二十四歳

17 桜を愛していた


 ――形代の本能が、目指すべき場所を視せる。白銀の雪花を降らす白虎わたしは、桜隠しの疾風となり咆哮した!


 白虎わたしの雪花届かぬ、羽衣石ういし家の領地……山間の桜丘。緋寒桜 ひかんざくらは俯き、狂い咲く。濡れたように撓垂しなだれて、正絹のようにしなやかな緋紅色ひこうしょくが『蝶狩り』へといざなう。張り詰めた面持ちの羽衣石 那桜ういし なおが紙繭の封を解けば、『青白磁色の蝶』の群れが桜と舞った。刃にて囲う無骨な花人衆に、春風に乗った忍び笑いが囁かれる。花の精と紛う、女の声だった。


「ようやくお出ましか! 私を何年待たせる気だ! 」


 筆頭の尾白 隆元おじろ りゅうげんが、上下両刃の『白虎びゃっこ三節棍さんせつこん』をの間へ振るえば、*٭✿市女笠いちめがさは裂かれた! 後方へ落ちる、虫のぎぬが透けた向こう……包帯で覆われた異質なかんばせが、潤う唇で弧を描く。若芽わかめ色の壺装束から見えるはずの手も覆われ、風化硝子のような虹色銀化の光沢を放つ淡い長髪と包帯が靡いて魅せた。


春愁しゅんしゅうへ心身を委ね、花冷えに肌を晒せぬ無礼をお許し下さい。お詫びに、妖狩人あなた達が憧れていた『隠世』の心地を教えて差し上げます」


 虹鱒ニジマスの半妖の女……のどかが、己の根源しんぞうに触れた瞬間。満ちた輝きは妖狩人達の形相を凍てつかせた。『蝶』と桜の花弁がに引き寄せられるように妖狩人らを囲い、瞬きで和はのだ! 妖狩人達が虹閃に次々と裂かれ、『隠世』の見えぬ内壁に血の驟雨しゅううが伝う! 肢体の輪郭を虹線にて顕現させ、三稜鏡プリズムを組み込んだ太刀を血振りした和は、光学迷彩にも似た【透明】を解いた。何故、が『隠世』を生み出せるのか。

 

「自ら逃げ道を無くすなんて、笑止! 羽衣石家の『蝶』はあなたの天敵だと知らないの? 」


 男達のどよめきを貫いたのは、那桜の一声! 桜吹雪と『蝶』の群れが和へと渦巻く!

 

「存じておりますよ。滅び蝶の君」  


 、『蝶』達を花火の如き太刀筋で散らした和が、呆然とする那桜を『生力由来術式の虹太刀』で斬り裂く寸前……虹閃を弾いたのは、わたるの『後継の白虎の三節棍』だった!

 

「その包帯も、『生力由来術式の札』とみた! 命懸けで生力を肌に纏い、妖力を秘すとは小賢しい! 『白虎の三節棍』の虎落笛もがりぶえを前にして、妖のお前が意識を保てるのにも小細工があるんだろうな! 」

  

「私は薄布の境から、貴方達のだけ」

 

「まさか、耳を潰したのか! 忌々しい女だ! 」

 

 舌打ちした隆元が『白虎の三節棍』を強靭な尾の如く振るえば、白柄に銀の虎縞が浮かび輝く。桜木の間を疾走する和に、渉は三節棍の鎖を引き出し遠投した!呼応する尾白家親子かれらの三節棍は、和の左手足を鎖で捕縛し、きっさきの第二投が放たれる!


 ――雪花と駆け抜ける、。驚愕した親子へ、『尾白家かれらの生力由来術式の形代』である私は頷く。蒼黒そうこく鵲眼しゃくがんに白虎を映した渉は、咲雪わたしの名を信じ難いように呼んだ。


 『白魔ノ虎わたし』が乱入に咆哮すれば、白虎・三獣図! 逃れられない和は、白虎わたしの牙と対なる三節棍に穿たれた……はずだった。


 白虎わたしが咥えていたのは、瑠璃牡丹柄に透ける千早。対なる鋒で抉れた幹の隣で、青い巫女装束の女が私達を睨んでいた。元妊婦の彼女は、咲雪わたしが『蛍烏賊ホタルイカの海辺』で出会った『あお巫女姫みこひめ』ではないか! 隆元は苦く眉をひそめた。

  

「おのれ虹鱒ニジマスの半妖め……徒人ただびとの手駒まで潜ませていたか!」


「いきなり刃を向けるなど、不躾な! あおかみ様に仕える『あお巫女姫みこひめ』である私は、弐混にこん神社の大西 玲香おおにし れいかです。誰が、に降る必要があるのですか! 」

 

 まさか、仕込まれただと言うのか。針形の仕込み火箸で『蝶』を串刺しにしていた『青ノ巫女姫』は隆元を睨み付け、苦無クナイを放つ! 切っ先が狙う背後には、まなこを見開く那桜! 隆元は三節棍を引き抜き弾くも、一部の苦無は『蝶』を仕留め、那桜の頬を掠めていった!


「『メツ』の術士まで狙うなど御法度であろう! 『蝶の間引き』では無く、『滅絶』が目的か! 」

 

「『蝶と術式』を全て滅するを邪魔立てしなければ、命までは取りません。弐混神社わたしたちの【異能】を欲して仇なす『宮本家』に属する、『羽衣石家』次第です」


 忍び嗤う気配に樹上を煽り見れば、【透明】を解いた和が現れ、『青ノ巫女姫』への疑心暗鬼を肯定するように見下ろした。咲雪わたしへ行ったように……妖狩人らの疑心暗鬼を形代たにんに擦り付け、手駒のように見せるのが『首謀者』らの十八番おはこなのだろう。

 

「残念ですが……徒人を殺せない妖狩人の掟に従う隆元あなたの相手は、その女であってわたしではありません。精々、『蝶』ごと羽衣石 那桜を滅されないように、踊って下さい。あるじと私は『尾白家の術式』が手に入る、『後継の白虎の三節棍』を選んだのですから」


 和が虹光こうこう纏う鋒で示した眼下には、嘲笑を返すわたる。嫌な予感に、白虎わたしは尾が逆立つ。


「妖を素手で殺せる程に強靭な隆元ちちうえを諦め、俺を殺しに来たと。に殺せる程、脆弱だと胸算されるとは心外だな」


「ならば、貴方の強さを証明して下さい。を、私に果たされたくはないでしょう? 」


 渉は鵲眼に鋭光を宿し、瞬く間にかんばせを強張らせていった。


「まともに聞いたら駄目! 渉を孤立無援にさせる為の罠よ! 『後継の白虎の三節棍』を、白虎わたしに渡して! 」


 白魔ノ虎わたしが生力由来術式を介す虎爪こそうで叩き抉った地面が、激昂の白へ凍結する! 私の心音が荒れる中、渉は苦々しく首を横に降った。

  

「頷いたら、俺を守る為に咲雪は奴らに降り……望み叶わぬ時は、再び己の生力を形代に込めてまで、戦いに命を賭けるつもりなんだろ。絶対に許す訳が無い! 咲雪を脅かす盗っ人の首を喰い千切るまで、猟犬おれは狩りを放擲ほうてきしない」


「渉は……置いて行かれる残酷さを知らないから、言えるのよ。守られることに甘んじたくないというのは、そんなにいけないこと? 」


「なら、分かってくれるだろ? 俺の守りたい気持ちを。手の内から零れるくらいなら、いっそ檻の中に安寧を閉じ込めたい……咲雪を誰にも奪われたくないんだ」 

 

 愛しい残酷さを突き通してでも、私を守る気なのか。だが、私が被る憎悪のせいで戦場いくさばいざなわれているのは、樹上へ跳躍した渉だ。嘲笑う和を睨むがまま、火種が燻る私も折れることは出来ない。絶佳ぜっかを臨む一手で覆してやる。

 

「可愛い嫉妬ですね、咲雪。死の間際まで、泣かせてあげたくなります」


「生憎、天敵のさえ以外に敵を悦ばしてあげる気は無いわ! 」

 

 桜吹雪と疾走を開始した、樹上の和と渉を追う! 跳躍した白虎わたしは曲芸の如く、戦う隆元と青ノ巫女姫の刃閃の輪を潜り抜けた! 突進する白虎わたしに悲鳴を上げた那桜を咥えて背に放り、掻っ攫う!

  

「しっかりして、那桜! 和を狩るには、貴方の『蝶』が必要なの! 」


「その声……まさか、咲雪!? 私は『蝶』で、あの女を滅せられなかったのよ。勝算なんて……」

 

「諦めるのにはまだ早い。包帯ふだを解いて、彼女の顔を全て見たいと思わない? 領地を把握している羽衣石家の貴方なら、私達に有利な絶佳を知っているでしょ」


 那桜のまなこに、新たな春陽が満ちた。光風を切り裂く私も、大地を蹴れる衝動がまだ生きている。


「ええ。望む絶佳へ案内するわ」

 

 渉の振るう白尾の鋒に咆哮を伴えば、透ける雪華で緋紅の花弁が散る。桜襲さくらがさねに泳ぐ、虹鱒の半妖の彼女は『蝶』をも斬り裂く。和と攻防を繰り返し、誘うは……。満開に俯く緋寒桜を逆さに観た者へ、終焉の装いを。 

 

「華ならば、鮮烈な散り際がいいのです。香炉灰を押さえぬ、瑞々しい桜蘂さくらしべはなむけて……貴方達の前の『のどか』という甜香てんこうを聞いてください」


 藍白と若芽色にほのかな緋紅映す、淡い玉虫色の干渉。虹色銀化の長い髪を靡かせ……振り返る和は、不思議な程に穏やかな声音で語り始めた。

 

「半妖の兄妹わたしたちとして生を受けていたのなら、悔いる生涯ではありませんでした。私が半妖の死の運命さだめに散るはずだった冬。兄様が願いを賭してくれたのに、原初様から根源を授かった私の覚醒は遅すぎたのです。対なる虹蜺こうげい……虹の雌雄龍に羽化すら出来ず、私達は欠けてしまった。仮死状態の私を咲雪の【感情視】から秘す為にっ……兄様は死んだの! 」

 

 刀身を炙る虹被膜は、疾走した和の瞋恚しんい。反薄明に割れる薄緑蛍石フローライトの軌跡が、渉に閃く瞬間を待っていた! 形代わたしはらわたを斬り裂く灼熱の感覚を遮断し、ひらひらと誘惑する包帯ふだごと、和の耳元を噛み割く!

  

「それでも……っ……半妖の死の運命さだめを覆すことは出来ませんでした。血族では無い原初様の根源は半妖わたしにとって、一時の蘇りの夢となった。貴方達の見る私は……散り際の幻なのです」


 腹を抉られたうつろごと、ふらついてしまう。白虎わたしを呆然と支えた渉は、新たな瞋恚しんいにて彼女を睨んだ。


おまえは、『首謀者』たる原初の妖の根源しんぞうを全て継いだのか? 」


 和が耳を抑えても、血に染まる包帯ふだは解けていく。諦念に離されたヒレ耳の色は、透ける莟紅梅つぼみこうばい。虹鱗と紅紫色の虹条にじすじが、両の白頬を彩る。術式を拒絶する緋紅のヒビは、垢抜けない幼さ残る顔立ちを*٭✿に支配しており、私は胸を突かれた。ほんのりと細められた紫水晶アメジストの瞳に、いつか【感情視】で焦がれた郷愁。亀甲竹きっこうちくの林の民家で兄を待っていた彼女は、柔い笑窪えくぼを浮かべてわらっていた。

  

「教えてあげません。ですが、私を殺さねばあなたは帰れない。『完璧な根源しんぞう』と意思を継いだ私が原初様として蘇る『一の可能性』も、私が『欠けた根源しんぞう』を原初様にお返しに行く『二の可能性』も滅ぼすのです。私が貴方を殺して生き残れば、兄様を【感情視】で殺した咲雪を殺しに行くのだから。可愛い智太郎もね」


「兄が死んだ現実逃避に、咲雪へ憎悪を拭いつけるのか。幽霊として、大人しく彷徨っていれば良かったものを! 二度と蘇れぬよう、幽界へ葬ってやる! 」


 疾走する渉は鎖を引き戻し、白柄を繋ぐ。上下両刃の槍となった『後継の白虎の三節棍』を旋回させ、虹太刀を天高く弾き飛ばす! 開眼した和のはらわたは貫かれ、 ついに鮮血が散る! 針のような虹光の閃きに、眩んだ渉は顔を顰めた。

 

 白虎わたしたけき咆哮を合図に、袖を天へ振った那桜が生き残った『滅びの蝶』を呼び寄せ、青白磁の吹雪と成す。王手の感傷が、私の口を衝いた。


「貴方達は、私達に許されない事をした。間者に【感情視】を使った事も、私は後悔なんてしていない。けれど、これだけは伝えさせて。のどか……貴方がわらって待つ家に帰りたいという夢を、貴方の兄は最期まで押し殺していたわ」 


「やっぱり、そうだったのね……兄様は馬鹿よ……。ならば、このを私が後悔する事はないわ」


 蝶吹雪が喰らいつき、紫から赤へ解けゆく副虹メス遡河魚そかぎょである彼女を覆っていく。血塗れた唇に苦痛を滲ませて微笑む和が、己に突き刺さる『後継の白虎の三節棍』を掴んだ瞬間。絶崖がとどろきに割れ、和は峡谷へ身を投げた! 引き摺られた渉が、三節棍を離した時には遅い。花筏臨む峡谷へ、吸い込まれてしまう! 駆ける白魔ノ虎わたしの凍結術式では、絶崖の崩壊が止まらない! 生力が足りないのだ!


白虎わたしに触れて、渉! 生力が有れば、氷の絶崖を生成出来る! 」


 峡谷へ跳躍した瞬間、【透明】が解けた。白虎わたしに手を伸ばす渉の脇腹には……虹の小刀が突き刺さっていた。傷口を掌握する『シン』の術式の許容を超えて、あかく濡らす小刀あれは和の最期の妖力なのか。怖気に白く翻る意識が、咲雪わたし生力いのちを呼び寄せ消費しようとする。

 

「俺の生力は枯渇した。咲雪はこれ以上、命を削って生力を使ってはいけない。虹鱒の半妖の兄妹かれらのように、俺の前で儚く消えないでくれ……! 」


 烈火に乞う渉が頬に触れ、我に返る。澄浄クリアな蒼黒の鵲眼に、白虎と満開の緋寒桜が映り込んだ。術式を生成したあるじを前に、形代からだが軋む理由は一つしかない。


「絶対に術式を解かないで! 私を『人の世』に結び付けた渉が言ったじゃない、自分の為に生き汚く足掻けって! 私の命は貴方の物よ! 」


「駄目だ。咲雪の儚い命は、俺だけの物ではなくなった。……秋陽さんが、結んでくれた希望がある。俺は咲雪に出会うまで、望まぬ戦いの中でいつ消えてもおかしくなかった。だけど怖いのは消えることじゃなくて、何も残らないことだったんだ。俺が遺す波紋は、 夜の水面に柔く消えたりしない。黒硝子を滑らかに割って、貝殻の成長線に似た同心円状のうねりになる。……咲雪と智太郎の事だ」


「本当の事を言ってよ!渉は、私達の『桂花宮家いえ』へ帰りたいんでしょ!」


 柳煤竹色の柔い髪を、緋紅の春風が撫でた。

 痛みに耐えて、

 渉は少年のように屈託なく笑う。

 答えたような物だ。


「やめてぇぇえええっ!!」

  

「満開の地獄の底でも、君を想う」

 

 青白磁の蝶も、緋紅の桜も、

 白銀の雪華も、透明な涙も。

 清絶に砕け、明転に散った。


 暗転に目覚め、手を伸ばした檻の中……

 智太郎を抱く私だけが、

 呼気を荒く吸い込んだ。


「白昼夢なんて、信じないから」


 体温に焦がれた指先が、くろに痺れる。

 鼓動のうねりに縋る私は、

 智太郎の白銀の柔い髪に触れていた。



 

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