ENPTY

NAO

第一章 人間失格

第1話 死亡からの生還

「……あー、あっつー……」


  夏の夜は寝苦しいことこの上ない。エアコンが壊れた部屋で頼りになるのは、これまたボロっちい扇風機だけだ。大学に通うためにこのアパートを選んだが、ここまで年季の入った部屋だとは知らなかった。


「うーん……」


  寝返りを打って気を紛らわす。その時に気がついた。なんだか妙に外が明るいような──?


 ゆっくりと目を開けてみると何やら白い影が窓に映っていることに気がついた。人か動物かはぼやけてて分からない。不審者がこの辺りを彷徨いてるという話も聞いたことがない。よく……分からない。


「……はぁ……やっぱ疲れてんのかな……明日学校やすも──ッ!?」


  その白い影は目の前にいた。そんな近くにいるにもかかわらずその姿、形はハッキリとしない。しかしそれは俺を見下ろすような体勢で立っているのだろうと思った。音も無く、温かみもない。なんなのか、全く理解できない。


「お、おい、てめえ一体なんなんだよ!?」


  怖くなってその正体を探ろうとするが何も反応はない。空気が止まっているかのように白い靄が空間に貼り付けられているだけだ。


「──え?」


  突然だった。その白い靄から空間を割くように赤黒い棒が出てきた。これだけはハッキリと見えることができた。それは生々しい肉で出来た管だった。そして俺が反応することもできない速さでその管は俺の頭を貫いた。


「う──っ!? ──ぎっ──がッガ──ヴォハッ!?」


  体の中から色んなものが引き摺り出されていくのを感じる。脳、肺、心臓、腸、肝臓、腎臓、膵臓──様々な俺の大切なものが搾り出されていく。


 それと共に俺は滝のように血を吐く。吐くというか込み上げて溢れてくる。考える脳は無くなったはずなのに、俺は今日習った人間の血液量の話を思い出した。


 ──人間の体重の約十三分の一がその人の血液量です。君は体重が65キログラムとのことなので……約5リットルの血液がその体の中にあるということですねえ──。


 その5リットル全てを俺は吐き出すのだろう。苦しみ、もがく。何かにつかまる。鉄の味と香りで口がいっぱいになり溺れそうだ。普通なら失血によるショック死がすでに訪れているはずなのに死んでいないのは、まともなことじゃない。これは常識では片付けられない。


 もうすぐで空っぽになる。なんでこんなことになってるんだおれ。


 ──いたい、いたい、きもちわるい、きもちわるい、きもい、きもい、きもい、きもい、きもきもきも──


 ぜんぶはききった。くらいせかいがまっていた。


 それといっしょにおもいだした。さいきんゆうめいなあのにゅーす。


 ──またもや発生。怪死事件。凶器は不明。死体は全臓器が消失、現場の血液は全て吐血による被害者のもの。犯人は何かしらの生体兵器を使用した猟奇殺人者か──。


「ざ……けな……ひ……と……じゃ……ねぇ……」






         おれはしんだ。








        わけもわからず。















    ──ふわふわー、ふわふわー。








 

 なんだろう。すごく体が軽い。まるで邪魔なもの全てがなくなったかのようだ。だけど体は何かを支えに浮いていて、しっかりと形を維持している。


 七つの白い影に囲まれて、青い空の海に浮かぶこの体。御天道様は赤黒い。その引力に負けて海はどんどんと持ち上がっていく。体もどんどん持ち上がる。


 そして俺たちは赤黒い太陽にぶつかる。熱くはない。冷たくもない。熱を感じる機能は失われたのだろうか。そのままズブズブと体が太陽にめり込んでいく。


 溶け込む意識は白い影に掴まれて引き伸ばされていく。まるで粘土を捏ねているような手つきで彼らにこの体は作り替えられていく。そのうちの一人は優しい手つきで俺の体を触り、最後には赤ん坊を抱くように包み込んでくれた。俺は抱かれたまま流されてゆく。


 太陽の中核と思われるところに辿り着いたのか、流れは止まった。眩い黄金の光だけが頭の裏に焼き付けられる。この光はただの光ではなさそうだ。なんだろうか。まるで──映画のような。


 スクロールされる様々な光景、見たこともない生命、最後に見せられたのは見まごうはずもない俺自身。それはプツリとテレビの電源を落としたかのような真っ暗へ。何も見えなくなり、俺の体は力強く押し返され、ココを出た。



 ──。

 ────。

 ──────、ハッ!?


「うわああああ!?」


 飛び起きるどころか俺は転げ起きた。床に投げ出され体が擦れても何も感じない。


 周りを見回してみるとここは少し古くさ……いや、レトロな雰囲気漂う木造りの部屋だった。欧州ヨーロッパの文化を取り入れたばかりの洋館みたいな。


「いっ……たくない? それに……なんか体がすげえ軽い気が……」


 体を上下にゆすると体が宙に浮いた。重力に負けずに体が留まる……って一体どういうことなんだ!?


「……俺、訳の分からない白いやつになんかされて、めちゃくちゃ血を吐いて……でも……生きてるのか……?」


「──アンタもう死んでるよ。宇宙人に全部奪られちゃったから」


 前を向くと音もなく扉が開いていて、そこにはまだ10代前半に見える華奢な少女が立っていた。整えられた銀髪の長い髪に西洋系の顔立ちと上等なドレスを身につけた姿。気品に満ちた振る舞いが目につく。そしてその目は真紅の如き赤色で、人間離れした彩度を誇っていた。


 誰なんだ? それにこの部屋は? 俺、死んでるのか? じゃあここはあの世ってこと?


「ふふっ、何が何だかって感じね。面白いわ」


 小悪魔的な微笑──というよりも嘲笑か。


 ……確かに滑稽だろうよ。訳も分からず、降り方も分からず、俺は宇宙飛行士のように空中でくるくると回っているのだ。そんなの俺が見たら大笑いして晒し上げてるだろうな。


「……おい。ガキ。こりゃどういうことだ? とりあえず体の下ろし方教えてくんね?」


「なんで私が教えなきゃいけないの? アンタが浮き始めただけの話でしょ? 健全な人間から歩かせろなんて言われて、アンタはそいつを歩かせられるの?」


 少女は不満げに俺を見ながら吐き捨ててくる。年のわりには肝の据わったガキらしい。


「わーったよ……なんとかしてみるわ」


  少しムカつきながらも体のコントロールに挑戦したが、これだけで10分もかかってしまった。なんとか体を真っ直ぐにしてベットに座ることができたが、その間にもこのガキに何度も馬鹿にされて腑が煮えくり返る思いをした。


「こんな調子じゃ一人でご飯を食べることさえ出来なさそうね。大きな赤ちゃんみたい」


「……おい、メスガキ。テメェ人を馬鹿にすることしかできねえのか?」


「事実を述べてるだけよ。アンタだって嘘をつかれるよりも真相をありのままに話してもらいたいんじゃなくて?」


 的確に痛いところをついてくる……嫌なガキだ。だが今この状況で一番困っているのは俺だ。もはや自分のことさえも分からない。生きているのか、死んでいるのか。人間なのか、人間じゃないのか。このガキはその何かを知ってやがる。


「はいはい。その通りですよ。もう俺は俺がなんなのかさえ分かんねえ。この状況も一体なんだってんだ。お前は知ってんだろ? 一から話してくれよ」


 自棄になって俺は吐き捨てるようにガキに向かって催促した。とにかく今できることは、このガキを頼りに状況を把握することしかない。


「じゃあアンタの方から知りたいことを訊きなさい。私はそれを一つずつ答えてあげるわ」


 尊大な態度で振る舞いながらガキは俺のアゴに指を当てた。手玉に取られているようで気に食わねえが……仕方ない。ここは大人しく情報を得ることのが大切だ。


「ちゃんと答えろよ……じゃあ、そうだな……まず、お前は誰だ?」


「あら、自分の身のことよりも私のことを知る方が先なのね。意外だったわ」


「いいから答えろよ」


 いちいち鼻につく言葉を使ってくるのがうざい。さっさと答えてくれればいいだけなのによ。


「はいはい。私は──そうね……アンタが呼びたい名前で呼んでくれればいいわ」


「……おい、お前ちゃんと答えるって言ったよな……? なんで俺が逆に答える側になってんだよ」


「答えたじゃない。アンタが『呼びたい名前』が私の名前だって」


「テメェの屁理屈はどうだっていいんだよ! じゃあ俺が呼びたい名前をテメェが考えて答えろ! それでいいな!?」


 何を考えてるやつなのか全く分からん。これだけ声を荒げても怖がりもせずにアゴに手を当てる仕草をして考えるだけだ。どうもガキと話している気分にはならない。


 しばらく考え込んだ後、何か思いついたかのように手を叩き、こいつは俺の顔を覗き込んだ。


「な、なんだよ」


「じゃあ私の名前はエルゼ。呼びやすいでしょ?」


 自慢気な顔で名前を言ったこいつはその名前を呼んでもらうのを期待しているみたいにずいと顔を近づけてきた。


「お、確かに呼びやすいな。何でその名前にしたんだ?」


「そんなのどうでもいいでしょ? アンタは決めろって言っただけなんだから。そういうアンタは『かみ』って名前なんでしょ?」


「……なんでそう思ったんだ?」


「だってここに書いてあるじゃない」


  そうやってガキが指を刺したのはテーブルに置かれた俺のリュックサックだった。中にはスマホやら財布やらが入っている。死の間際に手を伸ばしたのはこのけったいな日常の相棒だけだったようだ。しっかりと血塗られた俺の手形が押されている。


「……確かに『神』だけどな。読み方は『ジン』ってんだ。お前、この国の生まれじゃなさそうだから知らなくてもしょうがねえけど、結構いるもんだぜ。この名前」


「この国にはやっぱり800万の神がいるのね」


 ジンという名の人間が800万人もいるはずないだろとツッコもうと思ったが、こいつに言ったところで仕方ないと気づいて言いとどまった。


「分かったよ。エルゼね。で、結局お前は何者なの?」


 今度は少し考え込んでいた。話すことは多そうで、色々悩んでるみたいだ。


 10秒ほど考え込んでエルゼは口を開いた。


「そうね……簡単に言うと私は宇宙人と敵対しているの。アイツらをこの星から追い出して、そして果てまで追い詰めて滅ぼすのが目的よ」


  ……厨二病もここまで拗らせると更生は厳しいか。いや、中二ですらないのかもしれないけど。仕方ない、ガキの戯言に付き合ってやろう。


「へえー、宇宙人を倒すんだねーすごいねー」


「何もすごくはないわ。私の前ではアイツらなんてゴミクズと同様だもの。同等の格の宇宙人なんてそうそういないし」


 感情のない表情で淡々とエルゼは宇宙人のことをゴミと称した。どこか威圧感を感じるようなはっきりとした物言いだった。


「で、宇宙人っていうのがあの白い影のことでいいのか?」


「そっか、アンタは存在段階ステージが違ったからあの姿をまだちゃんと見れてないのか。そうね。アレが宇宙人よ。まあ、あれは雑魚中の雑魚なんだけどね」


「雑魚でも人間が訳の分からん宇宙人に勝てるとは思わんがな。それで俺はその宇宙人に殺されたってことでいいんだな?」


「殺されたというよりかはってところかしら」


 髪を弄りながらエルゼは意味深なことを言う。


「死なされたって……何でだよ?」


 そう尋ねるとエルゼの頬がニヤリと吊り上がった。その赤い目に宿るのは殺意かそれとも好奇か。エルゼは俺の顔を舐めるように見ながら楽しげに話し出す。


「アンタは宇宙人によって人間をのよ。アンタは生まれ変わったの。人間としての寿命と真っ当な体を奪われて、で生きる新人類、『中無き人エンプティ』にね」


「……は?」


  結局どういうことだ? つまり俺は人間じゃなくなってしまったっていうのか?


中無き人エンプティっていうのは世界の裏で通っているアンタたちの呼び名のことでアイツらは『ルル・アメル』って呼んでるみたいだけどね。とにかくアンタはもう今までの常識では存在できない者になってしまったわけよ。体に変化があったのはアンタが一番理解してるでしょ?」


「いやいや! 全然分かんねえよ!? まずなんだよ魂って! そんなオカルトじみたこと信じられるわけねえだろ!?」


「現実を見なさい。アンタはこの目で宇宙人の影を見て、搾臓器で内臓を全て抜かれ、全血液を放出してアイツらの星を見た。そうでしょ?」


  冷然な視線が俺の胸へと突き刺さる。そしてこいつが言ったことは全て事実だ。理解はできないがそれっぽいなにかを見た事実は存在している。なら、これは夢じゃなく現実なのか?


「……じゃあ、なんだ? 俺はもう人じゃなくて、訳の分からない化け物になっちまったって……ことか?」


 宙に浮くほど軽い体が一気に重くなった気がした。俺はもう──人間じゃない、のか。


「化け物じゃないわ。アイツらの計画が成功した時、この地球の人類は全てアンタと同じになる。これは人類改造計画を進行している宇宙人が先方として中無き人エンプティを生み出し、試用実験をしているに過ぎない。つまりアンタは未来の人類にいち早くなっただけ。化け物っていうのは私やアイツらみたいなやつのことを言うのよ」


 これは慰めなのだろうか。それとも気休めか。ともかく俺は今まともじゃないということだ。


「……じゃあお前は人じゃないってのか?」


「ええ、違うわ。私は──」


  何かを言おうとしてエルゼはピタリと口の動きを止めた。そしてその目つきは狂気じみたものとなり、窓の外へと視線が向けられる。


「……来たわね」


「え? ──!?」


「踏ん張りなさい。死ぬわよ」


 体を伝わった電気のようなものが体を勝手に動かした。自然と足と床を固定するように力を入れ、体勢を低く身構えさせられる。


 それと同時に部屋に爆弾が投下される。爆弾というのは例えであってそれではない。しかしそれに匹敵する爆発が引き起こされ、部屋の大半が吹き飛ばされる。灰燼がものすごい勢いで俺の体を襲った。


「うわああ!?」


  破壊された木の破片やインテリアの欠片が俺の体を切り裂き、貫き、体は穴だらけになる。だけど──


「あ、あれ? 何も痛くない。それに穴が塞がってる?」


 全く痛みというものを俺の体は感じなかった。それに出血も何もない。突き刺さり穴が空くのを俺は見たが、その穴もどこにもない。


「当然よ。今のアンタのその体は虚像だもの。見えているだけで実体ではない。穴が空いてもそう見えるだけ。結果としては何も刺さらなかった。アンタに物理は効かないわ」


「──! エルゼ! 大丈夫……か?」


  目を向けた先には化け物がいた。煙の中から現れたのは真っ白で凹凸のない表皮で手足のない謎の棒のような物体。それに加えてそいつは真っ白な鱗粉のようなものを撒き散らす蝶のような羽を持っている。目や口はなく、首もない。しかし菊の紋のようなものが中央部にある。それが何を表すのかが全く分からない。時空が歪むような不気味な姿。


 だがこいつを凌ぐ化け物はこれだと謎の直感が訴えかける。先程の灰燼を意にも介さず、穢れを受け付けない光り輝く美しい姿。それと対象的に目の前の獲物に向けられた恐ろしい形相と真紅の瞳が高次の存在であるということを決定づける。


「──選びなさい、ジン。私というに従属し、安寧の逃避に走るか。それともアンタは生まれ変わったその力を行使して、生みの親を殺すのか」


 突きつけられた二択。化け物を相手にしなくてはならないのはこの場にいる俺だけだった──。

 

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