第6話 入社一年目はオフィスカジュアルのカジュアル度合に悩みがち

 パーティションの向こう側、商品企画部から聞こえてきた樹利亜の大声。非効率だなんだと言っているな。その次に聞こえてきたのは、やはり企画部の榎本くんの声。幾分落ち着いた低い声なので、あまり何を言ってるかはっきりとは聞き取れない。


「なんか面白いことが起こってそうじゃん。俺、ちょっと見に行こうかな」


 係長はいたずらっ子のような表情を浮かべ、私の席から離れた。私はその間に資料を修正し、大鳥課長に提出した。





「ウケる。めっちゃしょーもないことで言い争ってて引いた」


 隣の課から戻ってきた係長は、笑いをこらえきれない様子だった。


「いったい何があったんですか」

「ホッチキス止めの方向がどうこう、って喧嘩してた」


 係長の言うには、何らかの資料を作成する際に、樹利亜がすべて左上をホッチキスで止めたところ、榎本くんが「課長に提出するのはこのままでいいんだけど、部長に出すのは右上止めでお願いできる?」と修正を求めたらしい。そのことに対して樹利亜は、横書きの書類なら左上止めが普通だ、わざわざ間違った方へやり直しを命じるのは非効率的だ、強制するならパワハラだといって譲らなかった。


「結局横から出てきた上原が引き取ってやってたわ」


 係長が苦笑する。ホッチキスの止め方なんて本当にどうでもいい。どうでもいいからこそ、確かにやり直しを命じるのもあほらしい話なのであるが、それと同時に、そのことに抵抗して時間を使うのもそれ以上に非効率的なことである。――バカみたい、引いた。

 ちなみに、樹利亜たちの所属する商品企画部の部長がわざわざ右上ホッチキスにこだわるのは、おそらく彼は左手が少し不自由だからだ。きっと、彼の手の場合は右上が閉じられていた方がページをめくりやすいのだろう。企画部長の姿は隣の課の私ですら何度か見かけたことはある。元々右利きだということもあり、日常生活において部長が不便そうにしている姿を見たことはほとんどなかった。しかし一度だけ、社員食堂で近くの席でランチを取ったときに、お手拭きのビニールを開けにくそうにしていたこと、そのときに左手が不自然に震えていたことを何となく覚えている。

 ――もしも私の推測が正しいのだとしたら。そして、そういった事情を樹利亜も聞かされたとしたら、それでも彼女は「正しくない」「非効率的だ」と榎本くんの指示を突っぱねるのだろうか。


「あ、清水さんはむしろ人の言うこと聞きすぎるくらい聞いてくれるタイプだからな。資料修正でも、他の仕事でも、おかしいところがあったら全然言ってくれて構わないから」


 樹利亜のことで考え込んだ様子の私を、係長はからかう。何事も程度問題だ、と言いたいらしい。





「ねー、清水ちゃん、今週末の部対抗ボウリング大会、来る?」

「すみません、先約が入ってるんですよね」

「そっかあ、残念」


 わが社は年に二度、部対抗のボウリング大会が開催される。もちろん休日のお遊びなので参加は自由。ボウリングが流行った世代(大鳥課長より少し上くらい?)と、とりあえず会社の催し物には参加しておいた方が後々お得なのではないか? と邪推している若手社員が多く参加しがちだが、実際のところそれに参加しなくても困ることはないし、だからこそそんなに力む必要もない、気楽な行事である。一、二年目の頃は私も参加した。今回は、高校同期会がバッティングしてしまったというだけのことだ。


「なんかお手伝いした方がいいこととかありました?」

「全然そういうのじゃなくて、清水ちゃんに愚痴を聴いてほしかっただけなのー」


 わざわざ私ご指名、ということは、十中八九樹利亜関連か。お疲れ様です。



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