第12話 サイドストーリー/デオンの章

※幼少期~18歳本編ラスト以降までのデオンのお話です

※悲恋的な要素で新規ヒロインキャラあり


「この事はお前と私たちだけの秘密だ、決して他の者たちには明かすな」

デオン坊ちゃんの五歳の誕生日のこと、旦那様はある秘密を、執事長である私の父へと告げた。

「メリル、この秘密は執事たちではお前と私だけが知る事だ。誰とどれだけ親しくなろうともギロ家の旦那様以外には絶対に話してはならないよ」

十六歳になった私は、父から執事長の職を継ぎ、その秘密をも父から受け継いでいた。


***


”ギロ家の嫡子は十八歳の年を最後に暗殺者Jに殺されるであろう”

信託、神からの予言により、デオン坊ちゃんの死期は残酷にも明示されてしまっていた。

旦那様の挙動が前にも増しておかしくなったのはそれからだった。

デオン坊ちゃんが十歳の年、側仕えをするようになった私は、ドア越しに衝撃的な言葉を耳にした。

「お前は死ぬまでギロ家の奴隷なのだ、その命が何のためにあるのか、弁える事だ」

旦那様の教育熱心ぶりは苛烈すぎると、父の口からも度々聞いていたものの、その強烈すぎる単語の羅列は、いざ耳にすると他人とはいえ心苦しくなるものだった。

周囲の執事や召使いたちは、秘密を知らぬもののその違和感に勘づいていたのだろう、次々と屋敷から去っていった。


「ギロ家の親子は気が触れている」

坊ちゃんが十二歳になる年の頃、周囲ではそう噂されるようになっていて、坊ちゃんもその変化をどことなく感じておられるようだった。

「お前だけはこの屋敷を去らないな」

後ろ髪を結っている私へ、坊ちゃんは鏡越しに不思議なものでも見るような目で私を見た。

ギロ家の方と顔なじみと言える召使いはほとんど居なくなっていて、私はその中でも一番坊ちゃんと年齢が近かった事もあるかもしれない。

「まぁ、お前の名前も何もかも、ボクにはどうでもいいんだけど」

そう言って促された右手に、手にしていた坊ちゃんのショートグローブをお渡しする。

その横顔は、昨晩も旦那様から叱責されていたとは思えない程に何食わぬ顔をしていた。

(私には何も思う権利も言う権利も無いのだけれど)

けれどそれでも、坊ちゃんにとってはただのメイドのひとりであっても。

坊ちゃんの事を幼い頃から知っている私にとっては、とても過酷な環境で孤高に育った方、という印象が強かった。

坊ちゃんは決して己を曲げる事をしなかった。

旦那様からの過激なまでの叱責を受けようとも、毎日それを黙ってやり過ごしておられた。

ただギロ家の嫡子として生きる事のみを自覚しておられたのか、それとも”まだ”力のない自分にはそうする事しかできないと諦めておられたのだろうか。


***


そうして、坊ちゃんと旦那様の間に積み重なった怨嗟は、坊ちゃんが十八歳になる年に激変をもたらした。

デオン坊ちゃんが旦那様の仕えていた旧政府軍を裏切り、新政府軍のレビィ閣下の元へついた事を、私たちは明朝に聞かされた。

旦那様のものと思しき返り血を白い軍服に身にまとって、デオン坊ちゃんは何食わぬ顔で屋敷へご帰宅された。

「今日からボクがこの屋敷の主だよ、よろしく」

出迎えた私へ、デオン坊ちゃんはいつもと変わらぬ所作でグローブと軍服を脱いで寄越した。

旦那様の返り血、死に際の血が纏われた衣。

血を落とすにはぬるま湯につけて洗わなければ、血のシミ抜きには時間が掛かるから代わりの軍服を用意しなければ、と私が思案していると、デオン坊ちゃんはにんまり笑顔で私に語り掛けた。

「ああ、その背筋が凍った様な表情、いいねぇ!新政府軍の奴らはみんな僕を誉めそやすばかりで、つまらなくてね。ボクにはお前のような奴が居るぐらいで丁度いいよ」

内乱に塗れた貴族社会では暗殺や裏切りなど日常茶飯事だったけれど、坊ちゃんが旦那様を裏切ったという事実は来るべくして来てしまったと皆実感していたのだろう。

けれど私にとっては幼い頃から仕えてきた旦那様を、実子の坊ちゃんが殺したという事実がとても恐ろしく感じられていた。

(それでも、坊ちゃんが長らく旦那様からの苛烈なご教育に耐えて来られたのも事実、なにより私には口を出す権利も無いこと)

そう思うといつものひとりのメイドの顔に戻る事が出来た。

今思えば、坊ちゃんにも裏切りの兆候は見られていた。

旦那様が御不在のおりに、度々新政府軍の者らしき素性の知れない人間が屋敷にやって来ていたし、今思えばあれは坊ちゃんが新政府軍と内通していた証であったのだろう。


その翌日。

精鋭部隊長を務める事になった坊ちゃんが、部下であり副隊長だというレギオン様を伴って屋敷へ戻られた。

その日は珍しく上機嫌で、晩餐の席で不意に名を呼ばれたものだから、私はうっかりメイドとしての顔を崩してしまった。

「どうしたの、お前の名前メリルだろ、違った?」

「い、いえ……」

幼い頃から長らくお仕えしてきて、坊ちゃんに我が名を呼ばれたことなど無かった私は、酷く慌てて手にしていたディナーを落としそうになってしまった。

しかしデオン坊ちゃんは珍しくそんな私を冷遇する様子もなく、お得意のにんまり笑顔でレギオン様とにこやかなディナーを過ごしていた。

(まさか坊ちゃんが私の名を認知しておいでとは)

今や屋敷の主と、その召使いたちの長という立場だったのだから、何ら不思議な事はないのだけれど。

それでもその時の坊ちゃんはどこかいつものあの方らしくなかった。

妙に優しく人当たりがよく、召使いの私にすら名を呼んで認知している素振りを見せられたのだから。

思えばそれは変化の兆候だったのかもしれない。


それから一週間後のこと。

西の国周辺へ訪れられていた坊ちゃんは、酷い怪我を負ってご帰宅された。

屋敷抱えの医師に包帯を変えられながらも、その顔はこれまでになく猟奇的な笑顔に満ち満ちていた。

沸かした湯で私が背中を拭くその最中、坊ちゃんはその怪我を負った顛末を実に楽しげに話された。

「ようやく出会ったよ、ボクの災厄のJ」

「……!それを、どこで……」

それは執事長や旦那様しか知らない事実であるはずだった。

坊ちゃんがどこでお知りになったのか、私には分からないが、己の死期を知ってなお、そんな猟奇的な笑顔を見せられるのかと、私は坊ちゃんという人間が分からなくなった。

「北の国に行った時にね。ちょっとした遊びで占術師に見てもらったんだけど、ボクにそういう予言がされているって。引退していたお前の父に確認したら、呆気なく吐いたよ」

私が執事長に就いた翌年の事だと明かされて、それがまた坊ちゃんが旦那様を裏切るひとつのきっかけとなったのだと気付かされる。

「誰かに運命だと決められるのはシャクだけどね、でもボクとジルカースと、最後にどちらが勝つのか、ボクが運命すら裏切れるのか、楽しみじゃないか」

そう言って、坊ちゃんは怪我などものともしないような楽しげな笑顔で笑っておられた。


けれどそれから国勢はまた変化してゆき、華やかな政府軍の生活の一方で、困窮に喘ぐ下層の国民たちによるクーデターも起き始めた。

デオン坊ちゃんは毎日のように粛清という名の虐殺に駆り出されていたけれど、そんな最中だからこそ、戦闘狂という性質が坊ちゃんの加虐性を酷く刺激していたのだろう。

にんまりとした笑みが絶やされる事は無かった。


そんなあくる日の事、東の国に劇的な事件が起きた。

城の地下施設、研究機関にて保管されていた”神の遺体”が姿を消したとの報告がデオン坊ちゃんの元へと届いた。

穏やかな朝の支度の時間に、坊ちゃんの部屋へと慌ただしい伝令がやってくる。

「”本来は機密であるが、特例として全国民へと周知するものとする、詳細を知るものは登城されたし”だって」

レビィ閣下よりの伝令の手紙を受け取った坊ちゃんは、乾いた笑いを響かせて不意に口元を覆った。

「……なんだよソレ、馬鹿にしてるのか!?ボクは国軍、精鋭部隊長だぞ!今更そんなネタばらしなんてあるかよ!?」

窓際に両腕をついて、ひとつ深いため息を吐いた坊ちゃんは、”ああもう、うるさいな”と独り言をポツリと呟いた。

「うるさいんだよ……!死んだ人間が今更出しゃばるなよ!ボクは絶対に”お前”のためになんか生きてやらない!妻も娶らなければ子も作らない!ギロ家を呪いながら死んでやるからな!」

「坊ちゃん……?」

僅かに狼狽えたように見えた坊ちゃんの眼差しに、私は不意に不安を感じて問いかける。

そのまま物言わずに部屋を飛び出して行った坊ちゃんを私は追いかけた。

なぜだろう、もう二度と生きて会えないような気がしていたからかもしれない。

時は一月に差しかかる頃、デオン坊ちゃんの十九歳の誕生日が近付いていた。

「デオン坊ちゃん!」

屋敷の門の前、”旦那様”ではなく、咄嗟に慣れ親しんだその名で呼んでしまった私へ、デオン坊ちゃんは叱責する事もなく立ち止まった。

「……いつ、お戻りになられますか」

必ず帰ってきてくださいとも、行かないでくださいとも、私には言える資格も身分もなかった。

ただのメイドのその問いに、坊ちゃんは白い軍服に身を包んだ背を向けたまま、ただ一言返した。


「日暮れ頃、北の国へ、迎えに来い」


***


突如として姿を消した部隊長を探していたのは、副隊長のレギオン様も同じようで、彼を伴った私は日暮れ頃に北の国へと赴いた。

足取りを追っていくうちに、街の付近にある遺跡へと向かったと知りすぐさま後を追った。

遺跡へたどり着くと、そこにはこれまでになく安らかな表情を浮かべた坊ちゃんが”居られた”

「あんたがこいつの……?」

「屋敷の使用人のメリルと申します、デオン様をお迎えに」

「そうか……」

グライドと名乗るその男性は、デオン坊ちゃんを預かって下さっていた方だった。

「顔なじみの奴に託せれば安心できる…すまねぇな、俺が言うことじゃねぇかもしれねぇが」

「いえ……ありがとうございました」

深々と頭を下げた私とレギオン様に、グライドさんは”頭を上げてくれ、そういうのはしょうに合わねぇからよ”と頭をかいた。


***


それから2年ほど経過した年の、命日となる日。

坊ちゃんの墓前に見慣れない男性の姿があった。

男性はご自分の名をジルカースと名乗られた。

「……!あなたが、デオン坊ちゃんの……」

「……ああ、その節はすまなかった……謝って済むことではないが…………」

「いえ、デオン坊ちゃんのお顔はとても安らいでいましたから……あの方は最後に死を覚悟しておられた、これで良かったのだと思います」

互いに深々と礼を交わして、私たちは物言わず、けれど穏やかに墓前で別れた。

墓地から抜ける手前で元副隊長だったレギオン様とすれ違う。今ではデオン坊ちゃんに変わって精鋭部隊長へと就任していた。

「あ、あの、ここで言うことではないかもしれないのですが」

レギオン様はそう口ごもられてから、私へひとつの言葉を告げられた。

「私はあなたに一目惚れしていました、でもデオン様はどこかそれが気に食わないようで、私は長らく遠慮をしておりました」

”あなたさえよければ、うちの屋敷へ参りませんか、後の貴族夫人として”

レギオン様よりの誘いに私は即座に「すみません」とお断りすると、今や誰に偽る必要も無くなった素直な気持ちをお伝えした。

「……私は、デオン坊ちゃんをお慕いしておりました。あの方はどこか捻れていたけれど、私にとっては燃え散る業火のようなお人だった。あの方の罪も業も秘密も、唯一共有してきたのは私です、私には幸せを掴む権利など無いのです。ですからどうか、最後まで私に坊ちゃんのお供をさせてください」

「……そのお若い身で、死ぬまで墓守をしていくというのですか、そんなものあまりにも」

「それが、私の贖罪です」

そう言って頭を下げ、隣を通り過ぎる私に、レギオン様は物言わず立ち尽くしておられた。

(坊ちゃんは親しみ好いた人を作る事すら嫌っておられたように感じたけれど)

レギオン様からの言葉を思い返して、ふと懐かしい香りの物思いにふける。

思い起こされるのは、最後に目にしたあの白い軍服の後ろ姿。

もし私がデオン坊ちゃんの好いた人になれていたとしたならば、それをもっと早く知れていたならば、”あの時”また違った言葉を掛けられていたのかもしれない。

(でも、この先の人生をどう使うかは私の好きにしていいんですよね、私はもう誰の召使いという身分でもないのだから。だからどうか、お傍に置いてください、坊ちゃん)

彼がそんなことを願っていないとしても、今の私にはそれが一番幸せなのだと。

坊ちゃんの二十歳の誕生日を前に、私は冷えたため息を遥かな宙に吐いた。

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