第3話  智

智とは同士だった。

音楽という道を歩む同士。

裏を返せば、同士となり得る、戦いを繰り広げていた。

戦いは儚い自分との戦いだ。

その先に見えるものが大きな物なら、それは自分の中の欲望や、損得、将来などを天秤にかけて戦う。

でもあたしたち、は負け戦を承知で進もうとする。

その状態での戦いは自分との戦いと言っても、その精神的辛さははるかに大きい。

そういうものを分かち合って来たのが智だった。

ようはどちらも大したプレイヤーではないということだ。


あたしは考えた。

あたしは、見舞いに行くべきか、行かないべきか、別に智と喧嘩別れをしたわけではない。

お互いに嫌いになったと言うことではないのだ。


学校は名古屋の郊外にある。

近くには小牧城がある、当然家も愛知なのか、岐阜なのかわからないあたりに住んでいる。

おかげで名古屋に出ることは割と珍しい。

大須に楽器のメンテに行く子は多いけど、あたしはピアノだから、行くではなく、来てもらう。

だから、聡子から、大きくてわかりやすい病院だと聞かされても、やっぱりあたしは迷ってしまった。

やっとの思いで着いてみると、言うほど大きい病院でもなかった。


智は同志ではあったが、確かに彼氏でもあった。

あたしはピアノ。

智はサックスだった。

智もあたし同様大した腕ではない。

ソリストはもちろんのこと、音楽で食べて行くなんて夢のまた夢、智もあたしと一緒、四年間自分を騙してきた。

ソリストになれないことなど、とっくに分かっていたのに、音楽をやってきた 。

ソリストになれないなら、割り切って在学の4年間だけでも音楽をやるか、スッパリ諦めるかという選択を迫られるが、そのどちらも出来なかったのがあたし達だ。

でもまだましな方だとも言える。

そこそこのレベルで、なまじ自分は出来る人間なんだと思って音大に入り、初めて自分のレベルを知ると、それは悲惨だ。

初めからピアノが好きだから、四年間だけと割り切ってやるなら大いなる充実と満足感で大学を卒業できるが、何かを得られる、という自信で来ると、何も得られなかった時のダメージはあまりに大きい。


あたしはずっとピアノを習っていた。

割といい線行っていたと自負している。

地元ではあたしより上手な子はいなかった。

合唱とかがあれば必ずあたしがピアノを弾いた。

普通は学年に何人かはピアノをやっている子が居るから、そいう子がピアノを弾くが、なぜか他学年の合唱とかにも借り出された。

おかげで変な自信と勘違いが生まれ、音大に入るまでは漠然と自分は出来る子だと思っていた。

あわよくばピアニストなんてね。



久しぶりに会う智はすこぶる元気そうだった。

だからこそ足を固定されて身動きが取れない事が嫌で嫌で仕方なかったようで、付き合っていた頃には見せることのなかったほどの喜びが全身から溢れ出ていた。

喜びというものはこうも表現が出来るんだと逆に驚いたくらいだった。

でもそれを覆い隠すように、と言ってもぜんぜんかくれていないんだけれど。

「おお、久しぶりだな、元気だったか」なんて言って来る。

まあ仕方がないので、あたしも。

「どうしたの、心配したんだから。何があったの」なんてさも心配そうに言ってみる。

「ゴメンな心配かけて、でも大丈夫だから」

かくしてあたしは聡子の術中にハマり、智の世話をすることになった。

なぜあたしがと言うと、智の実家は東京で、誰もきてくれないらしい。

だから智のそばにいることの理由はできたのだ。

なぜ智と別れたのかと言われれば正直なところよく分からない。

音楽で繋がっていたとは思わないが、もしかしたらそういうことなのかもしれない。

あたしと智は同志だったから、夢が無くなるとあたしたちは一緒に居る理由を見出す事が出来なくなっていた。

そのまま一緒にいればあたしたちは、キズを舐め合うだけの関係になるのではないかと思った。

でも傷を舐め合う関係でもいいかなと最近は思えるようになってきた。

所詮ピアノとサックスが演奏できる一般の人なんだから。


それからあたしは学校が終ると智の病院へ通うようになった。

毎日、智と話をすると、なにかが違って来ていた。

なぜあたしたちは別れたのか。

正直あの頃は理由は分からなかった。

あえて言うなら、本当になんとなくだった。

お互いに距離をおき、自然に離れて行った。

今、智と一緒に居て今更ながら分かったのは、あたしたちは音楽で繋がっていたと思っていたから、音楽に目処がついた今、一緒にいても意味がないと思って別れたと言うことだった。

ところが聡と向き合い、いろいろと話て、さらにわかったのは、あたしたちの間に音楽がないと、とても素直に様々な話をすることが出来る、と言うことだった。

そしてそれは智の新しい一面を見ることになった。

おそらく智も同じように感じていたと思う。

そうあたしたちは音楽が無くなって、初めて、本当の意味で付き合っている、そんな感じがしていた。


就職をしないあたしは暇だ。


あたしは学校が終わると智のところに行くことが日課になった。

あたしたちの間に音楽がなくなると、話す内容の全てが新鮮だった。

音楽が介在すると、お互いにさまざまに背伸びをしていた。

知らなかったことを知っていると言ったり。

出来ないことを出来ると言ったり。

全然つまらなかったものを、面白かったと言ったり。

勉強になったとか、興味深いとか。

今度取り入れようと、これみよがしに口走ったり。

そう言うものがなくなった。

智は本当のあたしを見てくれて、あたしは本当の智を見ることが出来た。

まるで今、付きあい始めたかのようだった。


毎日のように智のところに顔を出していると、なんとなくこの病院のことが、まるで自分の居場所のようになってくる。

なんて自分は順応性が高いんだと思った。

なんだかこの病院にいると心が落ち着く。

智の横でテレビを見たり、談話室で雑誌を読んだり、ここで時間を潰していることが、こんなに心が安らぐことにあたし自身驚いていた。

でもちょっと考えてみると、あたしは智の横にいるので、心が落ち着いているのか、本当に順応性が高いのか疑問になった。


自販機でお茶を買おうとして、いまどき珍しい当たり付きの自販機があった。

お金を入れて、お目当ての物を買うと、ガタといって下に落ちてくる、そして抽選が始まり、全てのボタンが順番に点滅して行く、そして当たるともう一回全てのボタンが光る。その日私の身にそれが起こった。

私は大喜びで、次は甘い紅茶のボタンを押した。

そしてもう一回全てのボタンが点滅して最後にもう一回全てのボタンのランプがついた。なんてついているんだろう、今日のあたしは無敵だと思った次の瞬間、そこまで世の中甘くないと思い返した。

なんのことない、千円入れているから、お金がなくなるまで飲み物が出続けると言うことだ。

かくして私は、必要のない飲み物を余分に買ってしまった。

ちょうどその時前をサラが通った。

「あっサラ」と私は浅黒い顔の女の子に声をかけた。

まあ浅黒いということでは、人のことは言えないんだけれど、あたしも聡子から黒いね、日サロと言われたことがあるんだから。

「なに」と女の子があたしの方を見る。

「お疲れ、これあげるよ」と言って甘い方の紅茶を差し出した。

「ありがとう、というかなんで」とサラはいぶかしんでいる。

「話すと長くなるんだよね。」

「じゃ、別にいいよ」

「違うでしょう、そういう時は長くてもいいよって、言うものでしょう」

「そんなに面白い話なの」

「あたしの失敗談を面白いというならね」

「じゃあ簡単に話してよ、と言いたいところだけど、時間がない」

「あっそうかじゃあ後で長く話してあげるね」

サラは背が高くすらっとしている。

顔はエスニックというかあたしが言うなってところだけれど、ぱっと見モデルぽくも見えなくもない。


サラはフィリピンから看護を学ぶために、留学生として、この病院にきている。

はじめそのことを知らずにいた。

ある時、遠くから

「サラちゃん」と呼ばれた。

私は「ハイ」という返事をした、ところがほぼ同じタイミングで「はい」と返事をする別の声が聞こえた。

それがサラだった。

そして声がハモった。

おどろいたのは声をかけたベテランの看護師で私たち二人をみて大笑いをした。

そして私たちもお互いを見てさらにおかしくて二人で笑いあった。

この時点であたしとサラは、友達になったのだ。

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