第二節:寝落ちてしまったフィーリアは、一宿の恩を彼らに返す。

第6話 陽光の下、一宿の恩



 差し込む朝日に促されて、ゆっくりと瞼を上げた。

 一瞬ここはどこだっけと考え、あぁそうだと思い出す。

 薄い板の壁で囲われた、見渡せるほどしかない広さの建物。あの子どもたちが雨宿りに貸してくれた住処だ。


 辺りを見回せば、暖炉の火はすでに消えて久しいようだった。少し離れた床には少年たちがそれぞれ無造作に転がっており、スースーとわずかに寝息を立てている。


 二人とも、昨日の服装のまま何を上に羽織っている訳でもない。室内には一枚だけ、古ぼけた布がクシャッとされて投げられている。


 かけてあげた方が良いだろうかと思ったが、立ち上がっただけで床がギシリと音を立てた。

 ディーダが「うぅん」と眉間に皺を寄せて唸る。


 今近付くと、うっかり起こしてしまいそうだ。

 きっと昨日は雨に打たれて、二人も疲れているだろう。邪魔をしてはいけないので、そのままにしておくことにしよう。

 それにしても。



 薄汚れた窓の外には、昨日の雨がまるで嘘であるかのような青空が広がっていた。

 いい天気になったなと思ったあとで、ふと気が付く。昨日は暗くてあまりよく分からなかったけれど、改めて見回してみるとガランとしたこの室内は全体的に埃っぽい。


 たしか昨日「ここは誰の家でもない。昔住んでいた誰かが引っ越したか亡くなったかで、放置されていた家だ」と二人が言っていたっけ。貧民たちは、そういう家に勝手に住み着くのだと。

 

 二人はまだ子どもだし、掃除をする習慣もなかなかつかないだろう。となれば、この有様ももしかしたら仕方がないのかもしれない。



 それに、管理人がいないからこそここに勝手に寝泊まりしても誰かに怒られるような事はないのだ。

 彼ら曰く、


「誰も何も言わねぇよ。他の街では違うらしいけど、ここじゃ領主は取り締まらない」

「興味がないんでしょ。でもまぁそのお陰でボクらみたいなのは、わりと自由に生きられる」


 との事だった。


 私が二人に尋ねた時に垣間見えた内心は領主への諦めだ。

 曲がりなりにも今でも領主家に籍を置いている身としては、子どもたちにこんな風に思わせてしまっているなんて、なんとも申し訳がない。


 しかしそもそも私自身、彼らの暮らしを知らなかった。ザイスドート様からの「領地に関しては関知する必要もない」という言葉を免罪符に、知ろうとした事がなかったのだ。


 今更ながら申し訳なく思う事を恥ずかしく思う反面、まさか直接二人に謝罪するわけにもいかない。私の素性を知られないためには、結局口をつぐむしかなかった。


 それもあって。


 ――とりあえず、この部屋だけでも綺麗にしたいですね。

 汚い場所に住み続けるのがいい事だとは、あまり思えないですし。


 人差し指で床をツイーッとなぞってみると、それなりの量の埃が指先に積もった。

 ここをすべて綺麗にするには少し骨が折れそうだけど、だからこそ昨晩屋根を貸してくれた彼らへの恩返しにはなるかもしれない。


 確か昨日、近くに井戸があった筈。あとは、雑巾……は無いけれど、いつもみたいに服から調達すれば大丈夫。


 そんな風に考えながら、彼らを起こしてしまわないように細心の注意を払いつつ、そっと住処の外に出た。



 井戸で水を汲み、それから着ているスカートを少したくし上げる。

 別に足を洗う訳でも露出癖があるわけでもない。雑巾を作るためだ。


 この服は、レイチェルさんから渡された時代遅れのワンピースだ。

 彼女は私にこれを着せて「ダサい服を着て恥ずかしくないのか」と笑ったけれど、元々は貴族の服。生地も良いものを使っているし、裏地がきちんとついている。


 少なくとも拭き掃除用の布に困る人間からすれば、服の裏地などという見えない場所の布などは雑巾のいい材料だ。

 たくし上げれば、裏地はすでに中途半端な丈になっている。そこから掌より少し大きい面積になる様に、布を割いて二枚分作る。

 うち一つは水に浸して絞り、もう一方は仕上げの乾拭き用だ。



 慣れた手つきで窓の外側を拭き上げる。続けて内側を拭こうとしたが、立てつけが悪いのか。窓がビクともしない。

 仕方がなく音を立てないように注意しながら再び室内へと戻り、窓掃除の続きに勤しむ。


 中から窓をキュッキュと拭けば、拭いた所とそうでない所の境界がクッキリと現れた。

 一体どれほど放置していたのだろう。そう思う一方で、窓が綺麗になっていくのがよく分かる分、掃除していても気持ちがいいとも思えた。


 そう思えた自分に、驚いた。


 窓の拭き掃除なんて、何度も何度も屋敷でやらされもう慣れた作業のうちの一つだ。

 レイチェルさんから「そのくらいしか出来ないでしょう?」と言われ、私自身、彼女ほどの社交性も無ければ目立つ容姿という訳でもない自覚があったから、言い返す言葉もなかった。


 使用人にやり方を教わったのが最初で、それから慣れるにつれて、日々の消化作業の一つになった。


 しかし掃除を『気持ちがいい』と思えたのは、今日が初めてのような気がする。



 これまでずっと「せめて裏方でくらいはザイスドート様のお役に立ちたい」と思って、「そうでなければならない」と思い続けて、懸命に手を動かしてきた。


 思えば、ずっと何かに追われるように掃除をしてきたような気がする。

 しかし今はもう、時間にも、人にも、感情にも追われる事はない。綺麗になる過程を楽しむだけの余裕ができた。

 そうなって初めて、気がついた。


「お掃除って、こんなに楽しいものだったのね……」


 もしかしたら私、何かが綺麗になるのを見るのが結構好きかもしれない。


 新たな自分を見つけつつ、キュッキュ、キュッキュと拭き上げていく。


 清々しい。窓から見える空の青が一層鮮やかになっていくにつれ「空ってこんなに綺麗だったのね」とも思えて、それがまた私をドキドキさせた。


 しばらくの間、窓ふきに没頭していたと思う。後ろでモゾリと人の動く気配がして、意識が現実に引き戻された。


「……ん、まぶし」


 振り向けば、ちょうど茶色頭がむくりと起き上がったところだった。

 見るからに寝ぼけ顔の彼が迷惑そうに目を細め、目を光の射す方、つまりこちらを見てくる。


「あ、おはようございます」


 目が合ったので挨拶をすると、数秒間の無反応の後、ディーダがギョッと目を剥いた。身の危険でも感じたのか、座ったままで後ずさり、ダダンッと壁に背中をぶつける。


 その音でやっと目覚めたノインが「うるさい、ディーダ……」と目をこすった。

 彼も眩しかったのだろう。こちらを見て同じくギョッとして、そのまま固まる。


 一体何が彼らにそんな反応をさせるのかはよく分からないが、とりあえずは朝なのだから、相応の事をすべきだろう。


「おはようございます、お二人とも。もし宜しければ顔を洗って、食事を買いに行ってくれませんか? 私ではまだ店の場所も分かりませんし」


 二人が朝食を買いに行っている間に、私はもう少し部屋の掃除を進めておこう。そんな魂胆も少しある。


 今日は幸い天気が良いから、部屋の端に放り投げているあの布も、洗って干してしまいたい。それから室内のちりやほこりを外にすべて掃き出して……そういえば、箒はどこかにあったかしら。

 頭の中で、一人段取りを考えていると、依然として動かない彼らの方から何やらグゥという音がした。


 本人よりも先に返事をしたお腹は一体どちらのお腹だったのだろうか。先に腰を上げたのはディーダ、面倒くさげに外へ出た彼に、クツクツと笑いながらノインが続く。


 外に出た二人が窓から見えた。何故か楽しげに笑うノインのお尻にディーダがキックをお見舞いしている。

 

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