第2話 出会い

 目の前には、大きな猿顔が横たわっていた。

 憤怒ふんどに満ちた顔を浮かべながら、フガフガと寝息を立てている。銀色のウロコで覆われた体は五メートルはあるだろう。確かこいつはヨロイザルという名のモンスターだ。

 執念深さはピカイチで、きっちり仕留しとめないとどこまでも追いかけてくるという話だ。記憶が正しければ危険度Bクラスの中型モンスターで、まだかけ出しのハンターである自分が手を出していい相手ではない。どうしてこうなったと思えば100%自業自得だった。

 生活費の足しにするため小型モンスターを狩っていたらいつの間に危険地帯にまで入り込んでいたのか、恐ろしい気配に気づいた時には遅く、コイツが飛びかかってきたのだ。

 咆哮ほうこうをあげて追いかけてくる相手からほうほうのていで逃げ、隙をついてどうにか電撃攻撃を放って気絶させたものの、殺すまでには到底至らずこれからどうしようか途方にくれている。気絶しているうちにトドメを刺したいが、手持ちのナイフでは銀色に光るウロコにきずひとつつけることができない。追跡されないよう体臭を誤魔化ごまかすための臭い玉は、逃げる途中で落としてしまった。街は遠く、体力はほぼなく回復薬も底を尽きている。緊急コールを出す魔力も残っていなければ隠れる場所もない。ようは詰んでいる状況だ。雲ひとつない青空の下、地獄の瀬戸際せとぎわにいる。こいつが起きたらジエンド。何とか手はないかと考えているうちに奴のまぶたがピクピクと動き始めた。

 何度かまばたきをし、ゆっくり目が開いていく。瞳孔がぐるぐる回ったかと思えば目が合った。らんらんと光る赤い目に見つめられ恐怖が背筋をかけ抜ける。両腕を地面についてゆらりと巨体が立ち上がった時に、最後を悟った。さよなら俺の13年の短き人生。

 せめて情けない声を出さないように、激痛の瞬間しゅんかんを歯を食いしばって待った。けれどいくら待てども、その時は来ない。目の前のヨロイザルは二足で立ったまま硬直こうちょくしていた。一体何をする気なのだと凝視ぎょうししていたら首がぐらりと落ち、血がシャワーのようにき出た。ぼたぼたと頭から血がそそぐ。そのままヨロイザルはどおおんと音をたてくずれ落ちた。

「は……?」

 突然とつぜん事態じたいに声も出せずにいると、ヨロイザルの背からぬらりと影が現れた。ヨロイザルの硬いヨロコを一閃いっせんで刈り取るなんて、どんな凄腕すごうでのハンターかと思えば、そこにいたのは同い年ぐらいの半獣人の少女――いや、少年だった。

 肩を覆う黒のケープをまとい、イタチのような丸っこい耳を頭から生やし、長く紫がかった髪を一括ひとくくりに束ねている。彼は手にした二本の大きな鎌のような武器をくるくる回し背中のさやに戻した。

 そして返り血で真っ赤な俺を見て眉を上げると、ヨロイザルの背からスタッと降りて目の前まで歩いてきて、じっとそのルビーのような大きな瞳で俺を見つめた。

「何やら綺麗な閃光せんこうが見えたから来てみたら、まさかこんな子供だとは思わなかったね。あの電撃を撃ったのは、本当に君?」

 凛として鈴のような声だった。その綺麗な顔にドキっとする。何より命を助けてくれた相手で感謝を伝えなくてはと思ったけれど、成長期真っ盛りだと言うのに子供と言われたことにムカっときた。

「そうだけれど、何?」

 思っていたよりけんのある声が出てしまったが、出たものはしょうがない。そのままむっとした表情をしても、彼は気にすることなくふーん、と面白おもしろがる顔をした。

「便利そうな技だと思ってね。ところでさ、お礼が欲しいよね。僕は君の命の恩人なんだよ?」

「う……」

 事実であるが返せるものはない。ハンターになるんだと家を飛び出て早二ヶ月。ギルド登録料やら初心者装備一式やらを買い揃えればどんどん貯金は減っていき、ここ最近になってようやく貯金を切り崩さなくてもよい状況になったものの、常にトントンだ。

 あるとするならこのヨロイザルの死体だけだ。トドメを刺したのは彼だけれど、ある程度弱らせたのは自分である。この死体で手を打とうとしたが、その前に彼は首を振った。

「いらないよ。ヨロイザルのオスの肉なんて臭くて食べられたもんじゃないし。そうじゃなくても、肉に魔素まそが残り過ぎている。普通の人間には毒だよ」

「魔素の残りすぎ?」

 どういうこと?と顔に出ていたのだろう。彼はヨロイザルの首なし死体に近寄ちかより手にした鎌を振り上げると、大腿部だいたいぶをスパッと切った。鎌でちょんちょんと指し示された筋肉の断面に黒い斑点がいっぱいある。どう見ても不味そうだ。

「魔素がモンスターの魔力元なのは知っているよね? 強大な奴ほど体内に内包ないほうしている量も増えてくる。倒すまでに上手いこと体外に出さないと、こうして肉の部分に残っちゃって食えなくなる。魔素が残る原因のひとつにストレスをかけ過ぎることがあるけれど、君、こいつとどんだけ戦っていたの?」

「そんなに時間をかけていない」

 嘘だ。逃げるのに必死だったから正確には覚えていないが半日は死闘していたと思う。でも己の技量をこいつに悟られたくなくてとっさに口から出ていた。

 ちょこまか逃げまくる小物相手にいつまでも攻撃ひとつぶつけられなければ、そりゃあイラつくに違いない。一晩、蚊と戦うようなものだ。

 しかし、倒して肉を売ってしまえばいいかと考えていたが、出来ないとなると別の問題が浮上してくる。

「……どうやってこのモンスターの後始末すればいいんだ?」

 死体からジワジワと黒い魔素とやらがにじみ出てきている。このまま放置したらまずい気がする。小型モンスターならばギルドで配布される転送呪符を貼ればどこかに送られ、後で金になって返ってくるが、中型モンスターの場合はどうしたらいいのか教わっていない。こんなことならハンター手引き中級者編をもっと読み込んでおくべきだった。

「ああ、それならここに来る前に呼んでおいたから大丈夫だよ」

 冷や汗を流していると彼はニコッと笑った。一体誰をと言いかけたその時、気配を察知した。

 風が吹いた。砂埃が舞い上がり、思わず目を閉じて、再び開いた時には黒装束の集団がずらりと並んでいた。パッと見ただけでも、ヒューマン、エルフ、ドワーフ、ウェアウルフがいる。彼らはヨロイザルをとり囲むと各々の武器を手にして何やら作業を始めた。

「膝関節、股関節、肘関節、魔素確認。各リンパ節腫脹。全身の筋肉変性あり」

「高度の魔素蓄積により全部廃棄です。頭部は副隊長命令にて精密検査へ。皮の方はどうですか?」

「こっちは合格だな。鱗も綺麗に残っている」

 会話をしながら彼らはヨロイザルの皮を剥ぎ、頭部を外し、四肢を切断し、手際よく解体していく。モンスター解体処理班だ。一筋縄では片付けられない特定指定モンスター解体を専門とする王立直属部隊。その証拠に彼らの首元には王冠マークの中に描かれた二本の包丁の紋章が掲げられていた。話には聞いたことがあったが初めて見た。

「こちらモンスター解体申請書です。内訳を確認して問題がなければ所属ギルド名と名前を記入してください」

「は……はぁ」

 黒軍団の一人の、がっしりとした体格のウェアウルフから差し出された紙にはずらりと数字が並んでおり、検査費用代や素材買取り価格が書かれていた。鱗にS評価がついたけれど、肉の廃棄代が高くついている。回復薬のことを考えるとほぼプラマイゼロだ。ため息しかつけない。いや命あってのものだ。あの絶望から生還できただけでもよかったのだ。

 名前を書いて申請書を手渡すと、ウェアウルフはうなずいて黒の集団の方へと帰っていった。ヨロイザルはもう跡形もなくなっている。どうやって処理したのか分からないが血一滴残っていなかった。

「あのまま放置していたら屠モンスター法違反になるところだったんだよ、初心者くん。君の命を救っただけでなく、犯罪者にならないようにするなんて、僕ってとても優しいね」

 横にいる少年がニコニコ笑って言った。ぐうの音もでない。けれどここで反発したら、それこそ子供だ。感謝を胸に礼を尽くさねばならない。

「命を助けていただきありがとうございます。でも恥ずかしながら生活がカツカツで返せるものは何もないです」

「お金がなければ体で払えって言葉、知っている?」

 頭の丸い耳をぴこぴこと動かし、ベシベシとイタチのように太くて長い尻尾で俺の体を叩きながら、彼は底意地の悪い顔を浮かべた。前言撤回。強請ゆすりは悪だ。法で訴えれば何とかなるかもしれない。命の恩人とて容赦せん。どれくらいの費用がかかるのだろうと考えていたら、片付けが終わった黒集団の一人が駆け寄ってきて、少年に向かって敬礼をした。

「副隊長! 任務を終えたので我々は先に帰還します」

「分かった。報告書作成お願いね」

「それは副隊長の責務なためお断りします」

「頼むよ。めんどくさいんだ、アレ」

「ダメです」

 ブーブー垂れている少年を驚いて見ていると、彼は再びこちらに向き合った。

「ああ。紹介遅れたね。僕はモンスター解体処理班副隊長のファルチェ。さっきも言ったとおり君の電撃攻撃に興味があってね。ぜひ職場見学に来て欲しいんだ。それぐらいなら安いもんだろう?」

 よく見れば彼の首のアクセサリーにはモンスター解体処理班の紋章が描かれていた。

 ひょっとしてとんでもない輩に目をつけられたのではないか。そう思わずにはいられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る