第4話

「これは?」


 律は首を僅かに傾げながら、トレーに載せられたものについて大地に問いかける。


 トレーの上には二人分の飲み物、何らかのソースがかけられているフライドポテト、見るからに硬そうな十五センチ程の長さの棒状の物体が二本存在していた。棒状のものは硬く焼き締めたパンのようで、その先端部から三割程度までがチョコレートでコーティングされている。勿論どちらも律のリクエストではない。


「フライドポテトのメキシカンソースがけとビスコッティだ。ビスコッティは乾パンみたいに硬いから、食べる時に歯を痛めないように注意してくれ」


 律に紅茶を供し終えた大地は苦笑を漏らしながら説明をする。


 その苦笑の原因は律の行動にあった。先程のやりとりから学習した大地は、席の奥側ではなく敢えて手前側に腰を下ろした。退路を確保するためだ。しかし律はそれでも大地の横に陣取った。あまつさえ先程よりも距離を大幅に詰めることさえした。その結果、慣れない異性との距離感に困惑した大地は慌てて後退り、最終的にはしっかりと席の奥まで押し込まれる運びとなった。


 当の律に悪びれる様子はこれっぽっちも無く平然としている。


「その情報も有難いのですが、そうではなくて……何故こんなに?」

「カフェテリアで働いている知り合いがコッソリ分けてくれた。裏メニューらしいぞ。ところで佐田は別皿に取り分けた方が良いか?」

「いえ、このままで良いです。むしろ、このままが良いです。同じ皿で雑につつくのが良いのです。非常に青春っぽいです。そして裏メニュー。この単語もまた非常に甘美な響きを伴っています。若さゆえにお金が無く、しかし通ぶりたい若者が無理を言って裏メニューを強請る様子がありありと浮かびます。もしくは後輩の前で良い格好をしたい先輩が、そのまたさらに先輩から同じような経緯を経て教えてもらった裏メニューを誇らしげに頼むようかのような青臭い光景が」

「お、おぅ……そうか。まぁ冷めちゃうから早めに食べてくれ」


 恍惚とした表情を浮かべながら早口で喋る律に対して言い知れぬ不気味さを感じた大地は、その感情に厳重に蓋をしてからポテトに手を伸ばす。


「しかし、やはり大室君は裏切り者でしたね。随分親しい友人が居るのですね」

「バイト柄な。とは言っても挨拶を交わす程度の仲だけどな」

「なるほど。アルバイト繋がりでしたか。確か住んでいる学生用アパートの管理業と、駅前のジムでのアルバイトをしているのでしたね。納得です」


 ソースとチーズをたっぷり絡めたポテトが今まさに口内に到達する直前で大地の手がピタリと止まる。律を見つめるその視線には今までで最も濃い不信感が満ちていた。


「なぁ、何で俺のバイト先まで知っているんだ? ジムはともかく、アパートの方は今まで誰にも言っていないんだけど」

「………それは気のせいでは? ついさっき大室君が話していましたよ」


 そう答える律の目線は大海原を縦横無尽に突き進む回遊魚を彷彿とさせる程に激しい挙動を繰り返していた。その挙動不審な様子を見て大地はさらなる追い討ちをかける。


「いーや、絶対に話していな……」

「それより大室君。あなたは何故今この場にいるのかお忘れですか? あなたが今すべきことは何ですか? 今一度よくよく考えてみてください」

「……」


 追い詰められた律は態度を急変させる。ノートを片手に大地の非を突き、その上で声の大きさと勢いで大地の反論をかき消した。その結果、険しい態度で厳しい言葉を投げかけられた大地は困惑し言葉を失う。すると一転して、律はふわりと柔らかく微笑みながら大仰に頷く。


「さぁ、本日の目的を果たしてしまいましょう」

「……そうだな。そうするか」

「ええ、そうしましょう。それが最善です」

「でもそれはそれとして、後でプライバシーについての話もしような?」

「……はい」





「ふぅ、やっと写し終わった。ノートありがとうな。助かったよ。それにしても半分以上も聞けていなかったとは。これは叱られても仕方ない。完全に弛んでたよ」


 律にノートを返却した大地は首と肩を回しながら自嘲げに呟く。この後の予定も無い大地は完全に脱力して気が抜けてしまっていた。


 それを横目で確認した律は、今こそ距離感を詰める好機であると内心で意気込みつつ、平静を装って大地に話しかける。


「大室君は普段は真面目に講義を受けていますよね。何か悩み事でもあるのですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどな」

「水臭いですね。我々の仲じゃないですか。遠慮せずに何でも話してください」


 ドンと来いとばかりに胸を叩く律を胡散臭そうに眺めながら、大地は諦めの溜息を吐く。用は済んだのでさっさと帰宅してしまいたいが、どちみち退路は絶たれている。ノートの恩もあって邪険にはしづらいとの想いもあった。


「本当に悩みとかではないんだ。むしろ逆だ。趣味……のようなものに没頭していたせいで、集中出来てなかっただけなんだ」

「ほほう? そのご趣味とは何ですか?」


 大地の内面を余さず覗き込もうとしているかのように、律は目を皿にして大地を凝視する。答えに困った大地は眉を顰めつつ返事をする。


「なんだろうな?」

「……少し踏み込み過ぎてしまいましたか。失礼致しました」


 誤魔化すということは話したくはないということである。そう解釈した律は、関係を進めようと少し焦ってしまったかもしれないと反省し真摯に頭を下げる。

 

「別に話したくないとかではないんだ。ただその……何と表現すれば良いものか分からなくて」


 大地は顔の前で手を振り律の誤解を正す。


「無理にとは言いませんが、話してもらえると大変嬉しいです」

「別に面白い話ではないからな?」


 正直に言えば進んで話したいというわけではない。故に大地は敢えて曖昧にボカして惚けるような反応を返した。あわよくば諦めてくれないかと期待していたからだ。


 しかし一方で、自分のように取るに足らない者の話を真面目に聞こうとしてくれることに関しては悪い気はしなかった。どこかくすぐったいような、微妙に面映い感情を抱きながら、ぶっきらぼうな口調で大地は口を開く。

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