03 お揃いの雪華


 一緒に、さぼろっか。


 『対価』を得た私はの理由を与え、秋陽を忙しなく時刻ルールを守る学校から連れ出した。秋陽の『好奇心』を満たす始まりとしては、悪くない。早退したのがになって……那桜は私を恨むだろうか。想像しただけで、歪んだ顕示欲が満たされた。


「学校、こんな風に早退するの初めて……」


「でも、楽でしょ? 私が調のせいだから仕方ない」


 まだ日が高い帰り道。クス、と可笑しそうに微笑する秋陽には、もう調が嘘だってバレている。だが、秋陽は『嘘だよね』なんて言わない。


「咲雪は、感情がどんな色に視えてるの? 」


 秋陽は『嘘』だと分かっていても、私に問う。信じるのが、『本当の友達』だから。私も『本当の友達』の秋陽に、真実を織り交ぜなくては。


「それは、どの感情? 悲しみ、喜び、怒り……? 私は、プルチックの感情の輪や配色イメージで感情を『想像』してるだけ。秋陽にも感情の色を語れるよ。私の【感情視】なんて、洞察力が優れた人間にして見れば玩具にしか過ぎない」


 実際、妖の能力としては中の下程だろう。対象者を操れる訳でも無いし、半妖である私は純粋な妖には劣る。全ての者の感情が視れる訳では無い。私は、自分の洞察力が通じる範囲の人間を言いくるめる事しか出来ないのだ。


「それでも私は咲雪の世界が知りたいな。ねぇ、今の私はどんな色? 」


 くるり、と紺セーラー服のスカートを靡かせる秋陽は『期待』している。私と同じ制服なのに、何故無邪気に微笑む秋陽には、生まれつき陽光の香りがするように似合っているのだろう。


「……そうね。淡い黄色ライムライトかな、瞬いた目の端にちらつく光芒みたいに」


 感情視を使った振りをして、私はうそぶく。

 私は秋陽のようになりたかった。健全で、清く正しいただの『人間』。秋陽は何処にだって行ける……。

 

 私が高尚な『人間』を演じられるのは、きっと少女時代いまだけ。大人になってしまえば、影に負ける私は秋陽の輝きの下。足元まで伸びる光の筋に縋るくらいしか出来ない。半妖の私が大人になれて絶望出来れば、まだ幸せな方か。


「良かった。咲雪には私が綺麗な色に見えてるんだね。浅ましい私の色が、咲雪の世界を汚してしまったらどうしようって……不安だったから」


 ピリッと背を弾かれたように、 拒絶が走る。私達が互いを見つめる世界は真逆なんだと知り得ても、秋陽の言葉は受け入れ難い。


「……何言ってるの、秋陽は汚れてなんかいない。私が認めた秋陽あなたを卑下するのはやめて」


 目を丸くする秋陽に、私はしまったと口を押さえる。全ての真実を話す気は無いのに……私は秋陽に心を許し始めてしまっていた事に気がついた。全てを晒す事は出来ない。私が、秋陽の前には居られなくなってしまうから。


「分かった。じゃあ、咲雪の前では綺麗な感情いろを視せるよ」


 優しく微笑する秋陽に、不意を突かれた私は重い息を小さく吐くことしか出来なかった。【感情視】は、少なからず人の心を暴く能力。自分の心を覗かれたら、嫌悪を抱くのが普通なのに。


 ああ……『嘘』だからか。私が本当に【感情視】をもっていると知ったら、こんな風に秋陽は綺麗に笑えない。

 

「好きにしたら。精々、綺麗な感情いろを演じればいい」

 

「でも、私。咲雪にも綺麗な感情いろでいて欲しいし、感情いろがいいの。咲雪が好きなものを教えてよ」


『友達』らしく秋陽はねだるが……私は自分の好きなものなんて考えたことが無かった。嫌いなものなら良く知っているのに。

 

 炎陽ちちおやから与えられた、自らの心臓だ。妖の証たる白い太陽の根源は、私に人ならざる【感情視】と隠蔽した本来の色彩……そして、憎い体温を与えた。

 脈動する毛細血管の中にまで息衝く熱は、炎陽あのおとこから継いだ異端を常に示す。人の世に逃げても尚、母を私へ巣食ませた熱で脅かし続けている。


 ――鮮やかな青シアンブルーのプールが、体温を殺してくれたあの日。私は『人』に生き返れた気がした。


「……冷たいものが好きかな」


 ポツリと答えを返した私の手を、突如秋陽は繋いだ!


「なら、良いところがあるの! 折角初めてサボったんだもん、一緒に行こう! 」

 

「ちょっと……一体何処に」


 困惑する私に、秋陽は悪戯に振り返っただけで答えてくれない。秋陽から伝わる体温は、不快じゃないことに自分でも驚く。陽だまりみたいな、この体温は殺したくない……。


 秋陽に手を引かれ辿り着いたのは、若竹色のトタンの屋根が特徴的な店だった。『トーレコョチ』、『氷』、『ラムネ』と昭和レトロな看板が外壁に打ち付けられているが、木製のドアチャイムを引き連れて中に導かれると雑多な骨董品やアクセサリーもある。三つ編みのようなねじれ幹の観葉植物パキラが出迎えた。

 

 ウッドビーズの暖簾の向こうはきっと、私達に気づいて振り返った女店主の居住スペースなのだろう。客は上がれないが、綺麗に拭かれたニス塗りの廊下は誰かの実家に遊びに訪れたような懐かしさがあった。


「あら秋陽ちゃん……学校はどうしたの? 」


 しゅん、とした表情で秋陽は俯いた。


「友達が具合が悪くて、ちょっと心配で。一緒に早退しちゃいました。まだ帰りの道歩かないと行けないんですが、少し休んでいっても良いですか? 」


「まぁ大変! 良いよ良いよ、休んでって」


「ありがとうございます。申し訳ないので『いつもの』頼ませてください。咲雪もなら食べやすいと思うので」


「気にしなくていいのに。でも分かったわ、待ってて」


 ヘアターバンをした女店主は、心配そうに私の方を一瞥すると暖簾の向こうへと去って行った。

 悠々と席に着く秋陽を、私は半場呆れながら見下ろした。


「貴方も中々嘘つきね」


「言ったでしょ、咲雪とがいいの。それより、ここの甘味美味しいから期待していいよ」


 まさか私の一言が、甘味に化けるとは思わなかった。秋陽の得意げな微笑が私の躊躇いを攫う。大人しく彼女の前に座ると、頬杖をついた秋陽は満足気に口を開いた。


「咲雪が前に住んでた街って、どんな所なの? 」


 私は秋陽の『好奇心』に答えねばならないが、真実は告げられない。だけど、曖昧な差異ニュアンスでもいいから……今はあまり嘘を付きたくない気分だ。


「酷い所だった。危険で誘惑的で吐き気がするのに、空気は澄んでいて。『隣人』は母としょうが合わないのに、『隣人』の双子の娘は妙に世話焼きで。皆、素直じゃないから下らない事で悶着を起こしてたけれど」


「『家族』みたいだね。分かり合えないけど、本当の自分のことを誰よりも知ってる」


 秋陽の言葉は、ぐしゃぐしゃに踏みつけられた下手くそな私の絵を思い出させてしまう。あんな期待、下らない。私は初めから存在しない愛情ものに縋らされていただけ。


「自分を知っているからこそ余計に憎悪するものでしょう? 秋陽もそうじゃないの」


「どうなんだろう。私の家族は、全然お互いの事を知らない。世間体は気にするくせに、家の内側はどうでもいいみたい。表面的な会話しかしない。いっそ、喧嘩でもしてみたらお互いのことを知れるかもしれないけれど、喧嘩する程の器量も無いの」


 薄く自嘲する秋陽は『家族』に憧れがあるのかもしれない。認めたくないけど、多分私も同じ。絵本の中に描かれるような理想の『家族』は掃いて捨てる程に有るはずなのに……夢物語のように私達には遠い。


「那桜も悪い子じゃないんだけど……本音を話せる程『私』を知らない。だから私も本当の『友達』が欲しかったのかもしれない」


 私達は、似ている。こうして話すまで、気づく事すら出来なかった。

 

 それはもしかして、会話をした事の無い同級生クラスメイトもそうなのかもしれないし、道ですれ違う他人にも……話してみれば、内なるがあるのかもしれない。

 

 だけど自らの心の内をさらけ出して会話出来るなんて、皆一握りの存在しか互いに居ない。会話せずとも内側を綴れば、SNSで知り得てし、自分と似た心の欠片パーツに親しみを覚える事が可能なのかもしれないが……。


 ――今、私の目の前に居るのは、秋陽だけだ。


「なら、私達が出会えたのは、悪くないなんじゃない? 」


 私は偽りの『本当の友達』に、真実を見出そうとしているのかもしれない。それは、答えを口にしかけた秋陽もきっと……。

 

 

「お待たせ、『かき氷』。キャラメルソースはお好みで。お友達もこれなら食べやすいかな? 」


 

 女店主が運んできたのは、二つの切子硝子の器にふんわりとキメ細かく積もったかき氷だった。揃いのシロップ入れに、透けた鮮やかな橙キャラメルソース。


「普通のかき氷とは、一味違うよ! 」


「なんで秋陽あなたが得意そうなの」


 常連客を超して、店員のような秋陽に呆れながらも。


|

| 雪崩に肝を冷やしながら。

| 丸硝子のスプーンで純白を掬い、一口。

| 程よいが……

| アイスクリンのように、フワリ。

| 体温に、淡雪が儚く散る。

|

 

「ヨーグルトのかき氷……? 」


「「正解! 」」


 少々凝り性のようだ。だけど、素直に溶ける。

 から。

 

「私、綺麗な白のままがいい」


 思わず声に出していた。これ以上のあまみはいらない。


「そうね、ヨーグルトの素朴な味が引き立つかも。だから良いのよ」

 

 私のわがままを、優しく微笑した女店主は否定しない。それは、なんだかくすぐったくて温かい。誰かの実家の香りがするような、店の雰囲気が心地良いと思った。ただいまって……言いたくなる。私が普通の『人』で、女店主かのじょを母と呼べたら。


「私は甘いの大好きだから、鮮やかな橙キャラメルソース増し増しで」


秋陽あなたはかけ過ぎじゃない……? 」

 

「いいの! だから」


 頬を小さく膨らます秋陽は、何処と無く幼い。秋陽がこの店の常連になった理由が分かった気がした。ここには『理想の家族』があるから。


「二人とも、ゆっくりしていってもいいけど……サボっちゃ駄目よ」


 丸盆トレーを抱いた女店主の自然な一言に、私達はスプーンを咥えたまま凍りつく。一体何時からバレていたのだろう。


「嘘つき秋陽ちゃん。壁薄いから丸聞こえだったわ」


 つまり、席に着く時にはバレていたと言うことか……。壁が薄い実家のリアルに、敗れるとは思わなかった。

 

「お友達も。仮病なんて嘘、ついたら御家族が心配するでしょ。名前、なんて言うの?」


 家族、という言葉に胸へ針を刺されるも、私は女店主かのじょに名乗る。


咲雪さゆきです」


「良い名前ね。……待って、貴方の名前」


 女店主は閃いたように、アクセサリーを並べた棚から何かを丸盆トレーに乗せて私に見せる。


 それはゴールドシルバーの中間のメタリック、ギルバーの髪留め。刺さない輝きの古風アンティークバレッタは、優しい『雪華』が咲くようだ。


「咲雪ちゃんにピッタリじゃない? この間仕入れたんだけど……良いよね」


 偶然。それは、逃してはいけないものだと今の私には分かる。出会いは決して必然では無いからこそ、尊ぶべきだ。私達が今ここに居る時間のように。


「はい、『買い』です! 二つ有りますか? 」


 競売がたきも居ないのに、バンッとテーブルを叩いて秋陽は勢い良く手を上げる。そのかんばせは勿論、真剣だ。

 

「あらやだ、私商売しちゃったわね。有るわよ、秋陽ちゃん。丁度、二つしか仕入れて無いの」


「……なら、には悪くないかもね」


 思わず呟いた私は、黒檀色の杏眼を僅かな驚きに瞬く秋陽と目が合った。そうか、私は今微笑しているのか。すぐに、秋陽は嬉しそうに笑み崩れた。


 

  ――帰り道。私達が夕陽にかざした二つの雪華は、体温を散らしてくれたかき氷や『理想の家族』の香りがする店……そして秋陽と出会えた“偶然”を形にしてくれたような気がした。


 

 帰りたくない。

 幻想の『愛』で良いから、揺蕩っていたい……。

 だって、私の本当の家族は――。



 私は寂れたアパートの階段を登り、軋んだ扉を開く。切れかけの白熱電球は、小蝿を乱舞させていた。廊下に纏めたゴミは捨てられていない。出しておいて、って伝えて置いたのに。


 私が家を出た時と変わらず、【母】はベッドを背もたれに寄りかかっていた。

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