紅に染まる空

みゅう

第1話 まるで気泡が生まれるように。

 ポコッと。

 水の中に生まれた気泡のように、意識が一つ一つ僕という存在の表面に浮かび上がる。


 僕は誰だ?

 僕は僕だ。

 だから、それは誰だ?


 自問自答。本来ならする必要のない問いを僕は自分自身に行い、自身で答える。

 僕は……そう。僕は空井そらい蒼太そうた。十七歳の高校二年生。性別は男だ。


 なぜそんな当たり前の事が、すっと出てこなかったのだろう? そもそも、なぜそんな事を僕は自分自身に問うたのだろう?


 寝ぼけているのか?


 そうだ。僕は今寝ているのだ。だったら、する事は一つ。早く目覚める事だ。


 早く目覚めて――


 閉じていたまぶたを開ける。


 ぼやけた視界に映るのは見慣れない高い天井。


 ここはどこだ? 日本家屋? しかも、相当古そうだ。


 一体僕はなぜこんな場所に……?


 布団の上に体を起こす。


 そこで初めて自分が布団に寝かされていた事に気付く。


 どういう状況なのだろう? それにここは……?


 辺りを見渡す。


 広い、自分の家のリビングの五倍はありそうな部屋の真ん中に僕は寝かされていた。


 たたみ障子しょうじふすま。まさにTHE日本家屋といった様相の部屋だ。


 完全に開け放たれた障子側には木材で出来た廊下と、緑豊かな庭が見えた。


 ホント、ここはどこなんだ?


 ふいに廊下がきしむ音がしたと思うと、その音は段々とこちらに近付いてきた。そして障子にシルエットが映る。


 女性? 背はそれ程高くなさそうだ。百五十くらいか。体形はスリム。着ているのは洋服、スカートか。


 僕のその考えの答え合わせをするように、一人の少女が障子の切れ目に姿を現した。


「あ」


 少女は僕の顔を見ると、驚いたように口元を押さえた。


「目を覚まされたのですね」


 綺麗きれいな女の子だった。腰まで伸びた黒い長髪。整った、それでいて主張の強くない美しい顔立ち。体形はスリムながら二つのふくらみは確かに存在し、否応なく僕の視線を引き付ける。


「良かった……」


 その言葉に僕は我に返る。


 何を僕は初対面の少女に不躾ぶしつけな視線を送っているのだ。

 寝起きで思考回路が鈍っているのだろうか? しっかりしろ、僕。


「君は?」

「私は樹神こだま紅羽くれは。この神社の一人娘です」

「神社?」


 ――っ。


 何かを思い出そうとして、痛みがそれをはばむ。


 僕は何を忘れているのだろう? そもそも、僕はどうしてここにいる? どうやってここに来た?


「あなたはご神木の前で倒れてたのです」

「ご神木? 倒れてた?」


 ……ダメだ。思い出せない。


 思い出そうとすると、先程同様、鈍痛が頭に走る。


 頭でも打ったのだろうか?

 そう思い頭をこするが、ケガの形跡はおろかタンコブ一つなかった。


「一見どこにもケガはなさそうでしたが――」


 そんな事を言いながら、少女が近付いてくる。


「お加減はいかがです?」

「気分は大丈夫ですが、その思い出せなくて。自分がなぜここにいるのか」

「まぁ」


 再び少女が口元を抑える。


「それはそれは。……ですが、困りました」

「何が、ですか?」

「この村からは今出られないのです」

「……はい?」




 紅羽さんの話によると、村から出る唯一の手段である橋が昨夜の大雨で流され、当分の間、村から出る事も村に入ってくる事も出来ないそうだ。

 という事は、僕はその橋が流される前にここにやってきたのか。運がいいのか悪いのか。


 けど、なんのために?


 記憶を呼び起こす足がかりになるかもしれないと、紅羽さんが村の散策をすすめてくれた。


 ちなみに、紅羽さんのお父さんにもお会いしたが、とても気さくないい人で、見ず知らずの僕にここに何日でも滞在してもいいと言ってくれた。記憶が不確かで村を出る事も出来ない僕にとってその言葉は何より有難ありがたかった。


 というわけで、当面の心配がなくなった僕は、紅羽さんに勧められるまま、村を散策する事にした。


 村を散策する上で、紅羽さんは僕に一つの注意事項を伝えてきた。それは、村境には近付かない事。橋が流されただけでなく、他にも地盤が緩んでいたり木々が倒れていたりと危ないらしい。まぁ、当然といえば当然な話だが。


 散策の最中、大勢の村の人と遭遇したが、皆一様に優しく明るかった。

 僕の事を本気で心配してくれてはげましてもくれた。


 だけど、なんだろう? なんとなく違和感のようなものを覚えた。生身の人間を相手にしているというより、まるでゲームのNPCを相手にしているような……。


 考え過ぎ、だよな。見知らぬ場所で、警戒心が必要以上に働いているのかもしれない。失礼がないように気を付けなければ……。


 一通り村の中を見て回り、最後に行き着いたのは村の出入り口だった。村全体は森に囲まれており、村の外に繋がる明らかな道と呼べる物はここだけのようだ。


 建物や田畑からは少し距離が離れており、周囲に人気はない。


 紅羽さんからは近付くなと言われたが、顔をのぞかせて見るくらいなら別にいいだろう。どのくらいの状態なのかも把握しておきたいし。


「おい」


 背後から声がした。低い、男性の声だ。

 振り返る。するとそこに中年の男性が立っていた。手には猟銃を持って――って、猟銃!?


 反射的に僕は身構える。


 身構えたところで猟銃相手に何が出来るのかは分からないが、そんな理論的な思考より本能が先に立った。


 走ったらなんとかなるか? いや、それより組み付いた方が……。


「すまんすまん。驚かせてしまったかな」


 それまでの不穏ふおんな雰囲気がうそのように、急に男性が愛想のいい笑みをその顔に浮かべ、こちらに近付いてきた。


「そっちは危ないから忠告しようと思って、つい怖い声を出してしまった。許してくれ」

「いえ、危ないとは?」


 僕はとっさにとぼける事にした。


 紅羽さんの事を信用していないわけではないが、情報は多いに越した事はない。


「ん? 昨夜の大雨を知らないのか? 木や泥やら色々な物がその雨で流されてきて、足の踏み場がない程だという……」


 紅羽さんから聞いた以上の情報は得られないか。まぁ、その情報を新たに他の人の口から聞けたというだけでも収穫か。


「すみません。僕、この村にどうやって来たのか記憶がなくて」

「記憶が……。そうか。それは災難な。樹神さんのとこに世話になってるんだろ?」

「えぇ。でも、なぜそれを……?」

「ここは狭い村だ。噂はすぐに広まる。いい噂も悪い噂も」


 その意味深な物言いに、僕は何か釘を刺されたような気持ちになった。全て筒抜けだぞというような……。


「あはは。少し悪ふざけが過ぎたかな。樹神さんは本当にいい人だ。記憶が戻るまで精々養生させてもらいなさい」


 そう言うと男性は笑いながら、村の方に去って行った。


「……」


 村の外を見に行く気にはもうならなかった。

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