第一章「夢の帆船」⑤

 改めて相対してみると、秋人の容姿はナツキとよく似ていた。

 その肌はとにかく透き通るように白い。

 顎の周りには髭の一本すら生えていないように見える。

 四角い眼鏡の奥にある瞳は吸い込まれそうに黒く、まつ毛が長い。

 厳密には兄妹ではない、とはナツキと秋人の双方が言っていた事だが、二人は何かしらの血縁関係にあるのではないか、とついりは思った。

 テーブルを挟んで対面に正座した秋人が、手際よくお茶の準備を始めているその姿を見つめていて、ついりは思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまった。

 こんなにキレイな男の人の顔を間近で見たのは初めてのことだった。

「では、吹奏楽部の部員全員が一度に眠りに落ちたわけではないんですね」

「はい。詳しい日時までは覚えていませんが。……だいたい、ひと月に一人ぐらいです」

「なるほど。何か法則があるのかもしれませんね。詳しくは、僕の方でも調べてみます」

 普通の大人には信じてもらえそうもない、ついりの話をひとつも笑い飛ばそうとせず、真剣に耳を傾けていた。

 確かに、何度かこういった異変に関わってきた経験があるのだろう。

 ついりの話す、断片的な記憶や、確証に足らない推量を、秋人はひとつひとつ整理していった。

「例の夢の内容なのですが、夢の中でついりさんがいた場所に見覚えはありますか? 自分の記憶だけではなく、例えば……絵葉書に描かれた風景だとか」

「いえ……私には、ないです。他の子はわかりませんけど」

「眠ってしまった他の生徒は、夢の事をなんと言っていましたか」

「灯台がある夜の海辺で、船を待っている夢。私もそれぐらいしか聞いていないので、詳しいことはなんとも……」

「海辺に雨は降っていましたか? 雲は、どうでしょうか」

「いえ、晴れていたと思います。空には月が出ていて……」

「月の形……月齢は、覚えていますか?」

 秋人は、手にもったノック式のボールペンをカチカチと鳴らした。

「うーん……半円、だったような」

 ついりがそう答えると、秋人は壁にかけられたカレンダーに目をやった。

 じっとそれを眺めていた秋人は

「上弦の月か……まだ時間はあるかな」

 と、小さく呟いた。

「できれば、もう少し夢の詳細を……」

 と秋人が続けたところで、奥の部屋に続く扉がスーっと開いた。

「アニキー。俺、今日の夜ついりんの家に泊まるから。いいよな」

 制服から着替えたナツキが、自分の部屋から出てきた所だった。

 その艶やかさに、ついりは思わず目を引かれる。

 ナツキが纏っていたのは、ゆったりとしたシルエットのえんじ色のニットだった。それにフェイクレザーの黒いキュロットパンツを合わせている。

 キュロットからすらりと伸びた足は、雑誌で見るモデルのように白くて細かった。

「夢の内容調べるんなら、隣で一緒に眠ってみるのが一番いいでしょ。もしかしたら、俺も一緒にその夢を見るかもしれないし」

 ナツキの方を向いた秋人は、先ほどのように眉間に深い皺を刻んだ。

 ついりとしては、ナツキが家に泊まりに来ることに抵抗は無かった。突然の申し出でビックリはしたが、願ってもない話だ。

 けれど、秋人の表情を見たところ、彼にとってはあまり良い提案ではないのかもしれなかった。ついりは、ヒヤヒヤとした。

「……脚を出し過ぎだ」

 秋人はぼそっと呟いた。ついりは思わず「え?」と声が出る。

「着替えろ。その丈はダメだ。見え過ぎる」

 眼鏡を外し、眉間を強く抑えながら秋人はため息をつくようにそう言った。どうやら、着替えたナツキの私服が気に入らない様子だった。

「なんでだよ! これ、キュロットだぞ。大丈夫だよ、見えねえよ」

「ダメだ。際どい」

「際どくねえよ。膝よりちょっと上なくらいじゃん」

 そう言ってナツキはキュロットパンツの裾をつまみ、少し広げて見せる。

「わあああ、やめろおおおお!」

 秋人は突然立ち上がり、先程まで自分の尻の下に敷いていた座布団を手に持って、それをナツキの膝のあたりに押しつけた。

「わっ! 何すんだ、クソアニキ!」

 その勢いで、ナツキは床に倒れ込む。

 ドタバタと揉めている二人の姿を、ついりは唖然と眺めていた。

 転がったナツキの太ももの辺りで、何かがキラリと光を反射したように見えた。

 ついりには、その光の正体が何なのかは分からなかった。


 「……でも、ついりさんはそれで大丈夫なんですか?」

 揉みくちゃになってズレた眼鏡と乱れた髪の毛を整えながら、秋人は尋ねた。

 その隣には、不満そうに頬を膨らませたナツキが座っている。ナツキのスカートは、膝下まで丈があるスポーティなデザインのものに変えられていた。

「あぁ、はい。私も、隣に誰かがいてもらえると心強いですし……」

「けれども、ついりさんは年頃の女性ですから、部屋にこいつを泊めるというのは、色々と問題もあるでしょう。親御さんも何とおっしゃるか……」

「親は、何も言わないと思います。あの人たち、私にはあまり興味がないんです」

 ついりは、母親のぼんやりと澱んだ瞳を思い出した。幽鬼のように存在感が薄く、家族として言葉を交わす事もほとんど無い。いつからこうなってしまったのだろう。それを明確に思い出すことは出来ない。

「別に同じ布団に入って眠るわけでも無いし、いいじゃん。ついりんもこう言ってるんだからさぁ」

 秋人が用意した、かりんとう饅頭を口に運びながら、ナツキは言う。

「同じ布団なんて、ダメに決まっているだろう。寝袋を用意するから、それを持っていきなさい。歯磨きセットも忘れずに」

「うるっさいなー、わかってるよ」

 ナツキはもうウンザリといった表情を浮かべて、饅頭の包装紙をクシャっと握り潰した。

 まるで口うるさい母親に指図されている娘のようだな、とついりは思った。幼い子供のようなナツキの態度は見ていて微笑ましい。

「とにかく、ご両親にもきちんと事情を説明するんだぞ。大切な娘の部屋に見たこともない男がいたんじゃあ、ビックリするだろう」

「わざわざ男だって言わなきゃいいんじゃん。同性の高校生同士のお泊まりにしか見えないって。それなら別におかしなことでもないでしょ?」

「言わなきゃいい、ってお前なぁ」

「大丈夫だって。俺、こんなに可愛いんだから。誰が見たって可憐な女子高生でしょう。ねぇ、ついりん」

 可愛らしく小首を傾げながら、ナツキはついりにそう問いかけた。

 ええ、もちろん。そう言いかけたついりの頭に、何かが引っかかった。

 男?

 誰が?

「え、え、あの」

 動揺して、言葉が出てこなかった。

 目の前では、黒髪の美少女が首を傾げている。吸い込まれそうな瞳、長い睫毛、透き通るような白い肌。

 校内でまことしやかに噂されている、幻の女生徒。

 ……マボロシって、そういうこと?

「あの、お、お、男?」

 震える指でナツキをさして、ついりはゆっくりと秋人の方を向き、引き攣った表情を見せる。

 ついりの挙動を見て察した明人は、ナツキの方を向いてこう尋ねた。

「お前、まさか言ってなかったのか?」

 当のナツキは、キョトンとして

「あれ、ついりんには言ってなかったっけ。俺、男だよ。男子、男子」

 と言った。

 ついりは、あんぐりと口を開け、そのまま停止した。

 この美しい少女が、オトコ……。

 本当に驚愕すると人間は何の言葉も出ないものなのだ。

 ついりはこの時、初めてそれを実感した。

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