第7話 雨降らしは軽やかに歌う

「コインランドリーに行きませんか?」

「行かない」


 にべもなく返事をした幸喜に、茅乃はがっくりと肩を落としたような声を発していた。


 携帯電話をスピーカーにしたまま、冷蔵庫から赤いキャップのミネラルウォーターを取り出した幸喜は小さく息を吐き出した。

 一度連絡を途絶えさせた時はしつこい程電話をかけてきたり脅迫めいたメッセージを送りつけてきたものの、それ以降は以前と変わらず決まった時間にやり取りをするだけに留まっている。

 直接会う事も二週間に一度程度で、良くも悪くも奇妙な関係性は続いたままだ。

 茅乃はきちんと返事が返ってくれば安心するのか、特別我儘を言ったりはしないのだけれど、今回に関しては洗濯に関連した事だからか、やけにしつこい上にどうやっても引き下がろうとしない。


「お願いします! 一度で良いから行ってみたいんです」

「行きません」

「なるべく広くて綺麗で開放的で少し離れた場所のコインランドリーを調べますから」

「しつこい」


 ちょっとくらい話を聞いてくれたっていいじゃないですか、と電話の向こうで茅乃は不満げな声を上げている。

 コインランドリーはどうにも閉塞的で距離が近くなる場所のように思えて気が進まないのだけれど、こうして延々と駄々を捏ねられては流石に面倒臭い。

 どうにか話題を逸らそうと、手にしたペットボトルを軽く揺らした幸喜は、ふと思いついて口を開いた。


「お前、もしかして洗濯機とか乾燥機とかも詳しいのか?」

「幸喜さん、乾燥機の購入や洗濯機の買い替えをご検討中ですか?」


 任せて下さい、各メーカーのパンフレットは勿論、比較データも十分に取り揃えています、等と嬉々として家電量販店の店員のような語り口になっている茅乃に恐ろしさを感じながら、幸喜はすぐさまそれを否定する。


「違う。大体、一人暮らしに乾燥機っていらないだろ」

「一応商品としてはあるみたいですよ。ただ、一人暮らし向けの乾燥機は設置条件や大きさから電気式の方が良いらしいんですが、あまり乾きがよくないそうです。ドラム式の洗濯機で乾燥機が付いているものもありますが、やはり大きさがネックになるみたいで、なかなか導入が難しいそうですよ」


 過去にドラム式洗濯機の購入を検討したかのようなその言い振りを聞かなかった事にして、幸喜は洗面所に置かれた洗濯機を思い出していた。

 幸喜が引っ越しの前から使用しているその洗濯機は、茅乃のようにこだわりがない事もあり、家電量販店で適当に見て決めた安価なものを購入している。

 所謂縦型のもので、洗面所と風呂場の間に置かれている分には幅をとっていないが、引っ越しで運び入れた際、廊下の幅はぎりぎりだった。

 ドラム式の洗濯機はそれよりも大きいと仮定すれば、確かに彼女の言う通り、一人暮らしの部屋にはそぐわないものなのかもしれない。

 彼女が一人暮らしをしているかのか、それとも家族と暮らしているのかは、未だに謎なのだけれど。

 ドラム式の洗濯機についてはテレビのコマーシャルでも確かにファミリー向けの宣伝しているものが多かったな、と考えて、幸喜はペットボトルを机に置き、代わりに携帯電話を持って洗面所を覗き込んだ。

 隣は風呂場になっていて、照明のスイッチの近くにはまだ見慣れない操作板が取り付けられている。


「そもそも、浴室乾燥機がある部屋を借りれば問題ないんじゃないか?」


 引っ越しをしてから天気が良い日が続いていたので、まだ一度も使用をした事はないのだけれど、真新しいそれを使うのを、幸喜は密やかに楽しみにしている。

 何せ以前借りていた部屋は内装こそリフォームされていたが、築三十年も経過しているアパートだったので、浴室乾燥機もなければ入口のオートロックさえなかったのだ。

 似たような家賃でこうも違うものなのか、と知った時は愕然としたものだったが、新しい部屋に引っ越してからは、それもまた良い経験だったかもしれないと思えるようになってきている。

 茅乃は浴室乾燥機についても知識があるのか、電話の向こうで、ううん、と少し困ったような声を零している。


「浴室乾燥機は吹き出し口近くはよく乾きますが、其処から離れれば離れる程乾かないので、気をつけて下さいね」

「え。マジか。部屋についてたのが初めてだから、めちゃくちゃ嬉しかったのに」

「乾燥機が使える間に家にいられるなら、一定時間おきに入れ替えをすれば大丈夫ですよ。あるとないとでは全く違いますし、確かに一人暮らしなら丁度いいかもしれません」

「ふうん。そっか」


 じゃあ、今回はこの辺で、と幸喜が会話の切れ目を逃さずさっさと締めようとすると、彼女は負けじと電話の向こうで元気よく声を張り上げている。


「なので、コインランドリーを活用してみたいのです!」


 折角綺麗に通話を終えられそうだったのに、と隠す事なく舌打ちを零すけれど、彼女は一向に引く気配はない。

 お願いします、一生のお願いです、と言ってみせる彼女に、お前の一生のお願いは一体何回あるんだ、と幸喜は顔を引き攣らせてみるけれど、彼女は一生のお願いに回数制限なんてありません、などと恐ろしい事を平然と述べている。

 普段は聞き分けが良い上に、先日のように気遣いも出来る筈だが、こと洗濯に関わる事ならば、彼女は絶対に妥協しない。

 どうしたものか、と困り果てた時、視界の隅に映ったテレビの画面に、幸喜は眼を瞬かせた。

 そうだ。このまま引かないというのなら、絶対に諦めざるを得ない条件をつければいいのだ。

 考えて、幸喜は密やかに息を吐き出し、口端を持ち上げる。


「わかった。いいよ。今度の土曜日な」

「え。本当ですか?」


 わっ、と嬉しそうな声を上げる茅乃は、きっと今テレビに映っているものに気付いてはいないのだろう。

 週末の降水確率は十パーセント。

 可哀想なのかもしれないが、不用意に彼女に会う機会を増やさない為にも、必要な嘘を吐くのは致し方ない事なのだ、と胸中で言い聞かせて幸喜は口を開く。


「但し、雨が降ったら、だ。晴れたら予定は無かった事にする」


 その言葉を微塵も疑っていない様子の茅乃は張り切った声を返していて。


「わかりました。任せて下さい、絶対に雨を降らしてみせます!」

「おい、止めろ」


 本当になりそうだ、と口にした幸喜は、現実になってしまいそうな気がしてきて、少しばかり不安に駆られてしまうけれど、週末の天気予報など今更変わりはしないだろう。

 幸喜の密やかな策略を知りもせず、電話の向こうから聞こえてくるのは彼女の陽気な鼻歌で、そのメロディは最近流れている洗濯洗剤のコマーシャルで流れているものだ。

 どこまで洗濯に関する事が好きなのだろう、と、幸喜は思わず困ったように眉を下げ、笑みを零していた。

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