第27話 オレンジブロッサムの願い事

 茅乃と朱音の二人と話をした後、彼女達は家族と話し合いをしたらしい。

 幸喜がそう聞いたのは、あれからひと月ほど経った後だった。

 少し落ち着いたので会いませんか、と言われて待ち合わせをしたのは以前話をした公園である。

 茅乃とはその間も今まで通りに連絡を取っていて、けれど顔を合わせるのは久しぶりで、何だか少し照れ臭い、と思いながら待ち合わせ場所に着いた幸喜は、きっと同じように感じていたらしい茅乃がはにかんで笑っているのを見て、思わず苦笑いを浮かべてしまったものだ。

 肌寒さは感じるものの、天気が良いのでのんびりと公園内を歩きながら、彼女はそれまでの事を話し出していた。

 茅乃の携帯に残された着信履歴や朱音の証言を元に、朱音と朱音の母親と茅乃の父、そして彼女達の祖母とで行われた話し合いで、意外にも祖母は事実をあっさりと認めたらしい。

 泣く事も喚く事もなく、ただ淡々と事実を肯定する祖母は焦燥しきっていて、まるで今までの行為を誰かが止めてくれるのを待っていたかのようだった、と朱音は話していたそうだ。

 その詳細を父親達から聞かされた茅乃は、祖母に謝罪させるようにすると言われたそうだけれど、彼女はそれを断り、今はただ静かに、穏やかに過ごして欲しい、と伝えたという。

 顔を合わせてこれまでの事を謝罪されたとして、それまでがなかった事にはならない。

 かといって、それを許せずにいる、というわけではない。

 ただ、今はまだ、全てを受け入れる事が出来そうにないだけだから、と、茅乃はどこか淋しそうな顔でそう言った。

 それをどうやって自分の中で折り合いをつけていくのかは、きっと長い時間がかかるだろう、と幸喜は思い、隣を歩く茅乃をそっと見た。

 アプリコットピンクのふわりとしたワンピースを着た茅乃は、視線に気がつくと、困ったように眉を下げて笑っている。


「私に出来る事がもっとあるとは思うんです。……けど、今はまだ何をしたらいいのか、わからなくて」

「頑張ってきた分、今は休んでていいんだよ」


 幸喜の言葉に、茅乃は躊躇いながらも、確かめるように小さく何度か頷いた。


「……はい。お父さんや朱音ちゃん達も、そう言ってくれました」


 夜のバス停で会った時の、あの憔悴しきっていた茅乃を思い出せば、十分過ぎる程に頑張っていたと思えるし、朱音や父親達に話をするだけでも、昔の傷をわざわざ掘り起こさなければならなかったのだ、辛くない筈がなかっただろう、と幸喜は思う。

 こうして顔を合わせず、連絡を取っている間も、少し声が聞きたいだとか、いつもより話をしたいだとか、そんな事を言って電話をかけてくる時があったのだ。

 不安がっている時にそう言い出すことが多いのだろう事は以前の経験から気付いていたので、幸喜はそうした時には出来るだけ話を聞くようにしていた。

 それで彼女の不安が取り除けるなら、と思いながら見た茅乃は、気持ちを切り替えるように顔を上げて、明るく振る舞おうと努めて口端を持ち上げている。


「取り急ぎ、私の方でしてるのは、携帯の番号を変えて、引越しの準備をしているくらいですね」


 祖母が今までの事を全て認めているとはいえ、また同じような事が起きないとも言えない、と考えて、茅乃と父親は一緒に少し離れた場所に引っ越す事を決めたそうだ。

 携帯電話は番号を変更した直後にしっかりと連絡を寄越していたので、そういう所は本当に彼女らしい、と幸喜は呆れたように笑ってしまったものである。


「でも、引っ越しをしたら幸喜さんの住む所からは少し離れちゃうのが嫌です」


 はあ、と溜息混じりに茅乃は言うけれど、この公園がある駅とは逆方向に向かって一時間程の所にあるマンションに引っ越す、と聞いているので、そこまで遠くに行ってしまわなかった事に、幸喜は密やかに安堵したものだ。


「片道一時間ちょっとなんて、大して離れてないだろ」

「一時間ですよ? 洗濯機なら二回も回せますし、カップラーメンなら二十個も作れちゃうんですよ?」


 その例えは微妙過ぎてよくわからない、と適当に流しておくと、茅乃は頬を膨らませて不満そうな顔をしている。

 本来の明るさを取り戻しつつあるのだろう、その姿を微笑ましく感じた幸喜は、飲み物でも買おうと提案して、近く自販機で二つ飲み物を購入した。

 茅乃は手渡されたミルクティのペットボトルをじっと見つめると、ことりと首を傾けて顔を覗き込んでじっと目を見つめてくる。

 その意図を言わずとも理解した幸喜は、溜息混じりに蓋を捻って開けると、彼女に再びそれを差し出した。

 ぱっと顔を明るくさせた彼女は嬉しそうに笑ってお礼を言い、ちびちびとミルクティを飲み込んでいたけれど、暫くすると心配そうな顔で、「幸喜さんの方は、どうですか?」と問いかけてくる。

 彼女には此処最近になって、過去の事を含めて今まであった事を包み隠さず話していた。

 今の彼女には負担になるのではないか、と躊躇ったものの、このまま隠し続けるのもフェアではない気がして伝えたのだ。

 或いは、彼女にはありのままを知っていて欲しいと心の何処かで思い続けていたのかもしれない、とも、幸喜は今更ながらに感じている。

 茅乃は静かに話を聞いてくれていて、同じ痛みはきっと共有する事は出来ないけれど、それでも、彼女はそっと寄り添うように、労わるように、幸喜の会話の呼吸を確かめるように相槌を打ち、時には言葉に詰まり浮かんでしまった沈黙を見守りながら、最後まで話を聞いてくれていた。

 いつだって思い出す時は目を瞑り、振り払いたい程のやるせなさや堪らない気持ちに苛まれるというのに、その時ばかりは、不思議と落ち着いた気持ちでいられたものだった。

 話をした時に、一つだけ、家族以外には誰も知らない、漸く幸喜の中でずっと悩み続けていた事を、この場で告げると、彼女は悲痛そうに眉を寄せて俯いてしまった。

 微かに震えた両手で握り締めているペットボトルの形は、力がこもって少し、歪んでいる。


「……、余命宣告、ですか」

「そう。だから、これが最後になるだろうから、って。だから、それまでにせめて一度だけでも、母親に顔を合わせて欲しいって、そう父親からは言われてる」


 幸喜が病院に搬送された後、母親は半狂乱になって暴れ回り、精神科のある病院へほぼ強制的に入院させられていたらしい。

 その後、体に合う薬が見つかるまで時間がかかったものの、施設で暮らせるまでに落ち着いていたそうだけれど、丁度修司と志穂が結婚を決めた頃に、末期のがんが見つかってしまったという。

 だから、最後に一度くらいは顔を合わせてやって欲しい、と父親から頼まれたのだ。

 母親は精神的に落ち着いた頃から、ぽつぽつと息子達がどうしているのかを聞いてくるらしく、そうした姿を見ている父としては、最後に一目でも会わせてやりたいという気持ちが出てしまうのは仕方のない事なのだろう。

 但しそれは、修司としては絶対に許し難い事、なのだろうけれど。


「幸喜さんは、ずっと、それを悩んでいたんですね」

「でも、ちゃんとあの人と会うって、そう決めたから」


 母と子を会わせたがっている父と、それを頑なに拒み続けている兄は、そもそも幸喜が事故に遭って以来、顔を合わせる度に酷い喧嘩をしているので、余程の事がない限り、口を利く事も無く、連絡を取り合おうともしていない。

 幸喜としてはそれも含めて、いい加減向き合わなければいけない、と考えて、それぞれ個別に連絡を取り、説得し、どうにか顔を合わせても殴り合いなどせずに話を出来るまでに至ったのだけれど、本当に、そこまでどれ程の会話を重ねてきたのだろうか、と幸喜は胸に溜まったものを吐き出すように、息を押し出した。

 その様子を見た茅乃は、思わず目を丸くしている。


「幸喜さんのお父さんとお兄さんって、そんなに仲が悪かったんですか?」

「まあ、親父にとってはどうしてもあの人は自分の奥さんだから甘く見るし、修司は親がちゃんとしててくれればあんな事にならなかったのに、って厳しく見るから、どうしても上手くいかないんだと思う」


 それに、と言いかけて、幸喜はゆっくりと瞬きを繰り返して視線を俯かせた。

 父親からその話を聞かされた時、頭が真っ白になってしまったのを、今更ながらに思い出してしまう。


「それに……、あの人と会う、って決めたとしても、流石にいきなり顔を合わせるのは、ちょっときつい、って考えてたし」

「確かに、いきなり面と向かって会うのは難しい、っていうのは……、よく、わかります」


 そう言うと、茅乃は両手でぎゅうと胸元を握り締めた。

 きっと、祖母の事を思い出しているのだろう。

 一度植え付けられた恐怖心は、そう簡単には取り除く事は出来ない。

 わかっているから、不安そうにしている彼女の頭を一度だけやわらかく叩いて、幸喜は苦笑いを浮かべた。


「だから、何度か手紙でやり取りしてからにしたらどうか、って志穂さんが提案してくれてるから、ちょっとずつ慣らしていく感じになるかな」


 その言葉に、茅乃は大きく眼を瞬かせ、それから、戸惑うように視線を俯かせている。


「志穂さんは、反対しているんだと思ってました」

「最初はかなり反対してたよ」


 彼女も怪我をした幸喜を目の当たりにしていたのだ、庇護の対象として幸喜を守らなければならない、といつの間にか強く思い込んでいたのだろう。

 過剰な程に母親に対する事に嫌悪感を露わにしている事も少なくなかったけれど、徐々にその気持ちを緩和させていたのを見るに、色々と思う所があったのかもしれない。

 それは、自分が母親になるという変化からかもしれないし、ただ単に時間が経過し、年齢を重ねたからかもしれない。

 その理由を志穂が絶対に言う気がないのは見て取れたので、幸喜もそこまで追求したりはしなかったけれど、彼女はそれまで拒んでいた事に自ら率先して立ち向かっていくようになっている、と幸喜は思う。


「最終的に修司を説得してくれたのも志穂さんだし、親父と修司と三人で話合うって言ったら二人が殴り合いにならないように同席してくれたし、ずっと二人を宥めて話をさせてくれてたし、本当に頭が上がらない」


 流石に腹が大きく膨れてきつつある状況の志穂を、ストレスがかかる場所へ連れて行くのはどうかと思ったのだけれども、家族なんだから私も同席します、と断固として譲らなかったのだ。

 二人が喧嘩腰にならずに最後まで話が出来たのは、そんな志穂が二人の間に入ってくれたからで、幸喜としても有難く、感謝してもしきれない、と改めて思う。


「私の所でいう、朱音ちゃんと一緒ですね」

「確かに」


 柔らかく眼を細めている茅乃は、最近はまた朱音とよく遊ぶようになっているらしい。

 よく笑うようになってきたのは、その影響もあるのかもしれない、と考えて、幸喜は頷いた。


「修司がいなきゃ今もこうしていられなかったから、修司の気持ちも良くわかるんだけどさ」


 きちんと守られている場所がなければ、安心して過ごす事すら出来なかったろうから、と言えば、茅乃は心配そうな表情で顔を覗き込むと、確かめるように頷いて、小さく笑って見せる。


「幸喜さんが笑っていれば、ちゃんと大丈夫だって伝わりますよ」


 それまでを否定するわけではないけれど、それでも、誰かのせいにしたって、何も変えられない。

 それなら、もっと先の事に眼を向けた方がいい。

 以前はまるで言い訳のように思っていた事ではあるけれど、今では少しだけそれも違っているように感じられている、と幸喜は思う。

 そうだな、と言ってそっと息を吐き出すと、茅乃も安心したように笑って軽やかに隣を歩いていた。


 公園の中をゆっくりと歩いて、丁度以前朱音を含めて話をした広場の辺りまで近づいていくと、視界が開けたような場所に気分をよくしたのか、茅乃がはしゃぐように走り出して、笑い声を立ててくるりと回っている。

 以前にもそんな風にして転びそうになっていたのに、と呆れながら幸喜が声をかけると、少し乱れた髪とスカートを撫でて直しながらの茅乃が、はにかみながら名前を呼んでいて。


「幸喜さん」

「ん?」

「前に、何でもひとつ聞くって言ってた話、おぼえてますか?」

「ああ、そういやそんな事言ってたな」


 けど、あれは委員会を頑張ったら、って話だっただろ、と幸喜が言うと、困ったように眉を下げた茅乃は、お願い、と言わんばかりに両手を合わせている。


「委員会ではなかったですけど、頑張っていたのでお願い聞いて欲しいです」

「まあ、いいけど」


 幸喜がそう返すと、茅乃はぱっと顔を輝かせて満面の笑みを浮かべている。

 そうやってすぐに嬉しそうにするものだから、何だか最近とんと甘くなっている気がする、と幸喜は思い、溜息を吐き出した。

 甘えられているのも、我儘を言われるのも、不思議と嫌な気がしないどころか、彼女がそうした事を言うのは限られた者だけなのだと知っているので、どうしようもなく嬉しく感じてしまっているのだ。

 そんな自分のしょうもなさを見せないように、幸喜は軽く咳払いをして彼女に向き直った。


「金銭が絡まない、常識的な範囲、だぞ」

「はい」


 茅乃はそう返事をすると、ほっそりとした白い指先で幸喜の服の裾を掴んでいる。

 ことりと頭を傾けた拍子に色素の薄い髪が揺れ、甘い花のような香りが微かに鼻先を擽っている。

 陽光に照らされている、幼さがまだ抜けきれない輪郭の丸みが柔らかそうで、ぼんやりとその様子を眺めていると、彼女はゆっくりと瞬きを繰り返して唇を開いた。


「私の事、彼女にしてくれませんか」

「……は?」


 時折、茅乃がとんでもない方向に突っ込んで行く傾向があるのは理解していたけれど、ここまでとんでもない事を言い出すとは思わなくて、一瞬頭がフリーズしてしまう。

 以前も似たような事を言われた事を思い出してみるものの、あの時はここまではっきりとした形ではなく、あくまでも希望として言ってた。が、今回は明らかに違う。

 幸喜は思わず聞こえなかったと言わんばかりに視線を逸らすけれども、茅乃はその視線を追うようにわざわざ回り込んでまで目を合わせようとしていて、次第に頭が痛くなるのを感じていた。


「あのな、常識的、って言ったんだけど?」

「常識的ですよ。高校卒業して、成人したら、って条件付きですから」

「本気で言ってんの?」

「本気じゃなきゃこんな事言うわけないじゃないですか」

「幾ら何でも平然とし過ぎだろ」


 その言葉に、茅乃はぱちぱちと瞬きを繰り返すと、はい、と手首の内側を差し出している。

 不思議に思って首を傾げていると、「脈。わりと早いですよ?」等と言って幸喜の手を取り、首元にまで引き寄せようとするので、幸喜は慌てて自らの腕を後ろに回した。


「ふふ、変なの。幸喜さんの方が大人なのに」


 まるで揶揄っているかのように余裕そうに彼女が言うものなので、「慎重なんだよ」と幸喜は噛み付くように言って深々と息を吐き出した。

 少し前まではあんなにしおらしかったのに、もう今まで通りに有らん限りの力でこちらを振り回しているようじゃないか、と幸喜は呆れてしまう。

 おまけに、彼女は更に追い討ちをかけるようににっこりと笑って口を開いていて。


「お父さんにも聞いてみたんですけど、好きな人と過ごす時間は限られてるものだから大切にした方が良い、って言われてます」


 おまけに、何なら一筆書こうか、って言ってくれてるので安心して下さいね、などととんでもない事を言い出している。

 年頃の娘を持つ父親に同情するべきか、それとも訴えられるような事になっていなくて安堵するべきか、そもそも何故この暴走を止めなかったのかと非難するべきなのだろうか……、彼女の父親は大人しくて優しいと言っていたような記憶があるが、今の話を聞いている限り、茅乃に酷似しているような気がしてならない、と幸喜は溜息を量産しながら考えた。

 頭を抱えてしゃがみ込みたい衝動に駆られながらどうにか踏み止まっていると、茅乃は唇を尖らせて拗ねるような表情を浮かべている。


「幸喜さん、言ってたでしょう? 私に傷ついて欲しくない、安心出来るように一緒にいてくれる、って」


 それに、手を握ってくれたじゃないですか。

 言い逃れの出来ない彼女の言葉の数々に、幸喜は思わず、うぐ、と呻いた。


「少しくらいは、自惚れてもいいと思うんですけど?」


 茅乃はそう言って、ずい、と身体を近寄らせてくるので、幸喜は慌てて後ろへ身体を引くものの、彼女は諦めずに顔を覗き込んでくる。

 じわじわと顔が熱くなってくるのを感じて、幸喜は無駄な抵抗とわかっていながら、隠れるように手の甲を顔に押し当てた。

 確かに距離感がおかしくなっている自覚は、ある。

 触れても嫌な感じがしないのも、側にいて不快にならないのも、それどころか、彼女の事自体、好意的に思っているのも、もう、言い逃れが出来ない程に理解している、のだ。

 だからといって、彼女とは年齢も離れているのだし、これから進学して社会に出て、その間にも新しい出会いも多い筈で、その中で価値観が変わる事もあれば、今のようにはいられない事で変化する事など多々あるだろう。

 だからこそ勢いだけでそんな事を言い出すのはどうか、と説得した所で、「小さい頃から好きなものは変わっていませんし、この先それが変わるつもりもありませんし、そんな中途半端で生半可な気持ちでこんな事を言い出したりしません」と、真っ直ぐに見つめて、懸命に伝えてくる。

 その真っ直ぐさに、本当はこうやって予防線を張って言い逃れをしようとしているのは自分の方なんじゃないか、とすら思えてきて、幸喜は唇を噛んで俯いてしまう。

 すると、彼女がゆっくりと手を伸ばして、いて。

 まるで作りの違う、ほっそりとしていて白い指先は、けれど、顔の側まで伸ばされてもその先には触れたりしない。

 まるで答えを待っているようなそのその手を、幸喜は暫く見つめていたけれど、ゆっくりと目を細め、深く長く溜息を吐き出すと、その手をそっと掴んだ。

 冷た過ぎる自身の体温と乾き切った皮膚とは違い、彼女の手はしっとりとしていてあたたかく、やわらかだ。

 ずっと抱え込んできた事を話してくれた時とは違う、これが彼女本来の体温なのだろう、とその時初めて感じられた。


「他の誰でもない、幸喜さんじゃなきゃ駄目なんです。だから、私の事を彼女にしてくれませんか?」


 色素の薄い瞳が真っ直ぐに向けられているのに、揺らいでいる。

 不安そうな色が見えて、思わずその目元に指を寄せれば、嬉しそうに擦り寄ってくる。

 無防備に、無条件に、呆気なくそうしてしまう彼女に、幸喜は、降参、と呟いて眉を下げて笑うと、両手で頰に触れて上下に揺らした。

 茅乃はされるがままに目を丸くしていたけれど、その内に子供のようにきゃあきゃあと声を上げて笑っている。

 そんな風に側で笑っていて欲しい、と思いながら、幸喜は吐息を零して、やわらかな輪郭をなぞるように撫でて口を開いた。


「考えとくから。ちゃんと。前向きに」


 それまで待ってて。

 そう言えば、茅乃はこれ以上ないと言うように、満面の笑みを浮かべて頷いていた。

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