花とスキャナー・その2

 学校から街へ向けては、だらだらと坂が続いており、放課後の中途半端な時間、歩道を歩いているのはハルカナと好一だけで、ときおり思い出したように無人運転の白い軽トラックが通りすぎていく。吹奏楽部の練習の音が遠ざかる。

 地面からはあれほど大きく見えたコウモリ傘も、好一が持つとちょうどよい長さの杖程度のものでしかなく、ハルカナは自転車を押し、好一は晴天には似つかわしくない傘をついて傍らを進む。好一は傘を、読書のためだけに持ち出してきた。


 ハルカナの依頼に好一は、

「いいよ」

 と間髪を挟まずこたえ、

「いいの」

 とハルカナの方が訊ね返した。ここは気まずい沈黙が流れてしかるべきところ、劇的な展開へ向けた溜めがあるはずの場面であって、快諾は予想しなかった。

「別にいいよ」と笑う好一の顔に屈託はなく、しかし少し残念という気配はあって、もっと意外で面白い話を好一としては期待していた。

「いいよって、でも」とハルカナはまだ着地しきれず、「なんかこうもう少し、理由や動機の説明とか、撮影データの取り扱いとかレギュレーションとか」

「でもさ」と好一は心底不思議だという顔つきができる。「ハルカナが撮りたいっていうなら別にいいよ」

 二人は果たしてそれほど分かり合い、踏み込み合った仲だったろうかとハルカナは記憶を探る。一年生のときに同じクラスになったことがあるだけの、それはまあ言葉を交わしたりしたことはあるはずなのだが、内容さえも思い出せない曖昧ごとで、何かの班で一緒になったということもなければ、今日この日まで相手の名前を上下を問わず呼んだこともなかったと思う。

「……ハルカナ?」

 とハルカナは問う。

「あれ」と好一。「春日さん、みんなにそう呼ばれてるでしょ。だから構わないかと思ったんだけど」

「構いません」と無論、ハルカナも強く肯定する。

「うん、まあ」という好一の顔には困惑があり、照れの要素は見当たらない。「よく頼まれるよ」

 ハルカナとしてはこれまで想像してみたこともなかったが、言われてみれば意外ではない。無論、当然そうなのだ。むしろどうして自分がそれを考えたこともなかったのかが不思議でさえある。腑に落ちる。だからそれが意外でもなく、残念でもない。

「多分、データのやりとりもされてるだろうから、そっちから手に入れる方が早くて、綺麗なデータかも……」

 という好一のぼやき口調へ、

「駄目」とハルカナの言葉が割り込む。「それじゃ駄目」とハルカナは言葉にできる限りの力をこめる。力の入れ具合によって好一の気持ちが変わると信じているようにして。

「そういうこともあるかもね」と好一。突き合わせていた顔をようやく少し後ろへ引き、絡み合っていた視線を外す。

「じゃあ、どこで撮る? 格好は? 脱いだ方がいい?」と訊ねる口調は平常で、照れも衒いもからかいもない。

 ハルカナの方が多少慌てて、

「脱がなくていい」と急いでこたえる。「ちょっとついてきて欲しいところはある」

「いいね」と好一。「人に誘われてどこかへ行くのはとてもいい」と警戒感のない調子で続け、まだ文庫本のページに挟んだままだった指を抜いて立ち上がった。


「まあ着衣ってケースも多いけど」と坂道をゆっくり進む好一は言う。「やっぱり裸の方が依頼は多いよ」

「それは一体、どのあたりまで」と自転車のハンドルを握り直したハルカナが問い、「後学のため」とつけ加える。

「まあ、全部」と好一はこたえ、

「全部かあ」とハルカナは自分の度胸の持ち合わせを計測してみる。撮るにせよ撮られるにせよ、裸の3Dデータのスキャンは、ただ全裸を撮影するより気恥ずかしいのではないかと思う。

「どうだろう」というのが好一の意見で、「どっちかっていうと、写真の方が気まずくない? スキャンはなんていうかデータの提供って感じがするし、CTやMRIやレントゲン写真を恥ずかしがったりしない感覚?」

 そう言ってから「いや、レントゲンは微妙か?」と自問で締めた。

 ハルカナの返答は待たずに、「それに」と続ける。

「着衣のデータから服をはがしていくよりも、裸のデータに服を着せていく方が簡単じゃない?」

 その好一の言葉の意味をハルカナはうまく捉えられない。ああなるほど、と思いつく。好一が想像しているデータは、着せ替え人形みたいなやつで、それなら最初から裸のデータを撮る方が手っ取り早いと言っている。

「……服を着せるために脱いでもらう?」とハルカナ。

「着せないままってこともあると思うけど。誰かをスキャンするのははじめて?」

「そうだね」とハルカナ。

「やり方は、わかる?」

「調べたから」

「じゃあよかった」と好一は言う。「たまにこっちが操作を教えてあげなきゃいけないことがあってさ」

 実際のところは、誰かをモデルに3Dのスキャンデータを制作するのに、難しいところなんてありはしない。携帯端末をかざしながら対象の周りをゆっくり回っていくだけで、手ブレも自動補正されるし、欠けている場所を勝手に埋めてくれもする。正面像だけから背中の像を勝手に作り出してさえくれる。

 対象が目の前でじっとしていて、デフォルトの設定でデフォルトのモデルを得るだけだったら、何も考える必要はない。相手が遠くにいるだとか、高速で移動していたり、あの日の左側からの撮影像とこの日の右側からの撮影像を統合するとかいう話になると、それなりに工夫は必要となる。使うことより、ソフトウェアを起動するアイコンを探す方が手間だったりする。

 社会通念上、相手に無断でスキャンをするのは厳禁とされる。それでもやっぱり気になる相手のスキャンデータと一緒にいることを望む者はあとを絶たない。だがしかし、当人に正面切って直接頼む人がそんなにいるものだったとは、ハルカナとしては全く予想してもいなかった。

「そのへんは、堂々と言ってもらった方がありがたいよ」というのが好一の見解であり、「どうせ許可しようとしまいと、撮られるときは撮られるんだよ。着衣だろうが脱衣だろうが、その気になれば充分にそれっぽいデータを作れるわけで、写真一枚、なんならゼロから想像だけで、いまどきなんでも作れるでしょ」

「そんなことは」とハルカナは言う。「ないんだよ」

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