第2話 天道ミチルは芸術家である

「ねえねえ、西園寺君は新しい作品を描かないの?」

「え?」


 亮はスケッチブックに鉛筆の線を描いていると、横からある少女が顔を覗かせた。

 彼女はオレンジ色の髪がふわりと揺らせ、青い瞳をクリッと大きく見開いていた。

整った鼻筋に、自然に整った顔はこの美術部の花とも呼ばれている少女。

 彼女の名前は天道ミチル。山ケ鼻高等学校の美術部部長。亮と同じ2年D組に所属している女子生徒だ。

 ミチルはこの学校で五本の指に入る美人の一人だ。元気で明るく、人には良く接する。人間関係も好調で、周囲からは称えられていた。そんな称えられた彼女はクラスの委員長まで駆け上がった。

 そして、ミチルは芸術に憧れていた。印象派モネの睡蓮に憧れ、小学校から必死に絵を描いた。かれこれ5年にはなるが、腕は確かだった。

 高校二年生で油絵を描けるのは才能がある。つい最近彼女は自分の肖像絵画を描き出した。その作品は写真のようで、キャンバス220×160サイズに描き出した。

 それはもう、学園中から大反響。彼女は才能ある画家とも称されていた。本人はそう否定している。自分は天才ではないと。

 だが、彼女の能力はそれだけではない。昨年の秋に彼女は絵画鳳大賞のコンクールで銀メダルを受賞した。

 亮といえば、彼が描いた作品は非難の雨を受けたため、受賞することはなかった。

そのため、亮はミチルのことを尊敬と妬む心を同時に芽生えた。

 けれど、亮にとっては唯一の友達でもあった。彼女がいるからこそ、一人の人間でいられる。


「あれれー?今日もまたデッサン?油絵は描かないのかな?」


 ミチルが顔を覗かせると、亮は彫刻の人物像、プラトーの顔が描いていた。

その質問は亮の心を抉る一言だった。

 なぜならば、筆を折った亮は自分のことを他人に話していなかった。知っている人は自分の父だけだった。

画家の亮はもうこの世には存在しないこと。存在しているのはみじめで隠れオタをやっている西園寺亮だ。

そんな惨めな現実を伝えるのが嫌だった。

 亮はそんな彼女に苦い笑顔を浮かべて、こう答える。


「あーうん。最近、何もアイディアが出て来なくて、気分転換にでもデッサンをやろうと思ってね」


 ……嘘だ。それは紛れもない嘘を吐いた。

 亮は絵画を描く資格がない。なぜならば、あの批判家の言う通り、人の心を動かせない絵しか創作できないからだ。

 心を動かせない絵を想像するのは苦痛でしかない。写真と変わらない絵を描いて何の意味があるのだろうか?

 絵画は意味があるから写真より優れている。

 その絵画が写真と変わらないと言われたら、絵画に何が残っているのか?

 きっと、何も残っていない。

 亮はその批判家の言葉を信じて、この業界から手を洗った。


「残念だねー。新しい作品を期待していたのに」

「ごめんね。スラップ中で」

「ううん。仕方がないわ。天啓はそんな簡単に降りてこないねー」


 ミチルは顔を左右に振ってから笑顔で亮を励ます。

 その笑顔は亮にとって、心が痛かった。

 人に嘘を付くことはこうまで心が痛くなるのは、思いもらなかった。亮はその痛みに耐えながら苦笑いで彼女を見据えた。


「じゃあー。今度東京美術館に行かない?」

「え?」

「いろんな作品を見て、アイディアをためるのよ!有名作家の絵画を鑑賞すると、アイディアが降りてくるわよ」


 ミチルは顔を伸ばし、亮の顔に近寄らせる。

 青い瞳が量を捉える。まるで、亮は水中に溺れたかのように写っていた。

 ミチルの助言はまるでピカソの助言だ。彼は『偉大な芸術家は作品を盗む』ともいう。それは誤りではなく、作品の数々を見て、自分風にアレンジをしろとも捉えている。

 紀元前から人間の想像は視界に映ったものの融合体だ。神学がそれを示している。アイディアとは、色々のものをくっつけて生み出すこと。ミチルの助言は適切なのだ。

 けれど、残念ながら亮は芸術家を引退している。数々の絵画を鑑賞する必要性は特にない。

 例え行ったとしても、創造する気力は残っていない。

 亮は自分には画家になれないと、自覚している。

 だから、亮は嘘を重ねて断る。


「ごめんね。最近、家の手伝いが忙しいから、美術館に行く時間がないだ」

「んーなんだか残念。せっかく亮とデートできると思ったのに」

「ぶは」


 ミチルから唐突のデートにむせる亮。描いている鉛筆をぽきっと折らせると慌ててねりけしで描き乱したところを消し出す。

 ミチルはあはははは、と笑い出す。

 どうやら少しカマをかけられたようだった。

 ……情けない、と心の中でつぶやく。

 高校二年生、彼女歴0人の亮はデートのお誘いを受けるとこう取り乱す。

 ちなみに、ミチルはこの学校のお付き合いした女子高生ベスト5に入った美少女だ。勉強もできて、芸術の腕もいい。そんな彼女は男性に人気が高かった。

気安くに『デート』のお誘いとか言われると、亮はどうも調子狂わせるのだ。

 高校生で恋人がいないのは悪いことか?赤面を浮かべながら咳払いをして、再びデッサンを続ける。


「デートなんて軽々く、言ってはいけないよ。ミチル」

「え?どうして?わたしと亮の仲じゃない」

「仲って……僕達はただの同じ部員だけじゃない」

「そんなことはないよ。亮はわたしの尊敬している芸術家よ」

「え?」


 突然、亮の腕が止まった。描いている絵が止まる。

 ミチルを見上げると、彼女は紅潮した頬で視線を逸らす。意図的に逸らしたのか、偶発的に逸らしたのか、亮は理解することができなかった。

 まるで恋する少女にも似ている。

 だが、そんなことはない。自分たちの関係は同じ部員でしかない。それ以上進んでいない。

 ミチルが好きなのは決して亮ではなく、亮の作品であると。


「亮が作った作品、わたしは好きだよ」

「賞は取れなかったけどね」

「あ、あれは世界が悪い!審査員の目は腐っている!」


 亮が皮肉の語ると、ミチルは怒鳴り上げた。彼女に取っては珍しく、怒鳴り上げるのは普通のことではない。いつもだと愛想よく、笑顔でいる彼女がこうも大きな声で怒鳴るのはこれが始めてだったかもしれない。

 それほど亮の作品が好きだと思いが伝わって来た。


「わたしはねー。芸術家の西園寺亮の作品が好きだよー。誰が何と言おうが、その作品は私の心の支えになるもの。だから、だれにも侮辱させないわ」


(……嬉しいことを言ってくれる。でも、ダメなんだ。僕には才能がないだ。)


 亮は鉛筆を机に置き、頭をぽりぽりと掻く。照れ隠しをする。

 自分にこれ以上期待されてもなにもない。自分には作品を生み出す才能はないのだ。かれこれ十年間の結果がそうだ。賞を一度も取ることができなかった。

 芸術とは人に伝えたいことを作品に創造すること。賞を取れないのは、自分の才能のなさ。あの批判家が行ったとおり、写真見たいな絵しか描けない。

 そんなの、一体、芸術家としての価値はあるのか?

 答えは『否』である。

 それは文字を書けない人間と同じで、人に伝わらないものを描く芸術家はこの世にも存在しない。だから、自分には芸術家の価値はない。

 ピカソでさえも努力した芸術家。彼は作風を時代と共に変えていく。それは時代に合わせて人々に伝えやすくしたともいえるのだ。人が好みの作風に合わせていった、キュビズム。

 彼が天才と言われている秘訣だ。二十世紀初頭で流行らせた人物でもある。

 と、亮は自分の苦悩を胸の奥に押し殺して、ミチルの方を見つめた。

 すると、彼女は「そうだ」と何かを思い出したかのように会話を続ける。


「ねえ!国際エンデルコンクールは知っている?」

「国際エンデルコンクール?なにそれ」


 亮は首を捻ってミチルに問うとミチルはえへん、と自慢げに回答してくれる。


「それはね!有名なコンクールなんだよ!エンデル財団が開催しているコンクール。子供から大人まで幅広くコンクール開催している。もちろん、中学生のコンクールもあるのよ!」

「それはすごい」

「そして、なんと。国際エンデルコンクールは毎年開催されていなくて、三年に一度開催されている大規模のコンクール。日本だけではなく、各国から応募受付できるコンクールなんだ。なにより賞金が高額!金賞は一億円の賞金が貰えるんだよ」

「夢があるコンクールだね」


 ミチルが謡うように説明すると、亮は頷きながら耳を傾けた。

 その内容は既に知っていた。このコンテストは有名画家の集団で開催されるコンクールだからだ。亮の父も過去にこの賞に受賞している。父親の部屋にはトロフィーが飾っている。誇りの象徴でもあった。

 父親経由で様々な有名な画家にもあった。当時小学生だった亮は芸術の話をいろんな人から聞いた記憶もあった。

 油絵の塗り方や構図の決め方。なにより、絵画の創作の助言をした芸術家は今でも思い出す。

 小学生が父親の背後についていき、世界有名な芸術家たちへおろおろと話をする。尊敬と憧れを眼差しに、片言の英語で会話を試してみたり。

 それが懐かしい記憶でもあった。

 だが、いまはそんなことはできない。落ちこぼれた一人の少年だ。

 今年にこのコンクールが開催される情報は事前に知っていた。父から情報を得ていた。八月末にはコンクールの応募があり、十月には発表される。

 授賞式はフランスのルーブル美術館に開催され、作品もその美術館に飾られる。芸術家としてはこれまでにもない栄光なものでもあった。芸術家は既に勝利を約束された人生を向かえるのだ。

 芸術家を目指す者であれば、だれでも目指すコンクールだ。それも三年に一度に開催される幻のコンクール。噂では、小学生から大人までの人生を費やしてまでこのコンクールの受賞を目指している者もいた。

 ……芸術家の人生を狂わせたコンクール、と亮の父親が呪いのような讃えていた。

 経験を豊富な芸術家な父親は、色んな人の人生を見て来た。そんな彼が忠告するほどのコンクールに亮が知らないわけがない。

亮はこのコンクールには出ない。言うまでもないが、彼は筆を折ったのだ。

 そんなことを考えていると、不意にミチルが期待で顔を覗かせる。


「で、亮も参加するよね」

「えっと、考えて見るよ」

「絶対に出てね!きっと、その時にはアイディアも色々と降りてきて素晴らしい絵を描いているはずだわ!わたし、亮の作品を楽しみにしているね!」


 そう言うと、彼女はにっこりと笑う。

 亮はその笑みを受けると胸に痛みが走る。

 このミチルになんて話せばいいのか、自分が画家の道を逸脱したのを、どう伝えればいいのか。

 そんなことを悩みながら、亮は荷物をバックにしまった。

 恥ずかしくて、耐えられなかったのだ。


「ごめん。僕、この後に用事があるから。先に帰るね」

「え、あ、うん」


 亮は荷物をまとめてバックの中に入れると、立ち上がった。そしてミチルには「じゃあ、お先に」と簡単に別れの挨拶を放つと、その場から立ちさる。

 自分がある小さな背中をまるめて、その場から逃げ出すように、亮は廊下を走った。

 芸術家を引退したことをまだ彼女に話していないし、彼女には知られたくはない。

 そんな期待で寄せられた目で見つめないで欲しい。自分は才能がないものだ。お願いだから、自分のことを忘れて欲しい。

 唇を噛み締めしめて、両足を全力で駆け抜けた。

 目的場所は誰もいない場所。この世で静かな場所にいくのだ。

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