第18話 無事、帰宅!

 小梅と一線を超える気なんてなかった。本当だ。あの雰囲気になっていても、言っても陽子と同じところで止まるのだと思っていた。だって、いくらなんでもそんな、キスですら心の準備が必要だったのに、全部許してしまうなんてそんなつもりはなかった。

 ただ、私の方も我慢できなかったし、小梅もとめることがなかった。


 私は陽子にも見せたことがない場所を見せて、触られて、気持ちよくなった。

 めちゃくちゃ、気持ちよかった。死んじゃったかと思った。自分の意思じゃないって時点でちょっとした刺激でも気持ちよかったし、最後は私からお願いしていいように、そこ、そこ、もっとって感じで普通に積極的に絶頂してしまった。

 めちゃくちゃ恥ずかしくて、終わってから服を着ている今、小梅の顔を見れない。


 自慰の経験上、絶頂には種類があることを私は理解していた。波をのがして物足りないしもう一回ってほどでもないすっきりしない嫌なやつ。普通に全身が震えて息がつまるくらい気持ちいいやつ。そしてめちゃくちゃ気持ちよくてがくがく動いちゃうくらい震えて声がでるやつ。

 今回のは確実に三つ目、その中でも最上級の気持ちよさ。思い出すだけで余韻がよみがえってくる。


 お互い初めてで緊張してぎこちなかったのにあれだったのだ。小梅がなれて、私もリラックスして全身で受け止めたら、いったいどれだけ気持ちいいのだろう。考えるだけでぞくぞくしてしまう。

 これはいけないなぁ。と頭では思っている。完全に性欲で頭が馬鹿になっている。なんかもう、小梅とのあれこれの問題置いておいても、仮じゃない恋人になってもいいかなって気になってる。


「その、朝日先輩。可愛かったです」

「……あ、ありがと」


 身支度を整えた私に小梅から遠慮がちに声がかけられたけど、それ以外に何を言えばいいのかわからない。一応女なので可愛いと言う褒め言葉は嬉しいし、気軽に言い合うよく聞く言葉だけど、この状態で言われても恥ずかしさしかない。


「その……私、ちょっと、強引でしたよね。すみません」

「いや、まあ」


 スカートにのばされた手に、一度はその手を掴んだのだ。言葉は出なくても、気持ちがとめたくなくても、羞恥心はとっさに仕事をしたのだ。だけどはたと目が合い、そのまま私の手はそっと離された。

 結局私は言葉でとめることもなかった。強引でなかったとは言わないけど、これで合意ではなかったなんて法廷で言っても敗訴確実だろう。


 だけどそう素直に言うのは恥ずかしすぎて、欲に溺れた自分がとんでもなく恥ずかしい何かに思えて、私は言葉を濁した。


「……」


 そんな私を小梅はじっと見て、その視線から少しでも隠れたくて身を固くして顔をそらした私に、小梅はぐっと近寄ってきて顔を無遠慮に覗き込んだ。

 目が合って、かっと顔が熱くなる。いや、顔だけじゃない。体が熱い。だってついさっき、私はこの目と見つめ合いながら、気持ちよくなったのだから。


 小梅はそんな私に小悪魔のように悪戯っぽくにっと笑った。


「……先輩、気持ちよかった、ですか?」

「んん。その、まあ、はい、気持ちよかったです」


 そんなことないよとは言えないし、そもそもわかりやすくよがっていたので隠しようがない。なのでさらに熱くなる頬に手をあてて気持ち誤魔化しながら頷いた。

 そんな私の反応に小梅は実に嬉しそうににまにまと笑みを深くする。


「ふふ。嬉しいです。ねぇ、先輩。先輩が私のこと好きになってくれたら、私、もっと、先輩のこと満足させてみせますよ?」

「こ、小梅……そう言うのは、やめた方がいいと思う」


 小梅はそっと顔を寄せて耳元で色っぽく、震えちゃうくらい魅力的にそう囁いてきた。その気になっちゃいそうだ。

 でもさすがにそう言うわけには。だってそんな。ねぇ? そう言うのはちょっと、教育に悪いしね?


「私……最終的に先輩と両思いでずっと幸せに暮らせるなら、体の関係からはじまるのもいいかなって、そう思ってます」

「……」


 いや、昨日の電話ではだいぶ恥じらってたのに、寝て起きただけで覚悟決めすぎじゃない? って冷静な頭ではツッコんでるけど、小梅が耳元に吐息をかけてくるのがぞくぞくして流されてしまいそうになる。

 なんとか耳を抑えて理性を立ち直らせる。このままでは流されてしまうし、それも悪くないかなって思ってきている。まずい。ここは戦略的撤退だ!


「あの、小梅さん、そろそろ時間も遅いので、帰ろうかなーって思うのですが」

「えー……ずるい人」


 なんとか耳への攻撃を避けるため身を引きながら小梅を振り向いてそう提案すると、ぽつりと、独り言みたいな声量でそう言われた。その言い方と言い、ちょっと寂しそうな悲し気な、でも見守ってくれるような優しさのある表情と言い、なんだか大人の女性みたいでドキッとしてしまう。

 やっぱりやめます。と言いたくなってしまうのを耐えていると、すっと小梅は寂しそうな感じを収めて微笑んでくれた。


「でも許してあげます。先輩のそう言うところも可愛くて、好きなので」

「んん。はい、すみません」

「いいですよ。次は、断れないくらい、もっと気持ちよくなれるよう、もっと頑張りますね」

「……」


 いやー、あの、多分次があったら、もう、小梅がこれ以上頑張らなくても駄目かも知れません。だってさっきから敬語になっちゃうもん。

 ううーん。小梅の策略通りと言えばそうなんだけど、本気で、体で落とされてしまいそう。でもだって、あんなことしたらそりゃあ今までと見る目も変わるし、友達に持たない欲も出てくるでしょ。いやでも、さすがにちょろすぎと言うか、まずいって。


「と、トイレ、借りるね」

「はい、どうぞ。向かって右の手前なので、間違えないでくださいね」

「はーい」


 頑張って、なんて軽口も言えない私は逃げる様にそう席をたった。


 リビングを出て通路にはいると左右に二つずつドアがある。向かって右、と言う言い方をわざわざするのは玄関から入って来た時の方向から見て、と言うことだろう。

 つまり今見ている方から見て、左側の奥。手前は小さい物入れだろうドアなので、左の時点で奥しかないけど、間違っても物置の中を見られたくないから念押ししたのだろう。

 大きさ的にトイレ、脱衣所、お風呂もつながってそう。そして通路を挟んで反対側に寝室がある、と言う間取りだね。


 場を離れるために言い出したけど、トイレに行くと意識すると尿意があばれだす。結構時間もたってるし、この家に来てすぐお茶ももらってるし、妥当だろう。早くトイレだけ借りて帰ろう。


 私は手早くドアを開けた。


「……」


 部屋中に視線を巡らせ、ドアを閉めた。尿意が消えた。間違っていた。向かって右、と言うのは素直にリビングを出た私から見て、だったのだろう。考えたら物置のドアを数えて手前などと言う必要はない。

 開けたドアの向こうは多分寝室なのだろう。ベッドもあった。でもそれ以上に、パッと見て目に入った巨大な、観光地とかにありそうな等身大パネル。私の姿があった。その向こうの机に乱雑に置かれたたくさんの写真たて。全部がこっちを向いていたわけじゃないけど、私の写真が入っていた。本棚の前に大きな額縁が数個もたれかけてあったけど、一番手前が大きな私の写真だった。


 そんなに長時間チェックしたわけではないけど、やばい匂いしかしなかった。


 ずっと私を見てたとか前から好きだったと言っていた。だからさ、盗撮って言っても一枚二枚パシャっとなら、まあ、うるさく言うことはないよ。むしろ可愛いよね。

 でもあの、え、どんだけとったの。そしてあれ全部私の写真だとしたらやばいでしょ。ていうか、等身大パネルはもはや病気でしょ。


「さて」


 トイレ借りて帰ろ。勝手に人の部屋見るとか駄目だし、私そんなことしてないよ。こんなわかりやすい指示を間違えることもないしね。


 そしてそれはそれとして、これから小梅とはね、やっぱり恋人って言うのはまだよくわからないし、考え直した方がいいよね。全然何にも見てはないけど。そんな気がしてきたな。


 私はさっさとトイレを借りた。引っ込んだ尿意だけど、座ったらやっぱり普通にトイレは行きたかったね。


 そしてリビングに戻る。小梅もすっかり身支度を整えていて、いやらしい雰囲気はなくなっている。いつもの小梅の様子にホッとする反面、いつものこの様子があの部屋の上に成り立っていることが、あ、いや、なんにも見ていないんだけどね。


「お待たせ。じゃあ、本当にそろそろ帰るね」

「はい……名残惜しいですけど」

「あの、ごめんね。その、でも……すぐに答えはだせないから」


 なんというか、終わってから呼吸が落ち着くまではゆっくりした程度で、実質やることやって自分だけ気持ちよくなってすぐ帰るようなものだ。

 このままここにいても仕方ないし、時間的にも帰るべきだし、小梅も普通だし悪いことしている訳じゃないけど、なんだか自分がひどい人間みたいでとても座りがわるい。意味もなく言い訳して謝りたい感じだ。


 玄関に向かって靴を履きながら謝罪する私に、小梅はちょっとだけ苦笑するように笑った。


「いえ、急かすようなこと言ってすみません。最初に言いましたけど、私、いつまででも待ちますから。朝日先輩に振り向いてもらえるよう、何年でも、頑張りますから」

「う、うん」


 そして靴をはいて立ち上がった私に、小梅は微笑を絶やさないままに、だけど真剣さが伝わる顔でそう宣言した。

 健気、と思っていたけど、冷静に考えたらフっても年単位で諦めない宣言だよね。ストーカー、いやいや。思いが重いとは察していたけど。うん。


 まあ、今はそう思っていても人の思いなんて変わるでしょ。私から積極的に小梅を切ることはないけど、こんな宙ぶらりんの状況をいつまでもひっぱらえば小梅だっていい加減私に見切りをつけるだろうし、ここまで来たら高校生活くらいは小梅に付き合ってもいいくらいには情もある。

 だから、はい、と言うことでとりあえず穏便にいこう。


「ありがとう。小梅のその気持ちは嬉しいよ」


 だから小梅が正気に戻るまで、この恋人ごっこを私も楽しもう。人生で一回くらい、ストーカーされるくらい好かれるのも悪くないでしょ。まあ、すごいひいてはいるけど。

 可能なら、私に見切りをつけるまでに、ストーカー行為を反省するように指導してあげたい。これは恋人としての責任と言うより、先輩としてね。


「それじゃあ、またね」

「はい、また、お電話しますね」


 こうして私の長い放課後が終わった。

 いや、まだ火曜日なの本当に、嘘でしょ。明日休みたい。そう思いながらもなんとか、私は無事帰宅した。

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