第38話 魂の帰るところ

「兄さん!!!」


 雪が、足早にこちらに寄ってくる。


「ごめん歩。銃声みたいなのが聞こえたら雪ちゃんが飛び出しちゃって」

「兄さん……っ!」


「ふ、二人とも! 何か手当するもの持ってきてくれないか!」


 俺に抱えられている熊田さんと後ろの感染者を見て、二人は絶句する。


「これは……どういうこと……?」

「説明はあとでするから! 何か手当するものを!!」


 そう大きな声を出すと、熊田さんが、


「……もういいの……それより早く逃げて」

「早く逃げろってなんでですか……」

「前に行軍が来たときあったでしょ……あれ私のせいなの……」

「えっ……?」

「そこのお父さんを……どこにも行かせたくなくてね。こんな監禁まがいのことしてたら、一回さっきと同じ声を出しちゃってね。まるで仲間を呼んでるみたいに……」

「そんな……」

「だから……またこの前と同じ行軍がくると思うわ……。本当は貴方たちには知られなくなかったのだけど……」


 ――あの日のことを思い出す。


 スマホの緊急避難速報がなり、外を夜通しで見張っていた日。

 なぜか、熊田さん宅に群がるゾンビたち。確かに聞こえた気がした「助けてください」の声。


 もしかするとあのときの声は……。


「……雪ちゃん……最後にほんの少しだけ話さない?」


 熊田さんが俺に抱えられたまま、雪に声をかける。

 雪は泣きながら熊田さんの近くに立ち寄る。


「……ふふっ、本当に色白で可愛い子。私の娘にそっくり」


 愛おしそうに雪の頬のあたりをゆっくりと撫でる。


「……私ね、“魂の帰るところ”ってあると思うの」

「た、魂の帰るところ?」


 雪がなんとか声を絞り出す。


「そう、魂の帰るところ。これから、雪ちゃんがこれからどこか遠くの学校に進学しても、どこか遠くの場所に就職しても、“いつかはここに帰ってくるんだろう”って場所。それは、自分の生まれた場所かもしれないし、自分が育った家かもしれない、好きになった人の隣かもしれない」


 熊田さん、後ろの旦那さんを愛おしそうに見ながら言葉を続ける。


「……ふふっ、それが私にとってこの人の隣だったのね。今はこんなになっちゃったけど、昔はおにいさんに負けないくらい格好良かったのよ。優しくて、何でもできて、少し頑固なところも好きだった……」


 雪は、涙を流しながら「うん」「うん」言いながら頷く。

 やや離れて見守っている幸からはすすり泣きが聞こえてきていた。


「雪ちゃんにとってそんな場所があるならそこは大切してね……。ふふっ、言わなくてもそこがどこだが分かっちゃうけど・・・」


 熊田さんがそう言うと、俺の手をぎゅっと力強く握る。


「おにいさん、最後にかばいに来てくれて本当にありがとう……。雪ちゃんのこと大切にしてあげてね」

「そんな最後だなんて! 雪のことは必ず約束しますから……」


 大粒の涙が頬からこぼれ落ちていた。


「……もし良かったら、これを受け取って」


 熊田さんは、着ていたジャケットのポケットから鍵の束とポケット手帳を出し、それを俺に渡した。


「……昔、お父さんと農業をやってて、そこが今空き家になってるから良かったら使ってちょうだい。ここから随分遠いけど、その手帳に場所が書いてあるから……」

「そんなの使えないですよ! 一緒に行きましょうよ!」

「私はお父さんと一緒にいるから……もしこれから私の娘に会うことが会ったら、うまく言っておいてちょうだい……名前はね、由紀(ゆき)っていうの」

「そんな……」

「ふふっ、雪ちゃんと色々ベランダでやり取りとか料理とか教えられて楽しかっ……た……」


「っ! 私も……!」


 そう雪が言いかけると、ふと熊田さんの体から力が抜けた。



 抱きかかえていた肌が冷たくなっていくのが分かる。



 体が軽くなってしまったのが分かる。



 ――そこに熊田さんがいなくなってしまったことが分かってしまった。



 

「熊田さん?」


 雪がゆさゆさと熊田さんを揺さぶる。


「えっ? 嘘でしょ。熊田さんったら」


 返事は帰ってこない。

 そっと、雪が熊田さんの胸元に耳を当てるが鼓動を感じることはなかった。

 

「――おばあちゃん」


 力なく雪が熊田さんの体に抱き着き泣きつく。


「うぅ……ぐすっ」

「雪……」


 俺は雪の背中にそっと手をあててやることしかできなかった。


 少しの間、沈黙が流れていた。

 ほん数分だけだったのだろうが、雪と幸のすすり泣きしか聞こえてこない気が遠くなるような数分だった。

 俺も熊田さんの体を抱えたまま、いま目の前にある現実を受けきれないでいた。

 

 その沈黙を突如、ぎしっ! ぎしっ! という音が破る。

 熊田さんの旦那さんが拘束を解こうと体をよじっていた。

 どこにそんな力があるのだろうか、力任せに拘束を解こうとしていて身体が痛んでいた。

 その痛みがあまりにも気の毒で、俺は拘束具に手を伸ばした。


 本来なら、近くに雪も幸がいるので避けなければならない行動なのだろう。


 ……しかし不思議と危険は感じなかった。


「……雪。ちょっといいか」


 そう言って、雪を熊田さんの体から話す。

 そっと、熊田さんの体をその場に寝かせる。

 そのまま、俺は後ろの物置に行き、旦那さんの拘束具を緩めてやった。

 そうすると、旦那さんは熊田さんの体の近くに寄り添うように倒れた。


 ウォォオオオという低い声が、旦那さんがまるで泣いているかのように聞こえた。


  


※※※




 あれから、すぐにスマホの緊急避難速報が鳴った。


 俺たちは、熊田さんとその旦那さんをそのまま一緒にして避難することにした。

 熊田さんの亡骸をそのままにしておくのは気が重かったが、旦那さんがずっと寄り添っているように見えたので、それを邪魔をするのもどこか悪い気がしたからだ。


 しばらくクルマでを走らせ、街を見渡せる高台に来ていた。


 大きなパーキングがあり、昔は街を見渡せるデートスポットとしても有名なところだった。


 時間はもう明け方になっていた。


 三人で一旦、車を降り街の様子を眺める。


「落ち着いたか雪?」

「う、うん。なんとか」


 目が腫れて真っ赤になっていた。


「私、あの人たちのこと許せないよ……!」


 幸が目尻を上げて、声を震わせる。


「そうだな……でも……」


 俺も、もちろん許せない。

 あれから少し時間がたったが悲しさの次に来た感情は、こんなことをした人たちへの強い怒りと憎しみだった。


 ――でも。


「でも、熊田さんはきっと怒りとかの感情で動くの嫌うんじゃないかな。なんとなくだけど」

「……そっか」

「優しい人だったから」


 どこか遠い目で街を眺めている雪に声をかける。


「雪、熊田さんのこと……熊田さんの気持ちははこれから絶対に忘れないでいような」

「……うん」


 目にめいいっぱいの涙を浮かべて雪が答える。


「熊田さん、旦那さんと一緒に行けたかなぁ」

「行けたって?」

「……ほら、亡くなるとゾンビになるじゃん。行軍来ると、皆一緒にどこかに行っちゃうから、そのまま旦那さんと熊田さん一緒に仲良く行けたらいいなって」

「あははは、そうだな……。きっと一緒に同じ場所に行ってるよ」


 そう思うと、少しだけ心が軽やかになれた気がする。


「ありがとう雪、俺じゃそういうこと思いつかなかった」


 流れ出しそうな涙がバレないよう自分の目元を抑えた。


「――ねぇ、兄さん」


 白ばんできた空を眺めながら、優しい声色で雪が俺に告げる。


「私にとっての帰るところは、兄さんの隣だから」

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