青春と部室 SIDE:H(完全女性向け)

2008年:佐田岡啓司

佐田岡啓司の休息 R15Ver. 前編

佐田岡おまえの本命って、山田だろ」

 同窓会の最中、トイレに立った山田の後を追おうと膝をたてた俺の耳に、信じられない言葉が届いた。


 ほとんど耳に口づけるような距離で、俺にしか聞こえない囁きで、そう告発したのは森先生だった。

 膝に手をかけたまま、固まった首をぎこちなく動かして、

「冗談っすよね」

 笑ってそう返したがうまく顔を作れている自信がない。

「うん冗談! 忘れて!」

 先生は何事も無かったかのように歯を見せて笑うと、ポンと俺の肩を打ってまた酒瓶片手にラクダ達とのモテ談義へ戻って行った。


 なんでバレた、いやバレていたのか? いつから? もしかしてずっと前から?──耳たぶに残る湿度とざわざわした感触に、頭の中で疑問符が目まぐるしく飛び交う。なのに体は硬直したまま動けずにいると、ふいに背後の襖が勢いよく開いた。

「ただいま〜、あっ、男同士でかたまってなにか悪い話してるう」

 席を外していた吉川が戻ってきたのだった。してないしてない、という男達の笑い声に金縛りが解けた俺は、ようやく忘れていた息を吐いた。


 飲んでないと言われない程度に飲み、聞いてないと思われない程度に相槌を打ちながら、頭の中でついさっきの先生との会話を反芻する。

『でも不特定多数からモテたって仕方ないじゃないですか』

『本命から好かれなかったら意味がないでしょ』

 普段なら聞き流してすぐに忘れる程度の戯言でも、先生の前で本音を漏らすべきではなかった。相手が酔っ払いだと思って油断しすぎたかもしれない。

 先生が山田に意地悪く絡む様子は、明らかにわかっていて揶揄からかっているように見えた。それがまさか、自分の胸の内まで知られていたとは。


 さっきトイレに向かった吉川と、後を追うように席を立った山田。はたから見れば示し合わせて抜け出したような光景だが、かつての恋人に視線すら向けられず目の前の小鉢ばかり見ていた山田は、吉川が席を外していたことにすら気づいていない。

 いつもそうだ。俺が邪魔をしないと、あいつらはこうやってすぐタイミングが合いやがる。でももう高校の時のようなミスは犯さない、二人きりにはさせない──そう呪詛めいた感情に突き動かされ立ち上がったその刹那、右耳に先生の声がはじけたのだ。誰にも言わず、胸の奥深くに隠し通した俺の本命の名が。

 その名とともに、けして口には出さない醜い嫉妬心までも先生に見透かされたようで、と同時に先生の軽い調子に毒気を抜かれたのも事実で。

 おかげで俺は、吉川から五分ほど遅れて座敷へ戻った山田に、軽く笑ってお疲れと声を掛けることができた。

 お前は過去の傷に自ら向き合うような奴ではない。二人きりになったとしても、吉川を江崎から奪い取るような甲斐性は持ち合わせていない──俺は誰よりも一番知っている山田の性格を思い出せたのだ。


 それでもなお俺は、山田に釘を刺すことを忘れない。

「なあ。梨花ちゃんのこと、早く忘れた方がいいぜ」

 わざとらしくちゃん付けをして。喉元まで出かかった秘密を匂わせて。

 山田は目を泳がせる。相変わらずわかりやすい山田の顔。

「なに言ってんだよ、もうとっくに忘れてるよ」

 嘘つき。お前の心の真ん中には、いつまでも吉川がいるくせに。

「ならいいけど」

 だから俺も、また一つ本音を隠した。



「あいつらさぁ、絶対あの後どっかシケ込むよなぁ」

 ラクダが言うと、周りからあははと苦笑めいた声があがった。

「焼け木杭になんとやらってな」

「つうか江崎が来なかったの、絶対仕事じゃねえよな」

 酒が入り気が大きくなったのか、好奇心の中に悪意を込めて三好と橋本も同調する。

「ちょっと江崎に『今から梨花ちゃん帰りまぁす』って帰るコールしてみようぜ」

 とラクダが携帯を取り出したところで、そろそろ止めに入ろうとした俺より先に先生が口を挟んだ。

「ほらほらお前らぁ、人のこと詮索してないで、はよ二次会の場所決めろぉ。ていうか俺の相手して! 寂しい!」

「寂しいなら森ちゃんもはやく嫁さんもらいなよ」

「付き合ってる人いねえの?」

「先生いまいくつ? よんじゅう?」

「馬鹿野郎まだ三十八だよ! まだまだまどっとるわい!」

「ボケがわかりづれぇよ」

 船木場砲ぶんしゅんほうの矛先が先生に向かい、瞬く間に山田は過去の人になる。


 ほっとした俺は皆の一歩後ろに下がって、酔いのまわる頭でグルグルとまとまらない考えごとをした。

 先生にいつバレたのか、そしてなぜ俺にあんな形で告げたのか。引っ掻き回して面白おかしく眺めたいからか? いや、先生はそういうキャラではあるが、そういうではないと思う。今だって冗談で済む事と洒落にならない事の線引きをして、ラクダを止めていた。

 そして結局二人きりになった山田達。

 吉川は山田を引き留め誘うだろうな。今日江崎を連れずに一人で来てあの場に残ったということは、そういうことだ。下世話な週刊誌の記者でなくとも一介の野球部員だってわかる簡単なこと。気がつかないのはいつでも山田一人だけだ。

 だからラクダの言うことは半分当たりで半分外れだろう。吉川の誘いに山田は乗らない。その確信があるからこそ、嫉妬よりもいまは怖い。ヤケになった吉川が山田になにを言うか──

「なにボーっとしてんだよ佐田岡ぁ、お前酔ってんだろ! 二次会カラオケに決まったから行くぞ〜」

 一歩後ろのつもりがいつの間にかだいぶ離されている。仕方ない、なにをどう考えたところで、いつだって俺の思うようには行かないんだ。

 俺は頭を振り五歩ぶんの不安をはじき出すと、今行くと言ってカラオケ屋に向かう元野球部員達の背中を小走りに追いかけた。



 青春時代を共にした面子がカラオケになだれ込めば、当然流行歌よりも九十年代ソングに熱がこもる。たまに八十年代派の先生がブっこんでくる上手うますぎる中森明菜にツッコミを入れながら、俺たちはマイクと大量のビール片手に、リアルタイムの鬱憤を晴らすかのごとく懐メロで盛り上がっていた。


 ラクダがGLAYを熱唱する最中さなか、「ちょいと小便」と立ち上がった先生がふらふらとよろけ、出入り口に一番近い席にいた俺に向かって倒れ込んで来た。

「おぉっと悪い」俺の膝についた手を咄嗟に支える。「あ〜回ってんなぁ」

「♪Oh 森ちゃん〜飲み過ぎだよぉ大丈夫うぅ」

「ラクダうるせぇ!」

 調子っぱずれのラクダのシャウトに被せるように叫ぶ三好もうるさい。橋本はもうすでに潰れてソファで寝息をたてている。

「でもほんと飲み過ぎっすよ、立てる?」

 ぐたっとしたままの先生の脇を支えて立たせる。

「♪佐田岡ぁ老人介護おつぅ〜」

「だれが老人じゃ、まだ俺は三十代の若人わこうどらよぉ」

「わこうどって。ホラいいから肩貸して」

 俺は笑って、おぼつかない足元の先生を介抱する名目でトイレにつきそうことにした。



 先生の片腕を支えながら、廊下の先にある洗面所を目指す。俺にもたれかかった先生は、機嫌良さげに『飾りじゃないのよ涙は』と口ずさんでいるが──

「……もしかして先生、全然酔ってなくない?」

 言い終わるや否や、先生は俺の胸に寄せていた顔をパッとあげ、にやりと白い歯を見せた。

「はっは〜ん、わかった?」

 この身長差で酔っ払いを引き摺っている割にはやけにスムーズに歩けると思ったら、案の定だ。

 酔った振りをやめた先生は明菜のモノマネでそう言うと、だらしなく寄りかかっていた背筋をシャンと伸ばして仁王立ちした。

「実は俺、めっちゃザルなの」

「なんなんすか。あんま揶揄わないで下さいよ。あんた教師でしょ」

 こちらはフリではなく正真正銘酔っているので、ガリガリと頭を掻きつつ口調がなげやりになってしまう。

「酷いなぁ、揶揄ってなんかないでしょ〜。先生はね、相手にして欲しくて必死なんだぁ、寂しいんだよぉ」

 わざとらしく泣き真似をする姿に少し苛ついた俺は、周りに人がいないのを確認してから先生を自販機横の壁際に追い詰めた。

 十五センチ上から見下ろす俺の影が、細身の先生を覆い隠す。

「おいおい、なになに?」

 それでもなお面白がるような先生の耳元に、ひそめた声で問いかけた。

「どの辺からバレました? 俺、結構気をつけて生きてると思ってたんですけど」

 すると先生はハッと肩をすくめて、やはり声を潜めて答えた。

「まあ、昔からなんとなくっていうかね。……俺もソッチだから」

 そっち。つまりはこっち側ゲイだということか。驚きが半分、やっぱりなというのが半分。

「あれ、驚かねぇな」と少し期待外れの顔をしたかと思うと、今度は急に慌てて取り繕った。

「待てまて、もしかして俺こそバレてた? 誓って生徒には手を出してないよ!」

「いや、それこそ同じ穴のナントカってやつで」

 俺は後ろを振り返り誰も見ていないのを確かめて先生から離れ、酒臭いため息をついて自動販売機にもたれかかった。

「先生、女子の胸とか足とか全然見ないでしょ。やっぱ聖職者でもロリコン趣味じゃなくても、本能的にみんな見ちゃってるんすよ。だから、女に興味ないのかなとは思ってました」

「あ〜そういう所からバレたかぁ。仕方ねえよな、だって本当に興味ないんだもん」

 そう、どんなに隠していても時に同類には匂いを嗅ぎつけられてしまう。同じように俺の視線も先生にバレていたのだから。

「もしかして、野球部の監督代理なんて面倒な役割を引き受けたのもそのせい?」

「えぇ、それ言っちゃう?」先生は外国人がやるようなポーズでおどけて見せる。

「そりゃそうだよ、誰だって役得のないモンはやらないだろ。目の前で無防備に生着替えしてくれる環境とか、普通の男にとっちゃ女子水泳部みたいなもんじゃん。あっ、だからと言って覗きはしてないし生徒には手を出してないからね」

 重ねて否定する先生だが、きっと真相はヤンキーの溜まり場を持て余した本来の監督である体育教師に、体よく押し付けられて断れなかったってなところだろう。いかにもゲイ受けしそうなマッチョで男臭いタイプだったもんな。

「お前もカムする気ないんだろ? お互い気をつけないとなあ」

 先生はカラッとした笑顔でそう言った。


 結局のところ、先生はお仲間の俺相手にカムアウトをしたかっただけなのか。秘密の共有者が欲しくなる気持ちは俺にもわかる。誰にも言えない、けれど誰かに告げたい気持ちが破裂しそうな夜がある。

 アルコールで停滞した俺の頭では、今日はこの結論で精一杯だ。


「……高校の頃、俺はどう見えてた?」

 無礼講ついでに気になって聞いてみる。

 客観的に見れば、俺は山田という本命が居ながらフラフラと女を取っ替え引っ替えしているクズでしかないだろう。

「高校ん時かぁ。お前のモテっぷりは職員室でも話題になってたんだよ」

「うわ、初耳」

「相当遊んでるって話も耳にしてたけど、でも誰にも本気じゃなさそうだったしさ。もしかしてお仲間かなあと思って気にしてたら、いつも山田の側にいるお前に気がついたんだよな。まあ山田は見るからにそのケがなかったけど、結構応援してたんだぜ」

 懐かしそうに遠くを見る先生に釣られて、俺もあの頃を思い出す。ただただ必死に山田の一番側にいたかったあの頃を。あれから俺は変わっただろうか? それとも、心はあの時のままだろうか?

「だから……吉川が山田とくっついちまったのは悪かったよ、俺も想定外だった」

 そう言って先生は目を伏せた。正直言って、先生が吉川を連れて来なかったらと、やりきれなさに唇を噛んだことはある。でもそれは仕方のないことだ。仮に吉川と出会わなくとも、山田の一番で無くなる日は遅かれ早かれ来たと思う。

 ……山田が居ないところでは俺もこうやって平静を保って考えられるのに、なんで本人を目の前にすると情動的になってしまうんだろう。

 まったく恋は愚かだ。

「つうかさ、吉川も見る目ねえよなあ。こんな良い男が山田の隣にいたのにさ」

 自分のどうしようもない感情に思わず苦笑いした俺に、先生はそう言って肩を小突いた。

「俺、吉川のことは嫌いだけど。見る目だけは誰よりもあるよ」

 俺が少しの苦々しさを込めてそう返すと、先生は声に出して笑い、「そりゃ悪かった」と言った。


「さ、そろそろ戻らないと怪しまれちまうわ。俺は小便してくるから、佐田岡は先に戻る?」

「ここで待ってます。大丈夫っすよ、あいつら生粋きっすいの女好きだから。今頃森ちゃん佐田岡に女紹介してもらってるぜ〜とでも言ってるよ」

「あっはは、違いねぇ」

 笑いながら男子トイレへ向かう先生の後ろ姿が、ポツリと「本当に大好きなんだなぁ」と独り言のように呟くので──俺は思わず目尻に浮かんだ涙を、誰にも気づかれないように拭った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る