19 最後の攻撃隊

 五航戦を発進した第三次攻撃隊が母艦の上空に帰還したのは、一二三〇時(現地時間:一五三〇時)過ぎのことであった。

 敵の追撃を受け、母艦の位置を察知されるのを防ぐため、迂回して帰還したために帰投時刻が予定よりも遅くなったとのことである。

 迂回しつつも落伍機を出さずに母艦に到達出来たところに、攻撃隊指揮官・嶋崎重和少佐の搭乗員としての優秀さが現れている。

 すでに第三次攻撃隊からは、空母一、重巡一撃沈確実との報告が入っている。さらに四航戦攻撃隊から発せられた電文も、山口少将は受信していた。

 四航戦攻撃隊は炎上する米空母に水平爆撃を敢行し、これに命中三を得たという。さらにその北東側にもう一群の米空母部隊を発見している。

 この時、一航艦は米空母の隻数と艦名を正確に把握することに成功していた。

 第四駆逐隊が不時着水した米空母ヨークタウン搭乗員を捕虜とし、その尋問に成功していたからである。これにより、米艦隊に存在する空母はレキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットの五隻であることが判明している。

 第一次、第二次攻撃隊が三隻を撃沈し、五航戦と四航戦がもう一隻を撃沈確実に追い込んだとすれば、残る米空母は一隻だけである。

 これを撃沈出来れば、太平洋上から米空母を一掃出来る。

 山口は第四次攻撃隊の発進に先駆けて、接触を維持するための二式艦偵を発艦させていた。

 そこから一度、山口少将は米空母から距離を取るために針路を変更していた。一時間ほど前、飛龍が米索敵機の接触を受けていたことが原因であった。

 これにより、第四次攻撃隊発進前に空襲を受けることを警戒して、山口は針路を変えたのである。

 第四次攻撃隊は、飛龍にある零戦九、九九艦爆十二で行う予定であったが、五航戦よりさらに零戦六機が参加可能との報告が寄せられていた。

 これを受けて山口は、零戦十五、九九艦爆十二で第四次攻撃隊を編成することとした。攻撃隊指揮官は、蒼龍飛行隊長であった江草隆繁少佐である。

 発進予定時刻は当初の予定通り、一二四五時とした。このため、母艦上空に帰投していた第三次攻撃隊は上空待機を強いられることになった。

 山口は、第四次攻撃隊の発進を遅らせるつもりはなかった。一刻でも早く、とにかく米空母の飛行甲板を破壊して、まずはその戦闘能力を奪わなくてはならない。

 第三次攻撃隊は迂回して帰還したとはいえ、米空母との距離が一〇〇浬近くにまで縮まっていたため、燃料にはまだ多少の余裕があるはずであった。

 それでも損傷などの理由で上空待機が難しい機体については、加賀に収容させることにした。

 一方、飛龍では第四次攻撃隊の発進準備とほとんど平行して、第五次攻撃隊の発進準備が格納庫内で進められていた。

 こちらは零戦六機、九七艦攻十機となる予定であった。恐らく、日没の時刻から逆算すればこの第五次攻撃隊が最後の攻撃隊となるだろう。

 五航戦は第三次攻撃隊の収容を控えていたために第四次攻撃隊の発進準備が行えず、第三次攻撃隊収容後に第六次攻撃隊の発進準備を進めたとしても、出撃が日没後になってしまう可能性があった。薄暮攻撃とするには、いささか遅い時刻である。

 そのため山口は、五航戦には上空直掩用の零戦の整備を優先するように命じている。また、被弾した際の被害を局限するため、帰還した航空機からは燃料をすべて抜き取っておくようにも指示した。

 ここから先は、飛龍一艦の戦いとなる。

 山口はその思いと共に、江草少佐率いる二十七機の攻撃隊を見送った。


「第四次攻撃隊発進、艦爆十二、艦戦十五。一時間後、艦攻(雷装)十、艦戦六ヲ攻撃ニ向ハシム」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 飛龍から第四次攻撃隊が発艦したのは一二四五時(現地時間:一五四五時)であったが、その直後ともいえる一三〇〇時(現地時間:一六〇〇時)、スプルーアンス少将座乗のエンタープライズでも攻撃隊の発進が行われていた。

 飛行甲板上に並ぶのは、二十四機のSBDドーントレスのみである。それも、午前中の攻撃で損傷した機体を整備員が総出で修理して何とか一六〇〇時までに二十四機を確保するという荒技の結果であった。

 しかし、F4Fワイルドキャットの姿はない。

 艦隊防空用の直掩機が、不足していたからだ。二派にわたってホーネットを襲ったジャップ攻撃隊に対応するため、ミッチャー艦長からの要請に従ってエンタープライズ戦闘機隊が救援に駆け付けたのは良かったのだが、その空戦によって少なからぬ機体が撃墜され、あるいは損傷していたのである。

 母艦を失ったホーネットの直掩機もエンタープライズが収容したとはいえ、健在なF4F隊の数は二十一機であった。

 もともとエンタープライズが搭載していたF4Fは二十七機であったが、ヨークタウン所属機やホーネット所属機を収容してなお、損害を補塡するには至っていないのである。

 この海戦の激しさを物語る一面でもあった。

 護衛の戦闘機隊が付けられないため、攻撃隊指揮官となった第六偵察隊のアール・ガラハー大尉は、太陽を背にして攻撃を行うことを部下に徹底させることにした(彼よりも先任のマクラスキー少佐とヨークタウンのバーチ少佐は負傷していた)。

 ジャップ空母との距離は、一〇〇浬前後。太陽はすでに西に傾きつつある。

 午前の攻撃のように、艦載機が燃料不足に陥るというようなことはないだろう。巡航速度で一時間ほどの距離だ。太陽のある西側に回り込むために多少大回りになっても、午前中のように燃料切れを心配する必要はない。


「何としても、ジャップのラスト・ワンを仕留めてもらいたい」


 出撃直前、スプルーアンスはガラハーを呼び出してそう訓示した。


「ここまで厳しい戦いの連続であったが、我々は勝利まであと一歩のところまで来ている。上手くいけば、ミッドウェーを発進したホーネットのSBD隊との共同攻撃を果たせるだろう。君と、君の部下たちに神のご加護があらんこと」


「はっ、必ずやラスト・ワンを仕留めてご覧に入れましょう」


 サッと敬礼したガラハー大尉は、そう言って艦橋を降りていく。

 その背中を、スプルーアンスは険しい表情で見送った。ジャップ空母は残り一隻とはいえ、護衛の伴わない攻撃隊となれば、大損害は免れない。

 午前の攻撃では、図らずも雷撃隊が零戦ジークの攻撃を引き付ける結果となったようだが、今回は艦爆隊のみの攻撃である。

 午前のような奇跡的な展開が発生してくれるかどうかは、スプルーアンスにもブローニングにも判らなかった。

 ただ彼らが理解しているのが、この攻撃が海戦の趨勢を決するかもしれないということだけである。


「神よ、勇敢なる合衆国の青年たちに加護を与えたまえ。そして彼らがラスト・ワンを仕留めることが出来ますよう」


 飛び立っていくSBD隊を見つめながら、スプルーアンスは胸の前で十字を切ったのだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 第五次攻撃隊として零戦六、九七艦攻十が発進準備を整えつつあったが、その内実は海戦が始まった時と比べて非常に寂しいものであった。

 飛龍艦攻隊の士官の中で、無事であったのは飛行隊長の友永丈市大尉とその偵察員であった橋本敏男大尉の二人だけだったのである。

 分隊長である菊池六郎大尉は未帰還となり、もう一人の分隊長であった角野博治大尉も重傷を負って今は医務室にて治療中である。

 そのため、急遽、友永機の偵察員であった橋本大尉が臨時で第二分隊を率いることとなったのであった。十機の編隊であるから、友永と橋本で五機ずつを率いることとなる。

 その友永機であるが、右主翼燃料タンクに被弾しており、本来であれば修理のために出撃出来るような機体ではなかった。

 このことを機体の整備を担当していた井手整備兵曹長が友永に報告すると、友永は「敵は近いのだから、他のタンクを満タンにしてくれればいい」と屈託のない調子で言い、すぐに部下の搭乗員たちの元に向かってしまった。

 一方、第二次攻撃隊では友永機の偵察員を務め、今回の攻撃では第二分隊長を務めることになった橋本大尉もまた、隊長機の状態を心配していた。確かに米空母との距離は一〇〇浬を切りつつあるので片翼だけの燃料でも往復は可能であろうが、もし左主翼タンクにも被弾すれば帰投するための燃料が失われてしまう。

 橋本は、午前の攻撃で味わった米艦隊の対空砲火を忘れていなかった。


「せめて、他の機になさるべきでは?」


 そう隊長である友永に進言してみたが、当の友永は温和ながらも頑として譲らない口調で部下に答えた。


「いや、一機たりとも攻撃機数を減らすわけにはいかない。橋本、貴様も早く第二分隊の編成に取りかかれ」


 その言葉だけで、橋本はこの隊長がすでに覚悟を決めていることを悟らざるを得なかった。

 ただ不思議なことに、橋本は隊長の心配はしても、自分自身の心配はまったくしていなかった。むしろこの時、自身の生死のことなどは頭の片隅にもなかったのである。

 これがこの日最後の攻撃となるであろう以上、何としても米空母に魚雷を命中させねばならないという使命感の方が強かった。

 彼は友永に言われた通り、搭乗員の選出を行うことにした。掌飛行士の稲田政司飛曹長を呼び出し、隊員の選抜を命じる。


「米空母は残るところあと一隻だけだ。これを何としても沈めねばならん。搭乗員は最も優秀な者たちで固めてくれ。漏れた奴には文句を言わせるな」


 実際、稲田が搭乗員待機室で選抜を始め、搭乗員割りを黒板に書き始めると、その前に人だかりが出来た。飛龍の搭乗員たちだけではない。本来の母艦をやられ、復仇の機会を待ち望んでいる他艦の搭乗員たちも、ギラつく目で黒板に書かれた名前を見つめている。

 途端、選抜に漏れた搭乗員たちから、「自分も行かせてくれ」という声が上がり始める。

 だが、稲田は自身が良く知る飛龍搭乗員を中心に、第二分隊を編成していた。それでもなお「自分も」と食い下がる者たちには、この攻撃の危険性と他日の復仇の機会を待てと言って宥める。

 一方で、第五次攻撃隊の搭乗員に選ばれた者の中には、これが生きて帰れぬ出撃となるであろうことを予感している者も多かった。

 特に右主翼燃料タンクが使用不能な友永隊長機の偵察員となった赤松作特務少尉は、自らが生還することは絶対にないと悟ったのだろう。同郷の田村掌航海長の元に出向いて、顔面蒼白のままぽつりと「片道の燃料で行くんだよ」と漏らしたという。彼は内地に妻と幼い二人の娘を残し、そろそろ三人目の子供が生まれる頃だった。

 そして、最後の攻撃であることの重圧を感じていたのは、第二航空戦隊司令部も同じであった。

 彼らは、第五航空戦隊の攻撃隊の損害が意外に多いことに戦慄していた。無数の艦艇に守られていた午前の米空母部隊と違い、この米空母を護衛していた艦艇は十隻にも満たない数であったという。だというのに、上空直掩の戦闘機隊や対空砲火によって、翔鶴飛行隊長・関衛少佐までもを失う損害を受けたのだ。

 江草隊もどれほどの損害をこうむるのか、あるいはそれよりも鈍重な友永隊は敵に辿り着く前に全滅してしまうのではないか、そのような不安が首をもたげていたのである。

 だが、やるしかないのだ。

 山口は、たとえ多くの部下を失うことになろうとも攻撃を続行することを決意した。

 第五次攻撃隊となる友永隊の発進準備は、一三四〇時(現地時間:一六四〇時)に完了することになっている。

 二航戦航空参謀の橋口喬少佐が、二式艦偵からの索敵結果などを元に飛龍と最後の米空母の位置関係を割り出し、第五次攻撃隊の進撃進路を計算する。


「―――この進撃針路は皇国二六〇〇年の運命を決するぞ、間違いないな?」


 その計算結果を、山口はいつになく険しい声で念を押すように尋ねた。

 やがて、エレベーターで運ばれた機体が飛行甲板上に並べられていく。黄色地の尾翼に赤二本線に太い赤線一本が加えられた友永機、赤線二本の橋本機などが暖気運転の轟音を響かせ始める。

 やがて搭乗員整列の号令がかかり、訓示のために加来艦長が飛行甲板へと降りていく。これが最後で最も重要な攻撃となるからと、山口もその後に続くことにした。

 三十六名の搭乗員たちが、そこに並んでいる。

 山口が、まず口を開いた。


「諸君らの働きにより、米空母も残すところあと一隻となった。今、江草隊長の艦爆隊がこの空母を攻撃しているところであろう。諸君らには、何としてもこの空母に止めを刺してもらいたい。帝国の栄光のために最後の一撃を加えるのは、諸君ら自身であると心得よ」


 続いて、加来艦長が木箱で作られた壇上に上がる。


「戦況は、今司令官が言われた通りである。海戦の趨勢は、この飛龍の働き如何によって決まる。しっかりやってもらいたい」


 短く訓示を切り上げた加来が、サッと壇上から敬礼する。壇上を降りていた山口もまた、それに倣う。友永以下搭乗員たちもまた、姿勢を正して敬礼を返した。

 壇上から敬礼する加来は、搭乗員一人一人の顔を脳裏に焼き付けるように全員の顔を見回した。そして手を下ろすと、自ら「かかれ!」と号令をかけた。

 午前の攻撃や防空戦闘で疲れているだろうに、三十六名の動きは機敏であった。

 やがて先頭の零戦が発進し、友永機も橋本機も飛行甲板を蹴って飛び立っていく。十六機の第五次攻撃隊の姿が水平線の彼方に消えるまで、残された者の帽振れは続いていたという。

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