春─チューリップ

 

 

 僕と彼女のあいだに咲く

 ─チューリップ。


 共感する考え

 一緒に暮らし始めてもう何年目?


 朝を迎えふと気付くと、隣の彼女が……。

 僕に呆れて出て行ったの?


 昨夜のあれは淫夢だろうか。

 激しく求め合った感触が手に、下半身に、艶めかしく。温かい鼓動おと、柔らかく激しい息遣い、彼女の甘ったるい残り香が全身に纏わり付いていた。

 寝起きで重い顔を僕は手のひらで拭い、自身の体重を手に乗せ、シーツにもたれた。


 彼女がいた場所に残る、シーツの生温なまぬるさ。


 あっ、大丈夫だ。愛想は尽かされたかもだが、横にまだいてくれる。

 目視でも、相手にも確認した訳ではないのに身勝手な安堵感が胸に溢れた。


 彼女は低血圧で僕より先に起きることは先ず無いし、仕事の朝も僕が起こしている。

 ましてや今日は日曜日、いつも先に起きている僕が寝坊なことにびっくりしていた。


 ……昨夜のせいかな? 


 考えていると珈琲豆が挽かれる音がし、次に馨しさが鼻腔をこそぐる。


 ああ、やっぱりいてくれた。


 彼女がいると、思うだけで安心した。

 足を忍ばせ裸のまま、のそぉと部屋を開けるといきなり、罵詈雑言とクッションが降ってきた。


「ケダモノ! 淫魔! 性欲獣!」


 クッションを受け取り、僕は固まった。目玉が飛び出そうな衝撃を食らった。

 いや、罵られた言葉はもう慣れている。

 なぜって? 毎日交わす会話の中で彼女は思い通りにいかないと僕に雑言を浴びせるのだ。


 まあそんなことはどうでもいい。


 そこに驚いたのではなく、彼女がキッチンに立ち、珈琲と食事を用意してくれていることが重要なんだ。


「早く服着なさい」

「え、いやシャワーを」

「じゃ早くぅッ! イタタ」


 投げられたクッションで股間を隠していたが、腰を痛がる彼女を助けようと近づくとさらに、怒られた。


「今日はそんモノ、見るのイヤッ」

「あ!」


 僕は、裸だったことを思い出す。そして、喚く彼女の言葉であの悦楽は夢ではなかっと、悪びれずニヤけた。

 僕の表情に気が付いた彼女は手にある物を平然と、投げてきた。

 

 今度はマグカップだ。


 カップを受け留め置いたあと、僕はそそくさとシャワーを浴びに行く。

 蛇口を捻り頭から湯を垂らせる。彼女の感触が嘘でないこと、妄想では無かったことに、胸を撫で下ろす。

 そして目に焼きついたキッチンの立ち姿。久々の可愛いさに、奮えと笑いが止まらない。

 この感覚はあの時と同じ……で。

 

 ……彼女は覚えているだろうか?

 

 一緒に迎えた朝の暉

 一緒に迎えた楽しい朝食

 一緒に迎えた反省の日


 初めてあの日、酒カップに生けられた白く咲く。

 ───チューリップ。


 彼女と初めて夜を迎えた、あの日のことを……。


 「明日は休みだから存分に呑もう!」という計画を立て、土曜の昼から会うことにした。

 少し早いからと映画を一緒に観てそのあと、カフェでくつろぎ居酒屋へと。

 楽しすぎて色々とはしご酒をし過ぎてしまった。

 彼女も珍しく、その日はとぐろを巻く。

 おかわりする手は止まず、会社のこと、最近結婚した友達のことなどを吐き綴る。

 僕は怖くなり、水を飲ませ、温かい汁物を無理やり与え続けた。

 しゃっくりが止むことなく彼女の口から、零れる。


 正直面白かった。


 席から離れることなくゆっくり、ふらふら身体を揺らしお酒を呑む彼女は頭にネクタイを巻かせれば即、「中年オヤジ」に大変身だ。

 こんな事をいうと彼女は怒るだろう。でも本当にその通りの姿に成りそうだし、そこも含め可愛いんだから仕様がない。

 出会ってまだ数か月。


 僕は最初の頃より、彼女にノメッていた。


 完全に酔い潰れた彼女を背負い、僕は家に帰る。

 ここまで潰れる彼女は初めてだった。酒に強くないのは知っていたがこんなに、呑ませたこともない。

 もう深夜も深夜。彼女を送る足がない。タクシーだと料金掛かる。

 ……まあ僕の家で良いか。幸い彼女も一人暮らしだ、二人して親に心配される年でもない。


 ぽつぽつ歩いた。


 この距離だと僕の家まで歩いて帰れる。道中、ラブホテルが何件もあったが、彼女が起きて吐きでもしたら迷惑千万大変だしと、アレコレ考えながら帰路についた。


 もし彼女が……なんて、体の良い言い訳してるけど本当は嘘だ。ラブホに入った場合、僕の理性が持つか分かんない、いや保たないだろう。

 だってあそこはそういう場所だ。

 

 こんな彼女に手を出してもフェアではない。


 道縋ら背中に一瞬何かが当たり、引っ張られた気がした。後ろをちらっと覗いたが何もない。

 彼女も肩に頭を乗せ、普通に寝ていたから……、気のせいだと思い来た道も振り返らず、そのまま歩いた。


 立ち止まり……。振り返るべきだった。


 玄関につき、彼女の身体を背中から降ろすとゴトンと鈍い音がした。

 なんだろうと思い、彼女を覗き込むと何もないはずの手に花が握られている。

 真っ白で可愛いく、ぷっくりとしたチューリップが彼女の手で花開いてる。

 「いつの間に?」と思い、彼女の手から引き離す。暗い夜道の中、白く咲く花が眩く綺麗に、目の中に映えたのだろう。


 そしてそのまま握り、持ち帰った感じ?


 茎は折れてはいるがしっかりとした花弁がふわりとそこにあった。

 変なヤツと笑いつつ、それを取り上げようとするとなんか茶色い物体もある。


 茶? なんだろう、じめじめ湿っているような……。


 彼女の身体を軽く持ち上げ、腕をグイッと引っ張った。

 白い花を握る拳の先には黒い皮と土の塊をぶら下げた丸い球、球根があった。


 うわっ。これは……ダメな、やつだね?


 さすがに不味いのではと思ったが、場所もわからない。

 気持ち良さげに寝つく彼女をベッドに運び、明るくなってから来た道を探ればと思った。

 彼女が持っていた花は、酒カップの瓶に生けておいた。

 

 とりあえず球根ごと。


 ───朝。


 同じベッドで何事もなく、寝られたことに安堵する僕がいる。

 間違って手を出していたらどうしようかと、寝ては起きてを繰り返した相乗効果が良かったのかな。

 少し眠いけど。


 窓から差し込む光が彼女の顔を、優しく包む。

 柔らかい寝息を立てる桜唇にそっと触れ、頬から顎へと流れる導線に沿って撫でた。

 柔くほんのり赤みを帯びた頬だけが温く、首筋は冷やっこい。


 この子と本当に一緒に居たい。


 そう思った朝、横の彼女が目を開いた。

 くすっと微笑む彼女の潤む瞳を僕は、覗き込んだ。綺麗な茶色い輪郭に覆われた栗色の瞳が暉と一緒に僕を吸い込む。

 僕は彼女の額を撫でた。

 ポーとしていた彼女ががばっと、慌て起きた。服を確認し、頬を叩き、身体の異変を探していた。

 隣の僕は見ていて吹きそうになるも堪え、「何もしてないけどただ……」と言い、咳払いを一つ。枕元に生けてあった花を見せ、帰り道の話をした。

 黙って反省し、見つめ合う僕らは同じことを考えた。


「とにかく、シャワーでも浴びてくる? その間に朝食を用意するよ。パン派、飯派?」


 確認したあと用意を仕出す僕がいる。


 ……朝食をゆっくりとった後、チューリップを盗んだと思われる家を探し、見つけ謝ったっけ。


 ――懐かしい。な。


 フフッと笑い、シャワーを終え、頭にタオルを乗せた。

 ティシャツにスウェットと、ラフな装いで彼女の前に戻った僕は「おはよう」と、挨拶をした。

 「もうお昼だよ」と怒声口調で言われ、少し戸惑いつつもキッチン前の卓上席に。

 落ち着く僕の前に、珈琲とオニオンチキンサンドが出された。

 「なんか作りたくなって」と、ほくそ笑む彼女に「朝から珍しいね、僕の好物だ」と、返し微笑んだ。


「だからお昼!」


 頭を軽く叩かれた。

 サンドを食そうとした僕の目に、白い物がチラつく。


「ああ、ベランダで咲いていたのが折れちゃってて」

「昨晩、風でも吹いたかな?」


 会話のネタは白いチューリップ。持ち主に謝り、譲り受けたアイツチューリップは丁寧に扱われ、おかげで6つに増えた。

 ベランダに置かれたヤツはプランターで元気に肩を並べ、そよそよと風に遊ばれる。


 僕よりも重宝されてる?


 その内の一つが生き生きと目の前で、一輪挿しされている。

 瓶も変わらず、あの時のままだ。

 彼女曰く、落ちても割れないからが理由。


「……一緒に暮らす?」

「暮らしてるよ? バッカじゃない!!」


 強気発言の彼女に僕は、微笑した。

 昔を思い出す僕は彼女を誘った言葉をなぜか、零したくなった。

 同棲のキッカケになった白い花を横目に、彼女が動く音がする。

 一緒に暮らし始め、数年経つにも拘わらずキッチンに立つ回数の少ない彼女。


 その貴重な姿の所為だろうか。


 彼女と迎える食卓は久々に気持ちが良い。いつからか忘れたが、二人の時間は無言で過ごすのが当たり前になっていたが今日は違う。


 二人に珍しく風が吹いた。


 また前のようになるのかな? と淡い期待がチューリップの蕾のように、膨らんだ。



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