第一回『猫とドラゴンを連れ、少年は宇宙へ ~神様はメタバースの向こうに~ 最終版』感想文

要約:現実世界の真の成り立ちと破滅の危機、そしてトラウマを乗り越えていく主人公の物語。女の子たちの明るい調子や筆致は全体的に明るい雰囲気で、軽い読み心地がサラッと読むのに向いている。が、感情移入の要素は薄く、重要な心情が後出しされているのが惜しい。


◆タイトル

猫とドラゴンを連れ、少年は宇宙へ ~神様はメタバースの向こうに~ 最終版


◆作者様

月城 友麻 (deep child)さん


◆文字数

78,179文字


◆おすすめ用あらすじ

 小さいころ、父親を自分のわがままで失い、いじめなどにも遭って引きこもりとなった高校生の主人公・和真は、ある日、幼なじみの芽依に仮想現実世界(メタバース)の都市へと誘われた。

 彼女はそこでNFTによるデジタルデータの売買を利用した画廊を開いていたが、突如クラッカーに襲われる。強力な敵の攻撃から逃れるため、HMDを外して強制的に現実世界に戻ったところ、クラッカーはなんとそのまま現実世界に出現し、二人は排除されそうになる。

 そこに突如謎の少女が躍り出て、クラッカーは見事に撃退された。助けられた二人は意識を失い、気がついたときにはその模様の記憶がとんで、戦闘時に破壊された部屋も元通りになっていた。

 唯一の手がかりとしてその場に落ちていたアクセサリから少女を発見するが、その彼女は「自分はドラゴンだ」と突拍子もないことを語り出し、彼女との話し合いから、主人公はこの世界の仕組みについて驚くべき真実を発見する。


【初読の感想:ネタばれあり】

◆良いところ

 一読して「作者はとても楽しんでこれを書いている」と感じられる筆致に思いました。

 そのため、読んでいてこちらもどことなく楽しく感じてくる、そういう作品だと思います。


 NFTという、今のネットでは実にホットな題材を、世界シミュレーション仮説という哲学の命題に織り込み、サイバー空間でなにもかもを具現化できる能力で同様の力を持つ犯罪者を倒す、といったわりと硬派な展開です。

 しかしドタバタギャグっぽいバトルも混ざっていて、肩の力を抜いてサラッと読み進められると思います。


 ラストはあらたなシミュレーション世界の管理者となって、ヒロインと結ばれます。ハッピーエンドの王道というべきもので、「めでたし、めでたし」と安心して読める要素でもあると思いました。


 人物の過去についてはそれほど深くは掘り下げておらず、発端となったシーンを除いては暗い要素はほとんどありません。

 また、仮想世界、地球、宇宙と舞台が色々出てきます。飲み食いのシーンでかぶりは若干あるものの致命的とまでは言えず、そこに台詞、物語の展開があって、事物も色々と盛り込まれています。

 このあたりシーン設定に若干安易なものを感じなくもないですが、物語の展開をよく考えて台詞を練り込んだ跡が感じられました。


 女の子の描き方はとても明るい性格でかわいく描けていて、好感が持てました。

 グラマラスなアバターや服を脱ぐなどのお色気の要素も盛り込んであって、読者サービスもたっぷりなのがよかったです。筆者は成人向けの小説を書いているので、こういうシーンは好きです(笑)


 ただし、芽依、レヴィア、シアンと、彼女たちの性格、容姿、口調以外の台詞部分などに個性の差が余り感じられませんでしたので、背丈や年齢なども含めてガラッと変えた方が、読者の推しの選択肢が増えるかも知れない、と思いました。


 全体的に明るいテイストで、読みづらいところもほとんどなく、すらすらと読めるのは利点であり長所でもあると思いました。


◆気になったところ

 すらすら読めること、展開が色々と考えられていること、楽しくキャラが動いていることなどの評価に比して、気になる点があります。


 登場人物への感情移入があまりできないことです。

 なぜそう思うかというと、ストーリーで見せるべき人物の重要な心の動きを、後出しの地の文にしているからです。


23.の主人公の境遇……どす黒い感情を育てていたとあるのですが、そのことがシーンに現れていません。

31.の黒猫との絆……それほど強く書かれてはおらず、もふもふのかわいさに親近感が湧いているくらいにとどまっています。

32.の父親の感じた数ヶ月の気持ち……ほぼシーンに表れていません。


 ここがドラマになっていないので「そういうエピソードがあったんだね」で終わってしまい、あんまり感情移入の仕込みができていない印象が残ってしまうのだと思います。


 筆が赴くままストーリーを一気に書き上げた感があり、作者の考える映像を文章にして、読者がそのまま見ている感じがしました。

 これを一番大きく感じるのは、主人公の年齢とその言動です。

 プロローグは小学四年生なのでおそらく九~十歳だと思うのですが、それから六年経った彼も十歳の時と台詞の調子があまり変わっていないように感じました。

 これは、イメージを元に一気に書き進めた結果、そのときのイメージと物語の人物設定がリンクしていないのではないか? と予想しました。

 成長してそれなりのガジェット(例えば薄い本)が出てきますが、「あっ! ちょっと、待ってよぉ!」など、十歳と区別がつかない口調になっているので違和感があり、ここはやはり設定と文章の整合について練り込みが欲しいかも、と思いました。

 ※トラウマや引きこもりと言った観点で台詞に年齢差が出ないなら、それをシーンや説明などに盛り込まないと、読者の置いてきぼり感が増してしまう感じです。


 あと蛇足ですが……


「あっ! ちょっと、待ってよぉ!」

 和真も急いでよたよたしながら追いかける。

「あ、待ってください!」

 追いかける和真。

「あぁ、待ってよぉ!」

 和真は目をギュッとつぶり、意を決すると芽依を追いかけた。

「あぁ、待って!」

 和真はミィを抱いて急いで追いかける。

『あー! 待ってください!』

 和真は急いで追いかける。


 シーンの切り替え時に五カ所もこれがあるのはちょっとまずいので、少しアクションを変えた方が良いと思いました。

 たとえばワンクールのアニメーション作品でも、全く同じ行動、台詞というのは決め台詞くらいのものでしょうから、シーンの切り替えは練った方が無難かな、と思います。


「私、失敗しないので」という台詞を随所でつぶやく女医さんのドラマがありますが、あれも都度使いどころが違い、練りに練って言わせているのがよくわかります。


◆作劇上の不明点、ふたつ

 本作を読んで不明に思った点が2つあります。


1:第四の壁はあるのか?

 本作は現実世界が仮想世界と地続きのシミュレーション世界であって、全てコンピュータの計算結果である、という物語です。

 で、この地球は我々のいる地球と同じく「伊豆」や「東京」などの土地名が出てきます。

 この実在の名称は「イーロン・マスク」「イオンモール」などの名詞もあって、筆者は次のように思いました。


 考えA:この物語の世界は、読書している自分の地球もシミュレーションされた仮想世界であり、この物語とも地続きだと言っているのだろうか?

 考えB:それとも、小説文中の地球だけが仮想世界であり、読書している自分の現実とは関係ないのだろうか?


 考えAなら、固有名詞があんまり出てこないので中途半端。

 考えBなら、固有名詞を出すことそのものが「作品世界のリアリティ」を崩す(読者側の現実が混入するため作品世界から現実に引き戻される)。


 ライトノベルにおいては特にタブーとされていないかも知れませんので、筆者の知識や読書経験不足もあり得ます。

 うがった見方をすれば、これらの単語は序盤のみに登場するので、筆の乗りにくい部分に関して少し安易に固有名詞を出してしまったのかな? とも思いました。


2:クライマックス、カタルシスはどこか?

「物語を書きたい!」と考えたとき、書きたいことを全部書くと、おそらく書き上がったエンドマークの先に、作者様のカタルシスとクライマックスがある、とおもいます。

 書き切った! 完結した! というカタルシス。

 そして「作者が物語を作り上げた!」という「作者自身の物語」のクライマックスは、「了」を書き込んだときに他なりません。


 書きたい欲求が満ちて、全部書ききったときの感慨たるや、爽快の一言につきますよね。

 筆者も物語を書きますから、この気持ちはよくわかります。


 ですが、読者にとってのクライマックス、カタルシスはどこでしょう。


 クライマックスは、ラスボスとの戦闘シーンに突入した瞬間、あるいは最後の一太刀を浴びせる、その瞬間ですよね。

 カタルシスは、宿敵を倒した瞬間など「主人公が苦節を重ねて本懐を遂げたとき」です。


 本作はどうかというと、宿敵を倒す瞬間のシーンのインパクトが弱い割に、その後のシーンが結構長いのですね。

 31.で宿敵が倒されてから、36.でラストになり、この36.中では時間が三年経過しています。

 幸せな二人を描きたいと気持ちはわかるのですが、であれば作劇上32.でさくっと描いて終わるくらいがちょうどいいですよね。


 どん底が深く描かれればそれだけ天国も高く描くというのは当然ですが、感情移入のところで書いたように、感情移入の観点ではかなりフラットな作風です。

 そのため、クライマックス、カタルシスのあと、その後についてはぎゅっと圧縮した方が、より引き締まって味が濃くなる気がしました。


◆終わりに

 もともと私は創作をいったん諦めて投げ出し、読み専として少し活動していました。

 なので商業作品以外の小説を読むのはまぁまぁなれていますが、それでも今はやりのファンタジーや転生ものなどはまだ読んだことがなく、それら作品のセオリーを知りませんので、今回の感想では的外れなことを言っている可能性もあります。


 ともかく、久々に他人のお作拝見をしてみましたが、有意義な時間であったと思います。


 本作について言えば、NFTを題材に据えるのは挑戦心にあふれていてすごいなと思いましたし、映画「マトリックス」をほうふつとさせる「今感じている現実自体が仮想空間の代物だ」という世界観はわくわくしました。


 女の子の描き方が生き生きしていてとても良かったと思います。全体的に明るいのは彼女たちのおかげですよね。


 もっとも、「世界の真実」を「ネットの検索で知っちゃった」というのはもう少し描写の余地があり、その結果を得るまでに色々奔走することこそが「劇」だと思いますので、この一番作劇が難しいであろう部分をどう料理するのかが、作者様の腕の見せ所でもあると思いました。


 創作は本当に奥が深く、面白いですよね。

 作者様の今後のご発展、ご活躍をお祈りいたします。


 ありがとうございました。


◆追伸

 商業作品で思い出したものをいくつかご紹介します。映画が多いです。


 ハヤカワ文庫FT『黒龍とお茶を』

 娘の行方がしれず、娘の住んでいる土地に来たものの、途方に暮れた母親のところにとある老紳士がやってくる。彼は様々な知識を利用して一緒に行方を探してくれるのだが、そのなかには専門的なコンピュータの知識も含まれていた。

 謎を追ううちに母親すらも行方になる。老紳士はたった一人で彼女たちを探すことになるのだが、この紳士、実は中国生まれの黒い龍だった……という、組み合わせの妙味が楽しい、ミステリー&ファンタジーです。


 かなり古い作品ですので、コンピュータの知識も全く古めかしいですが、コンピュータとドラゴン、という組み合わせで真っ先に思い出しました。


 映画『マトリックス』

 自分が思っている現実世界が実は仮想世界だった、現実世界は機械が支配するディストピアのなれの果てだった、というもので、今回の作品設定と舞台が似ています。

 こちらは全体的に雰囲気が暗く、絶望的なシーンが多いため万人にはお勧めできませんが、世界観と映像のすごさは「マトリックス以前、マトリックス以後」といってもいいぐらいなので、筆者は繰り返し見ています。

 仮想現実と言ったらマトリックス、くらいの直結ぶりで思い起こしました。


 映画『サマーウォーズ』

 OZと呼ばれるメタバースに、人々の生活やインフラ、役所や企業の活動などを負っている世界で起こったシステムのハッキング、クラッキングとそれを巡って起こる騒動、家族のアナログの絆が結び合うクラッカーとの戦いを描いています。仮想世界と現実世界を今可能なレベルに落とし込んでリアリティを持たせた作品です。賛否両論ありますが、私はこれをずいぶん楽しく見ました。


 映画『ザ・インターネット』

 SOHOとして活動するコンピュータウィザードのアンジェラは、デートの最中に全財産や身分証明書を盗まれて身分証明ができなくなってしまいます。コンピュータのデータもハッキングされ破壊されており、人付き合いもなくネットに頼り切っていたことから、「存在しない人間」になってしまった…という物語です。

 現実世界ではなかなかないことと思いますが、身分証明書不携帯だったり、スマホをなくすと似たようなことに陥る危険が出てきましたので、今観たら結構現実感ありそうです。

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