memory.3 昏く匂い立つ深淵に向き合えば染まる

 経費で借りたレンタカーで空港に向かう途中、俺は耐えきれなくなって呟いた。


「……なんなんすかここは」

「なにって、警察の、一部署」


 乙女おとめさんはハンドルを握りながらこともなげに答えた。


「そうっすね。そうでした。俺は警官で、この部署に飛ばされてきた。そうでしたよ」


 初仕事を終えて、俺は吐いた。

 不法入国者が起こした誘拐事件だ。

 人間に似ていた。でも人間じゃない。そういうものと会話した。

 返してくれ、この国の法律では、研究目的で人間を捕まえてはならない。

 人間のような見た目の白尽くめの連中にハッキリ伝えたんだ。

 帰ってきたよ、行方不明者は。


「なに? もしかして死体見て気持ち悪くなっちゃった? コワモテに見えて可愛いんだ」

「死んでなかったでしょう」


 そうだよ。

 そうだった。

 あの自然保護活動家だかなんだかは……。


「あれは、死んでなかったでしょ……?」


 、俺は。


「そうだったね、ついでに私たちも死んでいない。君が相手に拳銃を抜こうとした時は本当にどうしようかと思ったよ。死んでもおかしくなかったからね、りんくん」


 鏡に映る乙女さんの目がを見れば分かる。怒っている。当たり前だ。


「……すいませんっした」

「ひひっ、よく謝った。許しちゃるぞ坊主」


 それから、まるで子供みたいに笑う。


「あの、乙女さん」

「どしたー?」

「俺、ここでやっていけるかわからないっす。また迷惑かけて、乙女さんまで危ない目に合わせるかもしれません」

「あ~いいのいいの、気にしねーで。生きてるんだから及第点。むしろいきなり『この職場は最高です! 一生懸命頑張ります!』とか言う方が危ないのよ」

「そうなんすか?」

「昔ちょっとねえ~、今の所長とかも若いうちは結構そういう所あったし、ともかく初回から俺はできるぞ~って子が危ない」


 そういうことを言い出す連中はまあ間違いなく異常者だろう。

 つまり、俺の上司にあたる天ヶ瀬所長は異常者か……泣けるな。


「少しだけ、気が楽になりましたよ」

「良かった~! ってかさぁ、あれだぁわよ? 倫くんはこの職場で、私と、何したい?」


 デートって気分じゃない。少なくとも、今は。


「俺は……市民守って、悪いやつぶっとばしたいっすねぇ……」

「おっ、い~じゃん。それだよそれぇ。真っ先にそれが出るなら良いと思う。デートとか言ったら空港着く前に北海道の原野に放り出してたよ」

「勘弁してください。せめて日本国内で放り出してください」

「きゃははははは! あいでみほら見て、空港見えてきた」

「おっ、貴重な文明の気配っすわ」

「帰りもそのファイル、読み込んでおいてね。東京戻ったらまた事件だから」

「あーあ、ラーメン食いたかったなあ、北海道」

「東京帰ったら姉ねえが奢ってやる。たんまり食え若造」

「うっす、ごちになります」

「いっぱい食べてまっすぐ育てよ~! いい子に育てよ~!」


 なお、乙女さんの奢ってくれるラーメンというのが――ニンニクマシマシデカ盛りのラーメンに似た何かだと知るのは――この日の夜のことだ。


「ところで乙女さん」

「なあに?」

「このページなんすか、読めません」

「えへぇ……」


 俺の言葉で、乙女さんはわらう。化け物のように、悪魔のように、人でなしのように、そもそも彼女だって異常存在なのだから、と同じなのだから、忘れていた忘れていた忘れていたかった。


「倫くんはぁ……」

「それって――」


 ニカッ、と彼女はいつも通りの朗らかな笑みを見せた。


「良かった~! じゃあいいんだ! 仕方ないなあこっちでラーメン食ってくかあ近くに良い店あったかなあオッケーグーグルラーメン屋レッツゴー! ひゅーっ!」


 車は加速していく。北海道の公道に制限速度は無いらしい。俺は『“     ”』と書かれたページを閉じて、次のページを開いた。

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