第10話 サイドストーリー/キスクの章

※ジルカースと出会う前、不老不死になる以前のキスクのお話です


後に闘技場で栄える、西の国・コミツ(鼓御都)の母体である古の帝国。そこでジルカースの相棒キスクは生まれ育った。


彼が生まれたのはごく平民の村娘の母の元で、父である男は幼い頃に事故で足を患っていた。

さほど裕福な家庭ではなかったが、親類縁者も多かった事も幸いし、食うには困らぬ平穏な家庭環境で育った。

そんなキスクが帝国の騎士団の一員になるべく己を鍛え始めたのは、歳の頃は六つの頃、街へ凱旋してきた騎士団の眩さに心を奪われたのが始まりだった。


その頃騎士団長を務めていたのが、キスクと同郷のベルゲンという女騎士だった事もあるだろう。

ベルゲンは女に似つかわしくないその名に違わず、齢二十にして騎士団長の座を掴み取った女傑だった。

それだけに裏で何かよからぬ手を使ってのし上がったのではないかとう噂もあったが、ベルゲンはそんな噂話など何処吹く風と言うように、実に颯爽とした立ち振る舞いで凱旋に参陣していた。

思えば幼いキスクがそれに心奪われたのは、ある意味で憧れや恋に近いものがあったやもしれない。


そうして努力の甲斐あってか運命か、そんなキスクが騎士団の一員に加わったのは十五歳の時だった。

まだ大人に対する反抗心も人並みにあった、少々尖った性格を残していた時期の事で、同僚や先輩格との喧嘩沙汰も度々起こしていた。

その日もキスクは所属する隊の隊長に呼びつけられお叱りを受けていたのだが、今や歴戦の騎士となった騎士団長のベルゲンに直々に呼び出されたと知り、さすがのキスクも背筋を正した。

下級隊士の部屋へ直々にやってきたベルゲンは、相変わらずの颯爽とした出で立ちでキスクの前に現れた。

ベルゲンももう三十代手前程であったが、その剣の腕は訛るどころか鋭さを増しており、先日の名うての盗賊団との戦いでも戦果を挙げた事は、キスクの耳にも届いていた。

「ここには血気盛んな若者が居るようだな」

そう言って頼もしいと言うように笑ったベルゲンは、「あまり目立つとお偉方に煙たがられるぞ、出来る人間はここを使うものだ」と言って、人差し指でキスクの頭を小突いた。

「ベルゲン殿、その言い方は如何なものかと……」

格下の隊長の言葉にベルゲンは皮肉った様に笑って言った。

「本当の事さ、お前たちも上に登り詰めれば解る、お偉方のくだらん意地の張り合いに付き合わされるのが我々の仕事だとね」

それは愚痴のようでありながら、これからこちら側へ登って来るもの達への忠告のようでもあった。

「肝に銘じます」

反発せず珍しく素直に言うことを聞いたキスクに、隊長は少しばかり面食らっていたようだった。

「分かればよろしい、さぁ、仕事に戻りたまえ」

その日からキスクは、ベルゲン直々の言葉を噛み締めながら仕事に励んだ。

それと同時に、今まで自分は感情に任せて生きるばかりで、ろくに頭を使うという事をして来なかった事に気付かされる。

(ベルゲン殿は本当に己の知力と実力であの座にたどり着いた人なんだな)

それを思う程、キスクは益々ベルゲンという人に憧れの思いを強く感じたのだった。


そして月日は流れ、キスクが16歳になった冬、彼が一個隊の隊長を任される様になり半年が過ぎた頃の事だった。

キスクの隊の副隊長に就いていた、永らくの同僚のバイドという男が、雪を被ったまま慌てた様子でやってきた。

「どうした」

「外でベルゲン殿とアベルバイゼン殿が揉めてる」

アベルバイゼンはベルゲン騎士団長の副官を務めていた男だった。

歳はベルゲンと同い年程で、ベルゲンとは初級兵の頃からの仲だと聞いていた。

仲違いするような不仲ではないと皆思っていただけに、その日勃発した喧嘩は皆の注目を引いた、もちろんキスクもその一人だった。

「お前はこの国を滅ぼしたいのか!」

城の中庭に飛び出すと聞こえてきたのは、責め立てるようなアベルバイゼンの声だった。

「国を思う気持ちに偽りなどあろうか、私とお前では辿り着いた答えが違ったと言うだけの事さ」

それに対し、ベルゲンは動じる様子もなく淡々とそう返していて、キスクは改めてベルゲンという人間の冷静さに感銘を受ける。

「俺はお前のように国に従うだけの飼い犬にはならん、過ちは正され、悪しきは滅ぼされるべきなんだ……!」

そう言ったきり、アベルバイゼンは革命派の人間たちと共に帝国の城を去って行った。

寂しげなベルゲンの横顔は、アベルバイゼンとの過去を知らぬキスクであっても、どこか心苦しさを感じさせるものとなった。


そしてやってきた雪解けの季節、その一矢は放たれた。

他国を渡り歩き、兵力と知識を蓄えていたアベルバイゼンが帝国本土へ戦争を仕掛けて来たのだ。

その頃キスクは、小隊全ての管轄を任される中隊長を命じられており、過去に副官だったバイドも同時に中隊長副官へと昇進していた。

急な招集で叩き起こされたキスクたちは、駆け足で会議室へと向かった。

「前線では現在衛兵たちが防いでくれているが、いずれ突破されるだろう、総戦力も未知数だ、油断はできない」

ベルゲンが冷静に指示を飛ばす中へ、キスクは不躾を承知で問いかけた。

「反乱軍は、アベルバイゼン殿が指揮をされているのでしょうか」

その名に一時沈黙したベルゲンだったが、首を横に振ると「まだ分からん、そうでない事を願いたいがね」と、僅かに視線を落として言った。

そうしてキスクたちが前線へたどり着いた頃、帝国本隊へ”アベルバイゼンが反乱軍の指揮官だ”との報が入った。

先に前線へたどり着いていたベルゲンは、今頃アベルバイゼンと刃を交えているのだろうか、とキスクは一時思いを巡らせる。

しかし一度切って落とされた戦いの火蓋はそう易々と鎮まる事はなく、キスクたちの一軍も拮抗した戦力差まで追い込まれた。

「おかしい、確かに相手方に傷は負わせているはずなのに……敵兵たちが首に着けている、光り輝く妙な首輪も気になる」

違和感を感じさせるバイドの言葉に、戦いながら懸命に思考を巡らせていたキスクは、ひとつの提案をした。

「俺はここで粘って向こうの戦力を見る、お前はその間にこの違和感をベルゲン殿へ伝えてくれ」

バイドがベルゲンの元へ向かったのを見送ると、キスクは部下の兵達と共に目の前の敵の大群に向き合った。

「かかれ!」

掛け声と共に、構えられた刃が一斉にこちらへ向かって駆けてくる。

キスクは幾多の刃を受け流しながら、敵兵の首輪をひたすらに観察していた、そしてある事に気が付いた。

(首輪が光輝くと同時に敵兵の傷が癒えている)

敵兵が身に着けていた首輪は回復装置だった。

それに気付いたキスクは、すぐさま周囲の仲間へ向けて叫んだ。

「首輪だ!首輪を叩き切れ!そうすれば敵兵に攻撃が通る!」

キスクがもたらした情報は、バイドの情報を追うようにしてベルゲンの元へもたらされた。

「そうか、あのキスクが、な」

ベルゲンはどこか楽しげに笑いながら、バイドの情報とキスクの広めた戦法を耳にしていた。

「そうと分かれば怖い物はない。バイド、キスクへありがとうと伝えてくれ。総員、これより敵兵殲滅へ入る!」

キスクの助力を受け、アベルバイゼンとの戦いへ向けて覚悟が定まったらしいベルゲンは、兵たちへそう号令を飛ばす。

そこからはこれまでの劣勢ぶりが嘘のような猛追撃となった。

キスクたちを伴ったベルゲンが敵兵本陣へたどり着く頃には、アベルバイゼンたち本隊は既に離脱したあとだった。


そののち帝国城塞へ戻ったキスクは、ベルゲンと国王から直々に階級特進の報を賜った。

「そなたの一報が無ければ、我が軍は勝ちを納めることが出来なかっただろう、ありがとう」

ベルゲンの言葉に、唇を噛み締めながらはにかんだキスクは、「言われた通り、精一杯頭を使いましたんで」と言って、鼻下を擦った。

「……あの言葉、まだ覚えていたのか」

キスクの言葉に昔を懐かしむように笑ったベルゲンは、「そなたも大きくなったものだ」と感慨深げに眉尻を下げた。


その日からベルゲン騎士団長の副官を務める事になったキスクは、これまでになく”てんやわんや”に忙しい日々へと突入した。

ベルゲンの仕事の補佐や身辺管理はもちろんのこと、新任の兵たちの監督なども任される立場となっていた。

学ぶことも多かったが疲労感も多く、毎日疲れて帰って来ては風呂に入って寝るだけの日々だった。

気付けばバイドや仲間達と頻繁に酒を酌み交わす事も無くなっていた。


そんな中、キスクにとって運命を握る人物が現れた。

「新任のミラドナです、よろしくお願いします」

その昔、キスクが初めてベルゲンと対峙した時のような面持ちで、その少年はキスクの前に現れた。

なんでもミラドナはキスクと同じ故郷の出身であり、三歳年上のキスクの名声を聞き付けて志願してきたらしかった。

「お噂は聞いております、キスク副官の功績は我が村民の誇りであります」

そう言ってぎこちなく敬礼したミラドナにどこか懐かしいものを感じながら、キスクはあの時のベルゲンも似たような心地だったのだろうか、とほんの少し含み笑った。

「何かおかしな事を言いましたか?」

「いや、何でもない」

一息ついて向き直ったキスクは、いつもの要領で新任兵への指示を出した。

「明朝までに不備がないか支度を整え、上官へ報告すること、いいな」

「わかりました」

その日からミラドナはせっせと真面目に一兵卒としての仕事をこなしていった。

新任当時のキスクの不真面目さと比べれば、実に初々しく目覚しい努力の積み重ねだった。

キスクも同郷の出ということもあってか時折個人的に話をすることもあり、いつしかミラドナはキスクを遠縁の兄のように慕うようになっていた。


そして運命の時は訪れた。

キスクが十九歳の年のことだった。

戦火を逃れ行方知れずだったアベルバイゼンの一行が、東の国で見かけられたという報が届いた。

真偽が定まらぬ中で、やがてアベルバイゼンの名で帝国へと書状が届いた。

「今度は奇襲ではなく正々堂々戦いを挑むと、余程勝つ自信があるのだろう」

ベルゲンももう三十三歳となっており、その眼差しにも幾分年相応の陰りが見える年頃になっていた。

「……勝ってやりましょう、俺たちにだって考える頭はある、そして今度こそアベルバイゼンに一矢を」

キスクの言葉に頷いたベルゲンは、「まさかそなたに励まされる時が来るとは」と、少しおどけたように笑いながら、呻くように頭をもたげる。

不思議に思って覗き込んだキスクの目に飛び込んで来たのは、ベルゲンの手のひらに広がる血の色だった。

「……見苦しい所を見せた、先月から喀血が止まらなくてね、医者の話ではもう一年は持たないそうだ」

「嘘でしょう」

「そなたにだけは武様なところは見せたく無かったよ」

「そんなふざけた事言ってる場合ですか!」

珍しく激昂したキスクに、ベルゲンは驚いたように目を見開く。まるでまだ自分の事を心底気にかける人間が居たのかとでも言うように。

「騎士団長の座は、どうする気ですか」

「いずれはそなたに譲ろうと考えていた、もう充分に育っただろう?」

そう言われてキスクは悔しげに口を噤んだ。

ベルゲンがこの俺を認めてくれている、それは嬉しいのに、こんな”終わり方”を望んでなどいなかった。

「大丈夫、もうそなたを守る部下たちも充分に育っている、私が居なくとも」

「俺にはまだあんたが必要だ」

キスクの言葉に一時目を閉じたベルゲンは、そっと彼の頭を撫でた。親が子にするようなそれに、キスクは僅かな歯痒さを感じて振り払ってしまった。

「俺は、ほんの六つの時から、あんたの事が」

そこまで言いかけて、キスクは届く見込みのないその言葉を飲み込んだ。

ベルゲンが騎士団長を退いたのは、その三日後の事だった。


その年の春、再戦の時は訪れた。

うららかな春の陽気に似つかわしくない、血なまぐささと硝煙の臭いが立ち込める中で、キスクは再び副官となったバイドと共に必死に刃を振るっていた。

敵兵の数はこちらの半数に満たなかったのだが、回復装置は強固な鎧型となっており、

前回のように容易に打ち砕く事は出来そうに無かった。

やがて戦況はじりじりと押されはじめ、春雨が辺りをしとしとと濡らしはじめた。

「まいったな、こんな所で野郎と一緒に死ぬなんてごめんだぜ」

気を紛らわせるようにおどけた事を言うバイドに、キスクもつられて笑う。

「俺だってお前と討死にするなんてごめんだね」

本当は、

本当はベルゲン団長の背を護って死にたかった。

そんな事を言ったらきっとバイドは笑うだろうと言うことは分かりきっていたので、キスクはそれを口にする事は無かった。

代わりにバイドにどかりと背を預けて、頬に掛かった返り血を拭う。

「……死ぬなよ」

激しくなる春雨の中、雨粒を弾いて、キスクの一閃が敵を、空を絶つ。

誰にも死んで欲しくなどなかった。

バイドにも、仲間たちにも、ミラドナたちにも、そしてベルゲンにも。

けれど押し寄せる年月は物事を残酷な方へと押しやって行く、キスクはそれがどうしようもなく歯がゆかった。

”どうして人間はこんなにも残酷で脆いんだろう、いっそ死なんて訪れなければいいのに”

そんなどうしようも無い問いが頭に浮かんで、キスクはかぶりを振る。

神か妖の類でもない限り、到底叶わない願いだった。

「キスクっ!」

同時にキスクに放たれた砲撃から庇うようにバイドが飛び込み、水溜まりの中へどしゃりと倒れ込んだ。

どうしてだ、なんで庇った、と問えばバイドは困ったように笑って「なんでだろうなぁ」と言ったきり事切れた。

「……なんでだよ」

別れの余韻に浸る間もなく敵の刃が向けられ、キスクは剣先を突きつけそれを制する。

ぎらりと、いつになく研ぎ澄まされた眼差しに、一瞬敵兵がおののく。

その隙をついてキスクは乗り捨てられた敵兵の馬を奪うと、ある一箇所目掛けて駆け出した。


自らアベルバイゼンを討つために。


騎士団長自ら単騎で突っ込んで来た事に、周囲の敵兵も意表を突かれたのか、皆見送るばかりだった。

最後衛の一団を馬の跳躍で飛び越えたキスクは、アベルバイゼンの本陣へと踏み入った。

「アベルバイゼン、その首貰い受ける!」

「はっ、貴様のような若輩が騎士団長とはな、笑止!」

アベルバイゼンも騎士団の矜持は捨てて居なかったのか、周囲の仲間を遠ざけるとキスクと二人で相対する。

踏み出したのは二人同時だった。

交えられた刃が激しい閃光を放つ。

幾度も繰り返し、きぃんと辺りに響く金属音だけが、二人の戦いの冷徹さを物語っていた。

「あの女を、ベルゲンを殺すのは私であるはずだった、それをおめおめと病ごときで死ぬとは、所詮女の身であるが故の脆さか」

「あの人は、あの人の心はそんなに脆くないさ、あんた長いこと一緒に居てそんな事も分からなかったのか?」

キスクの言葉に、一瞬アベルバイゼンの表情が揺らぐ。

その唇が嘲笑された子供のように稚拙に歪む。

ああ、こいつはプライドが高い男だったんだな、とキスクは悟った。

「童が何をほざくか……!」

激昂から動揺したアベルバイゼンの一太刀に、キスクの体は動じることなく柔軟に対応した。

アベルバイゼンが一撃をかわされたと知った時には、もうその背中はキスクに討たれていた。

すぐさま周囲の兵が慌ただしく駆け寄る。

「その傷じゃどのみち助からない、もう勝負は着いた、首を差し出せ」

キスクの言葉に怖気付いたらしき敵兵が歩を引く中、ひとりの少年が現れた。

彼の手首には見慣れない刺青が掘られていた。

少年は敵味方の区別がついていないのか、無差別に周囲を切り伏せるとキスクの前までやってくる。

「お、お前は……!」

アベルバイゼンが皆まで言う前に、少年は剣の切っ先でその胸を一突きにする。

絶命したアベルバイゼンに、わけも分からぬまま他の敵兵たちも散り散りに去っていった。

「なんだ、お前……!?」

少年の剣先がキスクに向けられる。

その眼は何者も映していないかのように虚ろな色をしていた。

目にも止まらぬ速さで剣先を叩き込まれ、キスクの体はあっという間に傷だらけになった。

腹に貫通した致命傷が、どくどくと脈打ちながら血を滴らせ、痛みを主張してくる。

(まずい、退かねぇと、でももう)

しかしそこで感覚が鈍りはじめたキスクの耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「団長っ!」

本陣に遅参したのは、あのミラドナだった。

キスクが単騎で突っ込んで行ったと聞いて、自分も行くと後を追ってきたらしかった。

「ここは俺が影武者になります、団長は一刻も早く退却を!」

「馬鹿を言え……!お前みたいな若造を置いて行けるか!」

「俺と団長、三歳しか違わないですよ、それに団長はこんなところで死んでいい人じゃないです」

キスクが騎士団長である以上、ミラドナの言葉は至極最もで、その残酷さがまたキスクの胸を抉ってくる。

目の前の刺青の少年はミラドナに狙いを移したらしかった。

「団長!早く逃げてください!!」

「……ッ!!死ぬな、ミラドナ……!!!」

キスクはただ抱え切れぬ命の数を悔やんで、敵軍本陣を脱した。


無我夢中で逃げて来たキスクは、馬から落ちるとぬかるんだ地に倒れ込んだ。

そうしてようやくつなぎとめていた意識の中で、ある人物と出会った。

最早表情すら朧気で伺い知れぬその黒髪の男に、キスクは問いかけた。

「……東の国と戦っていたが、騎士団長は討ち取られたか」

「わからんが、東の国の一軍らしい者たちが首級を槍先に去っていくのは見た」

そうかと言って、キスクは”はらはら”と泣いた。

「そいつは俺の身代わりになったんだ、弟分みたいに可愛がってたやつなんだが、俺の影武者になると言って聞かなかった……そいつの死に報いる事も叶わず、俺はこんな所で犬死にするのか」

黙って聞いていた男は、ただ一言「生きたいか」と問いかけた。

その問いに、キスクは戸惑うことなく答える。

「生きたい、まだやり残した事も、やらなきゃならねぇ事もあるんだ」

名を教えろと言った男に、キスクは己の名を名乗った。

「承知した……キスク、お前に俺の力の一端を託そう」

そう言って、男は躊躇う事無く刀で己の腕を傷付けた。

驚き口を開いたキスクの口内に、男の指先を伝って鮮やかな鮮血が滴り落ちた。

瞬間、キスクの体が活力を漲らせたかのようにどくどくと脈打ちはじめる。

「うっ…………はぁ、は……」

その衝撃に驚き身を起こした頃には、体の傷はすっかり癒えていた。

「こいつは、一体どういう……」

驚き見上げた男の顔は、予想していたよりも整った顔立ちをしていて、そしてあまりにも表情のない顔をしていた。

まるで全てを無くした者のような、今のキスクと同じ者のような。

立ち上がろうとしたキスクに手を貸した男は、己の名を”ジルカース”と名乗った。

後に二人が相棒と名乗る仲となるのは、また別の話である。


(キスク編 了)

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