第五話

「おはようございます」


朝になり、美蘭が居間に移動する。居間ではすでにケンヤが新聞を読んでいた。


「おはようございます、美蘭さん」


朝の挨拶をしてから美蘭は朝食の準備をする。台所を使って朝食を作り終えたら居間へ運び、ケンヤのそばに座って食べ始めた。


「………」


朝食を食べ進めながら美蘭はケンヤをチラリと見る。ケンヤは真剣な表情で新聞と向き合っていた。男性とはわかっていても可愛らしいと思ってしまう。

しかし、美蘭はケンヤに対して一つ気がかりなことがある。


(どうしていつも片目を閉じてるんだろう……)


初日に助けられた時も、日常生活でも、ケンヤは左目を閉じていた。現在も左目を閉じて新聞を読んでいる。左目を開けているところを見たことはまだ一度もない。


(開けられない理由があるのかな……)


ずっと気になってはいるが、迂闊うかつに聞くことはできなかった。


「?」


美蘭の視線を感じたのか、ケンヤが美蘭の方を向く。美蘭は視線を逸らして何事も無かったように朝食を食べ始めた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

午後になると、居間で各々が自由に過ごしていた。美蘭は再びキザミに教わって雑誌に書き込みをしていた。マザンはやることがないのかテーブルに突っ伏していた。


「すみません」


するとケンヤが居間に入ってくる。その場にいる全員がケンヤの方を向く。やっぱり左目を閉じていた。


「家の掃除をしたいので手伝ってくれませんか?」


「あ〜すまん。この後友人と会う約束してるんだ」


「僕もこの後ちょっと用事が」


二人がケンヤから目をそらす。


「キザミはともかく、マザンは随分暇そうに見えますけど……」


「暇だからこの後運動でもしに行こうかな~って思って」


「………」


ケンヤが左目を開けた。


「!?」


今まで見ることのなかったケンヤの左目。しかし開けたのはたった二秒間だけ。左目を閉じたケンヤはため息をつく。


「もういいです。邪魔にならないよう出てってください」


「「は~い」」


二人揃って返事をした。


「すみません美蘭さん。手伝ってもらえませんか?」


「あ、もちろんいいですよ」


「ありがとうございます。助かりますよ」


些細なことだが、ケンヤは頭を下げて礼を言った。


「準備をするので少し待っていてください」


「わかりました」


「あなたたちも美蘭さんを見習ったらどうですか」


「うるさいな~」


それからケンヤとマザンが言い合いを始めた。なんとか人手がほしいケンヤだったが、マザンはまったく聞く耳を持たなかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

結局マザンとキザミは外出してしまったため、ケンヤと美蘭だけで掃除をすることになった。


「まったく……自分たちの家を綺麗にしようとは思わないのでしょうか……」


ケンヤはまだ手伝おうとしなかった二人に対して不満を感じていた。


「美蘭さんありがとうございます。一人だけでは大変なので」


「いえ、私は居候いそうろうの身なのでこのくらいはしないと」


「そんな居候だなんて言わないでください。一時的でも、私たちは一緒に住んでいる友達ですよ」


「ありがとうございます」


ケンヤからの嬉しい言葉に美蘭は微笑んだ。


「それでは始めましょうか」


「はい」


ケンヤは掃除機をかけ始める。まずは広い居間から、スムーズに掃除機のをスライドさせて掃除をしていく。配置されている家具を二人で動かして細かいところまで綺麗にしていった。 居間の掃除が終わると台所や浴室の掃除をする。一人だと確かに大変だ。二人で協力することで円滑に進めていった。


「………」


まだ左目を閉じていることが気になっていた美蘭は、掃除を行いながらケンヤの顔を時折チラリと見る。先程の一件でさらに謎が増えてしまった。

開けることができないと思ったがそんなことはなく、一瞬だけ見ても目の異常は感じられなかった。


(じゃあどうして……)


「どうかしましたか?」


視線を感じたケンヤが聞いてきた。


「いや、えっと……そ、掃除はどのくらいの頻度でやってるんですか……?」


誤魔化すために質問をする。


「本当は週に一回はやりたいんですけどね。広い家ですから、一人でやるのは大変なんですよ。わかる通りあの二人はまったく協力してくれないので」


後半を聞いて美蘭は苦笑いで反応した。


「ケンヤさんは綺麗好きなんですね。私は自分の部屋でも月に一回するかしないかですよ」


「綺麗好きというより、自分の家を綺麗にしたいだけですよ」


なんとか会話で誤魔化すことに成功した。それからもケンヤは黙々と掃除を進めた。


(やっぱり……いやでも……)


気になるから聞くべきか、相手のことを考えて聞かないべきか、美蘭はジレンマと戦っていた。


・・・・・。


「一階はこれで終わりですね」


居間や台所、浴室や廊下の掃除を終えた。


「次は二階をやりましょう。一階よりはすぐ終わると思います」


「はい」


二人が二階に上がる。二階には手洗い場と洗面所、そして六つの部屋がある。四人が部屋を使っているので空き部屋が二つある。


「そう言えば、どうして三人なのに部屋が六つもあるんですか?」


「前に住んでいた人たちが大きな家族だったそうですよ。引っ越して空き家になったのを私たちが使っているのです」


「そうなんですか」


「さあ、早く終わらせてしまいましょうか」


ケンヤが一つの空き部屋に入って行った。美蘭は部屋に入る前に少し辺りをぐるっと見回す。

一階も二階も、目立った傷や汚れは見当たらなかった。大家族と現在のケンヤたちがどのくらい使っているのかはわからないが、年季をあまり感じない綺麗だった。


(大切に使っているんだな……)


美蘭がそう思ったその時、


「きゃあああああああ!!」


耳をつんざくような悲鳴が部屋の中から聞こえた。次の瞬間部屋の中にいたケンヤが勢いよく飛び出してきた。美蘭の前を通り過ぎて、廊下の隅まで行ってなにかに怯えるようにうずくまる。


「どうしたんですか……?」


ただならぬ雰囲気を感じてケンヤに近づく。


「へ……部屋に……」


さっきまでいた部屋を震える手で指差す。


「なにがあったんですか?」


「く……くもが……」


「くも?」


なにがあったのか、部屋に入って確認する。部屋の中には机とベッドが簡素に置かれていた。


「あ……」


そして机の上に、八本足の黒い生き物がいた。


「美蘭さんは、虫とか平気ですか……?」


ケンヤが美蘭の近くに戻ってきた。まだ体を震わせている。


「すみません。私も苦手なんです……」


「そうですよね……」


ケンヤはポケットから携帯電話を取り出して誰かに電話をし始めた。


「すみません……助けてください……」


・・・・・。


電話の相手はマザンだった。マザンは思ったよりもすぐに戻ってきてくれた。そしてケンヤがマザンに現状を報告する。


「それだけで僕を呼んだの?」


害虫駆除の依頼を聞いてマザンは呆れていた。


「……女か」


「うるさいですね!早く駆除してください!」


マザンはため息をついてから空き部屋に入っていった。


「どこにいるんだよ~」


「机の近くにいませんか……?」


クモをもう見たくないケンヤは部屋のドアを閉じて外から声を出す。


「いないんだけどー」


「絶対いますよ!美蘭さんも見たんですから!」


「こっちきて教えてよ」


「いやです!駆除するまで絶対に入りません!」


「じゃあ美蘭でもいいから」


「私も遠慮します」


それから会話が途絶え、数十秒の沈黙が続いた。少し経ってからマザンが部屋から出てくる。


「終わったぞ」


「ありがとうございます。助かりました」


ケンヤが胸をなで下ろす。


「美蘭にみっともないところ見せたくないって思ってるくせに、お前も醜態晒してるじゃんか」


「いいんですよ……苦手なものは苦手なんです……」


「女か」


「うるさいですね!」


マザンは呆れてものも言えない様子で再びため息をついた。


「じゃあ部屋に戻ってるね」


「ついでなら手伝ってほしいんですが……」


「いやだ。どうせすぐ終わるんだろ」


「ならせめて自分の部屋でも掃除してください」


「気が向いたらな」


見向きもせずにマザンは自分の部屋へと向かった。


「まあいいですよ……」


ケンヤは改めて掃除をするために空き部屋に入っていった。


「………」


残された美蘭はマザンの後を追いかける。


「マザンさん」


「ん?」


部屋に入る直前で引き止めることができた。


「ケンヤさんって、いつも片目を閉じてるじゃないですか」


「そうだね」


「理由とか、知ってたりしますか?」


「知りたきゃ本人に聞いてみれば?」


「………」


冷たい回答が帰ってきて怯んでしまう。


「別にケンヤなら答えてくれるよ」


そう言ってからマザンは部屋に入っていった。


「美蘭さ~ん」


「はーい」


ケンヤに呼ばれたため美蘭も掃除に戻った。


・・・・・。


「よし、これで終わりですね」


個人の部屋以外の二階の掃除を全て終わらせた。


「手伝ってくれてありがとうございます。美蘭さん」


「お役に立てて嬉しいです」


「では休憩しましょうか。実は密かに買ってあるケーキがありますから食べましょう」


「いいんですか?」


「あの二人には内緒ですよ」


ケンヤは唇に人差し指を当てた。


「わかりました。ありがとうございます」


家の掃除を終えた二人は、甘いものでくつろぐために一階へ下りていった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その日の夜


「あっはっはっはっはっ!!」


居間に全員が集まり夕食を食べている中で、マザンが昼間の出来事をキザミに話しながら大笑いしていた。隣りにいるケンヤが少し顔を赤くしている。


「いいんですよ……そんな話しなくても……」


「虫一匹だけで助けを求めるとか、マジで女かよって……」


「苦手な男の人だっていますよ!」


からかわれて悔しいのか少し声を荒げて言った。


「もうわかったから、その辺にしてやれ」


まだ笑うマザンをキザミがなだめた。


「美蘭はビビるケンヤ見てどう思った?」


マザンが美蘭に話を振る。


「ええ……まあ教室に蝶が入ってきた時に驚いてる男子もいたので、そういう人もいるんだなって」


「ほら!別の世界にも苦手な人はいるんですよ!」


ケンヤが身を乗り出す。


「人の苦手を笑うなんて本当に性格悪いですよね。見苦しいですよ」


からかわれたケンヤがやさぐれる。


「親密な関係にも守るべき礼儀があります。親友の不得意を笑うなんてありえな・・・」


言っている途中でケンヤが壁の一点を見つめる。少しずつ顔が青くなっていく。


「どうした?ケンヤ」


三人はケンヤの視線の先を辿る。


「!」


壁に少し大きめの黒い虫が張り付いていた。


「どっから入ってきた?」


「掃除中に窓を開けていたので、おそらくそこから……」


「ああ、そういうこと」


「早く駆除してください!!」


ケンヤが叫んだ。美蘭も虫の大きさに少し怯えている。


「殺虫剤どこだっけ?」


「廊下の収納棚の中じゃね?」


平静を保っているキザミとマザンが立ち上がる。


「ゆっくり動いてください!刺激して動いたらどうするつもりですか!」


「わかったよ」


言われて二人が慎重に動く。


「ちょ……ちょっと待ってください……私も廊下に出ますから……」


「無理に動かないでここにいればいいじゃん」


「あんな生き物と同じ部屋なんて嫌です!」


「めんどくせーな」


先程からケンヤの方が、女性である美蘭よりも叫んでいる。


「とりあえず全員で廊下に行こう」


まだビクビクしているケンヤと美蘭を連れながら一度全員で廊下に出る。収納棚に入ってあった殺虫剤を手に取ってマザンが再び居間に入った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「本当にすみませんでした……」


「いえ、大丈夫ですよ」


夕食後、美蘭とケンヤは食後の皿洗いをしていた。先程わめいていたことを謝っていた。


「自分でも情けないとは思いますけど……やっぱり苦手なものは苦手で……」


「誰にだって苦手なことはありますよ。そんなに気にしないでください」


気落ちしているケンヤを優しく鼓舞した。


「………」


途中で美蘭がケンヤをチラッと見る。ケンヤは今も左目を閉じていた。今日ずっと観察をしていたが、そのほとんどを片目を閉じた状態で過ごしていた。


(答えてくれるって言ってたけど……)


失礼にあたると感じながらも、気になった美蘭が口を開く。


「ケンヤさん」


「はい、なんですか?」


「どうして、いつも片目を閉じてるんですか?」


「………」


ケンヤが皿洗いの手を止める。そこから一時の沈黙が続いた。


「あの……答えたくなかったらいいですよ……」


「いえ、いいですよ。きっと聞かれるとは薄々思ってましたから」


マザンの言う通り、ケンヤは理由を答えてくれた。


「私、生まれつき左目の視力がないんです。だからいつも使わないので閉じているんです」


ケンヤが美蘭の正面を向いて左目を開ける。どちらも薄紫色の瞳をしていて、やはり異常を感じられない。


「こうしても、右目でしか美蘭さんを見ることができないんですよ」


両目を閉じて笑顔を作る。


「よく聞かれることなので気にしないでください。別に不便と思ったこともありませんから」


それからケンヤは正面を向いて皿洗いを再開した。美蘭もこれ以上追求することはないので再び手を動かした。


・・・・・。


皿洗いと入浴を終えて、美蘭はベッドの上で横になっていた。


「………」


先程のことを少し思い出す。恐ろしい理由ではなかったが、聞いたことを後悔していた。


(やっぱり失礼だったかな……)


最後にもケンヤに気にしないでいいと言われたが、ずっと心に引っかかっていた。


(今度から気をつけないと……)


いつか改めて謝罪しよう。そう心に決めて美蘭は眠りにつこうとした。

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