拝啓、夏の友人へ。

ポン吉

拝啓、夏の友人へ。

 ドンガラガッシャン!!!!


 その日は雲ひとつない晴天だった。本格的に始まった夏、ミンミンジージーと騒ぎ出すセミたち、チリンと涼しげな風鈴の音。停滞した生ぬるい空気が吹き抜ける。



「何事!?」



 そんな茹だる夏の気温に、ピ、ピと冷房の温度を下げていた老婆は、何かが墜落したような音に飛び上がった。

 老婆は田舎に一人暮らしで、娘夫婦は都会にいる。それにご近所さんの家まで車で15分はかかるので、頼れる人はいなかった。



「畑の方からかしら……」



 老婆はゴクリと息を飲み、台所の窓から畑を覗き込む。すると……。



「チクショウ、墜落だ! このオンボロ、なンのためにオマエを買ったと思ってる! オイ、なンとか言え!」



 柴犬が、唾を飛ばしながら悪態を吐いていた。そしてその横には、煙を上げながら地面に埋まる、見たことがない丸い機械が転がっていた。機械だと分かったのは、割れた面からコードらしきものが剥き出しになっているからだった。

 老婆はすんのところで悲鳴を飲み込み、パッと窓から離れた。



「まあ、まあっ!」



 ドクドク、心臓が肋を打ち付ける。老婆は『死にそうだわ……』と思ったものの、足は自然と玄関に向かい、家の裏手に回って鍬を取り、抜き足差し足、喋る犬に近づいていった。

 犬は前足を高く上げてバシバシ機械を叩いて罵倒する。しかしウンともスンとも言わないことに疑問を感じたのか、フンフンと鼻を鳴らし、機械の周りをぐるぐる回った。



「……オイ待てよ? なんで動かねンだ。……ジーザス、壊れてやがる!! なんてこった、オオーン!」



 機械が壊れたことに気がついた瞬間、犬は頭を覆って泣き出してしまった。あまりに大きな声で泣くものだから、老婆は耳が痛かったが、好奇心には勝てず、恐る恐る距離を詰めていく。



「オオーン」

「……」

「オオーン、オオーン」

「あの」

「っ!!??」



 ビョインッ! と素晴らしい跳躍力で、犬はほぼ一直線に飛び上がった。そしてギギギ…と壊れたブリキ人形のように振り向き。



「……クウーン♡」

「ごめんなさい、全部見ていたの」

「クソがッ」



 全力でぶりっ子したものの、老婆には全部バレていた。

 犬は誤魔化しが効かなくなったと見ると(半分自爆である)、次は脅しにかかった。



「やいバアサン、見ての通りオレ様は宇宙人だ。今見たことは忘れて立ち去りな。さもなくば食っちまうゼ」



 ガルル、と歯を剥き出しに威嚇し、両手を上げて『食っちまうゼ』のポーズを取る。側から見たら犬が二本足で立ってバンザイしているだけなのだが、この犬は宇宙人なので本気で脅しているつもりである。

 これに老婆は反応に困ってしまい、視線を右往左往させた後。



「アラ、マア。最近の犬って喋るのね……」



 とゆっくり言った。



◾️



「気味の悪いバアサンだぜ、オイ」



 しゃりしゃりはぐはぐ。縁側にて、犬はスイカを与えられていた。

 犬は老婆の家に居候することになった。というのも。



『そうだ、喋る犬だ! 怖いだろう!』

『え、ええ。そうね?』

『食われたくないンなら言う通りにするンだな! まずは食事! そこの立派な家も寄越せよ! それと工具なんかも貰うぞ! あとは───』



 と言った具合に、『バレちまっちゃ仕方ねえ』と開き直り始めたのだ。

 このあまりの図太さに老婆は感心してしまって、『お喋り相手になってくれるなら』と了承したのである。



「あの宇宙船? 直るのかしら」

「ヘン、これだから素人は! 直るに決まってンだろ、そういうマニュアルがあンだよ」

「マニュアル?」

「知らねえのか地球人は。『ヘイHIMAWARI!』って言うだろ」

「HIMAWARI……ひまわり?」

「食ったしオレはもう行くぜ。ただの里帰りだってンのに、なンでこんな目に遭わなきゃならねンだ」



 犬はフンフン鼻を鳴らして、再度宇宙船の方に行ってしまった。



「おいバアサン! なンでお前まで着いてくンだ!」

「お喋り相手がいなくて寂しいのよ〜」



 犬は表情豊かに「嫌なババアだぜ!」と吐き捨てたものの、居候の身なので老婆の好きにさせていた。

 老婆は邪魔にならない位置にしゃがんで、「コレは何をしているの?」「ソレは何に使うの?」とニコニコ話しかけてくる。



「あーーー! ウルセえババアだ! 暇ならひまわりでも取ってこい!」

「ひまわり?」

「燃料だよ、燃料! コレだから地球人は嫌いなンだ! 宇宙の常識をこれっぽちもわかっちゃいねえ! メシがうまいしか良いとこないくせに!!」

「アラ、ご飯は美味しいのね」

「キーッ!」

「ごめんなさいね、取ってくるわ。ウチの裏にひまわり畑があるのよ」



 老婆はよっこいせ、と立ちあがろうとしたが、犬はそれを引き止めた。



「何!? 畑があるのか! 畑があるってことは、燃料が大量にあるってことだな、そうだよな!」

「え、ええ。大量かどうかはわからないけど、それなりの量はありますよ」

「イヤッホー! 早く! 早く案内しろ!」

「はいはい」



 犬は老婆の周りをグルグル回りながら、るんたった、るんたったと鼻歌を歌っている。



(そんなに貴重なものなのかしら)



 老婆は首を傾げたが、犬が急かすので、ふうふう言いながら畑に案内してやった。



「キャーッ!!」



 畑に着くと、一面にひまわりが広がっていた。その大きい畑に犬は高い声を上げ、ぐるぐると畑の周りを回って大興奮である。



「おい、おいバアサン! もらっていいか、このひまわり全部、もらっていいか!?」



 犬は後ろ足で立ち上がり、前足をぶんぶん振って、『ちょうだい』のポーズを取る。やけに動きが犬らしい犬だ。

 老婆は少し困って、「アラ、そうね」と頬に手を当て考えるそぶりを見せた。

 と言うのも、このひまわり畑は、老婆の夫が生前作ったものだった。結婚して家を建てた際、彼が1から作り上げたのだ。



「それでね、あの人ったらロマンチストでね。毎年、あたしの誕生日にひまわりをくれたの。硬派で恥ずかしがり屋なのに、無理しちゃってねえ」

「……ババアの惚気話を聞くシュミはねえぞ」

「アラ、ごめんなさいねえ。うふふ」



 老婆の頬は少女のように華やいで、それとは対照的に、犬はうへえと舌を出して辟易した。



「とにかく、オレはひまわりをもらっていいかって聞いてンだ。どうなンだ、オイ!」

「そうねえ」



 老婆はやはり頬に手を当て、考える素振りを見せる。老婆に脅しが効かないことはこの短時間でわかっているので、犬は唸りながら待ってやった。

 老婆は考える。別に、ひまわりをくれてやっても構わない。犬は故郷に帰れなくて困っているようだし。しかし夫が遺した畑、そう簡単には譲れない。

 チラリ、と壊れた宇宙船を見る。にわかには信じ難いが、ひまわりがあの宇宙船の燃料になるらしい。そう、あの『宇宙』船の───



「───『宇宙』?」



 瞬間、老婆の古い記憶が刺激される。



『将来の夢は───』



「宇宙に……行くこと」

「何ブツブツ言ってンだ?」



 老婆は、かつての少女は、ずっと宇宙に憧れていた。青い空のその上の、誰も知らない世界の虜だった。変わり者の少女は宇宙に恋をしていたから、他の何にも興味を示さず、遠巻きにされてばかりだった。父親には殴られ、母親には泣かれた。しかし、それでも。



「それでも、諦めきれなかったんだわ」



 どうしてこんな、大切なことを忘れていたのだろう。

 宇宙が好きだった。

 気づいてしまったらもう、好奇心と欲は止められない。



「話を聞かせてちょうだいな!」

「ウオ、エエ?」

「宇宙の話よ、あなた宇宙人なんでしょう!?」

「お、おう。オレ様はウンと特別でイカした宇宙人だけど……」

「交換条件よ。あなたはあたしに宇宙のことを、なーんでも教えるの、全部よ。代わりに、この畑のひまわりは、全部あなたにあげるから!」

「何ッ!? 交渉成立だぜバアサン! 燃料がもらえるンならなンでもいいぜ!」



 犬と老婆は、それぞれ違った喜びで飛び上がった。子どもみたいに、無邪気に。



◾️



「オイバアサン。勘弁してくれ、オレは犬じゃねーンだぞ」

「アラ、ごめんなさいねえ」



 犬は味のついていないササミを食べながら文句を垂れた。老婆は申し訳なさそうに、しかしさして気にしている様子もなく謝って、この会話は13回目だった。

 老婆と犬はもう1週間も一緒に暮らしていた。



「地球のニュースってのは、やれパンダのアカンボ(赤ん坊)が生まれたーだの、やれ今年の気温がーだの、平和なこったなあ」

「良いことじゃない。それに、悪いニュースだって流れてくるのよ」

「オレぁラジオ派だ」



 犬は老婆が持ってきた煮物を、意外とお行儀よく食べながら文句を垂れる。文句ばっかりなのだ、この犬は。



「じゃあ、あなたのところはどんなニュースが流れるの?」

「ンあ? そりゃあ……宇宙の天気予報だとか、ひまわりの品種改良の話だとか、だな」

「地球と変わらないじゃない」

「ウルセー! 宇宙航海は天気ひとつで生きるか死ぬかが決まるンだよ! ひまわりだって、超重要でポピュラーな燃料なンだ!」

「石油なんかと一緒ね」

「ムキャ!」



 犬はいつも老婆に言い負かされる。これは犬が口喧嘩に弱い訳ではなく、老婆が口達者なのだ。カッコ犬談。



「それにしても、本当にひまわりが燃料になるの? 他のお花じゃ駄目なのかしら」

「なンだ、今更惜しくなったのか? ヘヘン、説得しようたってそうはいかねえぜ! オレはオマエに宇宙の話をする、オマエはオレにひまわりを寄越す! 契約は成立してンだよ!」

「そう言うわけじゃないわ。約束通り、ひまわりはあなたにあげます。でも、あたしは言ったわよ。あなたはあたしに、宇宙のことをなんでも、全部教えるって」

「ウググ。意地の悪いババアだぜ!」

「年寄りは図太くなくっちゃね」



 老婆は茶目っ気たっぷりにウインクまでして、犬に話の続きを促した。



「ううー……。……ひまわりってのは、つまり太陽だ。太陽は燃えてるだろ。燃えてるから燃料になる」

「? ごめんなさい、もう少し詳しく良いかしら?」

「だぁから! ひまわりってのは『自然的にできた人工の太陽』なンだよ!」



 つまり、『太陽の花』であるひまわりは、宇宙では本当に太陽の力を持っているらしい。否、地球に太陽の力を取り出す技術が無いと言った方が正しいだろう。地球で言うところの石油ぐらい一般的な燃料らしく、ひまわりを育てる専用の星まであるらしい。それだけ広く使われているそうだ。



「地球は良いよなあ。道端にも自生してンだからよぉ」

「宇宙では育て辛いの?」

「おン。気温がバカ高かったりバカ低かったりすっからな。あとは湿度がバカ高かったりバカ低かったり」

「極端なのねえ」

「場所によりけりだ。地球だってそうだろ」

「アラ、一本取られたわ」

「ふっふーん」



 得意げな犬に、老婆は「参りました」と言ってデザートのスイカを差し出した。犬はわかりやすく顔を輝かせて食いつく。口が悪くてたまに憎らしいが、こういうところは可愛げがある。それで許してしまうのだ。



「孫みたいねえ」

「あン? なンか言ったか」

「いいえ? なンでも」

「アッ! マネすンな!」

「アラ、ごめんなさいねえ」





「オマエ、お喋りが過ぎるぞ……」

「アラ、ごめんなさいねえ」

「思ってねえだろ」



 老婆の疑問は尽きることが無かった。朝から晩まで宇宙船を修理している犬は、朝から晩まで老婆の質問に答えているのだ。

 飯も出るし寝床も快適だ。しかし老婆とずっと喋っているのは喉が痛くなるし頭も使う。どうして女ってのはコーヒー1杯でいつまでもしゃべり倒せるのだろうか。犬は不思議に思った。



「そンなにお喋りしてえなら、オトモダチでも呼べば良いじゃねえか。それか電話。オマエ、実のところ宇宙の話は『ついで』なンだろ。バアサンが寂しがってるだけだ」

「アラ、マア」



 あんまりな言い様だったが、老婆は怒るでもなく、目を丸くするばかりだった。

 半分、図星だったのだ。

 宇宙について聞きたいのは本当。でも、話し相手がいなくて寂しかったのも本当。自分でさえ気がついていなかったことを言い当てられて、老婆はまた感心してしまった。



「あなたって、実はよく人のことを見ているのね」

「なンだコラ。意外ってなンだコラ。喧嘩売ってンのかクラァ!」

「アラ、ごめんなさいねえ。おともだちもみーんなお空にいるものだから、話し相手がいないのよ」

「……ン?」



 ピコン。犬はヒラメいた。

 老婆は話し相手がいないから犬に話しかける。なら、話し相手のところまで連れて行けば、犬が相手をする必要はない。

 そしてその話し相手は、空にいるらしい。



「じゃあ空に行けばいいんだな! 話し相手がいるってンなら、ワザワザオレ様が相手してやる必要もねえ!」



 犬と老婆の間には、盛大な勘違いがあった。

 老婆は犬が宇宙船を直す間、家とご飯、それと燃料を提供して、代わりに話し相手になってもらう契約を結んだつもりだった。

 しかし犬は、これからずーっと、老婆が死ぬまで話し相手にならなければいけないと思っているのだ。だからこんなにグッタリしているし、キレっぽい。犬は本来、もっとクールで理性的なイケメンなのだ。カッコ犬談。



「オイ喜べ! この宇宙船はギリ2人乗れる! オマエは小せえし、天井は低いが腰が曲がってるから大丈夫だろう! ウン、決まりだ。オマエも宇宙に連れてくぞ!」



 ワーッハッハッハッハ!

 犬は意気揚々と修理の手を早めた。犬だから前足だけど。

 老婆はなんとなく勘違いに気がついていたが、犬があんまりにも嬉しそうなので、あえてそのままにしてやった。孫を見守る様な気持ちである。



「完成だ! やはりオレ様、天才だな。天才な上イケメンだ。気も使えるし稼ぎも良い。宇宙船の操縦技術も高いし、これはもう完璧だな」



 3日後。宇宙船はあっさりと完成してしまった。ベタに鼻の頭を煤だらけにした犬は得意げである。



「アラアラ、おめでとう。これで故郷に帰れるわね」

「オウ! バアサンもほンのちょっとは役に立ったな。褒めてやってもいいぜ!」

「アラ、マア」



 犬は嬉しげにフンフン鼻を鳴らして、その場でグルグルと回り出した。自分が直した宇宙船を見て惚れ惚れしているのだ。傷や凹みさえも勲章に見える。



「ヨシ、バアサン! オレは燃料を詰めてくる。オマエはその間に、宇宙服を着とけ! 宇宙は酸素もねえし、オマエなんかイッパツでペシャンコになるからな!」

「あら、あら」

「ハッハッハー! こンな暑くてジメジメした地球とはおさらばする時! オレ様の時代だー!」



 犬はテンションが上がりきってしまって、戻ってこないようだった。自分でも意味がわからず、テンションが上がる言葉を叫んでいる。

 老婆は渡された宇宙服(なんと、地球のものと同じだった!)を手に途方に暮れた。



「このままじゃあ、本当に宇宙に行ってしまうわ。キケンよそんなの。キケンよ……」



 そう繰り返すも、老婆の声は期待で弾んでいた。ワクワクして、ドキドキして、心臓が不安と期待で胸を打って。お腹の底からグワアッと、熱いものが込み上げてくる。

 なんだか泣き出してしまいそうだった。



「良いのかしら。貴方……」

「おう何してンだ早く服着ろ服!」

「きゃあっ!!」

「ババアがなンつー声出してンだ」



 老婆が密やかに宇宙服を抱き寄せて、感傷に浸っていたというのに、犬は威勢よく老婆に声をかけた。空気が読めないのだ。犬、否宇宙人だから。

 急に声をかけられた老婆は甲高い悲鳴を上げた。少女のようなそれに犬は顔を顰めて、「早く準備しろよ」と、先に宇宙船に乗り込んでしまった。



「……もう! 行ってやるわよ」



 老婆は完全に気が抜けてしまって、次に怒りが湧いてきた。

 せっかく人がセンチメンタルだったのに、と怒ったまま、勢いで宇宙服を着る。老婆の体には大きすぎると思ったが、どういう原理か着た瞬間にサイズがピッタリになっていた。



「おう来たか! 乗れ乗れ早く、サイドシートを開いてやったから」

「ええ、よろしくお願いするわ」



 宇宙船の中はひんやりと涼しかった。ホログラムのディスプレイがそこかしこに浮いていて、目にも追えない速さで、何やら数字が絶え間なく動いている。その中心に運転席のような大きな席があって、犬はそこに座って操縦桿を握っていた。



「『ヘイHIMAWARI』! オレの故郷までナビをしてくれ!」

『了解しました。目標:×××星。地球からの距離:およそ×××億km。所要時間:3時間。運転:オートモード。シートベルトを締めてください。発進します』

「ええっ、もう!?」

「おい早く座れ! 揺れンぞ!」



 ボボボボボ……と燃えるような音が耳の近くで聞こえる。同時に窓から見える景色が激しく揺れ、ガタガタと椅子も鳴り出す。

 なんとかシートベルトを閉めることに成功した老婆は、まるで乱気流の中の飛行機のような感覚に思わず目を瞑った。



「離陸するぜ、イヤッホー!」

「きゃああああ!!」



 フワッ。

 と胃が浮いて一瞬、窓の外は───宇宙が広がっていた。



「え、ええ!?」

「うーし大気圏は突破したな! こっからが長いンだこっからが」

『安定圏に突入。シートベルトのロックを解除します』



 そのアナウンスと同時に、シートベルトがカシャンと外れる。早速犬がくつろぎ出したのを見て、老婆も恐る恐る窓に近づき、地球の方を見てみた。



「……! ひまわりが……」



 テレビのドキュメンタリーの映像のように、地球は丸く、青かった。

 しかし映像と違ったのは、宇宙船の機体から、帯のようにひまわりが伸びていっていることだった。どう言う原理か、宝石に加工されたかのようにキラキラ輝いて宇宙に漂っている。



「何見てンだ?」



 犬がフンフン鼻を鳴らしながら聞いてきた。彼はもう開き直っていて、二足歩行になって、老婆の家からくすねてきた煎餅をバリボリ貪っている。老婆はさして気にもせず、いつものように犬に質問をした。



「ねえ、あのひまわりはどうなっているの? キラキラしていて……宇宙に放り投げられていても、潰れもしないし」

「あン? たりめえだろ、咲いてンだから」

「咲いてる?」

「あー……そーゆー技術があンだよ。それより、お前のオトモダチとやらはどこにいンだ?」

「あ、そのことなのだけれど。……」

「?」



 老婆は正直に言おうとしたが、はた、と口を止める。



(いいの? 宇宙に来れるチャンスだなんて、これが最後だわ)



 もし、「もう友達はいないのよ」なんて言ったら、犬は老婆を地球に送り返すだろう。老婆は年齢的に宇宙パイロットになんてなれないし、一般人が宇宙へ行くのなんて、あと何年かかるかわからない。そもそも、もう飛行機だって乗れやしないのに。

 宇宙をひと目見れればいいと思っていた。それで充分だと。でも、実際に憧れに触れて、さらに欲が出てくる。ずるい老婆は、嘘をつくことに決めた。ちょっと付き合ってもらいましょ、と。強かなババアである。



「詳しい位置はわからないの。ただ、景色の綺麗なところにいるわ」

「アバウト! どれだけ広いと思ってンだババア!!」

「ごめんなさいねえ、ボケちゃって。色々回れば、思い出せると思うのだけれど……」

「クゥゥゥ!! 『ヘイHIMAWARI』!」

『はい。ご用件はなんでしょう?』

「景色がキレイな場所をピックアップしてくれ! 老人が過ごしやすそうなところだ!」

『かしこまりました。ヒット。534950577件の候補があります』

「ガッデム!! おいバアサン、もっとなンかないのか!?」

「そうねえ……ひまわりの綺麗なところかしら」



 犬はヒイヒイ言いながら、老婆からなんとか情報を聞き出し、候補を1000件近くまで絞り込んだ。そしてさらに絞り込み、とりあえず近場から回ることにする。地球人が行けるところだなんて、高が知れていると。

 老婆は少し申し訳なくなったが、犬が「わがままバアサン」「オレの苦労を知れ」「ひまわりの提供者じゃなかったら宇宙に放り投げてる」と文句ばかり垂れるので、少しの罪悪感は消え去った。



「よし! じゃあ1番近くの星から行くぞ! 水のキレイなとこだったよな、うン!」



 犬はヤケクソ気味に操縦桿を手に取った。そして必要な情報をピピピと入力し、無事発進したのがわかると、「どっひゃー」と息をついて椅子に座り込んだ。



「注文の多いバアサンだぜ、ったく」



 犬は意外と教養がある。今の言葉も老婆の家に置いていた本からだろう。読書家なのだ。

 宇宙船のスピードは、地球じゃ考えられないくらいに早い。目標に吸い込まれるようにギューンと加速していって、景色を楽しむ余裕もないほどだ。と言っても、宇宙の景色だなんて変わり映えしないから、体感的なスピードはさほど感じない。

 それから何分が経ったか、とにかく1時間も経たないうちに最初の星についた。



「どうだ───! 思い出せたか───、オトモダチはいたか───!?」

「いいえ───! 少し───、待ってちょうだい───!」



 最初の星は水に覆われていた。ドオドオと滝から落ちる水が凄まじい音を立てる。なので犬と老婆は大声で喋らなければならなかった。



「ちえっ、ハズレかよ。滝まで行ったのに」

「ごめんな、けほっ、ごめんなさいねえ」

「まあいい。次だ次!」



 ガラガラ声で示した次の星は、四季折々の山々が連なる静かな星だった。右を見れば桜が、左を見れば新緑が。前を見れば紅葉が、後ろを見れば雪山が見える。

 その真ん中で、犬と老婆は新鮮な空気を吸い込んでいた。



「どうだあ、いたかあ?」



 気の抜けた声で犬は問いかける。老婆もたっぷり深呼吸をして、「いいえ、見て回らなくちゃあ」と返した。

 犬は宇宙船を操縦して、上から山々を見渡した。そうしてたっぷり観光を楽しみ、販売所でアイスクリームまで買ったところで次の星に行った。



「ターマヤー! カーギヤー!」



 次の星は、絶えず花火が空に上がる星だった。ドオンドオンと遠くの方で音が鳴り、赤青黄色、緑に紫、七色の火花が空に散る。



「ここにもいないわ」



 そうして次の星は海と空が反転した星。その次は地面がふかふかのベッドになっている星、次の次は妖精のような宇宙人がくるくると踊る星。

 灼熱の太陽が照らす星。月明かりの下で花畑が広がる星。地面を蹴るたび音が鳴る星。ずっと夜の星、ずっと昼の星。エトセトラエトセトラ。

 一体いくつ星を巡ったのだろう。本が花のように地面から生える星についた頃、とうとう犬は爆発した。



「いい加減にしろォ───ッ!!!!」

「あら」

「あとどれだけ回ればいいンだ! おいバアサン、さっさと思い出せっ。このっ、このおっ」

「キャア! ちょっと、叩かないでちょうだい!」



 犬は器用に立ち上がり、花を読んでいた老婆の頭を前足でポスポス叩く。しゃがんでいた老婆は頭を抱えて守ったが、犬も本気で叩いているわけじゃない。全く痛くなかった。



「ごめんなさい、今思い出すわ。ええと……」



 老婆は流石にやりすぎたわ、と反省し、次の星で最後にすることにした。しかし、ネタも尽きてきた。どうしようかしら……と思い悩んだが、ある花のページが目に入った。



「そうだ、ひまわり! 1番ひまわりが綺麗なところにいるわ!」

「なにいっ、本当か! それなら早くそうと言え! 行くぞ行くぞ!」



 犬はプンプンと大股で宇宙船へ乗り込んでいった。老婆もそれに倣って乗り込む。



「最後だからな!」

「ええ、ええ」

「いなかったら承知しねえからな!」

「ええ、ええ」



 最後についた星は、一面にひまわりが広がる、よく晴れた星だった。地面にだけではなく、空にもひまわりが漂っている。

 ひまわりは一色だけじゃなく、さまざまな黄色が複雑に配置されていた。



「へっへン、どうだ! この銀河じゃ1番有名なひまわり畑だぜ! ここにいるンだろ、ナア!」

「……」

「……見惚れて声も出せねえか。そりゃそうか。オレも初めて親父に連れてこられた時は、もう1時間も放心してたもンだ。ヨオシ、これで最後だしな、しばらくは見てていいぞ! って、ン!? お前何して!?」



 老婆は走り出した。目一杯足を伸ばして、坂を駆け降りた。

 走るのなんて、いつぶりだろう。たった数歩走っただけなのに、肺は痛いし、膝は震える。



「あははっ! あっ」



 坂の1番下についた時に転んでしまって、そのままゴロゴロと転がった。



「バアサーン!!??」



 叫んだものの返事はない。それどころか、老婆はひまわり畑に吸い込まれたまま起き上がってこなかった。

 まさか、死ンだンじゃあるめえな。

 犬は肝を冷やして、転がり落ちるように老婆の元へ駆けた。



「オイ、オイ、生きてっかバアサン!」



 老婆はひまわりに埋もれて、仰向けになって目を閉じていた。しわくちゃの四肢は投げ出されていて、ピクリとも動かない。



「そ、そンな。起きろよ、起きろよバアサン、死ンじまったのか?」



 犬は涙目になりながら、湿った鼻で老婆の手の甲をツンツンとつつく。それでも老婆は動かない。



「オ、オ、オ、オロローン!!!」



 今にも死にそうなバアサンだったけど! 歩いてるのが不思議なくらいの歳だったけど! まさか、こンなところで死ぬとは思わねえじゃないか!!

 犬は震えて泣き出した。グシュグシュと鼻水まで垂らし、老婆の胸に覆いかぶさって、大きな声で泣いた。



「死ぬなよお、死ぬなよお。お喋り相手くらい、オレがなってやるからあ。オトモダチにもなってやるからあ」



 犬は老婆と過ごした1週間とちょっとのことを思い出していた。

 最初ドックフードを出されて怒ったこと、次は味の無いささみでまた怒ったこと、お菓子を勝手に一袋開けて怒られたこと、スイカを一玉皮まで食べて、お腹を壊したこと───。

 見事に食べ物のことばかりだが、どれも大切な、老婆との思い出だった。

 お腹を壊したときはずっとそばにいてくれた。飯の味が薄い、と言っても、文句のひとつも言わないで作り直してくれた。質問ばかりで、放っておいたら何時間もお喋りしている悪癖もあったが、あれも寂しかったのだろう。もっと付き合ってやればよかった。

 何を言っても、「アラ、ごめんなさいねえ」と謝るだけの女だった。



「ううー。起きろよお」

「ふ」

「!」

「ふ、ふ、ふ」

「バアサン!」



 犬が途方に暮れて泣いていると、老婆の胸がピクリと動いた。

 犬はパアッと顔を明るくしたが、次に言った老婆の言葉に。



「やだわ、久しぶりに運動したものだから……あの人に追い返されちゃった」

「死にかけてンじゃねえかババア!!!!!!」



 絶叫した。どうやら急な運動と、坂から転がり落ちて頭を打ったことにより、三途の川を渡る寸前だったらしい。



「心配させンなよお!」

「アラ、ごめんなさいねえ」

「謝ンな〜!!」



 犬はもう老婆の周りをぐるぐる回って泣き喚いた。安心したのだ、本当に死んでしまったと思ったから。

 老婆はそんな犬の様子にくすくすと笑い、まだうまく動かない体から力を抜いた。清々しい気分だったのだ。感情に任せて走り出すだなんて、この歳になってやるものだと思っていなかったから。

 そうしてしばらくした後、犬は泣き疲れてしまって、老婆の横に同じように寝そべった。犬が腹を出して寝ている様子は、なんともまあ間抜けなものだったが、幸いにも老婆以外に人はおらず、犬が笑われることはなかった。



「……」

「……」



 澄み切った空を見上げる。少しの雲がゆっくりと流れて、柔い風が優しく体を撫でる。

 ひまわりが揺れる音が聞こえる。互いの息遣いが聞こえる。地面がドオドオと息をする音が聞こえる……。



「ナア、バアサン。なンでひまわりが好きなンだ?」



 心地よい沈黙を遮らないよう、犬はひっそりとした声で聞いた。老婆は「いつもと逆ね」と言って笑い、少し考えた。



「うーん……そうね。明るい花だし、元気がもらえるわ」

「そうかァ? 燃料にしかならねえだろ。雨が降ったら腐るし、花粉がついたらなかなか落ちねえ。それに、あのギッシリ詰まった種! 気味が悪いったらありゃしねえ」

「マア、ひどい言い草ね。でも、そうね……あたしも、なんで好きかって聞かれると……」



 老婆はゆうるりと流れる雲を目で追いながら、改めて考えた。どうしてひまわりが好きなんだろう。どうしてあんなにも、家にあるひまわり畑を大事にしてきたんだろう。そこまで考えて、なんだ単純なことね、と気づく。



「あたしきっと、あの人が好きだったから、好きだったのね」



 老婆は目を細めて微笑む。毎年律儀にひまわりを贈ってくれた。頑固で照れ屋で、けど誰よりも優しい人だった。自分は先に死んでしまうだろうから、畑にひまわりを遺します、なんて言われた時は大喧嘩したっけ。

 そんなことを思い出しながら、幸せな気持ちに浸った。

 犬はその老婆の横顔に、少女を見た。

 よく知っている。よそに嫁いで行った犬の姉もこんな顔をしていた。「あの人と付き合ってるの」、と内緒話をされた時と同じ顔。

 やっぱり、女ってのはよく似てる。

 犬は老婆を真似て空を見上げ思った。



「……また惚気かよ、バアサン」

「アラ、ウフフ、ごめんなさいねえ」

「へン」

「ついでに、もうひとついいかしら?」

「? オン」



 犬はさっきの出来事もあって、老い先短い老婆の話をできるだけ聞いてやろうと思い、よく聞こえる耳を傾けた。



「あたしのお友達はね、もうどこにもいないの。地球にも、宇宙にも。せっかく付き合ってくれたのに、ごめんなさいねえ」



 犬はびっくりして飛び起きた。

 じゃあ、それじゃあまさか、老婆はずっと───



「ずっと騙してやがったのか!」

「アラ」



 しっとりとした空気から一転、犬は歯を剥き出しにして怒り狂った。

 友情を感じていたのだ、老婆と己の間に。なのに騙された! 利用された! 裏切られた!



「とンでもねえバアサンだぜ、オイ!?」

「アラアラ、ごめ───」

「もう知らねえ! お前の飯もぜーンぶ奪ってやる! さっさと田舎に帰ンな!」



『アオーン!』



 犬が天に向かって吠える。その鳴き声を最後に、老婆の意識はブラックアウトした。



◾️



「お母さん!!!」



 老婆が次に目覚めたのは病院だった。まず泣きそうな娘が目に入って、次に顔馴染みの医者と看護師が入ってくる。



「お母さん、様子を見に行ったら倒れてたんだもの! 電話に出ないからおかしいと思ってたのよ!」



 どうやら老婆は犬によって家に送り返されたらしい。玄関でパタリと倒れていて、発見した娘が声をかけても意識は戻らず、病院に搬送された。それが2日前のことだった。幸いにも目覚めた老婆の体に異常はなく、起き上がった途端お腹がクウとなったぐらいだ。



「あの子に悪いことしちゃったかしら」



 老婆は強かだった。

 そんな事件があったから、老婆は退院後、娘夫婦と暮らすことになった。ビルがひしめく大都会へ引越しだ。

 畑のひまわりは種だけ拝借して、小さい植木鉢で育てている。

 ところで不思議なことがある。都会の空は明るすぎて、星など見えないはずなのに、なぜか毎年七夕の季節は天の川が見えるのだ。それもただの天の川じゃなく、ひまわりが帯のようになっている天の川が。そしてそれは、老婆以外には見えないのだ。



「おばあちゃん、何見てるのー?」

「ひまわりを見てるのよ」

「お空にひまわりなんてないよ。変なのー」

「ふふ」



 それと、窓辺にお菓子を置いておいたら、いつの間にか消えていることがある。しかし彼は間抜けなので、食べカスと毛を何本か落として帰っていくのだ。



「今年は手紙でも添えようかしら」



 老婆はひまわりがプリントされた便箋に、使い古した万年筆で文字を綴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る