不動の拳

未来超人@ブタジル

下剋上(前編)


 武藤総司は焼け野原を歩く。その後ろには沖縄県で彼を待つ女房よりも長いつき合いのある男 安岡知也がいた。

 二人は数週間前に大阪からやって来た破落戸ゴロツキだが喧嘩の腕が滅法強くこの辺りでは知らぬ者のいない男たちだった。

 今も屋台で朝から酒を食らっているヤクザ者たちから刃のような視線を向けられている。武藤はそれを見つける度に向こうから見えるように嗤っていた。


 「チッ」


 安岡は無言で武藤の尻に蹴りを入れた。安岡としてはヤクザ者がどうなろうと知った事ではないがこれ以上のトラブルを抱え込むのは避けたかったからである。

 武藤と安岡は沖縄に流れて来る以前、大陸時代からの友人だった。

 武藤は事あるごとに安岡に「俺の事は兄貴と呼べ」と言っていたが安岡が武藤をそう呼ぶことは無かった。安岡曰く「尊敬出来ない人間を目上とは思わない」らしい。 

 それを聞いた武藤はは呵呵大笑し、安岡を殴った。理不尽に服を着せたような人間である。


 「友也、厳道会館か。懐かしいな」


 武藤は飾りっけの無い平屋を指さす。確かに建物の前には少し焼け焦げた跡の残る「厳道会館」という看板が立てかけてあった。


 「知らねえよ」


 武藤から不穏な空気を感じた安岡は反射的にそっぽを向く。

 武藤につき合って昨晩飲み屋で兵隊くずれと喧嘩をした時に刺された腹がまだ痛かったのだ。大陸帰りというだけで差別を受けている武藤と安岡に病院に行くような金銭かねは無かった。安岡は痛みを堪えながら朝まで歯を食いしばって我慢したのだ。沖縄時代からすっとこの調子である。


 「桜井の爺さん、どの面を下げて道場を開いているんだか…。ちょっとからかってやろうぜ?」と悪童のような顔をした武藤が言う。


 「…一人でやれ。俺は先にやさに戻る」


 安岡は猛スピードで来た道を引き返そうとした。武藤は安岡の両肩を強引に掴んで元に戻す。安岡は忌々しそうに武藤を見下ろした。


 「なあ知也、頼むよ。実はさ俺桜井の爺さんに顔を合わせずらくてさあ…」


 武藤は引きつった笑いを見せる。現在の厳道会館の館長は表向きは武藤と安岡の兄弟子にあたる浪岡兵助が務めているが、実質出来な指導者は戦前と同じく桜井幸四郎に違いあるまい。

 敗戦後、大陸から戻った孤児の面倒を見てくれたのはその幸四郎だった。素手の喧嘩で徒手(厳道会館では武器を使わない武術を徒手と呼ぶ)を振るう武藤と幸四郎は何かと対立する事が多く、数年前に逃げ出すのも同然で安岡と二人で武藤は厳道会館を出てきたのである。


 「わかったから放せ。桜井先生に謝るなら話に乗ってやらん事もない」


 安岡は武藤を引き剥がし一人で厳道会館の本部道場に向った。当の武藤といえば走って追いかけるわけでもなく下駄をカランカランと鳴らしながら悠々と古巣を目指す。


 「ごめんください」


 安岡は武藤の到着を待ってから扉の前で頭を下げた。武藤はシャツ裾に手を突っ込んで腹をかいている。実に緊張感に欠けた姿だった。


 「はい。どなたですか?」


 ずい、と音が出てきそうな感じで大男が現れた。

 武藤と安岡は見知らぬ男の姿に緊張する。


 「こちらの道場におられる桜井幸四郎先生を尋ねてきた安岡知也という者ですが、先生はおられますか?」


 安岡はあくまで礼儀正しく大男に接した。男の方といえば値踏みするような目つきで二人を見ている。


 「おう、アンタ。俺は武藤総司ってモンだが、アンタは名乗っちゃくれないのか?」


 痺れを切らした武藤が大男に名前を尋ねた。おそらくこの場に置いて最年長者とは思えぬ粗忽さである。


 「何だこのおっさん、無茶苦茶な事を言いやがるな。こっちは祖父さんがボケて忙しいってのに…」


 「もしかしてアンタは桜井先生の孫か?」


 武藤は驚いた様子で大男を見ている。男の顔はよく見ると桜井幸四郎の妻の面影があった。桜井の妻は武藤と安岡が他所で喧嘩をして道場に戻っても夕飯を用意してくれた心優しい女性である。堅物の桜井がボケてしまったらさぞ気落ちしている事だろう。


 「俺か?俺は桜井幸四郎の孫で名前は雷蔵という。少し前までメキシコで農家を手伝っていたんだ」


 雷蔵は武藤に向って手を出した。野球のミットのように大きな手だった。そして武藤はすぐに桜井雷蔵が格闘技経験者である事を見抜く。柔道耳、変形した指関節、所々が擦り切れた肌、そのどれもが彼が一般人では無いことを示していた。


 「雷蔵。お前さんは見たところ格闘技を使うようだが、徒手では無いよな?」


 武藤は快活な表情で桜井雷蔵に尋ねた。


 「まあ、レスリングだよ。メキシコでトウモロコシの農場を手伝っている合間に習った。日本にいた頃はお袋と祖母ちゃんに柔術だけは絶対に駄目だって念を押されたんだ」


 「ふうん…」


 安岡は感慨深そうに相槌を打つ。桜井家の事情を知る武藤は瞬時に雷蔵を取り巻く複雑な事情を察したのだ。桜井幸四郎の息子 桜井十郎太は太平洋戦争で命を落としている。十郎太に家族がいた事は、武藤も知らなかったが仮に彼が武術をやると言い出せば雷蔵の祖母と母親は猛反対しただろう。


 「雷蔵さん、桜井先生の容体はどうなんだ?」


 安岡は桜井幸四郎の容体を気にかけながら尋ねる。今は戦争で誰もが傷つき他者を気にかける余裕の無い時代だったが、そんな時勢でも桜井幸四郎は武藤と安岡の面倒を見てくれた命の恩人である。


 「少し前に家の中で転んでから、布団の外に出たがらなくなっちまったよ。俺や母ちゃんが近所の人に声をかけて来てもらってるけどどうなんだろうな?」


 雷蔵の言葉には疲労と失意が込められていた。武藤と安岡はからかい半分に桜井の家を尋ねたが、急遽幸四郎の見舞いに行く事になってしまった。


 「さて、どの面を下げてここへ戻ってきた。武藤よ、沖縄でもお前は蛮勇を振るっているらしいな。弁明はあるか?」


 布団から上半身を起こしていた桜井幸四郎は冷厳に言い放った。武藤の顔は一瞬で蒼白に変わる。


 「返す言葉もありません、桜井先生」


 安岡は畳に頭をつけて平伏する。桜井は烈火の如く怒った。


 「友也よ、以前から言っていたが彼奴を甘やかすではない。この男が騒ぎを起こす度何かにつけてお前が庇うからいつまでも餓鬼のままなのだ」


 「ホラ、総司さんも謝ってくれ」


 土下座したまま安岡は武藤の袖を引いた。


 「全然元気じゃねえか、師匠…」


 武藤総司はボヤきながらも安心する。桜井は沖縄の嘉手納という男同様に武藤には育ての親に近い存在だった。闘争にしか興味を持たない武藤だが受けた恩義は疎かにはしない。


 その後、武藤と安岡は桜井から説教を受けた。途中、止めに入った雷蔵も説教を受ける事になり最後には婦人会の寄り合いから戻ってきた桜井の妻がこの場を収める。


 その夜近場の屋台で酒を片手に雷蔵と武藤たちは厳道会館の今後について話し合うことになる。


 「桜井の師匠。もう無理はさせられねえな…」


 武藤は炙ったスルメを齧る。


 「雷蔵さん、俺はアンタに厳道会館を継いで欲しいと思う。桜井先生もそれを望んでいるはずだ」


 安岡は焼き鳥とおでんとお新香を注文しただけだった。雷蔵は焼き鳥を取って口に運ぶ。


 「俺はそういう器じゃないよ、安岡さん。むしろアンタに道場を継いで欲しい。実はさ、今師範代を頼んでいる浪岡さんは親御さんが病気になってるから故郷に帰らなければならないんだ」


 そう言って雷蔵は酒の入ったコップを空にした。雷蔵の祖母は戦争で死んだ父 十郎太の事を悔やんでいた。祖父に至っては肺炎を患って戦地に行くことが出来なかった自分を追い詰めてついには痴ほう症になってしまったのである。

 雷蔵自身、祖父母と対立してメキシコに渡った自分の身勝手さを後悔していた。


 「浪岡さん、か。元は浪岡流の人間だからな…」


 安岡友也はごっそりと息を吐く。自身もまた酒を飲んで憂さを晴らしたい気持ちになっていた。戦争で多くの人間が死に、今度は慢性的な食糧不足で人が死んでいる。この先、一体どうなってしまうのかと思うと気が気でならない。


 「俺はどうだよ、雷蔵。俺はこれでも桜井幸四郎門下最強と言われた男だぜ?」


 二人は顔を赤らめた武藤を見ながらため息を吐いた。

 武藤は「わかりましたよ!」と大声を出して講義すると酒をまた注文した。


 雷蔵と安岡は交互に支えながら帰宅する羽目になった。


 真夜中。頼りない街灯を頼りに三人の男が歩いている。少し酔いが醒めた武藤総司は自力で歩いていた。道中、夜霧のの向こうから女が走って来る。派手な洋服で着飾った女で、一目で夜の商売をしている人間だとわかった。女は必死の形相で雷蔵に抱きついた。


 「どうか助けでくださいまし、旦那さん。恐い男が私を追いかけて来るのです!」


 女は通りの向こうを指さす。雷蔵は女を引き離して安岡に預けると通りの真ん中に立った。


 「おい、さっさと出て来い。大の男がか弱い女をつけ回すなんて恥ずかしいとは思わないのか⁉」


 雷蔵は怒気を発して一喝した。すると闇の中から米軍兵と追われる一団が姿を現した。その中の褐色の肌を持つスキンヘッドの男が雷蔵の前に進み出る。


 「誤解も甚だしいな。我々は暴漢に襲われた彼女を警察署まで案内しようと思っただけだ」


 黒人の男は流ちょうな日本語で事情を説明する。


 「そいつはどうも、メリケンの旦那。後は俺たちに任せてどっかに行ってくれ。日本には黒人がいねえからな。こちらのご婦人はアンタが恐くてしょうがないんだよ…」


 「フン。百歩譲ってお前の主張が正しかったとしても信用するわけにはいかんな。私にはそっちの酔っぱらいがまともな人種とは思えない」


 雷蔵は自身の背後を見る。ついさっきまで安岡の肩を借りていた武藤が女につきまとっていた。だが、すぐに黒人の男の向き合う。滞在期間が二年とはいえ米軍の厄介さは嫌というほど知っていた。


 「勘弁してくださいよ。俺たちだってギリギリでやってんでさ…」


 雷蔵は一発殴られる覚悟で黒人の男に近寄る。相手に殴らせてから土下座してもしておけば勝手に納得して出て行くだろう。風来坊の時ならばまだしも今は家に母親と祖母と祖父がいる。迷惑などかけられるはずもない。


 「何をしている、ブラウン軍曹」


 通行人を割って一人の白人男性がやってきた。プラチナブロンドの髪に、白磁のような肌。その男はこの場にいる他の兵士ほど頑強な肉体の持ち主ではなかったが、いざ戦えば一瞬で彼らをねじ伏せるような圧力を持っていた。


 「暴漢に襲われている女性を安全な場所までエスコートしようとしているところです、マクマホン中尉」


 マクマホンと呼ばれた男はサングラスを外してブラウンたちを、次に雷蔵と武藤たちを見る。

 

 「なるほど。レディのエスコート役を巡って喧嘩の最中か。若い時分にはよくある事だ。不正が無いように私が見ていてやるから早く終わらせたまえ」


 そういってマクマホンは両腕を組む。口元は皮肉っぽく笑っていた。


 「おい、どうしてくれる。あの人の趣味はボクシングの試合の観戦なんだ。完全に勘違いしているぞ」


 ブラウンはマクマホンの方を指しながら雷蔵に訴えた。雷蔵もまた現状を把握しきれず微妙な表情になっている。


 「…じゃあ、アンタが適当に俺を殴れよ。この姐さんは俺が交番に届けるからそれで勘弁してくれ」


 そこに武藤が割って入って来る。彼の背後では安岡が女性の隣に立っていた。安岡の表情が心なしか厳しい物となっている。雷蔵が理由を尋ねようとしたところ先に武藤が口を開いた。

 

 「まあまあ、待ちたまえよ。二人とも。実はこちらの女性は非常に手癖が悪いという事が判明した。君らが追い払ったヤクザ者というのも、おそらくは彼女の被害者だろうな」


 武藤はブラウンに銀製のロケットと十字架を渡す。ブラウンは驚いてポケットと首周りを探ったが目的の物は無かった。確認作業が終わった後、ブラウンはロケットと十字架を武藤から受け取る。


 「悪かったな。部下は俺の指示で動いただけだ。これで許してくれ」


 ブラウンは雷蔵の前で姿勢を正して頭を下げる。雷蔵とは育った文化と風習の違うブラウンがこのような形で謝罪するにはどれほどの覚悟が必要かを知る桜井もまたブラウンに頭を下げようとした。しかし、その直前でまたもや武藤が横槍を入れる。


 「なあブラウンさん、まさかこれで終わりって事は無えよな?刀を一度、鞘から抜いたんだ。日本人ジャップなら切腹物だぜ?」


 ブラウンは切腹という理解不能な習慣を耳にして驚きを隠せない。そこで調子に乗った武藤を安岡が取り押さえようとする。だが意外にも蚊帳の外にいたマクマホンが拍手をした。


 「素晴らしい展開だよ、Mr武藤。沖縄での君の武勇伝は私も聞いている。ブラウン、いい機会だ。米軍の精鋭の力を見せてあげなさい」


 マクマホンは武藤に向って親指を立てる。武藤もまたマクマホンに向って親指立て《サムズアップ》を返した。さらに遠間で二人のやり取りを見ていた者たちと、ブラウンの部下たちが湧き上がっていた。


 「これで止めたら大恥だぜ、雷蔵。日本男児の強さをヤンキーどもに教えてやれよ。軍曹さん、コイツは曲がりなりにも日本最強と謳われた桜井幸四郎の孫だ。得意のボクシングで世界の広さってモンを教えてやってくれ」


 そう言って武藤は引き下がる。上機嫌のマクマホンは秘蔵のウィスキーが入った瓶を武藤に渡した。武藤は舌をなめずりウィスキーを飲む。


 「クソ…ッ‼祖父さんから聞いていた通りの野郎だ。おい、軍人さんよ。迷惑かけるが一つ勝負をしちゃくれねえか?…勝った方が武藤をぶっちめるって算段でよ」


 「ははは、OK。その提案はアリだ。俺も今日ここであった事はもう一つ上の階級にいる上司に告げ口する。お前も俺も悪くは無い。悪いのはあの酔っぱらいどもだ」


 かくして桜井雷蔵、後の日本最大のプロレス団体【フラッシュプロレス】の総帥となるサンダーボルト桜井と今より数十年後数々のチャンピオンを生み出してきた名トレーナーにして軽量級の不敗の王者となる男トミー・ブラウンJrの異種格闘技戦が成立したという。




 

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