19、彼の未来

 どうやら、婚礼教会の中庭へと続く通路のようでした。

 

 両脇を背の高い生垣に囲まれて薄暗くなった道が、輝く庭へとまっすく伸びています。


 どうしようかと迷いながらも、奥の婚礼会場から聞こえる音楽に吸い寄せられるように侃はフラフラと歩き始めます。

 手にはおれんじが託した彼女の従前生証明書。


 ぐるぐると、彼女の言葉が脳裏をめぐります。

 それはこの一か月陥ってきた堂々巡りの思考と同じ軌跡を描きはじめます。

 

 おれんじは、自分に何をさせたいんだろう。


 自分は何をすればいいんだろう。


 自分はなぜここでこうしているんだろう。



「そっちに進むとパーティー会場だぜ」



 堂々巡りを断ち切ったのはのっぺりとした男の声でした。

 まるで野鳥か動物の鳴き声のように、自然と背景音じみて耳に届く声です。



「見知らぬ誰かの婚礼パーティーってのもまあ楽しいんだろうけどな。あんたはこっちだろ」



 声の主をきょろきょろと探すと、侃の後方、通り過ぎたばかりの生垣の一部が切り取られ、壁からはがれていました。


 扉です。

 隠し扉、いえ、従業員が出入りするための通用口になっているようです。

 声はそこからのっぺりと聞こえてきます。


 吸い寄せられるように、侃はその扉へと歩いていきます。

 にぎやかな音楽は遠ざかり、扉の内側に入るとほとんどくぐもって聞こえなくなりました。


 ハレの日にぽっかりと空いた洞窟、というのがその通路の第一印象でした。

 どうやらそこが、式やパーティを円滑に行うためのスタッフ通路だというのは、侃にもわかりました。



「こっちだ」



 古ぼけている、という第一印象を与える男でした。

 よれよれの褪せたワイシャツと、所々ほつれのあるズボン、くすんだ革靴。はねた寝ぐせと無精ひげは、不潔やだらしなさというよりも男の人生の疲労の表れに見えました。

 全身から、彼の過ごしてきた日々を感じることができるようでした。


 男からの挨拶はありませんでした。

 侃も、そうする暇はありませんでした。

 説明も、紹介も、確認もなく、侃がついてくるかどうかも気にせず男はどんどんと通路の奥に進んでいきます。

 通路の壁には所々に扉があり、その隙間からかすかな音楽や歓声、またスタッフのものらしき怒号が聞こえてきますが、そんな喧騒が漏れる扉といくつもすれ違いながら不思議と誰とも会うことなく、二人は奥へ奥へと進んでいきました。


 行きついた先は、コンクリート壁にぐるりと囲まれただだっ広い部屋で、その殺風景さは侃に地下牢を想起させました。

 ただひとつしかない天井近くの小さな窓から外の陽が差し込んでくるのもその想像を助長させ、愛想のない部屋は愛想のない男とよく似合っていました。



「カード、ほら」



 男は部屋の隅に置かれたワークチェアに飛び込むように座り、即座にそう言います。

 言いながら侃の方は一切見ずに、デスクに置かれた古ぼけた液晶画面を触っていじり始めました。



「あ、ちくしょう、こいつまたぼやけてやがるな、結局こっち使わねえとなんだからさあ」



 男はデスクの引き出しからこれまた古ぼけたキーボードを取り出し、液晶画面につなげながら、再度言いました。



「従前生カード、持ってんだろう、ほら」


「ああ、これ……あの」



 侃が近寄り差し出したカードをひったくると、男は猛烈な速度でキーボードをパチパチ押下していきます。

 今時はどこに行っても見られないようなQWERTY式の平面キーたちが次々に押されて文字が打ち込まれていく様は、さながら伝統工芸の職人技のようですらありました。



「お嬢ちゃんのだけでいいの、あんたのは」


「え? あ?」



 戸惑いながら差し出した侃のカードもやはり引っ手繰られます。

 相変わらず、説明もなく、何もなく、ただただパチパチと遠い遠い昔に聞き覚えのある打鍵の音だけがだだっ広い地下牢に響いていました。

 

 手持無沙汰な侃は、光の差し込む窓を見上げます。


 おめでとうー! と何人かが声を合わせて叫ぶのが聞こえてきました。


 続いて笑い声。


 世界のすべてがめでたいものだと信じてやまない声でした。



「よし、これでいいや」



 男はそう言いどっかりと椅子に背を預け、デスクから厳かに白い何かを取り出し口にくわえました。そしてやはり厳かに、同じく引き出しから取り出した銀色の何かをいじって火をつけると、その白い何かをあぶります。

 侃がきょときょと驚くのを笑う男の口からは、なんと煙が出てきました。



「そんな目で見るなよ。紙タバコもオイルライターも今どき誰も使わねえってだけで、違法ってわけじゃねえんだ」


「……初めて見ました」


「二度と見られねえかもな」



 煙と共に男は笑います。



「この場所と、この端末と、同じだよ。“誰もが忘れてしまった“ってやつだ。おそらくは忘れられるべくして忘れられた何か。古き良きもしくは悪しき何か。誰もが無視していたら本当に存在が消えっちまった何か……俺も含めてな」


「あの、あなたは」


「昔はそれなりにイイツラしててよ。婚礼神父役やってたけど、おかしなことに年喰ってくとどんどんハーフっぽさが抜けっちまってな。そこいらの純ジャパのおっさんにしか見えねえからっつって、それからはデータ整理がメインの仕事よ。従前生と相性系のな」


「表で、あの、わたらせ」


「お嬢ちゃんの名前は知らねえよ。教えるなよ。関わりたくねえ。前世のデータいじくれってやつにろくなのはいねんだからよ。なるべく作業が終わったら忘れられるようにしておきてえ」



 侃の呼吸が、一瞬止まります。

 男の言葉を反芻して、反芻するにつれ、呼吸に反して心臓の動きが激しくなります。



「従前生を……?」


「あん?」


「前世を、いじれるんですか、本当に?」



 男は煙をまとうように自分に吹き付けます。そのまま煙にうもれて消えたがっているようにも見えました。



「役所のシステムにバックドアがある……これまたここと同様、誰もが忘れっちまってる入り口だ。大昔、この街の婚礼施設がまだ今の10分の1しかなかった頃に役所と施設を直結で結んでたトンネルだ。時々一人二人書き換える程度ならうまくやればバレない」


「でもそれって犯罪なんじゃ」


「バレたらな。でもバレない。だから犯罪になりようがない」


「そんな……」


「で、どうする」



 男の手には二枚のカード。



「書き換えができる従前生は一度にひとつだけ。それが俺のルールだ。それ以上いじくると危ないからな。つまりお嬢ちゃんの従前生か、あんたの従前生かどっちかしか書き換えられないってことだ」


「そんな、おれん……あの人のを勝手に書き換えるなんて」


「俺はただ「ここを訪れるある人の従前生を書き換えてほしい。それができないなら彼と相性が悪い従前生に自分のを書き換えてほしい」って言われてるだけだ。わけわかんねえけどな、やって欲しいことだけはハッキリしてるからよ、それで納得した」


「なんで……そんなこと」


「ええと、そんでまあ、書き換える前にひとつ、言っておきたいことがある」



 男は侃の言葉には応えずカードをひらひらさせ、そこに煙を吹きかけます。魔法をかけているみたいでした。



「これは俺の個人的なルールでな。メリットデメリットはきちんと説明することにしてんだ。お嬢ちゃんにはすでに説明した。従前生システムは市民ネットワークとそのほかいくつかの行政サービスなんかと結びついてる。なるべく整合性がとれるようには書き換えるつもりだけどな、いくつか今と変わっちまうようなところは出てくる。職業適性だとか、疾患の傾向とか、活動推奨エリアのあれこれとか……まあデータ上のもんだからよ、実際あんたに何かあるわけじゃねえんだけど」



 そして男は煙まみれの侃のカードを差し出します。



「整合性の犠牲になるのは大抵、他人の前世との相性のパラメータだ。システム上は一番どうでもいい部分だからな。たとえば、多分あんたのを書き換えると、お嬢ちゃんとの相性は変わっちまう。今より良くなることは、たぶん、ない。……まああんたら、今が良すぎるんだけどよお」


 

 そうして今度はおれんじのカードを差し出します。



「その点、お嬢ちゃんの……あんたと相性悪い前世にするってやつだけどな、これはこれで意外と難しいもんでよ。本来犠牲にするようなパラメータを集中して変えるってことだから、当然影響が出るのは他の部分だ。それが資産運用適性なのか、疾病発現度なのか、職業査定なのかわかんねえけどな。データ上では、お嬢ちゃんのそういう部分が変化しちまう」



 差し出されたカードを、侃は見比べます。

 なんの変哲もない透明なホロデータカード。

 どちらもとてもつまらない、小さなものに見えます。

 しかしそのうち一つは、侃がずっと長い間こだわり続けてきた、そのものなのです。



「どちらかを選べる。どちらかを、自分が望む前世へ、書き換えられる」



 男の言葉は奇妙な響きを持って侃を揺さぶります。



「お前が望むお前の過去は、どっちだ」



 長い長い沈黙。


 そこにうっすらとかぶさる遠い歓声。


 世界を祝福する声が、世界から忘れ去られた部屋の中に漏れ聞こえてきます。


 歓声がやがて静まるまでの長い熟考ののち、侃はおずおずと手を伸ばしました。


 そうして彼は過去を選び取りました。

 そう、同時に、彼の未来を。

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