27.

 


「もしそうだとしたら、次に気になってくるのは…――

 ワトソン博士は、『バスカヴィル家の犬』事件の解決に協力した”アセルニ・ジョーンズ警部”のことを――――という事だな?」




■27.八つの署名 -The Sign of Eight-




「うーんっ、そうですよねぇ……すっごく気になりますっ!」

 俺が”次なる疑問”を口にすると、めぐみが強く同意してくる。


「たしかに不思議だけどさ、普通に考えたら――”ワトソン博士が警部の名前を書き間違えちゃっただけ”――って話になるんじゃないの?

 あっ、あとは『バスカヴィル家の犬』事件に登場したのが――”本当にレストレイド警部だった”パターンかしらね! ワトソン博士が執筆の際、登場人物の外見設定を勘違いしちゃって、”レストレイド警部”の外見的特徴を、”アセルニ・ジョーンズ警部”っぽい”ブルドック男”にまちがって描写しちゃったとか、どうかしら?」

「あっなるほど、名前を間違えたんじゃなくて、”ブルドック”という表現の方が間違ってた可能性ですかっ」


 俺が提示した”疑問”に対して、あいり先輩がいくつか”見解”を示し、それを聞いていためぐみが「ほうほう」と興味津々に頷き返す。

 ふむ。たしかに一理ある”見解”ばかりだけれども…――


「こう言ってはなんですが、どちらの”見解”にしても――”ワトソン博士が書き間違えた”――というのが根底になってしまいますね。シャーロキアンの”知的遊戯”としては……もう少し面白い答えを見つけたいところです」


「あっこいつワトスン君、贅沢なこと言っちゃてもう~!」

 あいり先輩のツッコミを受けて、俺は苦笑いする。


「ねえ、めぐみちゃん! 他になにか気づいたことはないのかしら?」

 何かヒントになるかもしれないと、あいり先輩が再びめぐみに話を振る。

 話の矛先を向けられためぐみは「うーん」と小さくつぶやいた後――何かを思い出した様にハッと瞳を見開いた。


「えっと、あの、まったく何も関係ないかもしれないんですが…っ…」

 めぐみはそう言いながら「えへへ」と誤魔化し笑いすると――再びノートをぱらりと広げた。


「先ほども述べたように『四つの署名』と『バスカヴィル家の犬』のふたつの事件は、”一八八八年”のわずか数ヶ月余りの期間に、連続して起きた出来事だと考察されています。

 ところが――雑誌掲載された時期が”少しおかしい”んですよっ。

 まずは”一八八八年の七月または九月”に事件が発生した『四つの署名』ですが、こちらは約一年後の”一八九〇年の二月”に米国雑誌で発表されました。それなのに、”一八八八年の九月末から十月”にかけて事件が発生した『バスカヴィル家の犬』が英国雑誌に発表されたのは――なぜか約十三年後の”一九〇一年の八月”なんですっ」


「えっ、ふたつの事件の発生時期は”二ヶ月差”程度なのに……、雑誌掲載された時期には”十二年ものへだたり”があるわけ!?」

 めぐみの”疑問”を聞いて、あいり先輩が驚愕の声を上げる。


 なるほど。実に興味深いな……。

 事件発生から約一年後に雑誌掲載された『四つの署名』は特に問題ないだろう。つまり気になるのは…――



「なぜワトソン博士は――『バスカヴィル家の犬』事件を”十三年間”も公表しなかった――のでしょうか?」



  ◇◆ ◇◆◇ ◆◇



「なぜワトソン博士は――『バスカヴィル家の犬』事件を”十三年間”も公表しなかった――のでしょうか?」



 めぐみの問い掛けてきた”新たな謎”に、俺とあいり先輩は頭をひねらせる。


 たしかに不思議だ。そしてさらに気になるのは…――、

 出版代理人ドイル氏ならびに筆者ワトソン博士は、名探偵ホームズが宿敵”モリアーティ教授”とライヘンバッハの滝壺に転落する『最後の事件-The Final Problem-』を一八九三年に発表後、ここで一度”ホームズシリーズ”の雑誌連載を終了している。

 その後、”ホームズシリーズ”愛読者から連載継続の要望を受けて、名探偵ホームズの帰還が報告される『空き家の冒険-The Adventure of the Empty House-』が発表され、”ホームズシリーズ”の雑誌連載が再開されたのは”一九〇三年”のこと――つまり当時の読者は”名探偵ホームズの帰還”の報せを、実に”十年”もの雑誌連載中断期の間、ずっと待っていた事になる。現代読者の俺たちには想像もつかない出来事だな。逆に連載再開時の読者たちの”熱狂ぶり”は計り知れず、そこは少し羨ましい限りだ。おっとそれはさて置き。

 つまり一九〇一年に『バスカヴィル家の犬』が雑誌掲載されたという事は――。

 ワトソン博士は、わざわざ”ホームズシリーズ”の連載中断期(一八九三年から一九〇三年)に未発表事件だった『バスカヴィル家の犬』を公表したという事になるわけだ。

 ここでやはり冒頭の”疑問”に帰結する。それはつまり…――



「うーん。たしかに”謎”だわねぇ……。どうしてワトソン博士は『バスカヴィル家の犬』事件を”十三年間”も公表しなかったのかしら?」

 あいり先輩が繰り返し吟味するように”疑問”を口にする。


 俺はしばらく黙考した後――頭に浮かんだ”考察”を述べる事にする。

「……そうですね。やはり一番ありえるのは――”事件を公表することで、社会に悪影響を及ぼす可能性があったから、ワトソン博士達が自主的に雑誌掲載を差し控えた――とかじゃないですか?」


 例えば”ホームズシリーズ”後期の短編『高名な依頼人-The Adventure of the Illustrious Client-』も同様の経緯があった事件として知られている――。

 この事件は、依頼人関係者の”醜聞”スキャンダルに関わる案件であったため、作中では”依頼人の正体”が秘匿されている。物語の終盤には、依頼人の馬車に飾られていた”紋章”を目にしたワトソン博士は「依頼人が誰なのか分かったぞ」と興奮しながら言うと、名探偵ホームズが「それは忠実なる友であり高潔なる紳士さ。―”It is a loyal friend and a chivalrous gentleman”―」とたしなめるシーンがあり、この事から”依頼人の正体”は――即位して間もなかった当時の英国王”エドワード七世”――というのが定説とはなっているが。


 とにもかくにも、ワトソン博士が「一九〇二年の九月三日」に起きたと明記している『高名な依頼人』事件に関して、名探偵ホームズが「今ならもう誰にも迷惑はかけまい―”IT CAN’T hurt now,”―」と述べて本事件について記録に残すことをワトソン博士に許可し、ワトソン博士が『高名な依頼人』事件を掲載雑誌にて公表したのは――実に””の一九二五年の事だった。



「なるほどっ。それならたしかに『高名な依頼人』の前例もありますし、事件の内容によっては”十年ぐらい”公表を遅らせたとしても、全然おかしくはないですねっ」

 俺の仮説を聞いて、めぐみが称賛するように同意する。

 そして…――


「でも、だとしたら『バスカヴィル家の犬』事件が起きた頃――”一八八八年の九月末から十月頃”――には、いったい”何が”あったんでしょうか?」

 めぐみが続けて口にした言葉を聞いて――あいり先輩が瞳を見開いた。




「ひょっとして……”切り裂きジャック-Jack the Ripper-”事件…ッ…!?」




  ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

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