第2話 二人の時間

 けたたましく鳴る目覚まし時計。光希みつきは目を覚ますと、枕元にあるそれを止めた。だが、まだ音は鳴り止まない。

 光希は朝が弱いのだ。


 五つほどの目覚まし時計を部屋のあちこちに置き、毎朝なんとか起きている。ベッドからむくりと体を起こし、全てを止めた。カーテンを開けると同時に、スマホの通知音がピコンッと音をたてる。

『フォトレターからのお知らせ。来月のテーマは……』


 一瞥いちべつすると、ぞんざいにスマホをベッドにはなった。窓から差し込む太陽の光に画面が反射し、目を細める。


 身支度と朝食を済ませ、家を出た。門扉もんぴの前では、ひかるがスマホをいじって待っていた。

「おはよう、輝」

「おっす、ミツ。いつもながら眠そうだな」

 彼はそう言って、光希の背中を軽く叩く。


 二人は高校一年のときに同じクラスになり、好きな映画の話で意気投合した。高二、高三とクラスは離れてしまったが、ずっと仲が良い。


 学校までは歩いて十五分ほど。他愛たあいもない話をしているとあっという間だ。正門が見えてくると、輝は身なりを気にし始める。


「引っかからないか?」

「うん。ていうか、最初からちゃんと着て来いよ。毎回毎回、面倒くさいだろ」

「締め付けてるのが嫌なの俺は」


 正門には毎日、生徒指導担当の教師が立っている。制服を気崩していないか、自転車に乗りながらイヤフォンをしていないかなど、事細ことこまかにチェックするのだ。まるで獲物を狩る獣のように、目を光らせている。


 輝はなんとか今日も注意されずに済んだ。教師の視界から外れると、すぐさま元の状態に戻す。

「じゃ、また放課後に〜」

「おう」


 ――放課後部室に行くと、窓際の席に胡桃くるみが座っていた。本を見ながら、なにやらカメラを操作している。

 光希は邪魔をしないよう、扉をそっと開け、入ってすぐの椅子に腰かける。


「…………ぴぎゃぁ!」

 突然目線を上げた胡桃は、光希の姿に驚き、奇声きせいを上げた。あやうくカメラを落とすところだったが、胸の前でなんとか抱え込む。


「ごめん、驚かすつもりはなかったんだけど……集中してたみたいだし、邪魔しちゃ悪いと思って」

 肩を落とす光希に、胡桃は頭を左右に振った。


「い、いえいえいえ、わたしが周りを見ていなかったからです。大声出してすみません」

 バッと頭を下げると、ふわふわの髪の毛が揺れる。その様子に、光希は表情をゆるめた。


「……写真、見ても良いか?」

 カメラを指さし問うと、彼女は小さく頷いた。光希は胡桃のすぐ隣に座り直し、カメラをのぞく。

「お、この前のフォトレターの作品?」

「はい。嬉しいコメントもらえたんです」

 胡桃はそう言ってスマホのアプリを開き、光希に画面を見せた。


『フォトレター』とは、匿名とくめいで写真の感想を言い合えるサービスである。

 月一でテーマが決められ、利用者はそのテーマに沿った写真を会社に郵送する。すると、会社側から別の利用者にランダムに写真が届けられるという仕組みだ。二人とも瀬川せがわすすめで始めた。


 有料コンテンツではあるが、そこは部費でまかなわれているし、ルールがしっかり決められているため、今までこれといったトラブルはない。


山岸やまぎし何突っ立ってんのよ」

 二人がスマホを見ていると、ふいに扉の方から声がし、同時に顔を上げた。

 輝と夏鈴かりんだ。夏鈴は腕を組み、輝を怪訝けげんそうに見つめている。


「いやー、二人が良い雰囲気だったから入るに入れなくて」

 おどけた調子で答える輝。

「ほんとデリカシーない!」

 そう言って夏鈴は、輝に軽くりをいれた。


 一方、胡桃は見られていたことを自覚し、あっという間に耳まで赤くなった。とっさに手で顔をおおう。そんな様子を輝がにやにやと眺めていたので「あんまり望月をからかうな」と光希は声を発した。親友からの注意を受けた輝は、少ししょんぼりとする。


 夏鈴はやっと黙った輝を横目に教室に入ると、手にしていたプリントを光希に渡した。

「さっき部長会議があったんだけど、また今年も学園祭の写真をよろしくって」

 受け取った紙にサラッと目を通す。


「りょーかい」

 光希は返事をすると、教室の時計を確認し、立ち上がった。

「じゃあ俺はぶらぶらしてくるから」

「はいはい」

 夏鈴はひらひらと手を振り、デッサンの準備に取り掛かった。

「いってら~」

 いつもの調子に戻った輝もその作業を手伝う。


 同学年三人のやり取りに、胡桃はいいなぁと小さくらした。

 カメラを手に部室を出ていこうとした光希だが、ドアの前で立ち止まると、胡桃を振り返る。


望月もちづきも一緒に行くか?」

「え……? いいんですか?」

「たまには俺も先輩っぽいことしないとな」

 口角を少し上げて笑う。


「行きたいです……!」

 胡桃はカメラを首にかけ、すばやく立ち上がった。


 写真部の活動日は特に決まっていない。各々が好きなときに好きなように撮っていく。休日には瀬川に連れられ、県外に撮りに行ったり、講習を受けに行ったりすることもある。

 二人は校内を周りながら色々な写真を撮っていった。


「そういえば今朝、来月のテーマ発表されたな」

笠原かさはら先輩は何撮るか決めましたか?」

 小柄な胡桃は見上げながら質問する。


「うーん、どうしようかね」と光希の表情がくもる。

 昨日、フォトコンテストの話が出たときもそうだった。胡桃は何か言おうとしたが、後ろからかけられた声にさえぎられる。

「おーい、やってるかー?」


 長身の瀬川はスッと光希の横に並んだ。胡桃はさらに目線を上げる。

「こんにちは、先生」

 光希が礼儀正しく挨拶すると、胡桃もそれにならった。


「お疲れ。フォトレターのテーマ見たか?」

「はい、今その話をしていました」と光希。

「そっかそっか。今月のレターはもう届いてるよな? 二人はどうだった?」

「望月は評判、良かったみたいですよ」

 胡桃に視線を向け、光希がこたえる。


「そうなのか、良かったな。で、笠原はどうなんだよ」

 肘をつついてきた。光希は少し眉根まゆねを寄せる。

 瀬川は教師の中でも若く、同級生に近い距離感で接してくる。別にそれが嫌だというわけではないが、絡みにくいなと感じることもあった。


「まあ、いつも通りですよ」と視線を落とす。

 瀬川はまだ何か言いたそうな表情をしていたが、他の教師に呼ばれ、その場を足早に去っていった。


 心のモヤモヤを出すように、光希はふーっと息を吐く。

 胡桃はそんな光希を上目遣いで見つめ、おずおずと口を開いた。

「……あの、何かあったんですか?」


「何かって?」

 試すような視線に、胡桃はうつむいてしまう。

「い、いえ、辛そうというか……」

 上手い表現が見つからずに言葉をつまらせた。


 光希は目を見開く。

 辛そう、か。どうなんだろう。写真を撮ることは好きなはずなのに、意味を見出そうとしている。

 あのメッセージを見てからだ。


 光希は自販機の前で止まった。ポケットから財布を出して三秒悩んだあと、ボタンを押す。ガタンッ。紙パックのいちごミルクを取り出し、胡桃に渡すと、独り言のように語り始めた。


 ――フォトレターで写真の感想が届いた。ユーザー内ではレターと呼ばれている。匿名であるため、その人の性別も年齢も、どこに住んでいるのかも、どのくらいカメラ歴があるのかもわからない。


 この前『この写真であなたは何を伝えたいの? 何を伝えたいのかわからない』というレターが届いた。


 そのときのテーマは空だった。光希は夕焼けの写真を撮って送った。別に何か伝えたい想いがあって撮ったわけじゃない。ただ綺麗だと思ったから撮ったのだ。


 みんなは何かを伝えるために写真を撮っているのだろうか。自分にはよくわからなかった。

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