仕組みだが、ドアは何の抵抗もなく開いた。これも事前にセキュリティ装置を解除していたためだった。


 ドアを開けた吉川は、奥の部屋へと続くワインレッドの絨毯が敷かれた短い廊下をゆっくりと歩いた。


 絨毯は吉川の履くブーツの足音を消すのに十分な厚さだった。


 短い廊下を抜けた先にある部屋には、男がひとりいた。ベッドに腰掛け、驚いた顔をしてこちらを見ている。


 その驚いた顔が、どこか馬に似ている気がして、吉川は頬を緩ませた。


「誰だ、おま……」

 男の言葉が終わらぬうちに、吉川はトリガーを引いていた。

 聞こえたのは風が空を切るような音だけだった。

 その音が、この馬に似た男の最期に聞いた音だった。


 男の額には小さな穴が空いていた。

 まだ血は流れてはいない。


 もうひとりいるはずだった。

 吉川が部屋の中を見渡していると、廊下に面した別の扉の方から水の流れる音が聞こえてきた。


「なんか音がしたけど、もう松田が来たんか?」

 扉の向こう側から出てきたのは、小太りな男だった。


 小太りな男は吉川の姿を見ると、驚きのためか目を大きく見開いた。

「なんや、おまえ……」

 再び吉川の左手が動いていた。

 弾丸は正確に小太りな男の心臓のあたりに着弾した。


 男は派手に後ろに倒れ込み、尻もちをつく。

 しかし、男の着ているシャツには鮮血が染み出ては来なかった。


 違和感を覚えた吉川は、すぐに次の行動に移った。


 尻もちをついて座り込んだ男に対して、足を振り上げる。

 ブーツのつま先が男のあごを捕らえ、男の下前歯が上唇を突き破って露出する。


 男は蹴られた反動で後頭部を床に打ち付け、白目をむいて失神した。

 吉川はすばやく男に馬乗りになると、腰に装着していたナイフを抜き出し、男の首に突き刺した。


 男の口からは血の泡があふれだした。

 喉の奥からは空気の漏れるような音が聞こえてくる。


 男はそこで意識を取り戻したらしく、歯を食いしばりながら必死の形相で吉川の腕を掴んできた。

 ものすごい力だった。


 しかし、その抵抗も数秒で終わり、すぐに吉川の腕をつかむ手の力は無くなっていき、最後はだらりと床に落ちていった。


 吉川は馬乗りになったまま男の目を覗き込むと、生命の光が失われたことを確認した。

 ナイフは男の首に深々と刺さっている。

 しばらくナイフを見ていた吉川は、それを抜かないことにした。


 抜けば返り血をあびる可能性があるからだ。


 ナイフは、男への冥土の土産でくれてやろう。

 吉川はナイフに別れを告げるとゆっくりと立ち上がり、最初に殺した男のいるベッドの方へと移動した。


 ベッドの脇にはカバンが置かれており、そのカバンの中には数枚の写真が入れられた封筒が入っていた。

 写真はどれも裸同然の格好をした若い男と中年の男がふたりでベッドの上にいるものだった。


 吉川はその写真を見て、顔をしかめた。中年男性の方に、吉川は見覚えがあったのだ。

 先日会った、芸能プロダクションの社長だとかいう男だ。


 だが、別にどうでもよかった。吉川には興味のないことだった。


 あの女とこの写真がどういう関係にあるのかはわからないが、おそらくこの写真を使って、あの女を強請ろうと思ったのだろう。

 写真を封筒の中に戻すと、こんどは小太りな男の方へと移動した。


 吉川は自分の勘違いに気づいていた。


 小太りな男だと思っていたが、そうではなかったのだ。

 男の着ていたシャツをめくると、そこには防弾チョッキがあった。

 このせいで男は着ぶくれしていたのだ。

 どおりで胸を撃っても死なないわけだ。


 吉川はひとりで納得すると、部屋をあとにした。

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