第16話 地震

 翌日、私は家から三駅先のデザイン会社に居た。学生課で紹介された短期のアルバイトで、データ入力や画像ファイルの簡単な加工が主な仕事だ。

 パソコンはどちらかというと少し苦手だったが、大学で触れているうちに興味を持ったのだ。


 短期だというので始めてみると、デザイナーさんの操作ひとつで写真がいろいろな表情を持ち、見ていて楽しい。普段当たり前のように閲覧しているホームページはこんなふうにして作られるのかというのも分かって興味は尽きない。


 契約は三月いっぱいだったが、なんなら四月以降も来る? と社長が声を掛けてくれ、契約を延長しようかと思っているところだ。


 その日。伝票の入力をしているときにグラリとビルが揺れて地震が起きた。コピー機が大きく動き、パソコンのディスプレイが倒れてくる。

 咄嗟に机の下に隠れ、揺れがおさまるのを待った。今まで経験したことのない大きな揺れだ。しばらくすると揺れもおさまったので、ディスプレイを元の位置に戻し、散らばった書類を集めた。

 社員の数人が休憩スペースにあるテレビを点けて画面を見ている。


 それから十分も経たないうちにまた地震が起こったので、さすがに不安になっていると、社長がフロアに来てアルバイトの私は先に帰るように指示された。


 周りのものを片付け会社を出た。駅に向かうと電車は止まっていて、復旧の見通しは立っていないと改札前に看板が置かれていた。

 拓海に電話をしてみたが繋がらない。どうしようか迷ったが、拓海は私の家に来るだろうから、ちゃんと家に辿り着いておかなくちゃいけない。


 電車で三駅だから、たいした距離ではないはず。歩き始めて少しして、この地震がとんでもないものだったことに気づく。

 窓ガラスが割れ、煙を出しているビルが見えたからだ。


 伯母や拓海は大丈夫だろうか。急に怖くなり、ふたたび携帯電話を出して伯母の家にかけてみたが繋がらない。拓海の携帯電話も同様だ。

 不安の波が押し寄せる。私は拓海の携帯にメールを送った。届くのかは分からないが、とりあえず送信は完了したようだ。


 はじめは電車の高架下を歩いていたが、人が増えてきて歩きづらかったので裏道を通る。一人で歩く不安で泣きそうになった。方角さえあっていれば大丈夫。家には辿り着くと分かっていても心細かった。


 やっと見慣れた商店街が現れたときはホッとした。しかし商店街も酷い有様だった。店の棚から商品が落ちて散乱しているのが見えた。


 もうすぐ、もうすぐ、自分に言い聞かせて慣れ親しんだアパートが見えてきたときは心臓が高鳴った。一段一段しっかり踏みしめて階段を上りきると、

「花音!」と、拓海が駆けよってきた。

「拓海……」

 拓海は私を抱きしめる。

「良かった。無事で良かった」


 拓海が目の前に居ることに安堵して力が抜ける。と同時に涙が溢れてきた。拓海にしがみつくと「大丈夫だから」と、優しく声を掛けてくれた。


 玄関を開け、部屋に入る。電気は点く。キッチンの棚から鍋は落ちていたが、部屋の中の被害はなかったようだ。

 テレビのスイッチを入れて、私たちはそこに映し出されている映像に言葉を失った。


 津波だ。津波が町を呑み込んでいる。真っ黒い海水が陸地をものすごい勢いで覆い尽くしていく。

 私たちはしばらくテレビの前から動けないでいた。


 我に返った拓海が携帯で伯母に連絡をしようとするが、やはり電話は繋がらなかった。そのとき拓海と私の携帯にメールが届いた。

 それは私が拓海に送信したメールであり、同様に拓海が私を案じるメールだった。


「メールなら遅れても届くようだな。でも母さんメールなんてしてないし」

「あ。そしたら私のお母さんにメールする。長野からなら固定電話だし繋がるかも。私と拓海が無事なことをお母さんから伝えてもらえるかも」


 無事に届くことを願いながらメールを送信する。拓海がホッと息を吐いた。

「オレ、こっちに居てマジで良かった。花音を一人にしないで済んだ。よっぽど花音のバイト先まで行ってみようかと思ったけど、すれ違いになったら困るし。電車は止まってたから、きっと歩きだろうって思ってさ。下手に動かないで此処で待ってようって思ったんだ」

「うん。歩いてきたからちょっと時間も掛かっちゃった」

「電車、この状態じゃ今日は動かないだろうな」

「今日どころか、いつ動くのか……」


 アパートはガスが止まっていたが、ガスメーターの復帰ボタンを押すと使えるようになった。水もちゃんと出たので、食事を作ることも出来たしシャワーを浴びることも出来た。

 今まで使われることのなかった拓海の着替えが、こんな時に役立つとは夢にも思わなかった。


 インターネットも使えたので、拓海はパソコンで情報を拾っている。母からメールも届き、伯母に連絡できたことが書かれていた。

 伯母は無事だが、伯父からはまだ連絡がないとのことだった。

 そのあと拓海の携帯に伯父からのメールが届いた。電車が動かないので、会社にとどまると書かれていたので、その旨を長野の母にメールした。


 時間が経つにつれ、被害の大きさと凄惨さがテレビ画面を通して伝わってくる。これを一人で見ていたら耐えられなかったに違いない。拓海が傍に居てくれて良かった。なにせ余震はまだ続いている。

 テレビを点けたまま、私たちはこたつに潜り込んでいた。


「拓海が居てくれて良かった」

「大丈夫。オレは花音の傍に居るよ」

 そう言って優しく抱きしめてくれた。


 浅い眠りについていた私たちは地震の揺れで目が覚めた。また余震か。テレビ画面を見るともうすぐ四時になろうとしていた。震源地を見て飛び起きた。

 長野県だったからだ。しかも震度6強とテロップが流れている。


「やだ。どうして」

 私は震える手で携帯を取り、実家に電話を掛ける。当然ながら電話は繋がらなかった。

「花音、落ち着いて。電話は無理だ。メールしよう。パソコンも借りるぞ。ネットでも情報を見る」


 拓海がそう言いながらノートパソコンを起動する。私は母宛にメールを送信した。長野まで地震があるなんて。

 どうしよう。実家が被災していたら。この時期はまだ雪がある。雪崩が起きている可能性だってあるのではないか。悪いほうにばかり考えがいってしまい、震えが止まらない。


「長野県北部。花音の家からは離れているよ。きっと大丈夫」

 パソコン画面を見ていた拓海が俯いて泣いている私の背中をさする。

「花音、泣かなくて大丈夫」

 そう言われるとますます涙がとまらなくなり、しゃくりあげてしまう。


「だって! 震源地から離れている東京だって、これだけ被害を受けてるんだよ。長野が震源地で……家がどうなってるか分からないじゃん。もしも山が崩れて──」


 拓海の唇が私の唇を塞いだ。私の心臓が一瞬止まる。拓海はそっと唇を離すと、

「悪い方に考えるな。落ち着こう」

 そう言って私の頭を撫でた。

「──うん」


 拓海は私の涙を指でぬぐうと、愛おしそうに見つめながら、その指で私の唇をなぞる。そしてもう一度顔が近づいてきた。

 最初のキスは取り乱した私を落ち着かせるため。

 でも二度目のキスは──

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