第21話 行方知れずさん、こちらへどうぞ

「実は、従姉妹がいなくなってしまったんです」


 突拍子もない事はいつもの事ながら、流石に予想もしていなかった彼女の言葉に、幸喜は眼を大きく瞬かせ、それから、先を促すようにゆっくりと頷いた。

 茅乃は躊躇うように唇を緩く噛むと、静かに震える息を吐き出して、話を続ける。


「……おばあさんから連絡があって、従姉妹が夜に出歩いてる、って言われて」

「おばあさん?」


 おそらくは祖母の事を言っているのだろうが、何故『おばあさん』なのだろう。

 『おばあちゃん』と呼ぶのなら理解出来るのだけれど、もしかしたら血縁関係ではないのだろうか、と幸喜が困惑していると、茅乃は顔を俯かせてから、口端だけをぎこちなく持ち上げている。


「……普通は、そう呼びませんよね。母方の祖母の事です。ちゃんと血の繋がりのある祖母ですよ」


 普通は、という言葉に引っ掛かりを覚えて眉を顰めると、彼女は困ったように笑って、両手をぎゅうと強く握り締めていた。


「従姉妹が出歩いている、って心配した祖母から連絡があったんです。朝には戻ってくるらしいんですけど、夜の間ずっと出歩いてるそうなんです。どうにも理由がわからないから、様子を見てきて欲しい、って」


 だけど、何処に行っているのか全く見当もつかないし、おまけにその従姉妹本人には直接聞かないで欲しいのだ、と彼女は言う。

 直接聞けないのは何らかの事情があるのだろうが、それ程に心配ならば、まず親に相談するのが普通だろう。

 何なら警察にでも言えばいい。

 それを出来ない事情があるのだとしても、未成年の高校生をこんな遅くまでうろつかせておくのは、流石にどうかしている、と幸喜は考えて、苦々しい面持ちで息を吐き出した。


「それで、ここ最近その子を探してたのか」


 茅乃は否定も肯定もせず、口端だけをぎこちなく持ち上げて、曖昧な笑みを浮かべている。

 その表情で、答える気がない、という事が理解出来たので、釈然としない気持ちはあるものの、幸喜は気持ちを切り替えようと、口元に手を当てた。


「ええと……、まず、従姉妹って何歳くらい?」


 問い掛けに、茅乃はほっとしたように表情を和らげると、小さく頷いて口を開いている。


「高校生で、南如月みなみきさらぎ高校に通ってます」


 彼女から教えられた情報を頼りに幸喜が携帯で高校の所在地を確認してみると、修司の家の最寄り駅からバスで十分程行った場所にあるようだ。

 だからこそ、修司はあの駅で茅乃を見かけていたのだろう。


「まあ高校生だし、朝には家に戻ってるなら、友達の家とか駅前でうろうろしてるか……、あとは、家族に内緒でバイトしてるかもしれないな」


 商業施設も多く立ち並んでいるあの駅ならば、高校生が時間を潰すにはうってつけの場所だろうし、アルバイトの募集も多い筈だ。

 幸喜の話を聞いていた茅乃は、納得したように何度も頷いている。


「アルバイト。確かに、そういう可能性もありますね」

「とりあえず学校の方の最寄り駅に行ってみよう。あの駅なら大きいから、利用してる路線とか改札で張ってれば見つかるかもしれないし」

「はい!」


 ぱっと顔を明るくさせた茅乃に頷くと、幸喜は彼女と一緒にバス停まで移動した。

 時刻表を確認すると、利用者は少ないもののまだ十分バスは動いているようで、数分もしない内にバスへ乗り込む事が出来た。

 乗客はいるがやはり利用客は少なく、空いている一番後ろの席に幸喜が座ると、当たり前のように茅乃が隣に座っている。

 今までも一緒に行動している事なんて普通にあったというのに、遅い時間帯のせいか変な感じだ、と幸喜は思い、そっと顔を向けて茅乃を見た。

 茅乃は視線が合うと顔をふにゃとさせて笑うので、幸喜は慌てて視線を逸らし、咳払いをしながら話題を探し出し、彼女に問いかける。


「そ、そういえば、その子の特徴がわかるような写真とかないのか?」


 肝心の人物がわからないのでは見つけようがない、と幸喜が言うと、彼女は申し訳なさそうに眉を下げている。


「すみません、私、あまり携帯で写真を撮らないので……。高校に入ってから目立つ髪色にしていたので、見かけたらすぐわかると思うんですけど」

「目立つって、金髪とか?」


 最近の高校生は随分と自由なのだな、としみじみ年齢と環境と考え方の違いを感じていると、茅乃は目元を和らげて何処か嬉しそうに笑っている。

 おそらくその従姉妹を思い出しているのだろう。


「いえ、綺麗に伸ばした黒髪なんですけど、毛先だけ濃いピンク色なんです」

「……黒髪で、毛先が濃いピンク?」


 妙に覚えのある情報に、幸喜は思わず顔を歪めてしまう。

 その表情を見た茅乃は、きっといい印象を受けなかったのだと勘違いしているのだろう、慌てた様子で首を振っている。


「あの、派手に思うかもしれないですけど、悪い事をするような子じゃないんです。とっても可愛くて似合ってるんですよ!」


 一生懸命話している茅乃を見ている限り、仲が悪いというより、寧ろ良い方なのだろう。

 幸喜が考えている通り、あの公園で会った少女が茅乃の従姉妹だというのなら、確かに悪い事をするタイプではなかったし、性格も悪くはなさそうだった。

 流石に、あの少女と茅乃に繋がりがあるとは思いもしなかったけれど。

 頭が痛くなるのを感じながら、幸喜はあの時少女が言っていた言葉を何とか思い出す。

 確か、近くのドーナツ店でバイトをしているとかなんとか言っていなかっただろうか。

 額に手を当てると、熱を持った肌にひんやりとした温度が心地いい。が、あまりの展開に、本当に頭痛がしてきそうだ、と幸喜は思わず深く長く息を吐き出してしまう。


「あのさ」

「はい」

「多分だけど、そいつがいる場所、わかったぞ」

「えっ、本当ですか?」


 どうして、と目をぱちくりさせている茅乃に、幸喜は苦笑いを浮かべて肩を竦めると、ずるずると座席に沈み込んでいた。



 ***



 駅の近隣で探したドーナツショップは幾つかあったものの、数週間前に行った公園の側にあったのは一つだけだった事が幸いして、目的の人物は実に呆気なく見つかった。

 硝子窓から見えたのは確かに幸喜が公園で出会った少女であり、派手な髪の毛先をまとめてベージュの帽子で隠し、真っ赤な制服を着こなして笑顔で接客をしている。

 流石にバイト先に乗り込む事は憚られ、彼女のバイトが終わる頃を見計らって店近くで待っていると、少女はアルバイト仲間に声をかけながら店を出て行こうとしている所だった。

 それを見るなり、茅乃は急いで彼女の元へと駆け寄り、名前を呼んでいる。


「朱音ちゃん!」

「茅乃? なになに? どうして此処にいんの?」


 ぎゅうと抱きついてくる茅乃を驚いた顔で見つめながら、ことりと首を傾げた少女——朱音は、暫く戸惑いながらも宥めるように彼女の背中を撫でていたが、ふと顔を上げて側に居た幸喜を見るなり、ひゅうと形の良い眉を持ち上げた。

 茅乃の身体をゆっくりと引き離し、つかつかと歩み寄ってくる朱音は幸喜の鼻先に指を向け、吊り気味の眼を更に引き上げて睨みつけている。


「あんた、この間うちの事騙したでしょ!」

「何の話だよ」

「前に茅乃とここら辺でうろうろしてた! うち、見かけたもん!」


 いつの事だかはわからないけれど、茅乃と一緒に居た所を見られていたのだろうか。

 だとしても、朱音は証拠の写真などを見せてくるわけではないので、幸喜は顔を背け、完全にとぼけた演技をしている。


「知らない。お前とは完全に初対面です」


 言いながら、茅乃と一緒にこの辺りで歩いていようとなかろうと、朱音と会ったのは公園での出来事が初めてなのだから嘘ではない、と幸喜は内心で付け足した。

 その様子に、言い返す事が出来なくなってしまったのか、朱音は頬を膨らませると、振り返って茅乃を見る。

 茅乃は狼狽えながら、幸喜と朱音を交互に見ると、不安気にぎゅうと両手を握り締めている。


「茅乃、もしかしてこの人と変な事してるとかじゃないよね?」

「待って。朱音ちゃん、幸喜さんと知り合いなの?」


 二人とも疑問だらけで困惑しているらしいのだが、一番困惑しているのは自分なんだけどな、と幸喜は息を吐き出した。

 ポケットから携帯電話を取り出すと、時間はもう九時半を過ぎている。

 時間的には高校生がアルバイトをしても可能ではあるけれど、帰りの事を考えると、十分遅い時間帯だ。


「とりあえず、色々あるだろうけど、今日は解散。話すなら明日にしろ」

「はあ?」

「二人共高校生だろうが。もう帰らないと、補導されて学校とか親に連絡行くかもしれないだろ」


 幸喜の提案に、朱音は納得がいかないのだろう、反論しようと口を開きかけるが、慌てて彼女の腕を引いた茅乃が首を横に振っているのを見ると、困ったように顔を歪めている。


「朱音ちゃん、言う通りにしよう。ね?」

「……、わかった」


 茅乃の言葉に頷いたものの、朱音は鼻先に皺を寄せて口先を尖らせていて、きっと幸喜を睨みつけた。

 あの時は好意的ではあったけれど、今はそれが嘘のように違っているのは、それだけ彼女が茅乃を大事に思っているからだろう。

 嫌な役回りではあるけれど、大人である以上、未成年である二人を放っておくわけにもいかないのだから致し方ない、と密やかに溜息を吐き出せば、朱音がずいと顔を覗き込んでくる。

 慌てた幸喜が身体を引くと、朱音は胸ぐらを掴んで真っ直ぐに幸喜を見つめていて。


「今日は帰る。けど、明日、ここに来てちゃんと説明して。オッケー?」

「はあ?」

「断ったら、女子高生と遊んでるおっさん、って大声で言いふらすから」

「人を脅すなって。っていうか、お前ら意外と行動が似てないか?」


 見た目も性格も対照的なのに、と幸喜が呆れながら顔を背けて息を吐き出すと、茅乃は朱音の腕を両手で握り締め、懇願するように頭を振っている。


「朱音ちゃん、止めて下さい」


 お願いします、と言いながらじわじわと泣き出してしまった茅乃を見て、朱音は慌てて幸喜の胸ぐらから手を離し、彼女をぎゅうぎゅうと抱き締め、「何でどうしてちょっと待ってよ大丈夫だから泣かないで!」と言って頭を撫でたり背中を優しく叩いたりして、一生懸命慰めている。

 茅乃の肩越しに睨みつけてくる朱音は口をはくはくと動かしながら、早くどうにかして、と小声で伝えてくるので、幸喜は慌てて直ぐに何度も頷いた。


「わかったわかった。明日の十時に駅の改札で集合。それでいいか? だからさっさと帰れよ」

「言われなくても帰るし!」


 頬を膨らませて怒る朱音は、けれど、茅乃に向き直ると途端に表情を和らげて彼女の頭を撫でている。

 心配させてごめんね、ちゃんと帰ったら連絡するんだよ、と茅乃に言っている姿を見ていると、何だか本当に姉妹のように見える、と幸喜は思う。

 彼女が優しく接している為か、茅乃もすぐに落ち着きを取り戻すと、困ったように笑みを浮かべている。

 その様子に、朱音は安堵の表情を浮かべると、幸喜をちらりと見た。

 まだ納得はしていないようではあるけれど、折角落ち着いた茅乃がまた取り乱してはいけないと思っているのだろう。その表情は苦々しいものだ。


「言っとくけど、茅乃に変な事しないでよ」

「するわけないだろ」


 いいからさっさと帰れ、と幸喜が片手を振ると、朱音は頰を膨らませながらも、軽やかな足取りで駅の方向へと駆け出していた。

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