ロッキング・ユー・その4

「まだやってたんですか」というのが、二週間ぶりに二人を迎えた三月の意見だ。

 今日の氷野三月は珍しく校庭脇のベンチに黙って座り、空を観察していたらしい。

「張り込み?」と訊ねた楓に、

「宇宙からのメッセージを待っています」と三月はこたえ、

 楓の方にも「そうなんだ」と、FMラジオを聴くのが趣味と言われたくらいの反応しかない。

「解決しないんだよ、調査はどうなってるんだよ」とモミジは三月に詰め寄るが、三月の方には別に探偵をしているつもりも、依頼を受けたという認識もない。

「そういう細かいことはいいんだよ。何か考えてくれよ」とモミジ。

 三月は空へ向けていた視線を地上へ下ろし、

「いや、ふつうに考えると、犯人は楓さんってことになりません?」

 とひどく平和な調子で告げた。

「楓!?」とモミジ。

 モミジの視線を受けた楓は、「やっぱり、そうなるかあ……」と言いさしてから慌てて、「いや、身に覚えはないんだけど、これは記憶が消えるって案件だからさ。自分が犯人で、その記憶も消えてるってことはあるかもしれないなって」

「そこまでややこしく考えなくても」と三月。「色々確認し直すとですね、結局木下さんが誰かのことを気にしていたと証言してるのは、楓さんだけです。他に気づいた友人はいないし、木下さん当人にも自覚がない。もしですよ、木下さんが最初から誰のことも気にしていなかったとしたなら、話はとても簡単になる。単にそれっぽい手紙を用意しておいて、振る舞いがその前後で変わったと証言するだけでいい。『記憶が封印された』と考えるより、そっちの方が単純です。この場合、それをできたのは楓さんだけです」

「わたしにもできたんじゃない?」とモミジ。

 三月と楓は、自分の持ち込んだ騒動の犯人の候補に自分を挙げたモミジをしばし眺めて、また視線を戻した。

「それにほら」と軽く流されたモミジが食い下がる。「手紙を見てから、実際に体調が好転したのは事実なんだよ」

 ほら、とその場で軽くステップを踏んでみせる。

「手紙にラベンダーの香料でも振りかけたのかもしれないし、偶然なのかも、それまでモミジさんは毒を盛られていたのかもしれないし……」と三月が気のない調子で可能性を羅列しはじめる。

「わたしが犯人だとして」と楓。「なんのために、という説明は?」

「それこそどうにでも考えられます。いたずらなのかもしれないし、誰かから、モミジさんには気になる相手がいるか、いないならどんなタイプが気になるのかを調査してくれと頼まれたとか?」

「探偵はわたしだった、ってこと?」と楓。「記憶がなくなってると信じ込ませて、気になる相手を探させるなんて、手が込みすぎてない? 直接訊いた方がはやいよ」

「それはどうでしょう」と三月。「むしろ直接訊いても芳しい成果が得られなかったので、この犯行に及んだという線がありうる、といったあたりじゃないでしょうか」

「そうかあ……」と楓は考え込む。「わたしが犯人……それもまた運命か……」と言いかけて、「いや、その場合、自分が犯人だっていうわたしの記憶は誰が消したわけ?」

「消えていないです」と三月。「単に、あなたが嘘を言っているというだけです」

「そうかあ……」と思考の中へ沈み込んでいく楓を見送り、三月がモミジに向き直る。

「で結局、心当たりは見つからなかったんですか」

「全然」とモミジ。

「ほんとに?」と三月。

「完璧に」

「今この瞬間にも?」

「しつこいな」とモミジ。

「確認しましたからね」と三月。「気になる相手はみつからなかった」

「何で念を押すわけ」

 と訊ねるモミジの前で、三月が虚空から茶封筒をとり出してみせる。それはまるで手品のようで、無論手品に違いなかった。封筒が三月の手からモミジに渡される。

「なにこれ」と言いつつ、モミジが封筒から手紙を取り出す。一瞥して顔色が変わる。

「なになになにそれ」と思考の深淵から楓が這い登ってくる。

 呆然と立つモミジの手から手紙を取る。そこには、

「支払いを確認しました」

 の一文がある。


 木下モミジは思い出す。

「わたしが好きだったのは」

 とわざとらしい間を挟む。

「君だ」

 と突きつけられた指の先には三月がいる。

「知ってます」と三月が深くため息をつく。「ほらやっぱり勘違いだったんですよ。記憶を消してやり直したら、別に好きにもならなかったでしょ」

「ええと」と楓。「つまり、この件の犯人は氷野三月?」

「解説役は木下さんが自分でできると思います」と三月。「もう思い出したはずですから」


 木下モミジが氷野三月に目を止めたのは、先月半ばのことである。

 三月としては、木下モミジの気持ちは「一時的な気の迷いである」と判断し、モミジは無論反論した。告白という名の話し合いが平行線をたどったのち、「だったら、もう一度やってみて下さい」と三月が言い出し、その結果展開されたのが今回の事件ということになる。氷野三月は持ち前のナノセンサ技術を応用して、モミジにおける三月の印象部分だけを暗号化する。トリガーはモミジが受け取った手紙、解凍のトリガーは一定時間の経過か、「支払いを確認しました」の一文とする。

「いや、待ってそんな、人の記憶を自由にするなんて技術はナシだって前」と楓。「インジケータだって青だったじゃない」

「確かに、どんな相手のどんな記憶でも自由にするって感じの操作は無理だけど、特定の誰かの特定の記憶、しかも『当人がその封印に同意してる場合』の『一時的な』処置は可能なわけ。それは『正常な動作』だから、インジケータも反応しない」

 とモミジが滔々と解説していく。

「つまり、氷野三月と木下モミジは賭けをしたんだな。氷野三月との記憶を消した状態でもう一度出会ったときに、木下モミジはまたおんなじように氷野三月を好きになるのかって」

「……なんでモミジがそんなに得意げに解説してるわけ」と楓。

「え、まあ……解説役がふられたから?」とモミジ。

「でもだよ」と楓。「いくら当人の承諾があったからって、記憶をそんな風に変えるなんて」

「まあ、ふつうは無理なんですが」と三月。「荒森をうまく使えば」

 情報部は、荒森関連の事象を扱う部活だ。確かに以前、楓自身が巻き込まれた「緑の切り株事件」も荒森にまつわる出来事だった。

「荒森で」と楓。

「そういうことが可能なんです」と三月。

「その場合、支払いっていうのは」と楓。

「それは当然、『木下モミジ』が負けを認めることが、『身代金』の『支払い』になる。負けを認めることで、賭けの条件が開示される」とモミジ。

「ってわけなんですよ」と三月が退屈そうに言う。

「ええと……結局……」と楓は再び思考を回転させはじめる。「わたしって、二人の茶番につきあわされただけなんじゃない? というか、氷野三月!」

 と楓の指が三月へと突きつけられる。

「あなたもしかして、モミジのことが好きなの?」

「そうですよ」とこともなげに三月はこたえた。「どうしてそんなこともわからないんです?」

「はい?」と気合いの抜けた声にならない音を鼻から発し、モミジが咳きこむ。

 三月と楓、二人の視線が揃ってモミジへ向けられる。自分は一体この瞬間、氷野三月のことをどう感じているべきなのか、モミジにはもうわからなかった。

 いや、わかってた。

「わかったよ」とモミジは不承不承、言う。「今度はちゃんと好きになるように頑張ってみる」

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