エピローグ 春の海でⅡ

「お」


「あ」


「げ」 


 春の海で、うっかり双子の姉と再会した。姉の元カノと一緒に。

 海辺の遊歩道を歩く一果は、綺麗めのパンツスタイルを着こなしていた。以前顔を合わせたときとは、化粧の質も変わっている。朝焼けが昇る海で出逢った彼女は、魔性の女と呼ぶには随分と凛々しかった。

 印象の変化は、服装のせいだけじゃない。もっと大きくて分かりやすい差異もある。


「髪、切ったんですね」


 呟くように、はこべが言った。

 肩に届いていた姉の髪は、ばっさりと短くなっていた。すっきりとしたショートカットが、そよそよと潮風に揺れている。露わになった耳朶に、小さなピアスが光っていた。


「そうだよ、はこべちゃん。どうかな?」


「……似合ってる、とは、思います」


 一果の唇が綻ぶ。そうすると、生来の愛嬌が凛々しさを駆逐した。相変わらずとんでもない女だ。この表情ひとつで、一体何人の心を奪えるだろう。私には、ここまで完璧な笑顔は作れない。


「ありがとね。お世辞でも嬉しい。あと、」


 一果が、目をすがめた。視線の先には、はこべの髪がある。

 かつて、夜明け前のような藍色に染まっていたそこは、今、朝日を浴びて紅く燃えていた。


「はこべちゃんも、似合ってる」


「ど、う、も」


「なぁんで次乃が返事するかな」


「うっさいな。さっさとどっか行きなよ、馬鹿姉」


 シッシッと追い払う真似をすると、一果は苦笑いした。


「冷たいなぁ、次乃は。ねえ、はこべちゃん。こんな奴やめてさ、うち来ない? 最近芹と喧嘩しちゃってさあ、私、どうにも自炊だけは下手で」


「人の彼女を家政婦扱いすんな、阿呆姉」


「姉さんと? 何かあったんですか?」


 私たちの言葉に、一果はわざとらしく肩をすくめた。

 

「いや、ちょっと子猫を飼おうと思ったんだけどね。芹に猛反対されちゃって」


「……姉さん、猫好きですけど」


「あははー」


 笑い方に脈絡と抑揚が無さすぎて怖い。その子猫って、本当に子猫だろうなお前。人間だったりしないだろうな。さすがにそれはいくらなんでも発想の飛躍か。


「で、どう?」


 と、一果が尋ねた。はこべに向けて。


「うちに来ない?」


 朝日を浴びたはこべの瞳孔が、僅かに収縮した。 

 ほんの少し前の彼女なら、きっと、喉から手が出るほど欲しい言葉だったろう。焦がれに焦がれて、一人で荒野を彷徨いながら、分かりきっている偽物に手を伸ばしてしまうくらいに、魂の底から求めていた言葉の筈だった。

 けれど、はこべは、迷わずに首を振った。


「やめておきます」


「そっか」


 さして残念そうでもなく、一果は頷いた。

 私はちらりと海を見て、そっと息を吐いた。日が昇る海は、宝石を砕いて振りまいたかのように煌めいている。

 はこべが続けた。


「姉さんに恨まれますし、それに」


 荒野を歩いていた少女が笑う。

 潮風に黒赤二色の髪を遊ばせて、弾むように。

 他の誰でもなく、私の隣で。


「私は、次乃さんの彼女ですから」


  (完)




 

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