高校教師 森久志の憂鬱 後編

「久志、どう? 気持ちいい?」

「うん、ユウ君すごくいいよぉ(ストロークも付けずにガツガツ腰骨を叩きつけるだけのピストンが良いわけないだろ。プレイが雑すぎんだよ)」

 仕事終わりに待ち合わせてそのまま同性オッケーのラブホテルにしけ込んだ俺は、付き合ってまだ二ヶ月のユウくんの下でアンアンと白々しい声を上げていた。

「ホント久志は淫乱なんだから。オラいけ、いけっ!」

「あ、ああっ、イクイク!」

 目を閉じて一生懸命快感の欠片を集めて、最後は自ら手コキしてどうにか達する。コトが済んだら一人で満足してぐうすか寝こける彼氏の横で、俺はため息を押し殺した。


 なんで内心文句をブー垂れながらもこんな男と付き合っているのかと言えば、なんのこたぁない。俺がとしか付き合えないお粗末な男だからだ。

 食べても太れない体質、いくらジムに通ってもつかない筋肉、チビではないのにチビと言われる薄い身体。薄い額。おまけに中身は控えめにいってもゲスだ。

 オスとして負け組な俺が人気の髭マッチョと付き合うには、重くて歩けなくなるほど沢山武装せねばならない。ゲスな自分をおくびにも出さず、一所懸命ヨイショして、素直で従順で淫乱な男を演じなければならない。……インランはまあ、演じなくてもできるけど。

 そうまで頑張っても、俺が捕まえられるのはこの程度の男止まりなのだ。


「なあ、久志クンって先生やってんだよね」

 寝ていると思っていた彼氏が唐突に振り向いて、俺はびくっと肩を震わせた。

「え、ああうん。そうだよ」

「どこの学校? 家は船北だったよね、あの辺り?」

 うわぁ、職業なんて正直に言わなきゃよかった。もう少し深い関係になるまで、自宅になんか連れ込むべきじゃなかった。

 見た目があまりにも好みだったので、俺は初手で必死になり手持ちのカードを切りすぎたのだ。

「それは秘密だよぉ」

「なんでよ、教えてよ」

 すり寄って耳にキスしてくる。

「ダメだよ、ユウくんだって色々秘密にしてる事あるでしょお〜」

 出来うる限りの可愛さを演出したつもりだったが、ユウくんは急にツンとした顔になると、もういいとまた布団を被って寝てしまった。自分なんて本名かどうかだって怪しいくせに。


 経験上、態度が急に変わる男は例外なく危ない。スイッチが入ると途端に暴力的になる。

 死んだ親父も俺の兄もそうだった。特に昭和のヤンキーだった歳の離れた兄貴は、それまで上機嫌で話している途中でなにが気に障るのか急に回路が切り替わるように凶暴になり、家族は涙も枯れるほど泣かされてきた。

 それが親父が死に、結婚して子供ができた途端、本人も周囲の評価も『昔ヤンチャだった立派なご長男』に早変わりし、おかげで俺は目出たくオカマの次男に降格だ。

 親父や兄貴が暴れるたびにお前だけが頼りだと俺の背中にしがみついていた母はその背中を突き飛ばし、兄の昔の所業などなかったかのように、お兄ちゃんを見習え、オカマなんてやめて孫を見せろと言いだす。俺が小さい頃母親の口紅を勝手に持ち出した事はいつまでも忘れてくれないのに。

 まあ俺はどう転んでも女と寝られないし子供も作れない、親にとっては出来損ないの息子なのだから、兄が更生してくれるに越したことはない。

 せめて可愛い甥っ子達だけは、俺のようにも兄貴のようにもなるなよと願いながら、一人侘しく帰り支度をした。



 そんなやりとりがあった事も忘れかけたある日の放課後。校門の側で不審者が中を覗いているという女子生徒の訴えを聞き、瞬時に背筋に冷たいものが走った。

「なんか、森って先生はいるかって聞かれたんですけど……」

 まさかと思い駆けつけると、まさしく彼氏の姿をみとめて卒倒しそうになる。

「おぉ〜久志クン本当に先生やってんだぁ、高校教師とか超セクシーじゃん」

「なんでこんな学校とこに来たんだよ」

 遠巻きにする生徒を校舎に返し、ユウくんの腕をとって引っ張り出す。

「なんでよ、来ちゃ悪い?」

「良いわけないでしょ、俺、職場には言ってないんだから」

 そう声を顰めると、彼氏の目が据わったのがわかった。息を飲み、怒らせないよう慎重に言葉を選ぶ。

「ごめんね、せっかく来てもらったけど、ユウくんガタイがいいから生徒に怖がられちゃってるみたいでさ」じっと目を見る。「間違って通報される前に帰って」

 ユウくんはその目をジロッと睨み返すと、

「せっかく来てやったのに。覚えてろよ」

 と捨て台詞を残して帰って行った。


 ◆


 翌日。

 殴られて青タンになった左目に大きなアイパッチを貼り、眼鏡をかけて登校した。

 あの乱暴なばかりでちっともよくない男と別れられたのは良かったが、その代償は大きかった。やっぱり見た目このみだけで選んじゃダメだよな〜わかってるんだけどさ〜。

「森先生、どうしたんですかその目!」

「あっ、猪山先生。いやちょっと、ものもらいが悪化しましてぇ。ヘヘヘ」

 見た目で選ぶなと反省したそばからこの俺の体たらく。

「大変じゃないですか〜! うちの下の娘もこないだ小学校でもらって来ちゃいまして、二ヶ月ほど治らなくて眼科通いが大変だったんですよ! でも目は大切ですからね、森先生もしっかり治さないと。力仕事ならボクがやるんで、任せてくださいよ!」

「いやあハハハ、さすが先生頼りにしてますぅ」

 あぁ、やっぱ猪山先生はいいなあ。癒される。内心どう思ってるかは知らないけどさ、素知らぬ顔でこう気遣ってくれるのが素敵じゃん。

 でも良い男は絶対ノンケで、結婚してるんだよなぁ。どっかにいいホモ売れ残ってないかなあ。


 教師の失態ネタに飢えている生徒達はさすがに猪山先生のようにはいかず、毎時間毎時間、担当の教室に入る度に

「先生、どしたのその目!」と騒がれ、その都度

「バイ菌が入ってものもらいが悪化しちゃったんだよ〜」と言い訳に終始したが、我ながら白々しい事この上ない。

 おかげで放課後には、酒の席で喧嘩を売って返り討ちにされたというなんとも情けない話がまことしやかに囁かれるようになってしまった。おまけに馬場教頭から直々に呼び出され、

「酒の席で羽目を外すことはあってもね、生徒に示しがつかないことをされちゃ困るんですよ」

 とお説教までくらう始末。くそ〜、親睦会でとても生徒に見せられないほどベロベロになったおっさん教師達を介抱してゲロの後始末をしたり、何台もタクシーを呼んでケツを押し込んだりしてるのは、いつもザルの俺なんだぞ。今度から酔ったふりして俺もゲロ吐いたるわ。



「うっす、アップすんだかぁ」

「森ちゃん、どしたんその目!」

 お説教タイムが終わり少し遅れて部活に出るとまたもこの話。そうだった、授業のなかった二年生連中は今日まだ顔を合わせていなかったのだ。

「俺知ってる! 酒場の女取り合って相手の男に殴られたんでしょ?」

 なんで噂話が悪化してるんだよ。なんだよ酒場の女って、演歌かよ。

「んなワケないだろぉ、ただのものもらいだよ」

「ものもらいがそんなに腫れる? なんか眼帯の下アザっぽくなってない?」

 二年の一人が至近距離で覗き込んでくる。あ〜髪の毛タバコくせぇなあ。

「昨日の放課後から少し腫れてましたよ、バイ菌でも入ったんじゃない?」

 今日何十回目のやりとりにうんざりしていると、佐田岡が助け舟を出してきた。

「え〜腫れてたっけ?」となおも訝しがる連中に、

「あっ、俺も小学校ん時にダンゴムシ触った手で目を擦ったら瞼がお岩さんになったことあるっ!」

 山田は天真爛漫な顔で目の上にゲンコツを作った。こいつ空気読めないけれどこういうところ可愛いわぁ、父性本能をくすぐるタイプだな。

「えぇっ、森ちゃんいい歳してダンゴムシいじってたの?」

「いじっとらんわ!」

「あ〜わかった、センズリこいた手で目ぇ触ったんでしょ、森ちゃん包茎?」

「おうそうだよ! うつされたくなかったら早よ校庭走って来い!」

「ぎゃははは!」

 ぎゃいぎゃいうるさい背中を追い回して、それに紛れて佐田岡の肩を軽く小突く。

「サンキューな」

 目も合わさずに小さくそう言うと、佐田岡は少しだけはにかむ顔を見せて、すぐにまた仲間達の元へ走って行った。


 ◆


 青タンもだいぶよくなって、裸眼で登校しだした頃のこと。

 その時間授業がなく雑務を片付けていた俺は、他の教師が出払っていてめずらしく職員室に一人きりだった。

 まだクーラーを入れるには早すぎる季節、ブラインドを閉めたまま窓だけを開けていると、外からキィと軋む音が聞こえた。きっと部室のオンボロドアだろう。

 こんな時間に誰が出入りしてるんだ、と例の隙間から下を覗くと、佐田岡が樹々の間を抜けてひょいと部室棟裏に現れた。

 授業中にまで告白タイムかいと呆れていると、ニットベストの下からなにやら白いものを取り出すのが見えて思わず眉間に皺がよる。おいおい、まさか窃盗じゃねえだろうな。せっかくただのモテ男じゃないなと見直したばかりなのに、綺麗な顔して手癖が悪いとかやめてくれよぉ。

 固唾を飲んで見守るなか佐田岡が白いものを広げると、それはただのシャツだった。ハイネックのロンTで、おそらく野球部の練習着だ。

 えっ、と思ったのも束の間、佐田岡はおもむろにシャツに顔を埋めた。

「おいおい……」

 戸惑いがうっかり声に出て、咄嗟に口を覆う。誰もいなくて良かった。

 そのまま息を殺して下を見ていると、佐田岡はシャツに頬擦りしたり、顔に被せて思い切り息を吸い込んだり、胸のネーム刺繍部分にキスまでしだした。

 さすがに股間こそ弄ってはいないものの、完全にオカズにしてやがる。

 十分近くひとしきりそうしてから名残惜しそうに顔を離すと、シャツを膝の上でキッチリと畳んで、少し悩んでまた広げ、今度は雑に畳んでまたベストの下に隠して樹木の隙間に消えていった。


 ほええ。

 見てはいけないものを見てしまった。

 学校一のイケメンのとんでもないネタを握ってしもうた。


 練習着って事は野球部の誰かだよな。三好か? いやそんな感じじゃないな……。大穴で二年生ってことはあるか? とそこまで考えてピンときた。

 山田か。

 そう考えると、全てのことに合点が入った。

 なんだよ。よりによってなんでそんな普通の冴えない男がいいんだよ。

 あれだけ容姿に恵まれて、人気の女子からも告白され放題で。成績だって悪く無い。運動ができないことなんて社会に出ちまえばどうってことない。

 どこへだって行ける、これからなんにだってなれそうなのに。

 それなのにお前はその横にいる普通の男が好きなのか──


 いや。俺までそんなことを言ってどうする。俺たちが散々言われ続けてきた呪いじゃねえか。そうだよな。どうしようもないよな。理屈で人を好きになるんじゃ、ないもんな。

 俺は自分の遠い初恋を思い出して、かすかな胸の痛みにふっと笑いながら窓を閉めた。


 その日の放課後、部活がない代わりに校門での『帰りの声かけ運動』たらいう意味のないクソだるい、もとい大事な業務をこなしていると、下校する集団の中に五月に告白していた子とは違う女子と腕を組んで帰って行く佐田岡をみかけた。その横顔はひどくつまらなそうだ。野球部でバカをやっている時とはまるで別人。

「佐田岡、あいつまた違う相手といますね。そろそろ生活指導いれたほうがいいですかねえ」

 一緒に声かけをしていた一年生の担任が、ため息混じりに漏らす。

「いや……まあ、今のところトラブルの話も聞かないし。上手くやっているうちは介入しなくていいんじゃないですか? モテないようにしろとは言えないですからね」

「たしかに、あの見た目じゃモテるだろうね〜」

「自分だってあの外見に生まれたら、今の佐田岡以上にブイブイ言わせちゃいますよ」

「あはは、それもそうだ」

「僕も部活でそれとなく話しますんで、しばらくはそっと見守ってやりましょう」

 去っていく二人を見送りながら、そう言ってバチンとウインクする。


 あれだけの背丈と容姿なら、本人が好むと好まざるとに関わらず、きっとなにをするにも目立って仕方ないだろう。仮に二丁目界隈に出入りしていたら、場末のホモの俺の耳にすら噂は届くはずだ。ゲイネットワークは思ったよりもずっと狭いのだ。

 佐田岡は好きな男に告白もせず誰にも打ち明けず、秘密裏に欲を発散することすらできずに、山田に向けるような優しい顔を見せることなくああやってつまらなそうに女の子と付き合って、一生本心に蓋をして生きていくのかな。

 誰にも見つからない(俺が見ていたわけだが)秘密の場所で、シャツを抱き締めることがお前の精一杯なのかな。

 そう思うと昼間痛んだ胸が、さらに締め付けられるような思いがした。

 あいつは自分の恋心に悶々と悩んでいるんだろうか。先人おれたち過去ししゅんきにさんざ悩んで来たように。

 なら俺は三年間しかお前達に関われないけれど、せめてその間だけでも見守ってやろう。でも、もしなにかあればその時は相談にのるよ。俺は二つの意味でお前の先輩だもんな。


 佐田岡の恋心はきっと実らない。

 それでもいつか大人になって思い出した時に、ほろ苦く温かい青春の一ページになるように。たとえどんなに傷ついたとしても、立ち直って乗り越えていける強い人間になるように。


 どうか子供達がみんな幸せになれますように。


 ゲスでホモな前に教師である俺は心からそう願って、生徒達にさよならの声かけをし続けた。


<了>

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