第41話 フサフサ尻尾にご用心

「少しは大人しくしてろ、ジャック」

「ぴぎゅっ」 


 興奮するジャックの耳を摘まんで大人しくさせてから、俺は改めて横道両側の壁画に目を向けた。ちょうど目線の高さの所に、古代文字で記された短文が流れてくる。


 ……ふむ、ちょっと試してみるか。


 俺はブックホルスターの赤本から新しくページを抜き取り、手綱を二本とも左腕に巻き付けて、空いた右手を膝の上に置いた紙にあてがう。


「シバケン? 何か、【念写】するの?」

「ああ。この古代文字がなんて書いてあるのか気になってな。紀行文のネタになるかもしれないし、ちょっと見てみようと思ってさ」


 さして興味なさそうに「ふーん」と鼻を鳴らすジャックの横で、シビルが眉をひそめた。


「……【念写】? シバケンは一体、何をするつもりなのだ?」

「ボクもよくわかっちゃいないけど、でも結構面白いよ? まぁ、見てなって」


 ジャックの曖昧な返答に更に怪訝な表情を浮かべつつも、シビルは俺の右手に興味深げな視線を注いできた。


「ほい、【念写】っと」


 青白い光が俺の頭を包み、そのまま腕、手のひらと移動していって、最後には白紙のメモ用紙が光に包まれると、数秒もしない内に、紙に文字が映し出された。


「えっと……『主神ビアヌスが七日七晩にわたり作りたもうたデュルベッヘラーの地に、遠きドレイハウングの丘より我らついに帰還せり。かの地は喜びに満たされた――』」


 う~ん、何の事やらさっぱりだ。

 こんな時、ムチを武器にする学者の皮を被った異能生存体の人とかにかかれば簡単なのだろうが、俺はあくまでも物書きであり考古学者ではない。


「ダメだ。俺にはさっぱり意味がわから――」

「シバケン! お前、古代文字が解読できるのか!?」


 メモ用紙を折ってナップザックにしまおうとすると、今度はシビルが興奮気味に詰め寄って来た。突然のことに、ジャックもラヴラもきょとんとした顔でシビルを見やる。


「ちょ、ちょっと落ち着けって。たしかに読めはしたけど、解けはしないって。急にどうしたんだよ?」


 俺が言うと、シビルが「す、すまん」と一言謝ってから、再度俺に問い直した。


「……『デュルベッヘラー』というのは、たしかこのバーニーズ山脈の古い名だ。シバケン、お前、その【念写】とかいう技能で今、古代文字を公用語に翻訳したのか?」


 やけに真剣な雰囲気のシビルに、俺は緊張気味に頷いた。

 前に、ウィペット村の宿屋で俺がジャックの前でエロゲのシナリオを【念写】した時、原文が日本語である筈の文字が自動でアイベル公用語に変換されていた。

 さっきはそれを思い出し、同じ要領でやってみたのだ。


「そうか……」


 俺の説明を一通り聞き終わったシビルは、しばらくの間腕組みをして何やら逡巡してから、大きな溜息とともに深々と頭を下げた。


「すまない、皆。やはり俺と一緒にラサ・アプソまで来てくれないか? 後生だ」


 ※ ※ ※ ※


 道端の所々に雪が積もっている景色が増え、さすがにパーカーだけでは寒くなりジャックに作って貰った厚手のローブを着込んだところで、雪の山道の向こうにアーチ状の建築物が見えてきた。ラサ・アプソ村の入り口だ。


 そろそろ陽も暮れるということもあり、両側でたいまつの炎が揺らめくレンガ造りのアーチを抜けると、すぐに村の中央広場があった。


 円形の広場の外周には広場に面するように民家や酒場が立ち並んでいるが、あまり人の気配はない。


「ここが、ラサ・アプソ村……本当に、全然人気がありませんね」

「流行り病で、ほとんどの者が寝込んでしまっているからな。出歩いている者は少ないのだ」


 無人の広場を通り過ぎて、シビルの案内で村の奥にある小高い丘まで進んでいく。

 丘の上には、一軒の民家があった。造りは村の他の建物と変わらないが、ざっと見回してみた限りだと一番大きい。何か特別な建物なのだろうか。


「ここは、村長宅だ。今はこの家の一間を借りて、俺たちは特効薬の研究をしている」


 なるほど、道理で大きいわけだ。

 納得しつつ、俺たちは馬車を村長宅の隣に留めて降り立ち、ザフッ、ザフッ、という雪の感触を踏みしめながら家屋の玄関まで歩いて行った。


 家に入ると、ラサ・アプソ村の村長夫婦と思しき老齢の夫婦が出迎えてくれた。シビルが事情を説明し、俺たちも手短に挨拶をしてから、二階に移動する。


「さて、着いたぞ。この部屋が、俺たちのこの村での拠点兼研究室だ。といっても普段この部屋で薬の研究をしているのは俺ので、俺はもっぱら薬の材料集めや出稼ぎを担当しているのだがな」


 言いつつ、シビルが部屋の扉を開ける。


 途端に、様々な草木や花の匂いが混じったような、なんとも不思議な匂いが漏れ出してきた。ジャックがしきりに鼻をひくつかせ、顔を綻ばせたり眉根を寄せたり忙しそうにしている。


 シビルに促されて部屋の中を見回してみれば、学校の教室より一回りか二回りほど小さい空間に、その半分以上を埋め尽くさんばかりの大量の本棚と、フラスコや試験管といった調剤器具のような物の数々が並べられていた。


「ははぁ……こりゃたしかに、いかにも研究室って感じだな」


 大量の本と、様々な色の液体が入った沢山のガラス容器の激しい主張により、さながら魔女の家といった様相を呈しているその空間に、俺は一歩踏み出してみた。


 むぎゅ!


「あれ? 今なんか踏んだような………」


 突如、足裏に感じる違和感。

 足をどかし、屈みこんで違和感の元を掴んでみる。

 あ、何だろうこの触り慣れた感触。そう、これはもしかしなくてもフサフサの……。


「――そこの、死んだ魚のような目をしたクセ毛の人」


 尻尾、と言い掛けたところで、何やら肌を刺す吹雪のように冷淡な声が降りかかる。


 屈んで尻尾を掴んだままの状態でおそるおそる顔を上げると、そこにはゾッとするほど冷ややかな目で俺を見つめる、〈狼人種〉の女の子がいた。


「……へ?」

「何のつもりかは知りませんが、今すぐ私の尻尾から手を離してください」


 ジャックたちがなぜか後ろで「あちゃあ~」とでも言いたげに顔を押さえているのを尻目に、何だかヤバい色をした液体の入った試験管を片手に、その女の子が吐き捨てるように呟いた。


「さもないと……溶かしますよ?」


 な、何をですかねぇ……!?

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