第3話

 二日目・朝――午前七時頃

「ん……あれ? ここ、どこだっけ……」

 朝、窓から差し込む日差しで白黒が目を覚ます。そして気付いた、天井も自分が寝ていたベッドも全くもって知らないものであると。

「おはようございます白黒様。朝食の用意が出来ております」

 白黒が寝ぼけ眼を擦りながら体を起こす。そこには白い燕尾服の女性が机の側で綺麗な姿勢で佇んでいた。

「ん~あ~……うん、おはよー千草」

「どうやらまだ寝ぼけているようですね。ワタシはアサギです、ついでにおっしゃいますとここは観鳥島の側にあるただの無人島です」

 どうやら目は覚めたものの頭の方はまだ覚醒しておらず、自分の家かどこかだと勘違いしているらしい。

「え~っと…………あっ! そうだった、ごめんねアサギ間違えちゃって」

「いえ、気にしていませんよ。では、冷める前にこちらの朝食をどうぞ」

 目の前にいるのが千草ではなくアサギで、自分がいるところも住み慣れたいつもの自室ではなく小屋の中であることを認識すると、まず名前を間違って呼んでいたアサギに謝る。だが、朝食を食べるように勧めてきた事から、当人はさほど気にした様子が無い事が見て取れた。

「あ、うんありがとう。でも……うーん、何だかあんまりお腹が空いてないんだよね」

「――そうですか。まぁ、昨晩は夕食をお召し上がりになられた後すぐに眠られてしまいましたからね。当然と言えば当然かもしれないですね」

「そうだったんだ。わたしいつの間に寝ちゃったんだろ? ご飯を食べた後の記憶がどうにも曖昧……というかサッパリだし」

「……記憶を失くすくらい相当お疲れだったのでしょうね。昨日は大した活躍はしていませんでしたが」

「うるさいなぁ……敵が全然出てこなかったんだからしょうがないじゃない。まぁ色々と昨日は大変だったケド――怖い夢も見ちゃったしさ」

「怖い夢……ですか?」

 会話の内容から昨日のあの出来事は覚えていないとも思っていたが、怖い夢というワードが白黒から出て来て途端に嫌な気配を感じた。

「そうなんだよ。なーんかね、千草とアサギの区別がつかないどころかわたし自身の区別がついてないんだよね。鏡だって見たことあるから間違ったりするわけないのに、ホント不気味なほど怖い夢だったよ」

「それは確かに怖いかもしれませんね。では、その気持ちをリセットするのにお風呂に浸かるのはどうでしょうか。きっとリラックスできると思うのですが」

「あ~じゃあ入らせてもらおうかな? 汗を流さないままで寝ちゃったし」

「では、こちらへどうぞ。浴槽にお湯は溜まっておりますのですぐに入れます」

 アサギが誘導するように浴槽へと続く扉を開ける。そこには並々とお湯の張られた浴槽があり、更にはアロマも焚かれてより効果の高いリラックス空間となっていた。

「うわっ、準備いいね……」

「昨日の夜は汗を流されなかったので朝に入るのは間違いないだろうと思いましたから。では、お召し物はこちらで洗濯しておきますのでとっとと脱いで下さい」

「はーい」

 もう既にアサギの口の悪さにはツッコむこともなく素直に服を脱ぎ始め、着ていた服をアサギに手渡す。

「着替えの方は隅にある籠の中に入れてあるのこちらをお使い下さいませ」

「分かったよー!」

 最後に返事をして白黒は扉を閉じた。アサギは手渡された服を手に外へと出るとそれを桶の中に入れる。そして洗濯を始める前にポケットから携帯端末を取り出し、アサギはとある人物に向けて連絡を取り始めた。

「こちらコード№30、シェ――っと、失礼間違えました。改めましてこちらアサギ、聞こえますか」

『はいはーい! こちらルーネアスト。バッチリ聞こえてるよ!』

『こちらミットシェリン。感度は良好……ですが、なぜわたくしにも通話が?』

 アサギが連絡を取った相手とは一人はF&Sカンパニーの社長である巻波花南――の代わりに出てきた副社長であるルーネアスト。そしてもう一人が昨日の時点では初対面であったミシェが通話に応じていた。

「ワタシは社長に掛けたつもりだったのですが、なぜ関係ない方達が出てくるのでしょうか」

『カナは外せない用事があるからアタシが代わりに来たよー!』

『わたくしはただ電話が掛かって来たから出ただけですわ。そもそもアサギさんがこの電話の番号を知っているかを聞きたいのですが』

『あ、それはカナがスタッフ側からの通話は全員が共有できるようにって設定にしたからだね』

『――そういう事はあらかじめ言っていただきたいものですわね』

 電話が掛かって来た理由としては大いに納得できるのだが、それならそうと先に言っておいて欲しいというのはむしろ当然の感想だろう。

「では、ポンコツ副社長に報告です。昨夜、入色白黒に重度の認識障害がありました」

『えっ⁉ 白黒さんが……ですの⁉ 昨日会った時はそのようなそぶりはありませんでしたのに……』

「実際白黒様が変調をきたしたのはあなた方と別れた後ですからね。知らないのも無理ありません」

『はぁ~……スッゴイ大変そ』

 まるで他人事のように言い放つ。それに加え電話口の向こうから「ポリポリ」とスナック菓子を齧る音まで聞こえ、副社長としての責務を全う出来るのかという心配事が追加される。

「実際の所、メチャ大変です。このまま白黒様を放置しては色々と支障が出る恐れもあるかと。ですので、社長にこの旨を報告し判断を仰ぎたいのでだらしのない副社長ニートとチェンジしていただきたいのですが――」

『好きに任せるよ』

「はいっ――?」

『あれ、電波が悪かったかな? 好きにしていいって言ったの。責任はアタシが全部引き受けるから、やれる事はドーンとやってきちゃいなよ!』

 こんなちゃらんぽらんなのが言った事だとは微塵にも思っていなかったのがアサギが

戸惑っていた理由なのだが当人にとっては『電波が悪かったかな?』程度にしか思われていなかったようだ。

「あの……本当によろしいのですか、ワタシが自由に動いても」

『良いって良いって! カナにはアタシから伝えておくからさ。それとちょっと放置プレイ気味なそこの二人なんだけど……入色家の人間の監視は中止! 他にやって貰いたい事が出来たから』

 放置プレイをされていたというよりは白黒の事が心配で会話に入ってこなかったのが正解なのだが、そんな細かな指摘をするよりも先にミシェの口から文句が先に飛び出す。

『ちょっと待って貰いたいですわね。わたくし達の入色家の監視はそもそもわたくし達の先生から受けた試験。それを勝手にキャンセルなさるとはどういう了見かしら』

『別に勝手じゃないんだなぁ』

『どういう……事ですの?』

 先生――つまり葉神アロエからミシェとサクニャは一つ試験を受けていた。とは言っても二人が一年の間アロエの下でどこに出しても最低限死ぬことのないように修行をしており、その最後の段階として入色家の住人の監視という意図の見えない不思議な内容で受けていた。だが、それも突然依頼人ではない人物から中止を宣言されては困惑も当然だろう。

『それはあたしから説明しようかね』

 電話口から聞こえる声が突然変わった。その声の主とは数日の間離れていただけなのだが、その我の強い声は聞くと一つの強い感情が湧き上がってくる。

『あ、えぇと……もしかしなくてもそちらにアロエ先生が……いらっしゃるの?』

『当ったり~! まぁそういうワケだからちょっくら頼まれてよ』

『雑ぅっ! 師匠ちょっと雑過ぎ! いきなり出て来てウチ等に何を要求するのさ⁉』

 電話口の相手――二人の師である葉神アロエは何の脈絡もなく登場したかと思えば、過去に一度大五郎にかました理不尽ともいえるムーブを今度は弟子である二人に吹っ掛けけて来た。さらに質の悪い事に、自分の中だけで話が進んで完結しているらしく最後にされた頼みごとの中止と新たな頼み事、それらを一切説明しないまま話が終わろうとしている。

『……? それはさっきルーネが言ってたじゃん。入色白黒はそこの使用人に任せて、アンタ等はそこの島に紛れ込んだ不審人物を見つけてこい――って』

『まったくもって初耳ですわ、そのような事』

『あれ……でも確かにさっきそんな話を――』

『それは私とアロエさんしか知らない事でしょう? あまり話をややこしくしないでもらいたいのだけど』

 もう一人新たな声が増える。それはF&Sカンパニーの社長でありつい先ほどまでアロエと話し合いをしていた巻波花南である。

「社長……! もうお話はよろしいので」

『えぇ、まぁ。その話し相手だったアロエさんが勝手に突っ走ってしまったから仕方なく……』

『では、花南さん。そこの先生に変わって詳しい事をお聞かせ願いませんか。貴女の協力あってわたくし達はここにいられるわけですので』

『分かりました。では、順を追って説明します』

 アサギから齎された報告は次第にキャストを増やしながらどんどんと明後日の方向へと進んで行った。その混沌とした状況の中で花南が現れたのはミシェにとって救世主の来訪と同義である。なぜならミシェはアロエと一年間付き合う中で彼女に対してある感情が芽生えていたからだ。

『あれ、あたしの出番もう終わり~? それじゃあちょっと散歩に行って来るかな』

『…………どうやら嵐は過ぎていったようですわね』

 電話口から聞こえていたアロエの存在が遠ざかって行ったのを確信すると、ミシェは手に持っていた端末を取り落としそうになるほど力を緩めていた。

『ほーんとミッこって師匠の事が苦手だよね』

 そう、ミシェはアロエの事が苦手なのだ。そもそもの発端は大五郎に連れられてあった時、その時は大五郎の扱われ方が不憫だな――と感じた程度であったが、いざ当事者の立場になってしまえばそうも言ってられなくなる。

 まず、親友を探すというのが最大目的であったためミシェはアロエのしごきには何とか耐えられた、それもこれも自分たちの目的を成就させるためだからだ。だが、あらゆる課程をこなしていく最中、ミシェは漠然とだがアロエに恐怖の様なものを抱き始めていた。普段の態度こそ荒っぽいが裏では常に他人を慮り、自分達の無茶な願いにも協力を惜しまないアロエであったが、その理解が及ばないような豪胆さと思慮深さがアロエの潜在意識にほんの僅かな恐怖を植え付けていた。

『まぁほんの少しね。知ってか知らずか先生も気を使ってくれたようですし』

 だが、それでも決してアロエの事を嫌っているという訳ではなく、ただ単純に全容が窺い知れない相手に恐怖を抱くのがごく自然な事であっただけの事である。

『――すみません花南さん、話の腰を折るような真似をして』

『別に気にすることではありませんよ。では――』

 花南からミシェとサクニャ、それとアサギに対し現状で起こっている出来事に対処するために新たな任を与えらた。

 まずミシェとサクニャには先の通り入色家の監視を中止し、その代わりとして今いる島に現れた不審者を探し出す事そして可能ならば捕縛するようにと。

 アサギに対しては白黒の衣食住の管理は続行するが追加で精神面での管理、そしてもう一つ与えられた任務があるのだがそれは――

「この島の最深部で調査……ですか」

『えぇ、そうです。そこでなら白黒さんの変調の原因が突き止められますから』

『んん~……? チョイとマッキーさんや。何処の事かは分からないけどそんなんで本当にシクろんが変になった原因が分かるんかにゃ?』

『シクろん……? あぁ、白黒さんの事ですか。分かりますよ、確実に。ですが、なぜ分かるのかは教える事は出来ません』

 サクニャが時折名づける妙な渾名には若干の困惑はしつつも、質問にはちゃんと答える。だが、花南はそんな質問の答えなんか吹っ飛ぶような返しを用意していたのであった。

『えぇ~っ! 教えられないってどういう事さ!』

『……わたくし達も白黒さんの事に関しては当事者だと思っていたのですが、どうやらそちらの考えではそうではないのですね』

『い、いえ別にそういう意図では……。でも、その……あなた達二人には絶対に教えるなって……アロエさんが、ですね――』

『またあの人ですか……。であればこれ以上聞いても意味がないのでしょうね』

 思わぬところでまたアロエの名が出て来た事でミシェはある程度察した。おそらくは人に聞くばかりではなく自分の体を使って知って来い――と。

『あの、本当にごめんなさいっ! でも、アロエさんも悪気があるわけでは――』

『分かっていますわ、それくらい。それではそろそろ解散としましょうか。わたくし達は全く情報のない不審者を探さなくてはならないようですし』

「では、いつの間にやら会話から置いて行かれていたワタシも失礼いたします」

 サクニャに割り込まれてからなかなか会話に復帰できず、終いにそのまま解散する運びとなった事に、別に言わなくてもいい一言を残して通話を切った。

「現時刻は……七時三十二分ですか。随分と話し込んでしまいましたね。ほとんどが無駄話だったような気もしますが」

 誰かが聞いているわけでもないが無駄に不満を言いながら浴室へと歩いて行く。別に先程の会話で白黒が気になったからという訳ではないが、それでも彼女のこれからを考えると早めに動かないとまたロクでもない事になるのではないかという危機感で白黒に声をかける。

「白黒様。長風呂は結構ですが早めに行動しないと不利になるのでは?」

「あっ、ごめーん! ちょっとマニュアル見てたりSPを振り分けてたの。すぐに出るからちょっと待って~!」

「急かしたつもりではなかったのですが……まぁいいでしょう」

 それからすぐに大きな水しぶきの音があがり浴室の扉の開く音がする。そして少し経ってからアサギの用意していた籠の開く音が聞こえた。

「……おや? 静かになりましたね。そんなに手間取るような服を用意したつもりは無かったはずですが」

 ――だが、その後に聞こえてくるはずの着替えの音が一切聞こえてこない。この時アサギは「いいとこのお嬢様だから一人では着替えられないのでは?」と思い、ドアノブ手をかける。そして、そのままノブを捻って突入しようとした時、天を衝くような白黒の大声が響き渡る。

「――っ! 白黒様、如何なさいましたか!」

 自分の気付かぬ間に不審者が侵入したのか――そう思った矢先、突然目の前が真っ白い何かで覆われた。

「如何もなにもあるかっ! なんなのよコレ!」

 言われてアサギは目の前を覆う何かは白黒が投げつけた物だと察する。まず現状を把握するため、この白い何かを顔の前から取り除きしかと見る。

「なにってコレは……どこからどう見てもパンツ――いえ、女児用の下着じゃないですか。まさか見た事が無いとでも?」

 アサギが手に持つそれはどこからどう見て女児用の下着。いくら白黒がお嬢様だからとて、見たことが無い――なんてある訳がないと思っていた。

「違うわっ! いくら何でもパ……下着なのは見たら分かるわよ! そうじゃなくて、なんでそんなのを用意した。わたしはそんなのを履くほどの子供じゃないの!」

 怒る白黒を見る。そしてデフォルメされたウサギの顔がプリントされた真っ白な下着を見る。そして白黒が怒る理由をなんとなく理解する。

「なるほど。好みじゃないという訳ですか」

「…………~~~っ! それもあるけどそうじゃないでしょ! さっきまで履いてたわたしのパ……下着を見てたならこんなの履かない事くらい分かると思うんだけど!」

 つまるところ白黒の怒りの理由は下着が子供っぽ過ぎるからであり、現在十五歳である白黒が怒るのも当然と言えば当然である。

「ふっ……」

 だが、そんな白黒の怒りなどどこ吹く風とアサギは鼻で笑っていた。

「な、なによ……その意味深な笑いは」

「あまりにも想定通りの反応でしたので、つい。それより白黒様はワタシに何か言う前にその籠の中をちゃんと見ましたか?」

「えっ、籠の中? そんな事言っても特におかしな所は――」

 言われて籠の中をもう一度見る。そこには一番下には綺麗に畳まれたジーンズにシャツにアウターと動きやすそうなセットがあり、その上には靴下がちょこんと乗って後は年相応のまともなブラジャーが一枚あっただけでこれ以外の衣類は見当たらない。最初にこの光景を見た時は我が目を疑って籠の底や、ありえないと思いつつ籠を持ち上げてその下を覗きもしたのだが、結局は全て空振りに終わる結果であった。

(……でも、あんな事を言うくらいだから多分用意してるのかな?)

 ――と、そんな事を考えながら靴下を退け、さらにその下にあるジーンズ・シャツも退けてアウターの左内ポケットに手を差し込むとそこに何やら手触りの良い布を感じた。

「あ、あれ? あった……すっごい変な所に……」

 ジャケットの内ポケットから手を出すと、そこには自分が今まで身に着けていたのと似た様なデザインの下着がその手に握られていた。

「良かったですね、ちゃんと見つけられて」

「ふざけないでっ! なんなのよこんなイタズラして。いったいどういうつもり!」

 最初の下着での揶揄から本来の下着の隠ぺいと、流石に初対面の時にあった出来事は水に流したが、今回の事は水に流してチャラとはいかず烈火のごとく白黒は文句を言う。

「申し訳ございません白黒様。今回はやりすぎてしまいました。重ね重ねお詫び申しあげます」

「えっ……? あ、うん。反省……してるならいいんだけどね」

 今までの経験から今度はどんな言い回しでこちらを手玉に取るのか――と、気構えていたのだが。実際にアサギの口から出て来たのは深い謝罪の言葉であった。予想していた展開とはあまりに違うのと、素直過ぎる謝罪を聞いて次に言おうとする言葉が頭から抜け落ち、深く考えずにアサギの事をあっさりと許していた。

「ありがとうございます、白黒様。ですが、着替えの方はお急ぎする事をお勧めします」

「う、うん。分かった。すぐに着替えて行くから! …………そういえばわたし、なんでアサギが隠してた下着の場所がすぐに分かったんだろ? ――デジャブ?」

 アサギに用意してもらった服に着替えながら白黒はふとそんな事を思っていた。

 白黒は物心がついた頃から既に千草と二人で暮らしていたが、その間およそ九年の中でそのようなイタズラを受けた記憶はなかった。そもそもあの真面目な千草があのような低俗な事をするわけなどありえない訳で、白黒は単に昔読んだ本か何かと勘違いしたのだろうと結論付けて、アサギの下へと向かって行った。




「お待たせ、アサギ」

「別に待っていませんが、まぁいいでしょう。早速ですが白黒さま、本日の予定を――」

「いや、あの、アサギさん? 予定も何も今日もわたしはゲームのテスターをするんだけど……」

「はぁ……? そんな事は言われなくとも知っております。〈白黒様の〉ではなく、〈ワタシの〉予定です」

「えぇ~……そのタイミングで自分の予定を発表するの……? ――まあいいやそれで、なに?」

 予想とは違った返しをされて紛らわしい言い方をしないで欲しいと言いかけたが、変に突っ込んでもまた何か揚げ足取りの様な返しをされるだろうと思い、特にツッコむ事はせずに努めて穏便にアサギの予定を聞いた。

「実はワタシ、先程社長命令によりとある場所への調査へと赴く事となりました」

「社長命令……? あの、それって大変な事だったりしない? 大変そうならわたしも協力するけど……」

「ご心配には及びません。精々半日もあれば済むでしょう。それにしてもワタシなんかを心配するとは――それとも、今日の食事の心配ですか?」

「なんでご飯との二択で心配するのよ。そうじゃなくて、わたしの衣食住の管理をするって言ってたのに他に仕事が増えて大変じゃないのかなって思っただけだよ」

 アサギの本気か冗談か分かりにくい所は適当に返しつつも、白黒はアサギが受けた社長命令について自分のこと以上に心配していた。

「……日がな一日ゲームをしているだけでいい暇人のあなたと違ってワタシは優秀ですから、ワタシの事は気にせず白黒様はさっさと社長の為にテスターを頑張っていればいいんです」

「なーんか気に障る感じもするけど……そうだね、どっちも同じ人の為に頑張ることには違いはないか」

「分かればいいのです。――そう言えば白黒様、そろそろランキングの発表の時間ですがご覧にならないので?」

「ランキング? いったい、何の?」

 アサギの事についてこれ以上自分が心配しては逆にアサギの仕事に差し支えるだろうときっぱりと打ち切ったが、その矢先――ランキングというアサギの言葉に、そんな要素がこのゲームに有ったかなと頭を捻る。

「今回のゲームの成績以外何がありますか。いいから、さっさとメニューを開いて下さい」

「う、うん……」

 言われるがままにジェスチャーでメニュー画面を開くと、横からアサギが顔を割り込ませてくる。

「こちら、昨日のモンスター討伐数と獲得SPに応じたランキングにございます」

 開かれたメニュー画面を覗き込みながらアサギが白黒の手を握りながら白黒自身の指を使って操作する。するとそこには一位から最下位までの順位、その横にはプレイヤー名・討伐数・獲得SP、それとよく分からない数字が並べて表示してあった。

「……こんなのあったんだ」

「はい。なんでもモチベーション増加の為に設けられたようで上位になるほどボーナスとして追加のSPが貰える仕組みとなっております」

「モチベーションの増加――ねぇ。どれどれ……」

 そのまま白黒はランキングの上位から順に見ていく。一位の貰えるポイントは10,000。それから順位が下っていくごとにどんどんともらえる数値は減っていき最下位に至っては1,000と、貰えるポイントにかなりの差が開いている。

 それと同時に自分はどの順位にいるのか探そうとする、が――一番下まで見ていた状態にあってその横の名前を見た時、必然とそこは最下位の位置となる。そしてそこに刻まれていた名前が――

「ゲッ! ビリじゃん、わたし」

 そこに燦然と刻まれていたのは「shikuro」の名前。そう、一日目の成績に於いて入色白黒はまごうことなく最下位に位置していたのだ。

「何をいまさら。初日で討伐数一桁なんて白黒様ただ一人。獲得SPに於いても5,000と、これで最下位にならない方がおかしいというモノです」

「え~……でも、あんなでっかいのを倒したのにビリってのは納得が――」

「白黒様のお気持ちは察します。確かに今回は総合的に最下位なのは疑いようにない事実ですが、白黒様の倒した相手は初日の時点では最も保有SPの多い個体でした」

「えと……それってもしかして」

「はい。あの時点に於いては最も強い相手を打ち倒したと言えるでしょう」

「おぉ……!」

 ランキングにおける表面上の数字だけ見れば確かに白黒は最下位ではあった。だが、唯一倒した一体の価値は高く、もし『強敵の討伐数』といった項目などが存在していれば白黒は間違いなく最下位に位置していなかっただろう。

「一体だけでしたが白黒様はよくやったとワタシは思っております。ですので落ち込むことは無いです。白黒様のすぐ上にいる方も獲得SP自体は大きな差があるとは言えませんので」

「うん……うん! わたし頑張る。頑張って上位に食い込んでやる!」

「その意気です、白黒様。参考の為に上位の方をご覧になるのはどうでしょう? 上位がどれほど稼いだのか知っておけば一日のペース配分も設定できるでしょうし」

「えっ……⁉ アサギが役に立つことを言ってる……⁉」

「ワタシはいつもあなたの役に立つことしかしていません。変な事を言わずとっととスクロールしやがり下さい」

「はいはい……っと。え~っと一位の獲得SPは…………えっ! なに、これ……」

「なにをそんなシリアスに驚いているんですか。ワタシも拝見させて……これは!」

 白黒とアサギが一位の数値を見て驚愕の表情をする。そこに表示されていたものとは――

「獲得SP……十二万越え……。二位との差が約十万って……どういう事――」

「どう考えてもあり得ませんね。初日の時点で稼げる敵一体のSP最高値はおよそ530。この時点で討伐数と獲得SPが到底釣り合わないですね」

 ランク一位――その横に表示されていたのはARという名前。そして討伐数・23、そして獲得SPが125,100と一体あたりの平均値が5,400くらいと、明らかに他と比べて逸脱していた。

「なにこれ……バグかなにか?」

「……まだテスト段階だからハッキリとは言えませんが、その可能性は低いと思われます」

「なんで……?」

「実際、この数値を叩きだす事自体はそれ相応の場所でなら十分可能です。初日の時点ではどの参加者もそこへ到達が出来ない――という事に目を瞑ればですが」

「だったら……チート、とか?」

「そちらはもっと可能性が低い――というよりありえないですね。テスト段階にある本ゲームを解析して内部情報を弄るなど外部の人間には出来ませんし、何よりサーバーの存在が――いえ、ともかくチートだけはありえないと断言できます」

 最後、なにかを言いかけたアサギであったがそれは考慮に値しないモノなのか頭を振って、結果チートはありえないと断言した。

「えーっと、つまり……」

 そこまで言いかけて言葉を飲み込む。この先は別に言わなくてもよいうえ、ただの参加者である自分には関係ない、運営側が何とかする問題だとしてそう考えたのだが――

「まったく運営側もガバガバで困ったもんだ、こんなオカシナのを紛れ込ませるなんて。世界有数の大企業という肩書に胡坐掻いているんじゃねぇ――と、白黒様はこう仰りたかったのですね」

「いやいやいや! ちょっと杜撰かもとはほんのちょっとだけ、心の片隅にちょこんとだけ存在する程度には思ったけど、そこまで悪し様になんて微塵も思ってないから!」

 勝手に思考を捏造されて慌てたようにして怒った白黒だったが、アサギが言った事をスケールダウンした状態では考えていた事は暴露してしまっていた。

「取り敢えずこれは社長案件になりますから白黒様はお気になさらずに。あぁそれと、ランキング最下位でも挽回のチャンスは用意されていますので――正確には26位から30位の方ですが」

「あの……わたし31位なんだけど……。チャンス範囲から漏れてるって酷くない」

 どこまでもこのゲームは自分に厳しいのかと、自らのリアルラックの無さにもはや『諦める』が選択肢に入ってしまったかのように項垂れてしまっている。

「――失礼しました。順位が繰り下がって27位から31位の方ですね」

 今までこのゲームについて間違った事だけは言わなかったアサギが順位に訂正を入れて改めて言い直す。その様子に白黒はちょっとだけ珍しい光景が見れたと、『諦める』の選択肢にカーソルが押下されるより先にネガティブな選択をキャンセルした。

「あぁ~良かった……ここでハブられでもしたらいよいよ運が悪いで済まされない所だったよ。それで、結局の所チャンスってどんなの? 一発逆転みたいなのも狙えるかな?」

「十分可能です。ランキング下位者が得られるチャンスの内容としましては武器の強化補正が日付が変わるまでのあいだ与えられます」

「強化補正……? 響きは凄そうだけど武器だけ?」

 このゲームは身体能力が高い方が優位に立ちやすくなっているが、それを個別のステータスを強化して補正することにより体を動かすのが苦手な人でも楽しめるのがコンセプトになっている。だが、アサギが言うチャンスはこのゲーム性を些か殺しているのではなかろうかという疑問が頭を過る。

「その顔……武器が強化されたところで当てなきゃ意味がない――という所ですか」

「あ~……まぁ、そうかも」

「確かにそれはそうなのですが白黒様、武器のステータス値は確認されましたか」

「え⁉ そんなのあったの?」

 アサギに指摘されるや否やすぐさまメニュー画面を開き武器の欄を見る。するとそこには〈使用武器:ショートソード〉と書かれているが、その下には威力・射程距離・重量の三つの項目ともう一つ、空白になっている項目が存在していた。

「…………あった。ちょっとアサギ、なんでこういうのがあるって先に言ってくれないの! さっきお風呂でポイント全部ステータスの方に振っちゃったじゃない!」

「はて……? 白黒様、ワタシが目を離した時に頭でも打ち付けましたか? 昨日の時点でワタシはSPはステータスと武器に割り振ることが出来ると説明しましたが」

「え――?」

 そう言われて白黒は昨日の出来事を思い返してみる。場違いな強敵を倒した時に突然アサギから通信が入ってそれに受け答えをしていた。その後は確か……後ろから怪物に殴られたおかげでそれより前の事が記憶から若干飛んでいた事を今思い出した。

「…………言ってた。武器について何の説明もしてもらってなかったけど確かに言ってた」

「思いだしていただけたようで何よりです。ぶっちゃけ説明するまでもないでしょうが……お聞きになりますか?」

「ううん、いらない。見た感じ肉体的な方のステータスと違いはそこまでなさそうだし――って、あれ? ポイントがちょっと増えて残ってる! なんで⁉」

 アサギのSP部分には1,000に加え、振り切れずに余った分が残されていた。

「ランキングの成績に応じてもらえるポイントですね、それは。白黒様のようにウッカリポイントを使い切ってしまった方の為に、順位発表の後に貰えるようになっているからです」

「あっ、そうなんだ。納得」

「ちなみに最下位に与えられる武器のプラス強化補正値は十倍となっているのですが注意点としましては――」

 アサギの吐く毒もこのような些細な程度では一切動じず、付属の説明文を読みながら武器にポイントを割り振っていく。

「ん! これでバッチリ」

「おや、もう終わってしまったのですか?」

「そりゃあ……あれだけしかポイントを貰ってないんだもの、すぐに振り終わるよ」

「実は先程の説明に不足がございまして、、限界値がゲーム内での経過日数×30となっておりまして、その値を越える強化を施していた場合は自動的に限界値で固定される様になっております」

「えっ、何その仕様。じゃあそれを越した分のポイントはどうなるのよ」

 ズイッとアサギの目の前にメニュー画面を突き付ける。そこには白黒が振り分けたパラメータが表示されているが、威力の欄には最大値が255に対して30が割り振られており、アサギの説明通りならばこの時の威力の値は60+30=90となるのだが、本人的には30振ればその10倍の300になると思っていただけに、超過した分のポイントを惜しんでいた。

「日付が変わるまではどれだけ沢山ポイントを振った所で……。しかし……随分とまた極端な振り方をしましたね。射程距離は無振り、重量は上がり方が特殊とはいえ……」

 武器のパラメータにも独自の関係が用意されており、威力と射程距離を上げると極一部の例外を除いて重量も一緒に上がってしまう。そのうえ重量のパラメータにも重さ以外での特徴を有しており、数値が高いほど攻撃動作は遅くなるが威力が上がったり特殊な追加ダメージが追加され、数値が低い程攻撃動作は早くなるが威力に関してはボーナス値が追加されないといった違いが存在する。

「パワー一点張りでもいいでしょ。それにしても重さまで増えるのか~コレ」

 使用回数が僅か二戦の愛剣を手にして呟く。

「重量のパラメータだけは現在の最高値から0の間までなら数値を弄れますので、お好みの重さに設定する事が可能となっております」

「へ~そうなんだ。じゃあそのままにしておこう――っと」

 手にしていた剣を鞘に納めながらそう答える。パワー至上主義らしい白黒は少しでも威力の上がる事であれば全て取り入れる気のようであった。

「――プレイスタイルは人それぞれですから特に何も言いませんが、最後まで保ちますか」

「大丈夫でしょ、多分。でも、もう少し早めに知っておけばちょっとは試せそうだったのに……ん?」

 二日目にして自分の育成方針を決めた白黒であったが、一つ無視してはいけないような疑問が湧きおこる。

「まだ――何かございましたか?」

 白黒が考え込む様子を見てアサギは少し身構える。この先の白黒の行動・言動如何では自分が取らなくてはいけない対応が変わる恐れがあるからだ。

「そもそもの話なんだけど……アサギがステータスや武器の説明をする時に、一括で説明書きのある所を教えてくれたら初めからこんな思いをすることなんてなかったんじゃないかな~って思うんだけど――アサギはどう思う?」

 最初こそ穏やかに語り掛けていたのが次第に語気を強めていき、最終的には背筋が凍るような笑顔でアサギに詰め寄って来ていた。

「――っ!」

「どうなの、ア・サ・ギ?」

 じりじりと笑顔を一切崩さずにアサギを部屋の隅へと追い込んで行き、やがてアサギの背中は完全に壁と密着してしまう。

「――すみませんが仕事がありますのでここらで失礼させてもらいます」

「――へっ? ぅわっ⁉」

 アサギが白黒の目の前で手を翳すと白黒は呆けた声を出した。そしてその一瞬後にアサギの袖口から無色無臭の気体が白黒を襲いそれに怯んでいる隙にアサギは白黒の横をすり抜け、扉を開けてそのまま何処かに消え去ってしまった。

「……え、えーと、あれ? …………また逃げられたぁ~⁉」

 前回は一方的に通話を切られる形で逃げられたが今回のはそんな単純なものでなく、窮地に陥る事を想定していたかのような装備に音もなく駆け抜ける程の静粛性、そして白黒はそのすぐ後を追ったはずなのに気配もろとも姿が消え失せるという敏捷性。それらを持ち合わせているなど露程にも思っていない白黒は、あんな場面で逃げられた時の対処なぞ当然出来はしない。

 そんな予想外の不意打ちにほんの少しだけ思考がフリーズした後、周りに誰もいない状況で白黒は声を枯らさんばかりに吼え猛るのであった。




 アサギが飛び出して数分後、白黒は冷静に己の精神を落ち着けていた。

「あぁーもうっ! 別に逃げなくてもいいじゃない! 何か一言ぐらい弁明してくれればそれで済ませたのに……」

 アサギが駆け抜けていった扉を見ながらポツリと呟く。

「……逃げた人の事をいつまで考えても仕方ないよね」

 アサギが逃げた事については、理由そのものは分かっているので大した心配はない、というよりそうなるに至った原因はほぼほぼアサギにあるので心配する道理が無い。

 そして、そんなしょうもない理由で前に進まないとなるとアサギに『ゲームをしに来ただけなのにそれすら出来ないのですか?』とか『社長の役にくらい立ってもらいたいものですね』など、非常にウンザリとした声で言われかねない。

「よしっ! 今日もいっちょ頑張らないと」

 頬を軽く叩いてやる気を注入すると剣を持って二日目のテストへと赴くのであった。

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